2011-12-31

「ソーシャルって何?」 グラミンバンク訪問 2011/12/15

ある日グラミンバンクの本部へ飛び込み訪問。
意外と簡単に中に入ることができて、
郵便物仕分室長さんと仲良くなることができました。




彼はグラミン勤務歴20年のベテラン。

彼の目から見た
グラミンバンクの裏話をたくさん聞かせていただきました。

それらを踏まえて感じたこと。
日本ではグラミンバンクあるいはその関連企業が行う事業を
いわゆる「ソーシャル」なものとして捉えていることが多いですが、
彼らにとってはただ単にバングラに無かったものを
一つずつ発展の度合いに合わせて提供していっただけのことだ、
ということです。

「きっちり利益上げてます!」ってことでした。

実はBOP(Base of the Pyramid)ビジネスなどの呼称も
あくまで(経済的に発展しきった)先進諸国の視点からみて
そう呼んでいるケースが多く、現地の人達にとっては
対象はあくまで発展段階にある自国民でしか無いのです。

生活水準の向上、その過程は
先進諸国の発展の道のりとそれほど変わらないと思います。

ただ唯一先進諸国の歴史と違いがあるとすれば、
あらゆる意味で技術が極端に進歩しているということでしょう。

例えば
以前は全国に電線をひいてから
各家庭に固定電話を普及させることで
通信網を整備していたのに対して、

現在では
各地に中継地点をつくって
携帯電話を普及させればこと足りるのです。

そういった事から、
あらゆる経済活動においてレバレッジが効きやすい状態に
なっているのだと思います。

それらの違いを踏まえておかないと、
(私達がそう言った観点から世界を見つめてしまっていることに気付いていないと)
「ソーシャル」と呼ばれる活動の本質や、このバングラという素晴らしい国の現状を見誤ることになります。

以上

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「国を誇るということ」 2011/12/14

この日は大変有難いことに
エクマットラのセンターにお伺いさせていただきます。

実はこの前日に
渡邉大樹さんにインタビューをさせていただいたのですが、
その延長で特別にお誘いをいただいたのです。

当日はバングラの戦勝記念日で、
ダッカ市内中がちょっとしたお祭りモード。



どこもかしこも、
バングラ国旗を掲げていました。

そんな中でお伺いした、エクマットラのセンターで感じたこと。

それは子どもたちが
バングラデシュの歴史をしっかりと知っているんだな~ということでした。


子どもたちの教科書には
建国の父と呼ばれるのボンド・ボンドゥの
歴史的なスピーチ全文が掲載されています。

また、子どもたちが書く絵にもしっかりと
国を戦って勝ち取ったという歴史認識が現れているのです。


こういった絵は現在の日本人が見たら、
少しショッキングかもしれません。

こんなことしてたら軍国主義に走るんじゃないの?
なんて声もあがるかもしれません。

けどね、少なくとも僕が出逢った、バングラの人々は
本当に心穏やかで、争いごとを好まない人ばかりだったし、
子どもたちは良い笑顔で笑っていましたよ。

国の歴史を知ること、そしてそれを誇ることと、
国が軍国主義に傾くことは実は全くリンクしていない
別次元の出来事なのではないでしょうか?

さて、そんなお堅い話題は別項でまとまるとして、
その後エクマットラセンターでのイベントをたっぷり満喫させていただいたあとで、
そのままエクマットラ創設時のメンバーの妹さんの(バングラで二度目の)結婚式
へと参加させていただくことになりました。


ここでも大量のお食事をいただくこととなりました(笑)。

エクマットラの渡邉さん、シュボさんをはじめ一日中お世話をしてくださって
インターン生の竹内さんなど、
私を温かく向かて下さったスタッフの皆さんに心より感謝!!

ちなみにエクマットラの事はいずれ
渡邉大樹さんのインタビューとともに詳しくご紹介しますね。


以上


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「ダッカの公園力」 2011,12,13 2

前回の続きオールドダッカを抜け出した後、
ダッカ大学前の公園に到着。

ここは本当に面白い。
広大な敷地の中で、
多くの人々が思い思いに過ごしています。

例えばこちらルーレット賭博を開いている人たち


面白そうだな~と眺めていると、
公園警備の警官がきて、場を叩き壊して帰りました。

みんな、それを見ながら
悪びれるでもなくゲラゲラ笑っている。

また、広場では
草クリケットがそこら中で行われています。


この国で一番人気があるのは
クリケットだということを実感させられました。

また、公園の一角には
立派なネットを張ったバレーボールコートが!!



勿論、きっちり参加させて頂きました!!
(ほとんど動けなかったけど。、、、)

この公園が夜は、
アーティストの集う場所になるのです。

娯楽らしいものが、
あまり発達していないダッカだけど、
公園にいるみんなは本当に楽しそう!!!

一度は訪れてみることをオススメします!!


以上

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2011-12-29

「英語が堪能なバングラ人」 2011/12/13

今日はオールドダッカと呼ばれる地域へ散策にでかけます。

リキシャにのって
まずはガイドブックなどにも掲載されている
スターモスクに向かいます。


到着したスターモスクは
全く拍子抜けなものでしたので、
3分くらい眺めて終りにしました。

けど、面白いのはココから。

モスクの目の前には小学校があり、
ちょうど学校が終わったようで、
たくさんの子どもたちが下校中でした。

彼らは臆することなく、
珍しい外国人客(私)に話しかけてきます。

「どこから来たの?」

「名前はなんなの?」


驚くことに、
それらの会話のどれもが流暢な英語なのです。
英語はみな学校で学習しているとのこと。

日本で言う小学六年生が、
しっかりと英語を介してコミュニケーションがとれる。

もちろんバングラの全域で
同じ状況はわかりません。

しかし、きちんと教えれば
きちんとしゃべれるようになるのです。
(だからと言ってベンガル語が出来ないわけじゃない!!)

日本の教育は
そもそも子どもたちの可能性を舐め過きっているのではないか?
などと邪推をしてしまいました。

その後、
近くにあったビリヤニ屋に突撃。


お客さんからじろじろ見られながら食べたので、
落ち着きませんでしたが、美味い!!
これは日本でも食べたいな~☆

お腹も満ちたところで、
オールドダッカの路地を散策してみます。

どこでも、だれでも
100メートル位歩くごとに

「どこから来たの?」

と誰かしらが声をかけてきます。

商売っ気など全くなし、
本当にフレンドリーな人々ですよ。

子どもたちも
物珍しそうについてきます。


こちらが振り返ると発ち止まる。
進むと付いてきて、
振り返るとまた止まる。

路地裏が本当に楽しい、
やっぱりダッカの魅力もこういう所に在る気がします!


以上

次はダッカの公園力!!

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「ダッカ大学、日本語クラスに潜入!」11/12/12

この日は近所にあるダッカ大学を訪問。
目的は日本語を学ぶ学生さんと友達になること。

とはいえ何の当ても無いので、
とりあえず、ダッカ大学卒業生でもあるCSホストに
ダッカ大外国語センターの場所を聞き、
そこに飛び込み訪問をしてみます。

訪れた大学構内はなかなかにボロボロですが(笑)
学生さんの活気に満ち溢れています。

ちなみにここでも韓国語のポスターやビラが
特に目立っていることに気付きます。
(詳しくは→ミャンマー日本考を参照下さい。)

とりあえず、外国語センターの事務室を訪ねてみると

「この部屋に行きなさい」

と日本語を教えている先生の部屋番号を教えてくれました。
そこで早速その部屋へ訪問。

先生も最初は不思議そうな顔をしてましたが、
危ないやつじゃないとわかると
気さくに話をして下さいました。

この方はレザウル先生とおっしゃり、
現在は日本語コースなどを担当していますが、
専門は心理学、言語学、特に人類言語学という分野だそうです。

そういったレザウル先生の
研究テーマについてしばらくお話を伺っていると
先生から急に

「相談がある」

と言われました。
何かと思ったら先生は数枚のプリントを私に手渡しながら

「日本の大学の講師職に応募をしようと思うんだが、何かアドバイスをくれないか?」

とのこと。

「いや、先生、それは僕ではわかりませんよ(笑)」

と言いつつも、
先生の日本で講師になることへの熱意を延々伺うこととなりました。

採用されれば4月から東京へ!上手くいくと良いですね!!

とその話はさておき、
狙い通りレザウル先生から

「午後6時から私の日本語クラスがあるからそこに参加しなさい」

とお誘いをいただけたので、一度ダッカ大学を離れて辺りをぶらついて
再び午後6時に大学の日本語クラスを訪れました。

学生さんは20名強。
とにかく話せるようになることに重点をおいた授業なので、
途中声が途切れる事がありません。

学生さんが言語のクラスにも関わらず、
質問や意見などを積極的に発言する姿は印象的です。

二時間ぶっ通しの講義のあと、
先生が私に時間を下さり、
生徒さんとの質疑応答をする時間を設けて下さいました。

そこでしっかり、
故郷別府の素晴らしさとAPUという大学について
プレゼンしときましたよ。

この中の誰かが、
別府を訪れる事が近い将来在るかも?

そう考えるとワクワクするな~。

と、こんな感じの楽しい日本語クラス訪問でした!!

以上


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「ダッカに集う青年海外協力隊メンバーの温かさ!」 2011/12/11

ダッカ二日目。
この日はバングラ青年海外協力隊祭となりました(笑。

はじめにお逢いしたのは
マジマさんという協力隊隊員の方で、
彼女は現在バングラの観光局のような場所で働いています。

マジマさんの発信しているバングラ情報はとても
役立つし、興味深い!!

