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2015-02-15

★旅の事後報告★ 『お金』×『世界一周』をテーマに著書を出版しました!

皆様
このブログを訪れて頂きありがとうございます。


この度、2月6日に
私の世界一周2年間の経験と、
証券マンとしての視点を活かして
初となる著書を出版致しました。

タイトルは
『なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか? 
_21世紀のつながり資本論』(いろは出版)です。



大変有難いことに!!
渋谷でも、





















福岡でも

関西でも、、、

全国各地の書店さんで
大きく取り扱って頂いております。



出版社の方の大変お力添えで
このような大展開をして頂いております。













私一人ではとても形にするのすら、難しかったと思いますが。
いろんな御縁に恵まれて、おもしろい本に仕上がり、
このようにご注目を頂けております。

皆様も、もし、よかったらお手にとってみてください☆

全ての御縁に心から感謝☆ m(_ _)m


2012-12-14

日本人とは何かを考えるために。 アイスランド、日本考

日本人ってなんだろう?

よく使われる言葉「日本人」
その定義は人それぞれで、実はとても曖昧。


答え出す必要があるとは思わないけれど、
ここアイスランドで面白い発見をしましたので紹介。

前回ちょっと触れたましたが、
レイキャビクではアイスランドの大学生向け日本文化クラスや、
日本人コミュニティの日本語クラスを見学しました。


両者を見学して改めて気づいたことは、
なんていうか日本よりも、より日本らしいってこと。

大学生向けの日本文化クラスでは、
「帯祝い」なんてのを紹介していました。

一方の日本語クラスは
主にアイスランドに住むハーフの子どもたちに
日本語を教える場です。

もう、その場自体が、すごく日本的だなぁと感じました。
僕の見た感じでは特に遠く日本を離れたお母さんたちからの
日本人であることを大切にしたい、守っていきたいという意思が感じられました。


思えば、ブルーノ・タウトの『ニッポン』を読んで以来感じています。

外に出れば出るほど、あるいは外の人たちから見ればみるほど、
純粋な「日本」が抽出されるものだなぁ、と。

逆にずっと日本にいて、
日本人として生きることに慣れ合ってしまうと、
返って「日本人」とはなにか、「日本」とは何なのか?
を見失ってしまうように思いますね。



我々が「日本人」であるということは、
そのために「日本人以外」が存在するということです。

「日本人以外」の人々が存在するから、
「日本人」という概念が成立するわけです。

至極あたりまえのことだけれど、
であるならば、何がどう違っているのかを冷静に観察し分析せねばなりませんね。
それを怠って自分勝手な「日本人」論を振り回していると、
返って外の人が見ている素晴らしい「日本」を損なってしまうことになりかねません。


そして、何がどう違っているのかを知るというのは、
それは知識としてではなく、おそらく体験として主体的になされるべきものではないでしょうか。


旅をしていて思います。

国籍、肌の色、宗教を問わず、
その体験を持った人々の語る「日本」のまぁなんと美しいことか。

みなさんも是非。

以上


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2012-10-16

島国日本と大陸の違い。 日本考@ドイツ

思いのほか長くなったポーランドをようやく後にして、再びドイツ、ベルリンに戻ってきました。

今回は、義理の妹のお友達という直接の面識の全く無い方の御宅にお世話になっております。

しかし、この方もまた、大変素敵で親切な方で現在在籍しているドイツの大学での話をはじめ、興味深いお話をたくさん聞くことができています。

さて、この方の御宅の周辺にはとにかくたくさんの外国人(
ドイツの人々のからみて)が住んでいます。
トルコ出身の方が多いようですが、中にはパレスチナから来ているなんて方もいます。

そのせいか、この周辺にはたくさんのケバブ屋、トルコ菓子のお店、安い衣料品店が並び、お客さんもおそらくトルコの人々でいっぱい。さながら自分がトルコにいるように錯覚してしまいます。

移民として暮らしている人々の背景は様々でしょうが、いずれにしてもそれだけの「外国人」をドイツという国は日常の中に受け入れているのです。

まぁ、こんな風景はヨーロッパだけでなくアジアでもアフリカでも多かれ少なかれ目にすることができるのです。

一方、我々日本人がおかれている「陸続きの隣国が無い」という環境は、やはり大変特殊なものなのです。

そのため、ともすれば「世界」あるいは「国際情勢」というものの流れを見誤ったり、乗り遅れたりしやすいだろうなぁと思います。

何故なら実感が持ちにくいから。

民族間の対立や、言語の違いなどが、
感覚的にどれだけ大きな違いをもたらしているのか?
が、感じられないのです。

その結果、日本人とその他の国に住む人々では、
世界で起こっているおなじ事柄に対する意識の溝が生まれるのだと思います。

例えば、
「英語はまず日本語をきちんとマスターしてから勉強すれば良い。」

なんていう無責任な意見も、国内で説得力を持ってしまうのが良い例でしょう。(日本語を学ぶことと、英語を学ぶことは全く目的が別なのです。)

