2011-12-19

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん③

Q、「これまで生み出してきた成果についてどうお考えですか?」

「正直ね、世界を変えてこれたかな?と問うてみると、
やっぱり自分達が最初に妄想していたほど甘くは無い。
世界にとって『かものはしが必要だよね』というレベルにまでは
まだ全然来ていないし、
それほどの変化を生み出せていないなと感じています。
なので、その点では正直まだ始まったばかりだと考えていますね。」

K 「なるほど」

「もう少し身近なレベルで、個人としては
今、工房で一緒に働いているカンボジアの女性達が
結構に楽しそうに働いてくれていて、きちんと収入も得て、
自信も持つようになってきているということ。
そういう彼女達の変化を一人ひとり見ていると、
少なくとも、事業を始めて、
この人達の人生が変わったということを考えると、
やって良かったな~と思いますね。
まぁ、かものはしが存在して、現地に事務所作って雇用して、
それが無駄ってことはなかったなと思いますね。」

K 「なるほどね」

「やっぱり100人の人生変えているというのは、
スゴイことというより、重いんですよね。」

K 「そうですよね。」

Q、「普段やってて面白いなと思うことはなんですか?」

「やっぱり、その女性達が変わっていくことを実感できることですよね。
僕がこちらに来てから見ている二年間で、いろんな子が、
話す内容や自信や余裕が違うなってことがすごく多くて。

例えば、今はスタッフを採用するのに
『ワーカー』と呼んでいる工房で働く女性達にも
募集をかけることがあるんですけど、
そういうときにもガッツリ応募してきてくれたりね。

K 「自分から?」

「そうですね。
もちろん給料が良いとかいうのもあるんだろうけど、
小学校を途中で辞めた子が、
読み書きも全然できない中で工房に来た子が、
そういうものに挑戦してくれるのが有難いなと思いますね。」

K 「かものはしでやっていることって、
誰かに褒められたりすることありますか?」

「カンボジアの中では、雇用創出という意味では、
他の団体からも見てもらえる部分があって、
様々な団体が見学に来ては「スゴイネ」って
言ってくれることはあります。
それは結構嬉しいですね。

あと日本だと、そういう活動をやっている、
というだけで褒められたりするじゃないですか?(笑)」

K 「そう、そう、お聞きしたいのはそこです(笑)」

「やってるのを褒めるのは大切なことなんでしょうね。
チャレンジする人は増えたほうが良いので。
けれど、それだけだとこちらは違和感があって。
正直、こっちでやっていることに
100%の自信があるわけではないので。」

K 「そこなんですよね。その現場との距離感って、
日本にいると、この十年間でますます拡がった気がするんですよ。
例えば現地に入って時間をかけて活動をする若者や、
寄付をする人々の中でもしっかり中身を見定めようとする方など、
真の意味で理解者も増えているんだとは思うんですが。」

「すそ野が拡がったのかな。」

K 「そうですね。なんというか、
現場から入ってくる情報量は増えたんですよね。」

「駐在員ブログとかたくさんあるもんね。」

K 「そう、それで現場の全てをわかった感じになっちゃいがちですけど、
実際はブログに書けない苦労とかあるわけじゃないですか?
そういったものが認識されずに、鵜呑みにされる、
なんかキレイなものとして受け止められる傾向も強いな~、
と感じています。」


《過去について》

Q、「かものはしの立ち上げと青木さんの参加の経緯を教えてください。」

「さっきも触れたとおり、
藤沢烈さんにそそのかされたのが大きいんですよ(笑)
そして僕と本木で、村田をそそのかし、
とにかくそそのかし合いまくってました(笑)」

K 「なるほど(笑)」

「当時、僕と本木には具体的なテーマが無かったんですよ。
大きなこと、面白いこと、チャレンジングなこと、
社会の役に立つようなこととかやりたいよねっていうのはあったけど、
これだっていうのは無くて。」