詳しくはこちらをご参照ください☆
http://yaplog.jp/bangladeshu/

その彼女にバングラを訪れる直前に
ツイッター経由で面会のお願いをしたところ、
快く引き受けて下さり、職場にお邪魔することに。

ベンガル人の上司の方を交えて、
バングラの観光について興味深い話を聞くことができました。

その後、お昼をマジマさんと
同じく隊員のNさんとご一緒させていただきました。

その後、
一旦二人とは別れて、
BRACセンターなどを訪問。

夜には
協力隊のメンバーが拠点にしている場所にお邪魔し、
Nさん手作りの、めちゃくちゃ美味しい豚の角煮を頂きました!

その場では別の隊員の方々ともお会いすることができました。
そして、なんと、その中には偶然にもAPU卒業生が!!
(彼女にはインタビューを行ったのでいずれ紹介します。)

と、まぁ、協力隊員との出逢いに恵まれた一日だったのです。

彼らと出逢って感じたことは、
彼らの様な人々は日本にとってかけがえの無い「人財」だな~
ということです。

彼らの持つ
行動力、バイタリティ、柔軟性は
簡単に育めるものでは無いと思います。

こういった人々が
どんどん活躍できる
器の大きい国にならなければ、、、。

と実感しています。


以上

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2011-12-28

「バングラ。久々のカウチサーフィン!!」 2011/12/10

バングラでは
久々にCS(カウチサーフィン)ホストが見つかり、
その方のお宅にお世話になることになりました。

場所はダンモンディというところ。
空港からタクシーに教えていただいた住所を目指します。

お宅は古い建物ながら
とても広くバスルーム付きの
プライベートルームを利用して良いとのこと。

そんな親切なCSホスト宅には
ご主人のシプーさんと奥様、そして二匹の猫ちゃんが、、。

シプーさんは日本で6年近く、
日本画やアニメーションを学んでいた方で、
日本語堪能です。

おかげで、
到着早々にはすぐに打ち解けて、
その日の午後にはシプーさんの友人の結婚披露宴に同行させて頂くことに。


いきなりのビッグイベントに興奮すると共に、
披露宴で振舞われる美味しい食事に感動!!


そして夜には近所にある公園に散歩へ。
この公園はダッカ大学の芸術学部?の目の前にあり、
毎晩のようにダッカのアーティストたちが集まってくるところです。




公園の入り口では
アーティストがその場で作品を描き、その場で販売するといった
興味深いスペースも!!

公園の中では、
焚火を囲んで歌を歌う集団などもいて、
とにかく賑やかな場所。

旅人一人だったら絶対に訪れない
ダッカの夜の公園。

こんな場所に来れるのも、
地元の人と仲良くなるCSならではの楽しみですね。


(ちなみに最終的にシプーさん宅には
 計14泊もさせていただく事になるのでした。大感謝☆)


以上

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「空路コルカタ経由は要注意! タイからコルカタ、そしてバングラへの珍道中。」 11/12/09

さんざん悲しい思いをさせられた、
カオサンもいざ離れるとなると
急にやり残したことが、あれこれ思い出されるものです。

とはいえ早朝6時
ピックアップ(120バーツ)に乗って空港まで。

本日のフライトはAirAsiaでコルカタ、
そしてコルカタで12時間待った後にAirIndiaでダッカという二段構えです。

事前に最安値を探し回った結果、
スカイスキャナーを利用して見つけたのがこのルートだったのです。

そこで空港到着後まずは
AirAsiaに荷物をチェックインしに行きます。

「コルカタでAirIndiaに乗り継ぐからヨロシク!」
カウンターのお姉さん系お兄さんに伝えたところ、
途端に顔を曇らせます。そして

「すみません。
 コルカタでは一度出国して荷物を受け取ってください。」

「え?何で?それじゃ、ビザが必要になるんじゃないの?」

「そうです。でも、お客さんはダブルビザ持ってるから
 大丈夫ですよね?」

「いや、これは事前に渡航スケジュールまで
 提出してようやく取得したビザなんです。
 たった12時間の乗り継ぎで使っちゃったら
 後の予定が全部狂うんですけど!?」

「しかし、それしかないんです。」

「じゃ、荷物はチェックインしないで済むようにして下さいよ!」

てなやりとりの末、
エアアジアのマネージャーさんまで
出てきてくれて詳しい説明をしてくれました。

それによると
荷物を預けるかどうかではなく、
コルカタについた乗客は
とにかく全員一度出国する必要があるとのこと。

「そんなバカな!
 何のために、あれだけ苦労してダブルビザ取ったんだ!!」

と喚いても無駄なので、
とりあえず指示に従い、コルカタへ飛びました。
(誠意ある対応をしてくれたAirAsiaのカウンターに感謝)

午前11時半にコルカタ到着。

機内をでてからは、
念のため乗継の案内などがないかと一生懸命探しましたが、
そんな気配すらありません。

係員に聞いても、
入国審査官に聞いても、

「入国以外に道はない」とのこと。

ダブルVISAでの入国スタンプが押されました。
(この時点で三カ月の縛りもスタート。)



がっくし、、、


もう完全にやられました。


国際線の乗継は
ソウル以来二度目なので安心しきっていました。

だから、同日乗継ぎでまさか入国が必要だなんて、
思っても居なかった。

インドではこれが常識なのか?
それともコルカタだけの措置なのか?

その答えは誰に聞いても「わからない」

第一もしVISA取ってなかったら
入国すらできないじゃん。

ちなみにアライバルビザも
コルカタだと取れるとか取れないとか言われるし、
運良く取れるにしても60ドルもするらしいし!!!
(それじゃ、格安航空券の意味が無くなる。)

この憤りを誰にぶつけていいのか?
それすらも解らないまま、
コルカタの空港内へと進みます。

(なお、私がスカイスキャナーで検索した際、
 この件に関してのアラームは一切出ませんでした!!
 利用する人はくれぐれも気をつけて下さい。)

さてさて、とはいえ
この旅で既に「切り替えの速さ」というアビリティを身に付けた私は

機内預荷物を受け取ったころには
気持ちを切り替えておりました。

むしろ初のインドにワクワク!!




コルカタでは12時間ずっと空港内で過ごしたんですが、

少なくとも空港内のインド人は、
みんなめっちゃ親切!しかもフレンドリー!

しかもみなさん英語が堪能なので、
会話もとてもスムーズに運ぶし、その表現も丁寧です。

何より、
全員笑顔が良い!!

ライフル持った強面の警備員も、
融通のきかなそうな入国審査官も、
飛行機が飛び立つのを見に来た子ども達も

私が話しかけるととびっきりの笑顔で応えてくれます。

「あれ、インドって、、なんか良いね~!!」

タイとのギャップがあまりに大きいせいもあるとは思いますが、
それでも笑顔の良さは印象的です。

そのフレンドリーさは
何度も遭遇した空港職員さんに
三度目にあったときには「ブラザー!」と呼ばれるほどでした(笑)。

そんなこんなで12時間後の夜12時、
今度はAirIndiaで無事コルカタを出発!

機内ではインド人なのかバングラ人なのかわかりませんが、
16歳~20歳くらいの青年たちが
まるで修学旅行生のようにはしゃいでおります。

面白かったのが、
何人かが酸素マスクの説明をしている
スッチーの写真を携帯で撮影して、
後で全員携帯を取り上げられたり、

まさに離陸直前のその瞬間に、
突然立ち上がり上の棚から荷物を取ろうとして、
スッチーにブチ切れられたり、

機内で突然ラジオみたいなもので
スピーカーを大音量にして音楽を聞いて、
スッチーにマジギレされたり、

まぁ、とにかく飽きずに楽しませてくれるフライトでした。
(この路線の客室乗務員さんには同情いたします。)

そんなこんなで、
バングラ到着は午前1時過ぎ、
イミグレもすんなり通れました。

イミグレを出てすぐの所に
グラミンフォンのカウンターがあり、
そこでSIMを購入150タカ(150円程度)。

加えて、
ATMもそばに設置してあるので、
国際キャッシュカードも入国後すぐに利用できます。



バングラデシュの空港はそれなりにキレイだし、
空港内警備もしっかりしているようだったので、
朝までベンチでぐっすり眠ることができました。




そして翌朝午前9時。

目を覚まし、空港内の売店でサンドイッチを食べ、
タクシーで600タカとボられているのを承知で
ダッカ市内のCSホスト宅へと向かったのでした。

そのホストが
めちゃくちゃ素敵な人なんだな~☆


以上

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2011-12-22

「クラビからカオサン 予想外に快適なバス移動」 2011,12,5

前回の温泉巡りを正午には切り上げ、
バイクで一時間半かけて宿に戻り、
さっさと昼食を済ませます。

3時半にはホテル前にピックアップが来て、
クラビーのバスターミナルまで。

ピックアップに同乗した
フランス人カップルのキャミーとブリスと仲良くなり
カオサンまでの道中を一緒に楽しむことになりました。。

バスターミナルには
いくつもバスが停車しており、
なかには

「カオサンまでのダイレクトバスだ」

というものもありました。
僕たちはそれぞれ宿の人に

「ダイレクトバスは存在しない」と言われて
既にチケットを購入していたので、
途中、スラタニで乗り換えのあるバスに乗ることになりました。

クラビー発車から5時間は
休憩も一切なしのローカルバス移動。

その後、
デラックスバスに乗り換えたんですが、
車内はガラガラ。

途中で人が乗り込むことも無く、
広々と、かなり快適に過ごすことができました。

カオサン到着は朝5時。

そして、この日はプミポン国王の誕生日翌日、
そのせいかゲストハウスはどこも満室とのこと。

しょうがないので、
キャミー達とレストランに入り
お互いの教育システムや宗教観について話をして過ごしました。

ちなみにキャミーは小学校の先生なんですが、
フランスでも子どもたちが荒れるケースが多くなっていて、
鬱気味になる教師が増えているとのことでした。

こういった問題は
日本特有のものかと思っていたけれど、、
もしかしたら資本主義経済の末路として
文明を超えた普遍的な現象なのかもしれないと感じたり、、、。

まぁ、そんなこんなで
時間を過ごしました。

レストランのおばちゃんが、
一言も断りもせず、というか私の目もみず、
まだ食べかけのパスタを片づけようとしたことで、

「あぁ、カオサンに帰ってきたんやな。」

と実感したのです。

以上

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「エメラルドプール」  世界八十八湯温泉道 タイ、クラビ2 2011,12,5

前回の続き、
クラビの温泉二つ目です。

次の温泉はhot streamから
バイクで10km弱走った所にあります。

こちらは特に有名な観光地らしく、
観光客で賑わっています。




入場ゲートで200バーツを支払って
歩くこと15分弱

「エメラルドプール」の看板が見えます。




広く美しい水の色に興奮!