望むと望まざるとにかかわらず、
私たちが生まれて属しているとされる「日本」という国は今日の世界にとって大きな存在なのです。

と、同時に私たちたちにとっても他国との関係は、それが無くては、お豆腐も作れないほどに親密なものになっているのです。


なので、若い人を留学させろとは言いませんが、
も少し海外に行きやすい制度を充実させられらば、状況も少し離れた変わるかなと思います。


以上

2012-09-21

「9時出社5時半帰宅の豊かさよ」日本考@北欧

やっぱり北欧の生活は豊かです。10年ぶりの北欧ですが、その印象は以前と変わりません。

もちろん、個々のケースで違いがあるのでしょうが、それでも少なくとも私が体験したことからは、
羨ましくなるような豊かさが感じられました。

そして、それは物質的、経済的な意味合いだけではなく、心の豊かさという意味で感じるのです。

デンマークでお世話になったホストが仕事に出かけるのは9時なのですが、にもかかわらず、いつも6時前には帰宅します。
日本の民間企業で働いている人には、にわかには信じ難い話かもしれません。

帰宅後は友人や家族とともにお酒を飲んだり、食事をしたりで、夕飯を一人で過ごすことはほとんど無いそうです。

そういえば10年前にグリーンランドでホームステイをしていた
時も、毎晩家族揃って食事をするという習慣にいたく感銘を受けたものです。

仕事よりも、家族や友人との時間を大切にする。

このあまりにも当たり前すぎる考えが、やはり現代の日本では、まだまだ実践しづらいように感じるのは私だけでしょうか?

日本人は本当に一生懸命働いいていると思います。

朝は7時に家を出て、夜は10時に
ヘトヘトで帰宅する。翌朝も早いから家族とろくに話す暇もなく、床に就く。

しかし、そんなことが当たり前になっていては、やはり心の豊かさという面で出遅れている観は否めないようにも感じています。

そして、このことを考え続けてみると、私個人はどうしても、
日本人が働いて生み出している価値と、それによってもたらされている報酬が釣り合っていないように思えてきます。

「働けど、働けど我が暮らし楽にならざり」という言葉があるけれど、一言でいうと、効率が悪い。

みんな一生懸命風呂桶に水を組み続けているけれど、桶の底に大きな穴が水が少しずつ漏れている。
そんな感覚(疑問)を日本の社会に対して持たずにはいられません。

みなさんは、どうお感じになるでしょうか?


以上

2012-09-08

「敗戦国としてのドイツと日本の大きな違い。」日本考②ドイツ


ドイツに来てみると個人的に日本とドイツは何かと似ているなぁ、と感じることが多々あります。

哲学的な思考とか、感性みたいな部分で共通点が多いんじゃないでしょうか?

そして近代の歴史でも、互いに第二次世界大戦の同盟国、そして敗戦国として、戦後の復興の歴史を持っていることも、大きな共通点の一つです。

ですが、今回のドイツの滞在中に戦後復興、とりわけ戦争の捉え方たについて日本とドイツの間に大きな違いがあることに気づきましたのでシェアさせてください。


その違いとは次のようなものです。

ドイツの人々が、対外的には(若い世代でさえ少なからず)罪の意識を背負っているように見える一方で、実際にはある種の開き直りもみられます。

それはドイツの若い世代と話をしているときに感じたのですが、自国の歴史でありながら、彼らが自分たちとは直接リンクしないようなものの言い方をしているように感じ他からです。

なぜか?

彼らは戦時中の自国について語るとき、ほとんどの場合

「ナチスドイツが、、、」

という主語を用います。
「ドイツが、、、」ではありません。

ドイツ滞在中はこのことになんの疑問ももたなかったのですが、隣国ポーランド、オーストリアなどその他の国を訪れてみると妙な違和感を感じるようになりました。

ドイツ以外の国では資料館などでも、戦時中のドイツのことしっかりと「Germany」と表現していて、いま現在のドイツとの連続性を感じさせます。

このことから、ドイツ国内では意図的に「ナチス」という言葉を用いることで、現在のドイツとは全く別物として捉えようとしている
のだということに気づきました。

これってかなり効果的なレトリックですよね?

そして、それは実際に上手く作用しているように感じられます。
(少なくとも若い世代に対して)

一方で日本では、そのようなレトリックは用いられてはいませんよね?

私たち日本人にとっては、一般的に戦時中の日本も、いまの日本も連綿としたつながりのある存在です。

統治者から象徴として変わったとはいえ、天皇家もいまなおしっかりと公的な存在として存在しているわけだし、明確に戦前と戦後の日本を区別するようなことは行われていないように思います。

強いていえば、極東軍事裁判で「戦犯」として裁かれた人々の存在が挙げられますが、だとしても、その人たちに全ての責任を負わせて、私たちの歴史から切り離すようなことはしてこなかったように思います。

だからこそ、いまなお開き直り難いのだとも言えるでしょう。

いっそ、ドイツのように全部ヒトラーのせいにするかのように、誰かのせいにしてしまえれば、どんなにか楽なことでしょうか。



しかし、私自身は、日本人がそういった行為を潔しとしないところに日本ならではの美意識がいまなお息づいていることを感じずにはいられません。

「恥」を自らのものとして捉えることはとても困難です。

あえて、その道を選び取ってしまう私たちにはやはり西洋哲学的な割り切りは難しいのだろうなと思います。

けれど、だからこそ美しい。
いま、そんなことを感じています。

みなさんはどう思われますか?