K 「なるほど。」

「正直、その頃は斜に構えていたかもしれません。
『まぁ、世の中いろいろ社会問題とかあって大変だよね。』って感じで。
そんな時に、村田の話聞いていると、村田は僕たちとは真逆なわけです。
『私は児童買春問題を解決するために生まれてきた』
みたいなことを言うわけですよ(笑)」

K 「ちなみに三人はどうやって出逢ったんですか?」

「僕と本木は同じ大学で、村田とは、当時大学のサークルで
ある国際シンポジウムの運営を手伝いに参加していたんですが、
村田がそのシンポジウムに来ていたんですね。
その時から、私達のサークルに参加することになったんです。
それがきっかけですね。」

K 「なるほど。」

「けれど、その後も話し合ってはみるものの
具体的なアクションには繋がらずにモヤモヤしてたんですが、
ちょうど2002年の4月ごろかな。
藤沢烈さんが『社会起業家』とか言い出して。

『何それ?』って、
『どうやら、社会問題を解決することを仕事にしながら
結構ハッピーに生きている人達がいるらしい』
っていうのが、最初の理解でしたね。」

K 「ちなみに烈さんとの出逢いはどういったきっかけなんですか?」

「はじめはサークルの運営の事で相談に行ったんですよね。
当時、もうマッキンゼーにも勤めてらっしゃったんですが、
ちょくちょくお会いしてはいろいろ相談していたんですよね。
そんな中で、烈さんが社会起業家を発掘するプロジェクトを開始すると。
ついては『青木、本木参加しないか?』と、
そこから『まずは社会起業家の卵を100人探そう』ってことになったんです。」

K 「なるほど。」

「その過程で、そういえばうちサークルの中に面白いこと言ってるやつがいるな、
ってことになったんですね。
『自分は児童買春問題を解決するために生まれてきたんです』ってね。
そんな訳ないじゃないですか(笑)
本当は無視してたって生活できるのにね。
でも、その話を聞いていて、この人は面白いなと思ってましたね(笑)」

K 「なるほど、そこで繋がってくるわけですね。」

「そうです。そこでそのサークルの次の活動としても
村田が言っていることに取り組んでみて、
それに烈さんにも支援してもらいながらという形を
とろうということになったんですね。
それが2002年の7月くらいかな。」

K 「そうでしたか。」

「なら、やるならまず徹底的に調査しろと、
どうして問題が起きているのか?
どこで問題が起きているのか?
誰がこの問題に取り組んでるのか?
ってことを全部調査して、
その上で、事業モデルが組めるならやろうって事になったんです。
そこから現地調査も含めて三カ月間調べたんです。」

K 「現地調査もね。」

「そこで出てきたのがITで仕事を現地に創ろうぜって話になって、
そこで僕はなんかよくパソコンさわってるって理由でIT担当になって(笑)」

K 「なるほど。」

「そんなこんなで始めちゃったんですよね(笑)
僕は調査の段階で既にほとんど学校には行っていなかったし、
ITを始めたら益々行かなくなったので、
そこで大学二年生半ばで大学をやめたんですよ。」

K 「あぁ、そこでやめたんですね。面白いな。」

「村田さんは最初こう言ってたんですよね。
『私はこういった問題に取り組もうと思っている、
けれど今は人脈も経験も無いから20年後ぐらいに、
こういった団体を立ち上げようと思っている』ってね。
そこで僕はあまり先の事は考えないタイプなので、
『今やりゃ、いいじゃん、俺と本木も手伝うからさ』って言ったんです。

