2011-12-20

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん④

Q、「これまでの中で苦労したことってありますか?」

「入金が無いと潰れちゃうとか、
お客さんに訴えられそうになったとか
そういった中での苦労はありました。
けど、それ以外の苦労っていうと
自分のキャラとの戦いってのがありましたね。」

K 「というと?」

「自分のキャラはね、いわゆる人材育成とか
コントロール系の経営には向いていないんですよ。
完全に現場系なんですね。
なので、数値だけで管理するといったやり方に向いていないんです。
けど、今は、それが僕に求められているんです。」

K 「なるほど。」

「それが結構大変ですね(笑)」

K 「今までのお話聞いていると、
青木さんってズレが無いですよね。
ホントの自分と実際の自分のズレが少ない。」

Q、「一番楽しかったことはなんですか?」

「それを聞かれると、わりと最近がやりがいがあるんですよ。」

K 「例えば、三年前に同じ質問を受けたらどう答えてました?」

「多分、同じように『今やってることが』って答えてましたね。
そうじゃないとやめちゃうんですよ。飽きっぽいから(笑)」

K 「やめようと思った事はありますか?」

「真剣にやめようかと思った事は無いですね。
この間、アメーバ赤痢になった時は
初めてカンボジアは辛いなとは思いましたね(笑)」

Q、「好きな本や作家って?」

「宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)って作家がいるんですけど、
中国の歴史モノが多いですね。
その人の作品は好きですね。司馬遼太郎に近いかな?
なんか、ワクワクするんですよね。
生き様みたいなものにフォーカスしてるんですよね。
僕がすごく思うのは、500年後くらいにそういった本に
脇役とかでいいから、登場したいんですよね(笑)」

K 「良いですね。他にありますか?
例えば高校生にオススメするとしたら?」

「良い本はありますよ。ミヒャエル・エンデの『モモ』?
あと、アウシュビッツの話を書いた『夜と霧』とか、
カーネギーの『人を動かす』とかね。
けど、別に読まなくても良いと思うけどね。
読みたいものを読んでいればラノベでも良いと思うし。」

K 「高校生の時に影響を受けた本ってなんですか?」

「やっぱり宮城谷さんの本は、やっぱりそうですよね。
男受けしかしないんですけど
例えば『重耳(ちょうじ)』『晏子(あんし)』とかね。」

K 「人物伝ですね。面白いな~。」

Q、「尊敬する人、してた人っていますか?」

「そこもいろんな方をつまみ食いしてますね(笑)。
生活や日々の事に関しては、
結構嫁を尊敬してるんですよ。真面目にね。
やっぱり師匠としても三人浮かびますよね。
ETIC.のメンターをやっていた高橋義孝さんとか、
STYLE2003の最終審査員をやられていた小城さん。」

K 「旧カネボウなどの社長を務められていた、
あの小城さんですよね。
小城さんはカッコいいですよね。」

「見た目が既にカッコいいもんね。」

奥様 「ね~。」

「小城さんには結婚式でスピーチをして頂いんですよ。
正直、僕は世間一般からすればアウトローな生き方をしているわけですよ。
結婚式だと、相手の親族やうちの親族からすると、
『あの人大丈夫なの?』っていう状況なわけです。
そういう事を理解したうえで
『彼は代表的な日本人になると思います』
とか援護射撃をしてくれたんですね。
小城さんにそう言われると、そんな気がしてきちゃって(笑)」

K 「そうでしょうね(笑)」

「彼の言葉は前向きだし、力強いし、人を元気にしてくれる。
小城さんは『かものはしに来ると元気になる』と言ってくれるけど、
その言葉が僕達を元気にしてくれてるんですよ。」

K 「すげぇな~」

「もう一つ感動した台詞は、
東大のOBの集まりみたいなのに
小城さんに出て欲しいとお願いしたんですよね。そしたら
『僕は青木君の頼みは断らないことにしてるから。』
ってOKしてくれたんですよ。」