以上

次は「10年ぶりのコペンハーゲンで感じたこと」@デンマーク


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2012-09-07

「国旗掲揚について」 日本考@ドイツ



私には以前からドイツを訪れたら、
是非ドイツ出身のみなさんに尋ねてみたいことがありました。

それは、現在を生きるドイツのみなさんの第二次世界大戦の受け止め方についてです。

日本のそれと、どのように違い、どのような点で共通するのだろうか?
それを考察したいと考えていたのです。

今回はその中で学んだことを
一つご紹介します。

ある晩、ベルリンでお世話になっているカウチホストに


と質問をぶつけてみました。
すると彼は、

「それは良くわかります。ドイツでも一緒だね
。例えば、いまは街中で普通に目にするドイツ国旗も
ついこの間までは掲げることは避けられていたんだよ。
ドイツ国旗を掲げることをこと、イコール、右よりの思想をもった人としてみられ、
それがあの戦争のイメージに繋がってしまうんだ。
それが変わったのは前回のドイツワールドカップから。
あれ以来、みんなドイツ国旗を自然に掲げるようになったんだよ。」

と答えました。

実は、私は数ヶ月前にイランで旅を共にした別のドイツ出身の友人からも
同じ話を聞いていたのです。

そしてこの話で重要な点は、
単にワールドカップが開催されたからではなく、
当時のドイツがワールドカップという舞台で活躍(3位)したからこそ、そ
れは忌まわしい過去を越えて、新たな誇りをドイツの人々に与えたということです。

これは私たちにとって非常に興味深い話ではないでしょうか。


私個人の意見としてですが、

国旗を掲揚すること=国を愛する=右寄りな思考を持つ人=戦争の原因?

そのようなロジックが、
私たちの意識下には未だに広がっているように感じます。

だからこそ、日本では国旗掲揚についての問題が
あれだけ大きく取り上げられるのだと思います。

一つ大きなポイントは
「日本」と一口にしてもその言葉のもつ意味は
人によって全く異なるということです。

おなじ「日本」という言葉の使っていても
ある人にとってそれはネガティブなものであり、
またある人にとってはポジティブなものでもあるのです。

しかし、それらは私たちが過去を見つめているからこそ
立ちはだかる壁なのではないでしょうか?

そういったものを全く超えた次元、
未来を見つめてとらえる私たちが創る「日本」というイメージを共有したとき、
私たちは真にそれを誇ることができるのだと実感しています。

歴史を掘り起こしてそこから学ぶことは大切です。
しかし、それだけでは違いは乗り越えられません。
その上で、素晴らしき未来につい共有しなければならないし、
そこに向かう今にフォーカスしなければならない。

そのように感じています。

みなさんはどう思いますか?


次ももうひとつ「敗戦国としての日本とドイツの違い」日本考


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2012-09-02

「日本人のいない日本料理店」 日本考@チェコ 2012年8月



ブルガリアをはじめとして、オーストリアやチェコの中心部では日本料理店、特にお寿司のお店をたくさん見かけます。
けれど、興味深いことに
私が覗いてみたお寿司屋さんにはどこにも日本人などいませんでした。その多くは中国出身の方が営んでいました。(経営はわからないけれど、少なくとも従業員は、)


で、実際に何軒かの寿司を試してみましたが、その味が、、、。

「不味い」とまでは言いません。

が、日本人からするととても美味しいとは言えないと言うレベルなんですね。いままで日本で食べた中で一番美味しくない池袋の回転寿司屋よりも、味のレベルは落ちます。もちろん、高級店には入れば別なんだろうとは思いますが、、、、。

しかし、そんなお店でも、結構な数のお客さんで賑わっているのです。しかも地元の人たちにとっては「美味しい」らしい。

考えてみると、世界で人気のある
「日本食」ってかならずしも日本人にとっての「美味しい日本人」とは限らないんです。

特に思い出すのはタイ、バンコクでの出来事。MBKの中にある日本食を提供しているチェーン店に入ったところ、そこの食事の不味さといったらない。

なんというかケミカルな味ですね。

当時は
「これを日本食として紹介されることが許せない。」
なんて思ったけれども、そんな私の思いとは裏腹に、
実際にはお店はタイ方に人気らしく激混みでした。

(ちなみにレストランは中国のOISHIブランド経営。)

断っておきますが、他国出身の方が下手な日本食を提供しているからといって、そのことをとやかく言うつもりはありません。

むしろ、その商才や図太さに敬意を持っているくらいです。何の修行もした事ない日本人が中華料理やをやろうとは一般的には考えないでしょう?