早速、プールに入ってみます。
しかし、この水があったかくない。

「え?これ温泉なの?ただのプールじゃないの?」
不安がよぎりましたが、




写真奥の滝のように流れてきている水、
この水が確かに温かい!!

団体さんを案内していたタイ人の
ガイドさんに話を聞いたところ
プールが大きすぎて
お湯の量と温度のわりに
水が冷めてしまうんだそうです。

まぁ、けど
これはこれで楽しいもんで、
この前に訪れたhotstreamとセットで
楽しむのにもってこいですよ。

以上

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2011-12-21

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん⑤

《未来の事について》

Q、「遠い未来の事はおいておいて、先々の事で考えている
目標やイメージを聞かせて欲しいんですが?」

「いくつかありますね。
もちろん今燃えていて、大変なのは
コミュニティファクトリー事業を自立させることですよね。
そのためには僕の働き方も変わって行かなければならないし。
一年半ぐらいは頑張る。

ですけど、同時に興味があるのは、カンボジアに進出する日系企業への
人材紹介みたいなことなんです。

かものはしは6年半カンボジアで活動してきて、
それなりに現地に雇用も生みだしてきたんですけど、
それでも雇ってたかだか150人ぐらいだと思うんですね。
勿論150人という数も立派なものだとは思いますけれど、
同時にもっと上手くやる方法があるんじゃないかなって思うんですよね。

そこで考えているのが、カンボジアへ進出する日系企業への人材紹介なんです。
いますごい勢いで日本企業が進出してきているんですよ。
例えば味の素さんとか、あとはモーターとかを造ってるM社さんとかですね。
そういった企業さんは、めっちゃ人材募集するんですよ。
『ワーカーさんを1000人募集します』とかね。
でも、集まらなかったり、定着しなかったりするんですよ。」

K 「へぇ~」

「味の素なら知ってるけど、M社って言われても彼らは何の会社かも
解らないですよね。日本人でも解らない人が多いと思うしね。
同時に企業側も農村に入って行って話をしたりはしないんですよね。
『あれ、仕事無いから募集したらくるんじゃないの?』って感じですよね。
そこにミスマッチがあるんですよね。一方でNGOは雇用を創りたいのに。」

K 「なるほど。」

「うち(かものはし)が一人一人に雇用を創るのはすごく大変なんですよ。
200人雇用するならそれだけのビジネスを創らなきゃいけない。
けどM社の採用を手伝って200人を雇用させるならやりやすいじゃないですか?」

K 「ありですね」

「10年ぐらいは日系企業の進出は続くと思うので、採用と定着、
あとはお金にはならないけど彼らが自立するためのライフスキルの提供、
こういったことを絡めて1000人、10000人っていう雇用に関わって、
その中に最貧困層も混ぜ込める、となったら面白いなと考えています。」

K 「非常にインパクトも大きいし、現実的ですよね。
その辺が目下の関心事ってことですね。」

「そうですね。その辺りで事業を創れるかどうかで、
創れないなら諦めて日本に帰ろうかなと思ってます。」

K 「中長期にわたって、ご自身として夢に近いものはなんですか?」

「長期で言えば、人が変わる姿を見ていきたいってことですし、
中期で言えば、今お話した事業が立ちあげられるかどうかが気になっているところだし
その間くらいには、先ほどお話した師匠のような方々を一緒に仕事をしてみたいし、
そういうと、結構あるな~(笑)」

K 「そうですね(笑)」

「といった、仕事軸の話と、家族軸の話ですね。
やっぱり家族あっての・・・だと思っているので(笑)
早くどこでもドアでも出来れば良いのにね(笑)」

K 「どういう仕事をするにせよ人が変わって行く何かに
関わり続けて行きたいということなんですね?」

「そうですね。ただ、現場との距離感は変わってくるかもしれません。
もっと現場に近いかもしれないし、
もっと現場から離れてインパクトを重視するかもしれない。
今はギリギリ名前が覚えられるとか、
実感がある範囲でやりたいなと思ってますね。」

K 「なるほど」

「けど、単にあれだね。
うちの工房に行くとワーカーさん達が『ケンタ、ケンタ』って
声かけてくれるのが嬉しい。」

K 「それは嬉しいですね~。
現場って言葉が出たので、ひとつ質問なんですが、
日本とカンボジアのギャップって感じますか?
具体的にはかものはしのサポート会員の方々と
現場が抱えているもののギャップですね。」

「もちろん現場のことを解ってもらえているかといえば、
難しいですよね。こちらも発信し切れていない。
現場の苦労とか、何が大変かとかね。
なんていうのかリアリティがね、なかなか伝わってはいない。

例えば、現場のカンボジア人スタッフとかは
本気でかものはしのミッションに共感して入ってきているだけじゃなくて、
いわゆる外資系企業の一つとして入ってきているわけだから、
ジョブホッピングしていくわけですよ。
そういうレベルのリアリティは(日本の方には)解ってはもらえないですよね。
もちろんギャップはあって当然で、
全部が全部を理解してもらう必要はないと思うし。」

K 「そうですね。」

「ただもうちょっと身近に感じられるようになったり、
好きになったりしたら、応援し甲斐が出てくるんだろうなとは思います。
それはこちらの努力不足なんですけどね。」

K 「そういったギャップがあることで、
ミッションとは逆のことが現地で起こったりすることはありますか?」

「それはね。気をつけなきゃあるでしょうね。
誰を向いて仕事をするかっていうときに、サポーターの現時点での満足だけを考えたら
段々と現地でやりたいことと離れていくことはあるかもしれない。

でも、長い目でちゃんと現地の事を知ってほしいし、
かものはしの事を真面目に知って応援してほしいし、
それをこちら側が望むかの話ですよね。

だから、財務状況なんかは文句が出なくてもきちんと公開するし、
そういう情報発信は結構本気でやりたいと思ってるし、
そこをやるかじゃないですかね?」

K 「そうですね。」

「それが無かったら、ドナーからすればやっぱり
解り易いものが良いよってことになりますよね。
例えば『学校を建てたい』とかね。

日本で支援する側のあるべき支援像ってあるじゃないですか、
それが現場の状況が変化しているのに対して、
あまり変化していないと感じるんですよね。

寄付慣れしていない日本人もいるし、
説明し慣れしていないNGOも多いと思いますね。

だって学校は売りやすいですもん。
だから学校を建てて売っているNGOはあるけど、
本当はただ学校が建てたいんじゃなくて、
良い学校を創りたいはずですよね。

『だから良い学校って何ですか?』って話をある程度真面目にしないとね。
寄付をする側から歩み寄ってくることはないでしょう。
だからNGO側からきちんと説明をしていかないと思いますね。」

K 「なるほどね。」

「もう一つNGO側の課題として、問題が変わってきているのに、
それに気付かないふりをするというのは最悪ですね。」

K 「やっぱり、それはあるんですね?」

「例えば、僕達がここで児童買春問題に取り組んでいて、
けれど、その結果、数がどう変化しているかは解らないんですよ。
NGO関係者誰に聞いても、悪くなったとも、良くなったとも言わないですよ。
けれど、実際売春宿に客のふりして子ども出してっていうと
『今は法律が厳しいから無理』
とか言われるわけですよ。」

K 「なるほど」

「でも、言えるんですよね。
『この問題はアンダーグラウンドにいっただけで、いまでも大変なんです』
って。それは事実でもあるけど、どこかで嘘になったり、
効率が悪い話になったりするわけですよね。

それよりは被害者のケアの方に事業を変更しようよとか、
そういう話になるはずなのに、
そのソーシャルアジェンダの設定が変わってきていることを見ない。
うすうす勘づいてはいるけど、見ない。
『そんな余裕ないよ』とか言ってね。
そういったことは気をつけないと起こり得る話だなと思ってますね。」

K 「そうですよね。あらゆる非営利団体に言える事だと思います。」

「うちなんか、児童買春問題が世の中から無くなれば
解散すれば良いんですよ。嬉しい!ってパーティしてね。
解決するつもりでやってるんだから、解決すれば、無くなれば良いって話でしょう。
そういう緊張感が無いとやっぱり駄目ですよね。」

K 「かものはしの皆さんのように自らリスクテイクして
始められている方にはそういった方は見られないですけどね。」

「リスクテイクって言われましたけど、
僕はね実はリスクヘッジしてると思ってるんですよね。」

K 「そうですね。」

「本気でやれてるかどうか?本気でやって成長しているか?
ってのが大切なんですよ。
その方が中期的に安定してくると思ってるんですよね。」

K 「なるほど。」

「本気でやることの方が全然リスク少ない。
だから挑戦することの方がリスクが少なくて、
挑戦しないことの方がリスクが大きいと思っていますよ。

K 「その通りですね。」

「世の中一般のお金に関するリスクとかそういったものじゃ、
人間は死なないんですよね。それに加えて、共働きだし(笑)
奥さんが、しっかりしてるし(笑)」

奥様 「そうか、中期的には安定するのか(笑)」

「中期的には絶対幸せにするから、全く問題ない(笑)」

K 「長期的にはどうなんですか?」

「良い感じで死ぬ(笑)」

K 「でも、いまの考え方が一番重要ですよね。」

「そうですね。よく人から不安じゃないですか?とか、
よくリスクを取りましたね?とか言われるけど
自分はそんな感じはしていない。」

K 「それは僕自身もそう思ってて、、」

「じゃなきゃ、会社辞めないですよね(笑)?」

K 「会社に留まり続けることの方が、
リスクだと考えるから辞めるわけでね。」

「そうですね。」


Q、「最後に高校生ぐらいの年代の若者にアドバイスをするとしたら?」

「うちにスタディツアーで大学一、二年生とかが良く来るんです。
その中に国際協力がやりたいって子が多いんでうけど、
その子たちの話を聞いていると、考えている国際協力のハードルが高いんですよね。
国連 or not!みたいなね(笑)」