K 「そそのかし合ったんですね(笑)
その後の活動はどう進んだんですか?」

「かものはし歴史観と僕の歴史観で内容が違うんですが?(笑)」

K 「青木さんの歴史観でお願いします(笑)」

「その後の六年間はずっと僕はIT事業でお金稼ぎをしてたんですよ。
自分でプログラミング勉強して、仕事受注して、ってやってたんですね。
請けた仕事が終わらなくて監禁されたりとか、
損害賠償されそうになったりとか、いろいろあったんですよね。
そんな中でもなんとか成長していって、IT事業自体で
10人ぐらい人を雇って売り上げも6000万円ぐらいまでは伸ばして
しっかり資金調達は出来ていたんですよね。」

K 「面白いですね。」

「そんなこんなで、IT事業の後任も見つかり、
僕自身はずっとカンボジアに行きたかったので、
こちらに来ることにしたんです。ちょうど結婚して半年ぐらいかな。」

K 「奥さんはそれはOKだったんですか(笑)?」

奥様 「いやいや、聞いてなかったですよ~(笑)」

「そう言ってたよ、三年ぐらい行くよって(笑)」

K 「それでカンボジアに来て二年ちょっと経つわけですね。」

「そうですね。」

K 「こっちに来てからはずっとコミュニティーファクトリー事業ですか?」

「そうです。その中でも最初は営業マネージャーみたいなことをやっていて
その後もマーケティングとかやってて、いまでこそ一歩引いて
経営者のようなことをやれていますけどね。

K 「これまでのお話だと、それぞれ経験としてはとても面白いですよね。」

「僕ね、それについては自信がありますよ(笑)
プログラミングとか細かいところから、
いまはミシンのセッテイングまでできますもん。
日本のプロの方に指導していただいたおかげで、
『糸はここを通んないとだめだろ!』みたいな事が言える。
そんな事してちゃ経営者としてはダメなんですけどね(笑)
自分は現場プレイヤータイプなので。」

K 「面白い。」

「それこそ三年一事業くらいのタームで
IT事業で自分が食っていけるようになるって段階の経験もあったし、
マネージャーとしての仕事もあったし、
こっちに来てからはメーカーとしての商品開発、生産管理、
販売マーケティングなども一通り経験することができてよかったですね。
あとはカンボジアという途上国で仕事をするというのも
大きな経験になっていますね。
途上国って本当に意味が解らないんですよ(笑)」

K 「具体的には?」

「毎日ありすぎて、どれを話していいのかわからない(笑)」

奥様 「それに関しては私がお話していいですか(笑)?
こっちに来てから毎日プンプン怒っているんですよ。」

K 「どうぞ(笑)」

奥様 「最初に衝撃だったのは雨漏り事件ですね。
オフィスがある建物の最上階に住んでいるんですけど、
部屋に水たまりができるくらい雨漏りが起こったんですよ。」

K 「なるほど。」

奥様 「その修復工事に来たお兄ちゃんが
うちのシャワーを勝手に浴びたりとか、
キッチンで料理の食材調達したりね。」

「これは、カンボジアの人達にとっては当たり前なんですよね。
加えて言えるのは彼らは仕事慣れしていないってことですね。
彼らの親は皆、農民とかですよ。
子どもの事からサラリーマンとか見たこと無いですよ。
学校で文化祭や体育祭を運営するような事もしていないしね。
だから時間を守るとか、指示を受けて結果を報告するとか、
マネジメントするといった概念自体が皆無なんですね。」

K 「なるほどね。」

「そう言う意味ではこれは当たり前の話なんです。
けれど予想以上でしたね(笑)
なのでカンボジアで仕事をするというのは
日本でやるのとは違う意味で難易度が高いんですよ。
日本はやっぱり、皆優秀だったなって思いますね。」

K 「それどこに行っても聞きますね(笑)」

「日本だと『みんながんばって』って言ったら
良い感じで頑張ってくれるしね。
まぁ、そういった事を通じて、自分の仕事のやり方とか、
得意不得意、それにキャラとかが見えてきたのは良かったですね。」

K 「なるほど」


④へ続く

かものはしプロジェクトについて、もっと知りたい方はこちら。
http://www.kamonohashi-project.net/

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