そんなことよりも、私がこの経験から学んだことは二つ。一つは日本人にとっての「本物」でなくても寿司を中心に「日本食」はヨーロッパ各地で人気があるということです。

もう一つは、現在、その「日本食」を世界に広める役割が、日本人ではなく他国出身の方々に委ねられているということです。

だとすれば、
この分野にはたくさんのチャンスが眠ってますね。

そんなことを感じております。

以上


次は「アートな街ベルリン」@ドイツ

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2012-08-26

「ウィーン行政の遊び心が凄い件」日本考@ウィーン 2012,8

ブダペストからバスで約4時間、
オーストリアのウィーンにやってまいりました。

モーツァルト、スワロフスキなどオーストリアと言えばなんとなくオシャレで、ゴージャスなイメージが浮かんでしまいます。

実際、ウィーンの街並みはどこもかしこも美しい。

中心部の観光エリアはもちろんのこと、少し外れた場所でも手の混んだ装飾が散りばめられた建物や、ハンモックなんかを用意している公園がたくさんあります。

そのどれもがデザインが洗練されていて美しいのです。


また、ウィーンの素敵なところは
とにかく自転車乗りに優しいところです。

歩道と、車道と、自転車道がしっかり整備されているし、地下鉄などにも自転車を持ち込めるし。

市内各所に公共の自転車整備用具まで用意されているんですよ。

この余裕がオーストリアの魅力を一層引き立てているんでしょうね。

加えて、私が感じたことは
とにかくウィーンの行政には遊び心があるということです。

ある晩市内の中心部を歩いている
トラムも通る四車線ある大通りが警察によって封鎖されていました。

「なんじゃこりゃ?
デモでも始まるんかな?」

と思ってしばらく様子を眺めていると、封鎖された道の向こうからたくさんの人が楽しそうに叫ながら押し寄せてきます。

少なくとも200人以上は参加しているようですが、みなさんローラーブレードや自転車果ては車椅子なんかに乗っていて、普段は走れない大通りのど真ん中を気持ち良さそうに疾走していました。

実はこれは毎週末に行われているイベントらしく、単純にしないの大通りを自転車なんかで自由に走り廻るためのものなんだそうです。

こんなイベントのために
毎週末警察が出動して大掛かりに道を封鎖するんですよ。

これを受け入れられるウィーンの行政って面白いなぁ、と感じませんか?

この他にも、
戦時中に建てられた背の高い空軍施設の壁面をクライミング施設として再利用したりだとかね。

とにかく、
遊び心があるんです。

警察とか行政ってのが
管理運営のレベルで満足するんじゃなくて、より積極的に「市民を幸せにする」ために働きかける。

そこには当然うまくいかないリスクもあるんだけれど、それを請け負って挑戦する。

日本の行政も、もう少しそういうActiveさを持てると、豊かなというか、面白い社会創りに近づくと思うのですが、みなさんはどう思いますか?