K 「or not ね!」

「本当は国際協力なんていくらでもやり方はある。
やり方や生き方、在り方の問題なので。」

K 「そうですね。」

「でも、なんでも多分そうで、結構高校生や大学生の頃には
社会の事とか解らないし、見えないんですけど
実際は、結構なんでもありなんですよね。
僕なんかが生きているってのがそもそも良い証拠で(笑)
そういう意味ではどこから始めてもいいし、
50歳、60歳から起業してイケてる人も結構いるじゃないですか?」

K 「そうですね。」

「だから、何でもいいと思うんですよね。
何かの本に書いてあったけど、
人生は自分がやりたいことをやってると結構時間があるし、
そうじゃないと結構短いよって話ですよね。」

K 「なるほど。」

「うちの子たちなんて20歳とかで工房に来て、
最初は読み書きも出来ない子が、チームリーダーとかやっちゃうわけですよ。
あの変わり様を見てるから、日本の大学や高校を出ていて
『何を言っとんじゃお前』って思っちゃいますよね。
だから、何でもありって思ってもらった方が良いのかなと思いますね。」

K 「なんでもありって凄く説得力あるな~(笑)」

「代々木公園で炊き出しの手伝いとかして感じることでもあるけど、
日本で餓死とかあんまりないでしょう。
そういう中で、何が本当のリスクを見えなくするか?って、
僕はやっぱり変なプライドだと思うんですよ。
年収はいくらなければいけないとか、
女性よりも男性の方が稼がなければいけないとか、
良い車に乗ってなきゃいけないとかね。

そういうプライドがあることで頑張れるってことなら
良いと思うんですけど、妙にこだわりが多い人もいるじゃないですか?
極端に言えば『良い車に乗れなきゃ、自分の人生失敗した』とか考える人がいると
凄く勿体無いなって思うんですよ。」

K 「なるほど」

「やっぱりプライドを持つ部分を絞った方がいいと思っていて、
ぼくなんかは『本気で仕事をできているかどうか』
にしかプライドを持っていないので、
それ以外のことは、まぁどうでもいいんですよ。」

K 「わかる。」

「もう一つ思うのは、カンボジアの農村で生まれて
小学校を途中で辞めた子と仕事をしているとね、
日本で何も考えずにとりあえず大学まで行けたって、
その時点で相当幸せなことですよね。」

K 「そうですね。」

「まず、幸せなんですよ。先に幸せがある。
その中で年収とかがどう影響するんですか?っていう話でね。
だからそういう意味でのこだわりは少ない方が良いと思う。」

K 「うん。」

「あとはね、人生ってコントロールできないじゃないですか?
僕自身ここで仕事してるとは全く想像もできなかったですしね。
まさが、学校辞めてNGOやってるとは思わなかったし。
人とのご縁とかってコントロールできないでしょう。
だから、あんまりキャリアプランニングとかしすぎないことじゃないでしょうか。」

K 「ちなみに青木さんが一番プライドを持つのはどこですか?」

「自分が一番信じられるミッションの中で、
本気でワクワクして仕事しているかどうか?
信じられるミッションていうのは、僕の場合わりと公共性があるもので、
児童買春問題って自分で迷う必要がないんですよ。
だって明らかにきついっしょ、みたいなね。
被害にあってる子の事を考えるとキツイでしょ。
だから、児童買春を無くすために何かをするってなったら、
全然迷わなくて済む。」

K 「確かに。長々と大変ありがとうございました。

― 完 ―

補足: 「」のみ=青木さん、K=賢太郎、奥様=青木さんの奥様

かものはしプロジェクトについて、もっと知りたい方はこちら。
http://www.kamonohashi-project.net/

なお、シェムリアップの『アンコール ナイトマーケット』には
かものはしプロジェクトの専門店があります。
シェムリアップへお越しの際は、ぜひのぞいてみてください。



アンコール ナイトマーケット
営業時間:16:00-23:59(無休)

また、オンラインで商品をご購入いただける
かものはしプロジェクトの公式Webショップはこちら↓↓↓
http://kamonohashiprj.shop-pro.jp/

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最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

これからも、世界各地で活躍されているカッコイイ日本人の方たちを
日本の皆さまにご紹介すべく、
インタビューを重ねていきたいと思います。

応援、よろしくお願いいたします!

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2011-12-20

「クラビHot stream」 世界八十八湯温泉道

温泉に触れる前に一言、
クラビはバンコクとは人の雰囲気が違うことを感じます。

男性はバンコク以上に陽気でフレンドリーに、
そして女性も大抵にっこり笑顔で応対してくれうようになりました。

ようやくリラックスできると思うと、
温泉が急に楽しみになってきた!!

早速、レンタルバイク(24時間200バーツ)を借りて出発。
70キロの道のりを約一時間45分をかけて最初の温泉へと向かいます。


写真のように
青看板がしっかり道案内してくれます。

道は広く快適です。
とくに幹線道路からわき道に入ってからは
ドライブコースとしても楽しいですよ。


到着した温泉にはHotStreamの文字。

温かい川?
なんじゃい、そりゃ?
HOTSPRINGで良いんやないの?と思いつつ
とりあえず入り口でチケット(90バーツ)を購入。



写真の様な道を森の奥へと進んでみると、、、、


「あ、本当や、これは川やわ。」
と声に出してしまいました。

この温泉はスゴイ!
なんつ~か、楽しい!!

棚田状になったくぼみが
天然の浴槽になっています。
これは楽しいですよ。




また午前中だったせいか、
観光客はほとんどおらず、
地元のタイ人の利用が多く、
少年サッカーチームの子どもたちや、
幼稚園生見たいな子が先生の引率で
温泉に遊びに来てました。

ここも一度は経験したい
楽しさ満点の温泉ですね。

名残惜しみつつ、
湯船から上がり次の温泉に向かいます!

以上

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『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん④

Q、「これまでの中で苦労したことってありますか?」

「入金が無いと潰れちゃうとか、
お客さんに訴えられそうになったとか
そういった中での苦労はありました。
けど、それ以外の苦労っていうと
自分のキャラとの戦いってのがありましたね。」

K 「というと?」

「自分のキャラはね、いわゆる人材育成とか
コントロール系の経営には向いていないんですよ。
完全に現場系なんですね。
なので、数値だけで管理するといったやり方に向いていないんです。
けど、今は、それが僕に求められているんです。」

K 「なるほど。」

「それが結構大変ですね(笑)」

K 「今までのお話聞いていると、
青木さんってズレが無いですよね。
ホントの自分と実際の自分のズレが少ない。」

Q、「一番楽しかったことはなんですか?」

「それを聞かれると、わりと最近がやりがいがあるんですよ。」

K 「例えば、三年前に同じ質問を受けたらどう答えてました?」

「多分、同じように『今やってることが』って答えてましたね。
そうじゃないとやめちゃうんですよ。飽きっぽいから(笑)」

K 「やめようと思った事はありますか?」

「真剣にやめようかと思った事は無いですね。
この間、アメーバ赤痢になった時は
初めてカンボジアは辛いなとは思いましたね(笑)」

Q、「好きな本や作家って?」

「宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)って作家がいるんですけど、
中国の歴史モノが多いですね。
その人の作品は好きですね。司馬遼太郎に近いかな?
なんか、ワクワクするんですよね。
生き様みたいなものにフォーカスしてるんですよね。
僕がすごく思うのは、500年後くらいにそういった本に
脇役とかでいいから、登場したいんですよね(笑)」

K 「良いですね。他にありますか?
例えば高校生にオススメするとしたら?」

「良い本はありますよ。ミヒャエル・エンデの『モモ』?
あと、アウシュビッツの話を書いた『夜と霧』とか、
カーネギーの『人を動かす』とかね。
けど、別に読まなくても良いと思うけどね。
読みたいものを読んでいればラノベでも良いと思うし。」

K 「高校生の時に影響を受けた本ってなんですか?」

「やっぱり宮城谷さんの本は、やっぱりそうですよね。
男受けしかしないんですけど
例えば『重耳(ちょうじ)』『晏子(あんし)』とかね。」

K 「人物伝ですね。面白いな~。」

Q、「尊敬する人、してた人っていますか?」

「そこもいろんな方をつまみ食いしてますね(笑)。
生活や日々の事に関しては、
結構嫁を尊敬してるんですよ。真面目にね。
やっぱり師匠としても三人浮かびますよね。
ETIC.のメンターをやっていた高橋義孝さんとか、
STYLE2003の最終審査員をやられていた小城さん。」

K 「旧カネボウなどの社長を務められていた、
あの小城さんですよね。
小城さんはカッコいいですよね。」

「見た目が既にカッコいいもんね。」

奥様 「ね~。」

「小城さんには結婚式でスピーチをして頂いんですよ。
正直、僕は世間一般からすればアウトローな生き方をしているわけですよ。
結婚式だと、相手の親族やうちの親族からすると、
『あの人大丈夫なの?』っていう状況なわけです。
そういう事を理解したうえで
『彼は代表的な日本人になると思います』
とか援護射撃をしてくれたんですね。
小城さんにそう言われると、そんな気がしてきちゃって(笑)」