K 「カッコいい~~!」

「訴えられそうになった時だって、
『とりあえずその仕事はちゃんと終わらせろ』と。
『ダメだったら俺が300万ぐらいはなんとかしてやるから』とかね。
本当にカッコいい人です。
そういった人達にお世話になってるし、
本当に尊敬していますね。」

K 「なるほど面白いな。」

「結局自分の人生や、選択って結構周りに影響されてるんですよね。
当たり前の事なんだけど、
やっぱり『自分』って周りの環境の産物だと思うんですよね。
どういう友達や、師匠と一緒に過ごすかってことだと思うんですよね。
なので、渡邉さんのように逆にそこを聞いて行くことで
その人がどういう人物かって本当に見えてくるんですよね。」

K 「そうなんです(笑)」

Q、「青木さんは、どんな高校生でしたか?」

「塾っ子だったんですよ。
高校の時に通っていた塾は東大一直線みたいなところだったんですけど、
そこが好きでね、毎日のように通ってたんです。
でもね、そうすると調子に乗ってくるんですね(笑)
学校の授業内容とかも『それ二年前にやりました』ってなってくるんですよ。
本来をそれを表に出さないのが大人じゃないですか、
けど僕は子どもだったんで、ちょっと調子乗って
学校を段々舐めて行くんですよね。
あんまり学校にも行かなかったくなったんですよ。
けど、生徒会はずっとやってましたね。
6限終わってから学校行って文化祭の準備したりしてね。
いま考えれば、もっと上手くやれたと思うんですけどね。」

奥様 「私は子どもがそんなになったら嫌だ~(笑)」

K 「面白いな~(笑)」

Q、「高校の時力を注いだのは?」

「やっぱ文化祭とかですね。
文化祭実行委員とかは毎年やっててね。
いろいろ失敗したりね。
例えば物品管理をやってた時には、
限られた数のついたて配るんですけど、
それを調子に乗って配りまくってたら
足りなくなっちゃって(笑)
しょうがないから作ろうって事で、木材買い集めて、
井の頭公園でついたて作ってましたよ。」

K 「面白い。」

「あと、女装して文化祭の司会やったりね。」

K 「実は僕も高校の時、文化祭でナース服来て司会してましたね。」

奥様 「なんか似たとこがあるんですね(笑)」

K 「そんな高校生だから、今ここ(カンボジア)にいるんですかね?」

「ま、ちょっと変でしたかね。」

K 「エネルギーが余っている感じってありましたか?」

「ありましたね。あと僕は他人と一緒ってのが嫌だったんですよね。
だからなのか、大学に入っても、
みんなは官僚とか弁護士とか大企業とかいう雰囲気があったけど
それには興味がなかったですね。」

K 「なるほど。けど、結果として東大に入ったのはなんでですか?」

「僕は単に通ってた塾が好きで、
その塾がたまたま東大受験は前提になっていて、
むしろ『東大の中でどこに行くか?』っていうコミュニティーだったんですよ。
そこにいた結果、勉強ができるようになったんです(笑)
結局東大しか受けなかったんですけどね。」

K 「それで、すんなりいくもんじゃないんですけどね(笑)
その後のアウトローっぷりのが痛快ですね。」

「だから親は言ってましたよ。
『せめて卒業だけはしてくれないと、
何のために塾のお金を払い続けたのか』ってね(笑)」

K 「ごもっともですね。
けれど、面白いのが、青木さんご自身がそのような生き方に
また特段の価値を見出していない所ですよね。」

「そうですね。アウトローで良かったとも思わないし、
アウトローじゃないほうが良かったとも思わないですね。」

K 「自然でしょ?」

「そうですね。なので大学中退する時も
あまり考える事は特にありませんでしたね。」

⑤へ続く

かものはしプロジェクトについて、もっと知りたい方はこちら。
http://www.kamonohashi-project.net/

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