以上

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「歴史から学べること」日本考@ハンガリー



ここハンガリーにて、少数民族のサポートをしたいと考えている方と出会った。

その時印象深かったのが、
話題がヨーロッパに居る
ロマの人々についての話になっとき、

「こういう話は公にはし辛いので」

と、その方が急に声を小さくされたことだ。

その理由は近年の景気悪化とともに、ハンガリーでは右派運動が勢いづいているからだという。

特に職の無い若者の中で、そういった運動に参加している人々は過激な手段に出ることがチラホラ出てきているとのこと。

「やっぱりなぁ。」

というのが私の感想である。

人間はいつの時代も、自分自身が困窮すると自分よりもさらに弱い他者のせいにして、他者を苦しめることで自分自身を満足させようと試みてきた。

そして、その際の他者とは概して、外国人、他民族の人々であった。

平たくいうと、
生活が苦しくなったらレイシズムは勢いを増す傾向にあるように感じている。

「俺たちの仕事が無いのはアイツらのせいだ。」

なんて台詞が大っぴらに聞こえる以前にも、私たちが意識するにせよ、しないにせよ、私たちはそういう心の逃げ道に入り込みがちだと思う。

自分よりも弱い誰かのせいにして、誰かを傷つけることで、
今日の空虚を忘れることができるし、明日への不安を紛らわすことができる。


それらを踏まえた上で考える。

たぶん、
私たちが歴史から学ぶべきことはたくさんあると思うけれど、
そのうち最も重要なことは二つ。

その一つは、

「人間が如何に怠惰で弱い生き物か」

ということだろう。

苦しくなったら、誰かのせいにする。そういった心の作用が悪いことだとは思わない。苦しくなったら誰だって、逃げ出したくなるのは当たり前。

ただ、それでは真の平安には程遠いんだろうし、いつか自分が強者によって同じ目に合わされるんだ、ということを自覚しておく必要はある。

それが嫌ならまず
私達は他者に向けている刃を収めなければならない。


また一方で、歴史には
「真に誇り高い人々」の姿もみられる。

彼らは決して自らを高めるために他者を蔑むようなことはしなかった。

なぜなら、他者を蔑むことでは自分も家族も救われることはなく、むしろ自分自身が弱く、醜くなっていくことを知っているからだ。

「真に誇り高い人々」はしばしば
歴史の中で無残な最後を余儀なくされる。

理不尽な要求。

堪え難い屈辱。

望まぬ死。

そんな絶望の中にいても、
それでも、なお、弱者を苦しめるような行為は恥ずかしいこととして自戒し続けることのできた人々。

私たちはそういう人々の姿から、

「人間が如何に怠惰で弱い生き物か」

ということの先に、

「人間は怠惰で弱い生き物だが、それらを克服することのできる生き物だ。」

というもう一つの教訓を学ぶことができる。


だからこそ、
そのために私たちは一度
日本の歴史をまっさらな気持ちで、自らの手で、掘り起こさなければならない。

先人たちの「真に誇り高き姿」を
見つめ直さなければならない、
と感じている。


以上


次はオーストリアへ移ります。
「ウィーン行政の遊び心が凄い件。
」です。

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2012-08-17

「差別の温床」日本考@ルーマニア。



ルーマニアの首都ブカレストに向かうちょっと前、とある旅人から

「ブカレストは治安が悪い。」

との話を聞いた。
意地悪な私は

「どうしてそう思うのですか?」

と試しに聞き返したら、

「ブカレストにはジプシーが多いから。」

との答え。

「ジプシーが多いと治安が悪いの?」

「だってジプシーは貧しいですからね、スリとかやって生活してるんですよ。」

「ジプシーについてやたらと
詳しいけど友達でもいるんすか?」

「そりゃ、いませんよ。」

「じゃあ、今までにジプシーって人たちに会ったことはあるんすか?」

「いや、インドとかであってるかもしれないけど、、、まだ無いかな?」

「じゃ、どうしてジプシーが多いと治安が悪いって言えるんすか?」

「・・・」

と、あえて
意地悪なやり方で
質問をしてみました。

その後の空気の気まずさ、、。


もちろん、
この方になんの悪気もないのはわかっています。

ただ、何気なく、
これまでに与えられてきた情報に

ただ、なんとなく、
流されているだけなのです。


だけど、この
何気なく、なんとなく。

ってのが
本当の差別の温床なのだと実感させられています。


ブカレストに到着後、
明らかに肌の浅黒い人々と
肌の白い人々の間に生活水準の
大きな差があることを感じます。

夜中歩き回っていても、
おしゃれな飲屋街、そのバーの中にいるお客さんと、そのすぐ裏路地で何をするでもなく佇んで居る人々の間には確かに生物学的・民族学的な人種の違いがあります。

確かに、
ブカレストの社会の
際貧困層にジプシーとか、
ロマとか呼ばれる人々が
いるのです。

そして彼らの
生業が法に背く行為になることも
割合としては多いのだろうと
想像し得ます。

しかし、
想像してみてください。

彼らは
数世紀にも渡って
差別を受け続けているのです。

現在ルーマニアでは
ロマ(ジプシー)と呼ばれる人々は存在しない。というのが、政府の見解になっているそうです。

従って、
対象が存在しない以上。
彼らに対する差別や迫害も存在
し得ない、というロジックらしいです。

問題が存在しないから、
解決する必要もない。


もはや、無視です。
存在そのものの否定。


自分が、
もしこの世界に
ジプシーの子どもとして
生を受けたら、、、。

ジプシーだからという理由で
貧しく、学が無く、犯罪予備軍だとイメージングされたら?


真っ直ぐに生きて行くことが
出来るでしょうか?


もちろん、
今日ルーマニアや他のヨーロッパ諸国の人々が抱えている考えやイメージは、長い歴史の中で築かれているものですし、当事者のものです。

それについて、
どうこういうつもりはありません。

しかし、
せめて私達日本人だけは、
人を人として先入観を持たずに
真っ直ぐ見つめてあげられない
ものでしょうか?


特に世界を旅する身としては、
そんな心のフラットさを大事にしたい。

折角、
貴重な時間を使って他国を歩き回るのです。

自分の偏見に囚われて、
大切なものを見落とすよりも、

心を平らかにして、
ありのままの美しさを感じられたほうが素敵だと思います。


ブカレストの街角でみかけた
ジプシーの母子が笑顔で見つめ合う姿。

私の妻と娘がみせるそれと
なんら違いはなかったけどなぁ。


以上
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2012-08-15

「特攻隊員の遺した手紙について」 日本考@ギリシャ。


旅の中では当然、日本のことについて
いろんな国の方から質問を受けるものです。

日本人ではないといえど、
日本の近現代史に詳しい人もいるのです。

特に日本の歴史の中でも戦争の話題は、印象的なようです。

中でも、

「よく聞かれるなぁ」と感じるのが

太平洋戦争期の「特攻隊」についてです。

この話題について、外国出身の方に質問された時、みなさんはきちんと回答できますか?