K 「そうでしょうね(笑)」

「彼の言葉は前向きだし、力強いし、人を元気にしてくれる。
小城さんは『かものはしに来ると元気になる』と言ってくれるけど、
その言葉が僕達を元気にしてくれてるんですよ。」

K 「すげぇな~」

「もう一つ感動した台詞は、
東大のOBの集まりみたいなのに
小城さんに出て欲しいとお願いしたんですよね。そしたら
『僕は青木君の頼みは断らないことにしてるから。』
ってOKしてくれたんですよ。」

K 「カッコいい~~!」

「訴えられそうになった時だって、
『とりあえずその仕事はちゃんと終わらせろ』と。
『ダメだったら俺が300万ぐらいはなんとかしてやるから』とかね。
本当にカッコいい人です。
そういった人達にお世話になってるし、
本当に尊敬していますね。」

K 「なるほど面白いな。」

「結局自分の人生や、選択って結構周りに影響されてるんですよね。
当たり前の事なんだけど、
やっぱり『自分』って周りの環境の産物だと思うんですよね。
どういう友達や、師匠と一緒に過ごすかってことだと思うんですよね。
なので、渡邉さんのように逆にそこを聞いて行くことで
その人がどういう人物かって本当に見えてくるんですよね。」

K 「そうなんです(笑)」

Q、「青木さんは、どんな高校生でしたか?」

「塾っ子だったんですよ。
高校の時に通っていた塾は東大一直線みたいなところだったんですけど、
そこが好きでね、毎日のように通ってたんです。
でもね、そうすると調子に乗ってくるんですね(笑)
学校の授業内容とかも『それ二年前にやりました』ってなってくるんですよ。
本来をそれを表に出さないのが大人じゃないですか、
けど僕は子どもだったんで、ちょっと調子乗って
学校を段々舐めて行くんですよね。
あんまり学校にも行かなかったくなったんですよ。
けど、生徒会はずっとやってましたね。
6限終わってから学校行って文化祭の準備したりしてね。
いま考えれば、もっと上手くやれたと思うんですけどね。」

奥様 「私は子どもがそんなになったら嫌だ~(笑)」

K 「面白いな~(笑)」

Q、「高校の時力を注いだのは?」

「やっぱ文化祭とかですね。
文化祭実行委員とかは毎年やっててね。
いろいろ失敗したりね。
例えば物品管理をやってた時には、
限られた数のついたて配るんですけど、
それを調子に乗って配りまくってたら
足りなくなっちゃって(笑)
しょうがないから作ろうって事で、木材買い集めて、
井の頭公園でついたて作ってましたよ。」

K 「面白い。」

「あと、女装して文化祭の司会やったりね。」

K 「実は僕も高校の時、文化祭でナース服来て司会してましたね。」

奥様 「なんか似たとこがあるんですね(笑)」

K 「そんな高校生だから、今ここ(カンボジア)にいるんですかね?」

「ま、ちょっと変でしたかね。」

K 「エネルギーが余っている感じってありましたか?」

「ありましたね。あと僕は他人と一緒ってのが嫌だったんですよね。
だからなのか、大学に入っても、
みんなは官僚とか弁護士とか大企業とかいう雰囲気があったけど
それには興味がなかったですね。」

K 「なるほど。けど、結果として東大に入ったのはなんでですか?」

「僕は単に通ってた塾が好きで、
その塾がたまたま東大受験は前提になっていて、
むしろ『東大の中でどこに行くか?』っていうコミュニティーだったんですよ。
そこにいた結果、勉強ができるようになったんです(笑)
結局東大しか受けなかったんですけどね。」

K 「それで、すんなりいくもんじゃないんですけどね(笑)
その後のアウトローっぷりのが痛快ですね。」

「だから親は言ってましたよ。
『せめて卒業だけはしてくれないと、
何のために塾のお金を払い続けたのか』ってね(笑)」

K 「ごもっともですね。
けれど、面白いのが、青木さんご自身がそのような生き方に
また特段の価値を見出していない所ですよね。」

「そうですね。アウトローで良かったとも思わないし、
アウトローじゃないほうが良かったとも思わないですね。」

K 「自然でしょ?」

「そうですね。なので大学中退する時も
あまり考える事は特にありませんでしたね。」

⑤へ続く

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2011-12-19

「タイ、カオサン クラビー」 デラックスバス移動&カオサン宿情報 11/12/2

ミャンマーからバンコクに戻ると、
カオサンの寺町エリアに「MerryV」に宿泊。

シングル・ファン・トイレバス共同で一泊150バーツ(約450円弱)
と値段も手ごろだし、部屋も共有スペースもキレイ。

あと一階のレストランで焼いているパンが美味しい。
そのパンを使ったハンバーガーはオススメです。

ただし難点は部屋に
コンセントが一つも無いこと。

パソコンなどの充電は別なところで行わなければならず面倒です。

ちなみに、
私がカオサン滞在中に
利用したネットスペースは
カオサンの一本北の通りにある
なんとかINNの一階にあるネットスペース。

ここは自分のラップトップが使えて、
Wi-Fi環境が安定していている。
且つ長時間利用が破格!

たしか10時間利用で200バーツしなかったと思います。
何日か滞在する人で、ラップトップを利用したい人には、ここがお勧めです。



さて、カオサンではタイ女性達の不機嫌さに
すっかり心を折られてしまった私。

仕方なくコミュニケーションを取る食堂やホテルの受付などで、
無愛想を通り越した、悲しい仕打ちを受ける事もしばしば。
(目を合わせない受付なんてココでは当たり前です。凄く残念。)


さて、そんな事もあり、
私の気持ちは早々と南のクラビーと、その温泉に向いたのでした!!

カオサン周辺でバンコクから南下するバスのチケットを
何件か値段を聞いて回りました。

一応最安値はデラックスバスで350バーツと答えた店。

しかし、ここのカウンターのお姉さんは
私の入店時チラ見をした以外は、
会話の最中ずっと携帯を見て一瞥もくれないという
悪態をつかれたので、お断りしました(笑)。

結局、ナットさんというお兄さんが大変気持ちの良い対応をしてくれた
カオサンのバーガーキングの右斜め前の代理店で
500バーツでしたが予約をしました。

翌日夕方5時半にお店の前に集合、
その後バスが来る道の前まで移動し、
さらに待つこと一時間弱、
ようやくデラックスバスが数台登場。

正直、バスに乗り込むまでは結構不安です。

同じ代理店から、
「クラビーに行く」といって
一緒にバス乗り場に来た欧米人客が次々にいろんなバスに乗って消えて行きます。

バスの割り振りが、
どういう仕組みになっているのか読めません。

そんな心配をよそに、
無事立派なバスに乗り込むことができました。
 
 ちなみに、
 この時も「これオレも乗るやつじゃないの?」と係員に
 こちらが訴えなければ、どうなったのかは解りません、、、(笑)


さて、乗り込んだバスは、大変快適でした。
トイレ付きの車両なので、ほとんど止まることもなく走り続けます。
車内は寒いですが、着込むほどではありません。

走ること10時間、
午前5時ごろ、スラタニという街?の片隅で
バスを下され、ここからはピックアップに乗り換えます。

そして中継地点となる小さな食堂に連れて行かれます。

ここで可哀想だったのは、
先に到着していたらしいフランス系黒人のお兄さん。

車内で貴重品がなくなったらしく、
食堂のオバちゃんに警察に連絡するようにお願いしていますが、
まるで相手にされません。

その場でバス会社と関係する人は
そのオバちゃんしかいないのに、ほぼガン無視です。

彼の無事を祈りながら、
待つことさらに一時間。
食堂前に迎えに来たミニバスに乗り込みました。

「これで、あとはクラビーまで三時間か」

と思っていたのですが、
そこから、さらに別の旅行代理店のような所で降ろされました。

とりあえず、
「一時間ここで待て」と言われ、さらに黙って耐えるのです。

一時間後
ようやくバスが到着し、
そのバスの乗り込み走ること
3時間半ようやくクラビー郊外へ到着しました。

ここには姑息なからくりがあって、
地元客だけ先に正規のバスターミナルで下します。

外国人客には「次が最終地点だ」と言って、
わざわざ街から離れて野原のような所に連れて行かれます。

当然、そこには公共交通機関は無し。

そこで、
送迎付きの高い宿か、
ふざけた交通費のどちらかを要求されます。

そう言うときは
とりあえず大きな声で、笑ってみましょう。

わっははは!!!