無論、英語でね。

正直、旅の始めの方では、
このことについて質問されても、英語力が無いためにうまく伝えることができませんでした。

これって、物凄く悔しいことなのです。

通常の話題ならともかく、
近現代の日本の歴史はこと西欧諸国では評判が良い方ではありません。

アジア諸国へ侵略して、
あのドイツと手を組んで、戦争をしかけた国。

最後は無謀にも
アメリカに挑んで自爆テロみたいな攻撃までして、結局負けた国。

そんな印象を
程度の差はあれ持たれているように感じます。

相手の考えを否定する必要はありませんが、

中にはどうしても
伝えておかなければならない事が、私たちにはあるはずです。


今回、
ギリシャでお世話になった
カウチホストともその話題になりました。

そこで歴史的な背景に
詳しかった彼に、

特攻隊員の皆さんが出発直前に
家族にあてて遺した手紙についての話をしてみました。

正直どんな反応が返ってくるのか
ドキドキしていたけれど、

わたしが一通り話し終えると
それを聞いて彼は

「とても美しい話だ。
その話は今までに聞いたことがなかったよ。正直、今まで特攻隊についてはただ単にクレイジーな集団だと思っていたんだ。全く理解できなかった。けれど、君の話を聞いて、特攻が何かを守りたいと願っていた人々の行動だったことがわかったよ。」

と言って、深く理解を示してくれたのでした。きちんと伝えれば、伝わるものです。

大切な誰かを守ろうとする人間。

そういった人々の生き様が放つ
物語のパワーは人類普遍のものです。

もし私たちが、

日本という国を
世界中から憧れられる国にしたいと願うならば、

真にやるべきことは、
他国をただ単に批判することではなく、

自らの歴史を学び、
その中にある物語を紡ぎ、

そして、
それを伝える技術を
身につけることでは無いでしょうか?

今回の経験を通じて、その事を実感しました。


以上


次回、再びブルガリアへ戻ります。「こんな温泉あっても良い方じゃない。」バーニャ温泉
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2012-08-03

「『事実』はいつだって勝者が造るもの。」日本考@イラン

みなさんにとって、
「イラン」とはどういう国ですか?

また「イラン人」といわれて
どんなイメージをもちますか?

私がイランを訪れると決めた時、
私の家族はかなり心配をしている
ようでした。

「イランに行くなら気をつけて。」

普段は、そんなこと口に出さないのに、この時ばかりはそういうメッセージを受けたのです。

まぁ、
それもそのはず、
日本の報道だけ見ていれば、

イランといえば、
テロリストの支援国家で、
核兵器を持とうとしている国で、
なんとなく怪しい国

ですからね。

心配されるのも当然です。
けれど、そのイメージは意図的に作られているものなのです。

少なくとも、
政治的な意思表示と、
国民一人一人の人格には何の関係もありません。

それは、
「あの戦争」という歴史を
背負っている私たち日本国民が
一番良く感じていることでは
無いですか?

けれど「事実」はいつだって、
勝者が造るものなのです。

「歴史」はいつだって、
勝者が残すものなのです。

この前提を忘れてはならないと
思います。

イラン滞在中多くの人々に

「自国の核開発についてどう思うか?」

という質問をぶつけてきました。
当然、賛否両論様々な意見がありましたが、ひとつ印象的だったのがある大学生のこの意見です。

「私たちが核ミサイルで他国を攻撃すると思いますか?かつてのアメリカのように?私たちが武力を保有しようとしているのは護るためですよ。それは自然なことではないですか?自分たちの文化や歴史の独立は力が無ければ侵されてしまうのです。あなた達の国は、
それを経験してきたんじゃないのですか?」


イランの人々と話をしていると、
度々驚くほど日本の近代史
に詳しい人にお会いします。

多分、
彼らはそこらの日本の大学生よりそのことに詳しい。

なぜか?

なぜなら、
イランという国がおかれている状況が、ある部分で戦前の日本に似ているからなのです。

イランという国の現在の政治体制を肯定するわけでも、核開発やテロ行為を肯定するわけではありません。


ただ、
想像してみて欲しいのです。

古くから大事にしてきた、
固有の風土に根ざした生活に、
西欧文明が否応無く浸透していく。

その中で、
自分たちの根底にある言葉にはならない、だけど大事な何かが崩れていく感覚。

それと向き合いながら、
それを守ろうとするために、
議論が、行動が次第に熱を帯びていく。

一方で、
自分達が何をどういう気持ちで
行動しようとも、

「絶対悪」として描かれ
世界中に伝えられる。

大好きな自分の風土が、
文化が、人々が、

「正されるべき、間違ったもの」

として描かれていくことへの
苛立ち。

いま、
イランという国の人々が、
そんな状況におかれているとしたら?

それは
私たちの先達が置かれていた状況と似ているのではないでしょうか?

「大切な何かを護りたい」

ただ、
その純粋な気持ちが、
戦争という悲劇の中で、
「特攻」という究極の形として
現れた、かつての日本。

けれど、
特攻隊に参加された方の中に、
一人でも「悪人」が居たでしょうか?

むしろ、
いまを生きる私たちに

「何かを護るため」

自分の生命を犠牲にする
覚悟が、勇気があるでしょうか?



そういった歴史を背負っている
私たちだからこそ、

世界のあらゆる風土、
文化に生きる人々のことを、
力に屈せず、先入観に囚われず、

正しい目で見つめ、
正しい心で感じてあげられるんじゃないですか?

それが、
生命をかけて、
私たちの生きる「今」を与えてくれた先達への恩返しではない
ですか?

それが、
本当の意味で、
世界の平和に貢献するってこと
ではないですか?

以上


次回は「極上五つ星!世界屈指の放射能泉、ラムサール温泉」世界八十八湯温泉巡り@イランです。

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2012-07-29

「日本の英語教育の根本的な問題点」日本考@グルジア


トルコやグルジアでは、
英語が通じないことで
困ってしまうことが多かった。

もちろん、
私自身まだまだ大してお話できるわけでは無いのですが、

とはいえ、文脈としての意味がないどころか、簡単な単語自体が通じないので参ります。

それもそのはず、
ラテン文字と似たような
アルファベットを使っていても、
その発音は全く違うのです。

なので、おおよその解釈で、
ラテン文字読みで発音のしてみても、全く通じません。

ラテン文字を正しく発音しても、
伝わらないわけです。



さて、
んなことを
幾度か経験する中で、

はたと気づきました。

「あぁ、アルファベットは表音文字だった。」

「何を当たり前のことを今更!」

というツッコミを
受けるかもしれません。

しかし、
この当然だが、
最も重要なのことが
日本の英語教育の中では
軽視されていないでしょうか?

6年間も学校で英語教育を受けているのに、

「R」と「L」の発音の違いが
わからない人達として世界でも
有名な日本人。

笑い話のように、
自分たちでもネタにすることがありますが、

しかし、これ笑い事じゃなく、
単に英語教が苦手とかでもなく、
そういう以前の重大な問題なんです。

ご存知の通り、
私たちのなじみ深い「漢字」は
表意文字。

文字そのものが、
意味を表しています。

なので、私たちは
基本的に読み書きの文字文化に
慣れているのです。

一方、
アルファベットは表音文字です。

その文字自体が意味を持つことは
無く、発音記号としての役割に
重点がおかれます。

なので、
英語は読み書きよりも、
話して聞くことに重きをおかれた文化です。

正しくコミュニケーションを取るためには正しく発音することが、必須なのです。

この当たり前だけど、
大前提としての違いを、
日本の英語は教育では意識がしているように感じられるでしょうか?

受験勉強のため云々とかじゃなくて、単語を書いて覚えるなんて、それだけではあまり意味が無いのです。


音として覚えて、
音としてアウトプットできなければ、6年間の英語学習はゴミ箱に
時間を捨てるのと同じことなのです。

まぁ、今現在
中高生がどんな英語教育を受けているのかは知らないけれども、

このこと、
どれだけの先生が
意識しているのか、正直、
疑問です。

学生の皆さん。

英単語の読みをカタカナで
表記して教えてくれる先生には
気をつけましょうね。

まぁ、
英語をツールとして
使いたければの話ですが、、、

とにかく、
この大きな違いの上に
私たちは英語学習をしているの
だと意識しなきゃなりません。


以上

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2012-07-26

「民主主義は正義か?」日本考@エジプト。


そもそも、
民主主義が絶対正しいなんて誰が決めたのか?

自由、平等、
一見見栄えの良いこの言葉達は、
果たして私達自身と将来世代の
幸福を約束してくれるものだろうか?

自由になることで
人は幸せになったと言い切れるだろうか?

史上、平等が達成されたことが、
一度でもあったのだろうか?
それは人間社会を幸せにしたか?


エジプトの大統領選に関する混乱ん、それ依存の実質的な独裁政治期間。そんな現場の雰囲気を肌で感じると、そういう事を考えずにはいられない。

そもそも、
民主主義なんてのは
ほんのちょっと前に、
世界のとある風土で生まれた
主義思想に過ぎない。

何故それが、現在あたかも
絶対的正義であるかのように
世界中でもてはやされているのか?

それは、
それが勝者のモノであったからでは無いだろうか?

民主主義の旗を掲げた国が、
ずっとケンカに勝ってきた。

だから、それ自体も
敗者に強要されてきたのではないだろうか?