事態は何も好転しませんが、
クラビーへの入場料だと思って諦めました(笑)。


そんなこんなでようやくクラビーの街中へ
到着したのは午後一時半。

合計約18時間の移動と相成りました。


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以上

「入域料というやり方」  観光JAPON ミャンマーに学ぶ


今回訪れたミャンマー各地の観光地では
寺や観光施設で個別に入場料を取られることがあまりない。

というのも、
その地域に入る前に入域料という名目で
地域によって5ドル~10ドルを事前に納めさせられるからだ。

地域というのは大体一つ、二つの町を内包し、
かつ観光スポットが幾つか点在するくらいの結構な広さだ。

バガンの街かど、米屋の三人娘。


例えばインレー湖畔では、ニャウンシュエの町と
インレー湖畔全域が含まれていたし、
バガンでは二つの町と、4000もの仏塔が
そのエリア内に存在することになる。

入域量はおそらく
政府の収入となるのだろう。

地域住民は宿、レストラン、お土産物、ガイド、交通などを
提供することでそれぞれビジネスを行っている。

この入域料一括徴収方式。
私は当初「域内に入るだけで10ドルか。高いな~」と
少し渋っていた。

ところが、
いざ域内を歩き回ってみると、
どこに行ってもチケットを買ったりする必要が無く、
余計な気を使わなくて済むので想いのほか楽なのだ。

それにこの方式だと町や地域単位で包括的な
観光インフラ整備が行いやすいらしい。

なので旅行者が快適に町で過ごすために
最低限且つ共通のインフラは的確な場所に揃っている。

その上で、アクティヴィティの中身に関しては
民間(といっても個人事業主)に自由競争をさせるのである。

そして、
私が感じたこの方式の最大の利点は
それぞれの観光スポットが特徴を発揮できる事だと思う。

例えば、
ある街を訪れた観光客が

「いろいろ見る所はあるけど、最低ココにだけ行けばあとは行かなくて大丈夫」

と感想を持つことがしばしばあるが、
それを

「あの街はあれも、これも、みんなオススメ」

と思えるようにしてなる、ということだ。

そのためには
隣接するお互いの観光スポットが
ただ競争だけを行っていては利益相反だけが浮き上がるし、
ましてや全体としての満足度という視点はなかなか持ちずらい。

そこに、
今回紹介した地域全体としての入域料のような仕組みが
あれば効果的に、観光スポットそれぞれの独自性を高めると同時に
観光地全体としての満足度を高める事ができるのではないかと感じた。

もちろん、
これは入域量というやり方に限らない。

例えば別府で行われている別府八十八湯温泉道は
その一つの形態だと思う。

温泉本やスパポートを購入することに、
別府への入域料を払うことと同じ意味がある。

とにかく、これまで観光地ではしばしば点同士で競っていたが、
これからの観光、特に国際観光という分野においては
点でなく、線、そして面で楽しませることが必要不可欠。

さらに、それらを文字通り織り重ねることで、
空間的・時間的に重層した観光体験を提供する。

そうすることで初めて
「あの町に、また訪れたい。」と言われるような
真の魅力を育て上げる事が出来ると感じている。

以上


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『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん③

Q、「これまで生み出してきた成果についてどうお考えですか?」

「正直ね、世界を変えてこれたかな?と問うてみると、
やっぱり自分達が最初に妄想していたほど甘くは無い。
世界にとって『かものはしが必要だよね』というレベルにまでは
まだ全然来ていないし、
それほどの変化を生み出せていないなと感じています。
なので、その点では正直まだ始まったばかりだと考えていますね。」

K 「なるほど」

「もう少し身近なレベルで、個人としては
今、工房で一緒に働いているカンボジアの女性達が
結構に楽しそうに働いてくれていて、きちんと収入も得て、
自信も持つようになってきているということ。
そういう彼女達の変化を一人ひとり見ていると、
少なくとも、事業を始めて、
この人達の人生が変わったということを考えると、
やって良かったな~と思いますね。
まぁ、かものはしが存在して、現地に事務所作って雇用して、
それが無駄ってことはなかったなと思いますね。」

K 「なるほどね」

「やっぱり100人の人生変えているというのは、
スゴイことというより、重いんですよね。」

K 「そうですよね。」

Q、「普段やってて面白いなと思うことはなんですか?」

「やっぱり、その女性達が変わっていくことを実感できることですよね。
僕がこちらに来てから見ている二年間で、いろんな子が、
話す内容や自信や余裕が違うなってことがすごく多くて。

例えば、今はスタッフを採用するのに
『ワーカー』と呼んでいる工房で働く女性達にも
募集をかけることがあるんですけど、
そういうときにもガッツリ応募してきてくれたりね。

K 「自分から?」

「そうですね。
もちろん給料が良いとかいうのもあるんだろうけど、
小学校を途中で辞めた子が、
読み書きも全然できない中で工房に来た子が、
そういうものに挑戦してくれるのが有難いなと思いますね。」

K 「かものはしでやっていることって、
誰かに褒められたりすることありますか?」

「カンボジアの中では、雇用創出という意味では、
他の団体からも見てもらえる部分があって、
様々な団体が見学に来ては「スゴイネ」って
言ってくれることはあります。
それは結構嬉しいですね。

あと日本だと、そういう活動をやっている、
というだけで褒められたりするじゃないですか?(笑)」

K 「そう、そう、お聞きしたいのはそこです(笑)」

「やってるのを褒めるのは大切なことなんでしょうね。
チャレンジする人は増えたほうが良いので。
けれど、それだけだとこちらは違和感があって。
正直、こっちでやっていることに
100%の自信があるわけではないので。」

K 「そこなんですよね。その現場との距離感って、
日本にいると、この十年間でますます拡がった気がするんですよ。
例えば現地に入って時間をかけて活動をする若者や、
寄付をする人々の中でもしっかり中身を見定めようとする方など、
真の意味で理解者も増えているんだとは思うんですが。」

「すそ野が拡がったのかな。」

K 「そうですね。なんというか、
現場から入ってくる情報量は増えたんですよね。」

「駐在員ブログとかたくさんあるもんね。」

K 「そう、それで現場の全てをわかった感じになっちゃいがちですけど、
実際はブログに書けない苦労とかあるわけじゃないですか?
そういったものが認識されずに、鵜呑みにされる、
なんかキレイなものとして受け止められる傾向も強いな~、
と感じています。」


《過去について》

Q、「かものはしの立ち上げと青木さんの参加の経緯を教えてください。」

「さっきも触れたとおり、
藤沢烈さんにそそのかされたのが大きいんですよ(笑)
そして僕と本木で、村田をそそのかし、
とにかくそそのかし合いまくってました(笑)」

K 「なるほど(笑)」

「当時、僕と本木には具体的なテーマが無かったんですよ。
大きなこと、面白いこと、チャレンジングなこと、
社会の役に立つようなこととかやりたいよねっていうのはあったけど、
これだっていうのは無くて。」

K 「なるほど。」

「正直、その頃は斜に構えていたかもしれません。
『まぁ、世の中いろいろ社会問題とかあって大変だよね。』って感じで。
そんな時に、村田の話聞いていると、村田は僕たちとは真逆なわけです。
『私は児童買春問題を解決するために生まれてきた』
みたいなことを言うわけですよ(笑)」

K 「ちなみに三人はどうやって出逢ったんですか?」

「僕と本木は同じ大学で、村田とは、当時大学のサークルで
ある国際シンポジウムの運営を手伝いに参加していたんですが、
村田がそのシンポジウムに来ていたんですね。
その時から、私達のサークルに参加することになったんです。
それがきっかけですね。」

K 「なるほど。」

「けれど、その後も話し合ってはみるものの
具体的なアクションには繋がらずにモヤモヤしてたんですが、
ちょうど2002年の4月ごろかな。
藤沢烈さんが『社会起業家』とか言い出して。

『何それ?』って、
『どうやら、社会問題を解決することを仕事にしながら
結構ハッピーに生きている人達がいるらしい』
っていうのが、最初の理解でしたね。」

K 「ちなみに烈さんとの出逢いはどういったきっかけなんですか?」

「はじめはサークルの運営の事で相談に行ったんですよね。
当時、もうマッキンゼーにも勤めてらっしゃったんですが、
ちょくちょくお会いしてはいろいろ相談していたんですよね。
そんな中で、烈さんが社会起業家を発掘するプロジェクトを開始すると。
ついては『青木、本木参加しないか?』と、
そこから『まずは社会起業家の卵を100人探そう』ってことになったんです。」

K 「なるほど。」

「その過程で、そういえばうちサークルの中に面白いこと言ってるやつがいるな、
ってことになったんですね。
『自分は児童買春問題を解決するために生まれてきたんです』ってね。
そんな訳ないじゃないですか(笑)
本当は無視してたって生活できるのにね。
でも、その話を聞いていて、この人は面白いなと思ってましたね(笑)」

K 「なるほど、そこで繋がってくるわけですね。」

「そうです。そこでそのサークルの次の活動としても
村田が言っていることに取り組んでみて、
それに烈さんにも支援してもらいながらという形を
とろうということになったんですね。
それが2002年の7月くらいかな。」

K 「そうでしたか。」

「なら、やるならまず徹底的に調査しろと、
どうして問題が起きているのか?
どこで問題が起きているのか?
誰がこの問題に取り組んでるのか?
ってことを全部調査して、
その上で、事業モデルが組めるならやろうって事になったんです。
そこから現地調査も含めて三カ月間調べたんです。」

K 「現地調査もね。」

「そこで出てきたのがITで仕事を現地に創ろうぜって話になって、
そこで僕はなんかよくパソコンさわってるって理由でIT担当になって(笑)」

K 「なるほど。」

「そんなこんなで始めちゃったんですよね(笑)
僕は調査の段階で既にほとんど学校には行っていなかったし、
ITを始めたら益々行かなくなったので、
そこで大学二年生半ばで大学をやめたんですよ。」

K 「あぁ、そこでやめたんですね。面白いな。」

「村田さんは最初こう言ってたんですよね。
『私はこういった問題に取り組もうと思っている、
けれど今は人脈も経験も無いから20年後ぐらいに、
こういった団体を立ち上げようと思っている』ってね。
そこで僕はあまり先の事は考えないタイプなので、
『今やりゃ、いいじゃん、俺と本木も手伝うからさ』って言ったんです。

K 「そそのかし合ったんですね(笑)
その後の活動はどう進んだんですか?」

「かものはし歴史観と僕の歴史観で内容が違うんですが?(笑)」

K 「青木さんの歴史観でお願いします(笑)」

「その後の六年間はずっと僕はIT事業でお金稼ぎをしてたんですよ。
自分でプログラミング勉強して、仕事受注して、ってやってたんですね。
請けた仕事が終わらなくて監禁されたりとか、
損害賠償されそうになったりとか、いろいろあったんですよね。
そんな中でもなんとか成長していって、IT事業自体で
10人ぐらい人を雇って売り上げも6000万円ぐらいまでは伸ばして
しっかり資金調達は出来ていたんですよね。」

K 「面白いですね。」

「そんなこんなで、IT事業の後任も見つかり、
僕自身はずっとカンボジアに行きたかったので、
こちらに来ることにしたんです。ちょうど結婚して半年ぐらいかな。」

K 「奥さんはそれはOKだったんですか(笑)?」

奥様 「いやいや、聞いてなかったですよ~(笑)」

「そう言ってたよ、三年ぐらい行くよって(笑)」

K 「それでカンボジアに来て二年ちょっと経つわけですね。」

「そうですね。」

K 「こっちに来てからはずっとコミュニティーファクトリー事業ですか?」

「そうです。その中でも最初は営業マネージャーみたいなことをやっていて
その後もマーケティングとかやってて、いまでこそ一歩引いて
経営者のようなことをやれていますけどね。

K 「これまでのお話だと、それぞれ経験としてはとても面白いですよね。」

「僕ね、それについては自信がありますよ(笑)
プログラミングとか細かいところから、
いまはミシンのセッテイングまでできますもん。
日本のプロの方に指導していただいたおかげで、
『糸はここを通んないとだめだろ!』みたいな事が言える。
そんな事してちゃ経営者としてはダメなんですけどね(笑)
自分は現場プレイヤータイプなので。」

K 「面白い。」

「それこそ三年一事業くらいのタームで
IT事業で自分が食っていけるようになるって段階の経験もあったし、
マネージャーとしての仕事もあったし、
こっちに来てからはメーカーとしての商品開発、生産管理、
販売マーケティングなども一通り経験することができてよかったですね。
あとはカンボジアという途上国で仕事をするというのも
大きな経験になっていますね。
途上国って本当に意味が解らないんですよ(笑)」

K 「具体的には?」

「毎日ありすぎて、どれを話していいのかわからない(笑)」

奥様 「それに関しては私がお話していいですか(笑)?
こっちに来てから毎日プンプン怒っているんですよ。」

K 「どうぞ(笑)」

奥様 「最初に衝撃だったのは雨漏り事件ですね。
オフィスがある建物の最上階に住んでいるんですけど、
部屋に水たまりができるくらい雨漏りが起こったんですよ。」

K 「なるほど。」

奥様 「その修復工事に来たお兄ちゃんが
うちのシャワーを勝手に浴びたりとか、
キッチンで料理の食材調達したりね。」

「これは、カンボジアの人達にとっては当たり前なんですよね。
加えて言えるのは彼らは仕事慣れしていないってことですね。
彼らの親は皆、農民とかですよ。
子どもの事からサラリーマンとか見たこと無いですよ。
学校で文化祭や体育祭を運営するような事もしていないしね。
だから時間を守るとか、指示を受けて結果を報告するとか、
マネジメントするといった概念自体が皆無なんですね。」

K 「なるほどね。」

「そう言う意味ではこれは当たり前の話なんです。
けれど予想以上でしたね(笑)
なのでカンボジアで仕事をするというのは
日本でやるのとは違う意味で難易度が高いんですよ。
日本はやっぱり、皆優秀だったなって思いますね。」

K 「それどこに行っても聞きますね(笑)」

「日本だと『みんながんばって』って言ったら
良い感じで頑張ってくれるしね。
まぁ、そういった事を通じて、自分の仕事のやり方とか、
得意不得意、それにキャラとかが見えてきたのは良かったですね。」

K 「なるほど」


④へ続く

かものはしプロジェクトについて、もっと知りたい方はこちら。
http://www.kamonohashi-project.net/

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2011-12-18

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん②

《現在のお仕事について》

かものはしの活動について

Q、 「設立はいつですか?」

「2002年の7月かな。」

Q、「かものはしの事業は今現在誰のために行っているんですか?」

「私達のミッションが
『世界から若者の人身売買を無くしたい』
という想いでやっているんですね。
それも、できれば未然に防ぎたい、という想いがあるので、
事業としてはそういった状態に陥りやすい人達を手助けしたり、
すでに被害にあった人達の社会復帰を手助けすることもあるし、
法執行の強化といった部分も手がけていますね。」

K 「女性が主な対象になるんですかね?」

「女性が多いですよね。
カンボジアの人身売買の被害にあうのは、女性が八割くらいになるんですが、
例えば農村部などの貧困家庭から出稼ぎに出る過程で
騙されてそういう被害にあったりする人が多いんですね。
そのあたりの女性達がいかに減るか、
いかに安全な仕事をえられるか、という所ですね。」

K 「かものはしの事業はシェムリアップ中心なんですか?」

「そうですね。以前はプノンペンでしたが。
今後は違う国への展開も考えています。」

K 「スタッフって何人ぐらいいるんですか?」

「カンボジア側の運営スタッフが14、5人と、
(かものはしの事業の)受益者でもあるんですが、
工房で働いている女性たちが94人います。」

K 「え!そんなにいるんですか?」

「ちょっと増えたんですよ。
2008年は15人だったんですけどね。
あとは日本に10人くらいですね。」

K 「なるほど、日本側のスタッフは主に何を行うんですか?」

「主に資金調達ですね。
二つあって、企業協賛や個人会員の獲得が一つ、
あとはIT事業での資金調達ですね。
ちなみにIT事業は今年度で終えると思います。」

K 「かものはしのパンフレットには、財務の中身が
細かい所まではっきりと表示されていますね。」

「やはり個人会員の皆さんからのお金をお預かりしているので、
その辺は気をつけていますね。」

Q「いまの活動のポイントは?」

「まず、児童買春に関しては二つの観点があるんですね。
いかに売らせないか。いかに買わせないか。という二点です。
その上で、行っている事業は3つあるんです。

まず売らせないためにコミュニティファクトリー事業という、
自立支援の仕組みですね。
もう一つの売らせない仕組みが、ポイペトにある孤児院への協力ですね。
ポイペトには幼い子が無茶に出稼ぎにいって
ポイペトでストリートチルドレンしたりとか。
そういう子がそこに集まっているんですよ。
そういう子たちに、まずは教育をきちんと受けてほしいと考え、
支援をしているんです。」

K 「なるほど」

「もう一つは少し特殊なんですが、買わせないために出来る事として、
カンボジアでの法執行の強化なんです。
カンボジアには法律はあるんですよ。人身売買を禁止する法律とかね。
けれど、国としてもようやく法律ができたような状態だから、
それを執行する警察にキャパがないんですよ。
証拠を集めて、起訴までもっていく、といった事が出来ないんです。
それに買春に関しては、売ってる方が悪い、
といった男尊女卑的な感覚もまだまだある。」

K 「なるほど」

「そこで、彼ら警察にキャパシティが生まれれば、
法執行も強化されて、
『カンボジア買いづらいじゃん』
といった状態がつくれるかな、と考えているんです。
まぁ、実際は買い手の7割ぐらいは
カンボジア人によるものなんですけどね。」

K 「へぇ!そうなんですね。」

「法執行に関しては、うちが独自でやっているわけじゃなくて、
ユニセフさんや、ワールドビジョンさんなどと一緒に、
内務省がやっている警察への訓練プロジェクトに参加しています。

結論からいうと、そういった取組の効果はかなり出てきていて、
売春宿のオーナーが捕まったりもしてきているんですよ。
なので、いわゆる『堂々と子どもが売られる』、
といったようなことはほとんど無くなってきていると考えています。
まぁ、アングラなので正確な把握は難しいんですけどね」

K 「そうでしょうね。
そこから先は残念だけど表には出てきづらいでしょね。」

「けれど、そうだからといって
『数字が解らないので、ずっとカンボジアでやります』
というのも変な話なんですね。
私達のもっているリソースやノウハウを使って
他の国で事業を展開した方が
より効果は大きいかも知れないじゃないですか?」

K 「それはありますね。」

「私達のミッションは
『世界からそういった状況を無くしたい』
ですからね。」

K 「そうですね。」

「なので、徐々にカンボジア以外の国にシフトしようとしています。
それで、以上の三つの柱の中でも、一番自分達が資源を投資してるのが
コミュニティファクトリー事業なんです。」

K 「なるほど」

「そして僕が今それを担当しています。」

K 「具体的にはこちらで何をしているんですか?」

「オフィスはシェムリアップの街の中にあって、
工場は25キロくらい離れたところにあります。

実は最近やっと(僕自身が)具体的な仕事から
はずれる事ができるようになったんです。
つまり、生産や商品開発や営業などといったそれぞれの分野を
カンボジア人のマネージャーに任せてやってるんです。
僕はそのマネージャー陣が気持ち良く仕事ができるように
環境を整えたり、指導をしたりするようにしています。」

K 「青木さんの他にこちらに日本人スタッフはいらっしゃるんですか?」

「現在インターン生が一人いますね。
あとは共同代表の本木がいったり来たりして
この事業もみてくれています。」

K 「じゃ、段々とマネジメント全体を任せていってるんですね。」

「そうなんです。
じつはこれに関しては一年半後に黒字化し、現地化する、
つまりカンボジア人だけで経営できるようにする、
という目標があるんです。」

K 「それは大変そうですね(笑)」

「めっちゃ大変ですよ(笑)
自分が現地人になった方がよっぽど楽(笑)」

K 「そういった、かものはし全体の方向性は
どうやって決めているんですか?」

「戦略の骨子に関しては、
本木と僕で決めているところが大きい。特に本木かな。
もちろん総会も行うんですけど、
実質的には総会は会員さんへの説明のプロセスといった感じで、
反対票が出たことがないんですよ。」

K 「なるほど。」

「むしろ評議委員会、3ヶ月に一回行っている、
まぁ取締役会みたいなもんですね。
昔から応援してくれてる経営者の方とかをお呼びして、
3ヶ月に一回経営方針について話し合う、そういう会を行なっているので、
ま、そこでは議論になりますね。

ちょうど三日前にも開かれてまして、
そのときに中期経営計画に対する進捗具合であるとか、
ガバナンスをどうやって強めていくのか?
かものはしのポジショニングについてなどの話も出るんです。
そんなことを評議委員会の方々に頼りながらやっています。」

K 「思い出した。
そういえば一番最初にかものはしのことを知ったのは、
STYLEファイナルのプレゼン時ですよ。」

「STYLE2003かな?」

K 「そうですね。その時かものはしのプレゼンを
僕はタイムキーパーとして見てたんですよ。
チーンってカネを鳴らしながらね(笑)」

「あ、そうなんですか?懐かしいな。
あれは感動的な会でしたよね。みんなポロポロ泣いちゃったりして(笑)」

K 「その時にプレゼンの内容は今もはっきり覚えていますよ。
当時はIT事業を軸に、カンボジアでIT技術者も育てるといったお話でしたね。」

「まぁ、うちはよく事業が変わるんですよ(笑)
あきらめが悪いってよく言われますよ。」

K 「うん。でもそれがスゴイと想うんです。
なんていうか、皆さんと同世代で同じタイミングで
何かを始めたけど、途中で続けられなくなってやめた人も
たくさんいるじゃないですか。
そこで次に伺いたいのは、なんでここまで続けたのか?って事です。」

「なるほど、なんだろうな~。
続けてるといっても自分の中ではフェーズが時期によって違うんですよ。
僕自身が三年一区切りぐらいで変わってきてますね。
興味であるとか、かものはしとの付き合い方自体も変わってると思います。

本当に個人的なことを言えば、
やっぱり自分が信じられるミッションがあって、
いっしょにやりたいと思う仲間がいて、
それに、一応食っていけてね。
それで面白いことやってるな~と自分が思えるかどうかじゃないですかね?
後から考えてみれば、
ワクワクするなって思える事業をやっていることって
幸せな事だなと思いますね。」

K 「勿論そうですよ。」

「結構、仕事やっていてもそう思えない人も多いですよね。
あと、結構僕ね、バカなんですよ(笑)」

K 「なるほど」

奥様「その台詞がちゃんと出てきた(笑)」

「頭が悪いというか、一つは先の事考えないんです。」

奥様「それが言いたかった私も(笑)」

「二年後三年後の事とかあんまり考えないんです、普段。
僕の視点はいつも一週間後とかに固定されているんです。」

K 「なるほどそれは学生時代とかからですか?」

「もう、キャラですね。より最近確信しています。
現在を生きてる。
いま、来週に夢中になっていることであれば、迷いなく続けられるんです。
だから、三年後とかは考えない。

あと、もう一つは楽観的なんですよね。
根拠は無いけど自信があったりとか。
本気で取り組んで、結果はどうあれ自分自身が成長さえすれば
仕事はどうにかなる、と思っているんです。
今かものはしをクビになってもどうにか就職できるというか、
きちんと仕事につけると。それも妥協するんじゃない形で。
そういう自信もあるし、同時に緊張感もあります。」

K 「なるほど」

「創業者だから、かものはしに居座るっておかしなはなしで、
フェーズによって不要になってくる人もいるじゃないですか。」

K 「そうだと思います。
ということは、かものはしはこの十年間
青木さんにとって成長できる場で在り続けたってことですね。」

「そうですね。かつ多少なりとも貢献してこれたってことだと思いますよ。
そのバランスが重要だと思いますよ。
そう言う意味でお互いに良い緊張感をもって
かものはしとも付き合っていこうと思います。」

K 「なるほど。」

「烈さんって知ってます?」

K 「もちろん。藤沢烈さんですよね。」

「そう、烈さんに影響された部分がものすごく多い気がするんですよ(笑)
そもそもかものはしを起業したのは烈さんにそそのかされたからだし(笑)
『君たちなら出来るよ』ってね。」

K 「なるほど。」

「烈さんには『かものはしの人になるな』って言われたことがあって、
一人の人としてかものはしっていう場を利用したり、
貢献したりする意識が必要だってことを教えられました。」

K 「それは『プロとしての意識を持て』ってことですよね。」 

「一つはそうですよね。
まぁ『バリュー出してるか?』ってことじゃないですか、
マッキンゼー流にいうと。」

K 「なるほど」

「ま、そういったことから
僕自身は成長していれば大丈夫だっていう自信があるので、
諦めようということを考えたことはあまりなかったです。
ただ、今後かものはし以外でも仕事をしていく可能性は
あり得るなと思っています。」

K 「もちろんそうでしょうね。」

「かものはしとしては、徐々にカンボジアから
経営資源を他に移す方向で動いているんですけど、
僕個人としてはもう少しカンボジアに残ろうかなと思ってるんです。」

K 「なるほど。」


③に続く

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2011-12-17

『いま、世界を変えている日本人』インタビュー第2弾 カンボジア 青木健太さん①

今回はカンボジアのシェムリアップから
NPO法人かものはしプロジェクトの共同代表を務めていらっしゃる
青木健太さんとのお話をご紹介します。

青木さんとのお話は、
2011年9月、カンボジアのシェムリアップで行いました。
インタビュー場所は、現地ではお馴染みのクロマーヤマトGHのレストラン。

私達とはほぼ初対面の青木さんですが、
当日はまだ小さな娘さんを抱きかかえ、
見事なパパっぷりを披露しながら、
奥様と共にお越しくださいました。

インタビューはご家族を交えての楽しく、
且つ大変刺激的な時間となりました。

是非、日本の高校生や大学生など
多くの若者に読んで頂きたい内容だと思っております。

では、インタビューに入る前に、
まずは青木さんのプロフィールと
かものはしの工房『コミュニティファクトリー』をご覧下さい。

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《インタビューを読む前に》

青木さんのプロフィール


《写真: facebook より》

青木健太さん
1982年
東京都生まれ

学生時代にはじめた、かものはしの活動に没頭し大学を中退
その後IT事業を中心に担当し、
2009年よりカンボジアに駐在。
児童買春問題の原因となっている
カンボジア貧困家庭の女性達に向けた
雇用創出及びライフケアなどを行う
コミュニティファクトリー事業を統括。(現在に至る)

一児の父。

なお「NPO法人かものはしプロジェクト」とは
『子どもが売られない世界をつくる』を合言葉に
世界から児童買春問題を無くすことを目的に活動している団体です。
詳細は下記HPをご参照下さい。
http://www.kamonohashi-project.net/

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《「かものはし」の現場レポ》

さて私達はインタビューに伴って、
シェムリアップ郊外にあるコミュニティファクトリーの工房へ
青木さんと共にお邪魔しました。

この工房では現在100人弱の女性たちが働いています。
ちなみ訪問当日は洪水の影響があり、
工房に出て来られない人も多数いました。



こんな感じの場所で、
女性たちが製品づくりの様々な工程を
分担して行っています。

こちらはイ草の染付



こちらは寄り分けかな?



また同じ工房の隅では、
青木さんを中心に
カンボジア人の生産管理マネージャーなどが
ミーティングを行っています。
なかなか、一筋縄では行かない
現地ならではの苦労も、、、。



お昼の時間が近づくと、
工房の女性が一気に立ち上がり
整理体操を行っていました。

この工房を訪れて大変印象に残ったのは、
とにかく働いている女性たちが楽しそうな事でした。

誰に話しかけても、
恥ずかしそうにだけれど、にっこりと微笑み返してくれるし、
いろんな所から、作業をしながらでも
笑顔が溢れています。

それだけ見たら、「楽しそうな職場だな~」って
日本人でも羨ましくなるかも?

けれど、
もしこの工房が存在しなかったら、この中の誰かが、
過去、そして今なお、笑顔など浮かべる事の出来ない生活を
送っていたかも知れないのです。
これって、スゴイことだと思いませんか?

それを考えると、
とてもスゴイ現場に来ているな~、と
感動してしまいました。

こんなにスゴイ現場を創ってきた「かものはし」が
これまでどんな軌跡を辿ってきたのか?

そして、それを中心人物の一人として成してきた
青木さんという人が一体どんな人物なのか?

以下のインタビューで迫りたいと思います。

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補足: 「」のみ=青木さん、K=賢太郎、奥様=青木さんの奥様

Q、「現在のご職業を教えてください。」

「職業か。相手によって言うことを変えてるんですよね(笑)
あんまり職業って感覚がないんだけど、就職活動してないからかな?
職業って言われてみて改めて考えてみるんですけど
僕は最近、といっても2008年くらいに夢が出来て。」

K 「ほう」

「その夢が、いまカンボジアでやっていることに似ているんだけど、
小学校を途中でやめちゃった子とか、
自分に自信がもてない子どもたちがいるでしょ。
そういう子たちはなかなか将来の事も考えられないんですよ。」

K 「そうでしょうね」

「けれど、ここカンボジアで運営しているウチの工房とかで、
そんな境遇にいる子たちが変わっていくのを見てきたんですよね。
それで、そういう子どもを一人でも増やしていきたいなって、
思うようになってきたんですよ。」

K 「なるほど」

「一言で言うと『エンパワーメント』ってことになるのかな。
それを一生を通してなんらかの事業として
行なっていきたいと考えるようになってきましたね。」

K 「それはカンボジアでですか?」

「いえ、そこには必ずしもこだわりないですよ。
もちろん、しばらくはカンボジアですけどね。」

K 「なるほど、とするとご職業は何になりますかね(笑)」

「そうだな、、、」

K 「でも、この質問で答がすぐに出ないのって面白いですね。
それは青木さんがご自身で仕事を創ってきたからですよね。」

「そうかもしれません。肩書よりも、事業そのものが自分にとって
大切だったから肩書にはあまりこだわっていません。」

K 「わかりました!じゃ、肩書は無しで、先に進みましょう(笑)」


②へ続く

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