風土の上に、衣食住が成りたち、
その上に信仰が生まれ、儀礼が造られて、やがて主義思想となるのだ。

つまり、
風土それぞれに
本来固有の主義思想が存在したはずだ。

そして、それらが最も
その土地に適した主義思想であったに違いない。

ただし、
時代が変わり、技術が発達すれば、衣食住のあり方も次第に変わる。

であれば、
主義思想もそれに合わせて変化して然るべきだろう。

また戦に敗れて
敗者となった以上、
勝者の主義思想を強要されることになる。

人間社会は時間の経過とともに
次第に風土から離れ、
もう一つの世界を
風土の上に築いてきた。

しかし、
どんなに技術が発達しようとも、
私達は大地の上に生きている。
風土の恩恵なしに生きていくことなど、決してできないのである。

つまり、
頭の、心の、遺伝子の奥底にある
古来からの主義思想から完全に
離れることなどできないのである。

その事を踏まえて、考えた時、
豊かな森に囲まれた土地で生きてきた人々の主義思想が、
砂漠の真ん中でよる術も無く漂ってきた人々に完全に受け入れられるというのは到底無理な話ではないだろうか?

独裁政治と聞くと、
イメージはよくないかもしれない。

民主化と聞くと
いかにも耳触りは良いかもしれない。

市民の自由、平等な社会構築のためだと聞くと、正義の香りがするかもしれない。

けれど、
それが本当にその土地の人々が望むモノだろうか?
それが本当にその風土の上に生きていく人々の幸福を約束するのだろうか?

そういった、
単純だけれども、
物事の根本を疑う姿勢は
とても重要です。

そして、
その姿勢で私達自身の国の歴史、
特に現代日本の成立の過程を
見つめ直してみることが、
いまこそ必要なのではないでしょうか?


以上

次回は、
世界八十八湯温泉巡り@エジプト
砂漠のど真ん中!ベドウィン村の温泉紹介。

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2012-07-25

なぜ、ウガンダの学校では外国人に寄付をもとめるのか?日本考@ウガンダ


ウガンダにいる間、
ずっと疑問に感じていたことがありました。

それは

「なぜ、この国の人々は
今なお貧しいのか?」

という疑問です。


ウガンダという国に入って以来、
私の目はこの国の風土の豊かさに魅入ってしまうばかりです。

どこもかしこも、
生い茂る緑でいっぱい。

畑は果実や野菜に溢れています。
また、ビクトリア湖に面しているという立地からか、水資源も豊富です。

私の見た感じ、

ウガンダの風土は
たくさんの人の生活を
豊かに育むだけのエネルギーを
十分に備えているように思うのです。


しかし、一方で

この国ほど、
「貧しさ」を感じさせられた国も
ありません。

これまで、
この国のいたるところで、
学校に招かれました。

こちらが頼むわけでもなく、
システマチックに授業を見せてくれて、最後に

「鉛筆でも、ノートでもなんでもいい。少しでいいから支援をして欲しい。」

というお願いをされます。

この公教育制度の未熟さが、
ウガンダの土地の豊かさと
どうしてもリンクしないのです。

で、何人かの
ウガンダの人々に
話を聞いて見ました。

するとみなさん
少し小声で

「この国の政治は機能していない。」

というような言葉をつぶやきます。

ウガンダでは
一部の部族が強い権力を握っていて、政治の世界は
その権力者の都合の良い形で
進んでいるというのです。

そのため、
本来整備されるはずの
公教育や医療制度が
いつも後回しになっているとの
こと。

その話を
聞いて始めて腑に落ちたように
感じました。

結局、
その国の風土がいかに豊かであれ、その国の人々がいかに優秀であれ、そこから生まれるエネルギーや価値を、コーディネートするはずの政治が機能しなければ、
全く意味が無いのです。

本来の政治の役割は
現在の国力100を
10年後110に増やすために、
あるいは現在の100で110の成果を得るためにコーディネートすることなんです。

それが、国によっては
現在の100が10年後90に
減るのをわかっていても
お茶を濁してみたり、
現在100で50の成果しかあがっていないのにその事を問題だとも思わない。

政治の結果は
いつも未来にしかでません。

けど、
政治の結果は
必ず国民の日常に現れるのです。

以上

次回、旅は東アフリカを離れ、
一気にエジプトへ移動します。カウチサーフィン in カイロ!!

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2012-07-20

5円を恵むかどうか真剣に悩んだことはありますか? エチオピアお金の話


エチオピアの首都アディスアベバ
に滞在中、街を歩いていると
結構な頻度で「お金を恵んでくれ」という声をかけられます。

求めてくる人は
年老いたヨボヨボのおじいちゃんから、わずか3歳程度の子供まで様々です。

私個人の考え方で
明らかに身体的なハンデキャップを背負っている人以外には、
お金を恵むということはしないようにしています。

特に子供には絶対にお金を恵むことはありません。

ただし、働いている子供には
積極的にその子の提供する価値を
購入するように心がけています。


しかし、
さすがにアフリカともなると、
自体は少し複雑なのです。

生後間もない乳飲み子を含め、二、三人の子供とともに、道端に寝転がっている母親がいたりします。

まさに
数日前に
父親になった、私としては
汚い空気の中で、ただぼんやりと宙を見つめる赤ん坊の焦点のあっていない目を見ると、
心が揺れてしまいます。

私が
その家族に渡そうかどうか迷っていたのは日本円でたったの5円。

それでも、
この5円を恵む事が、
彼らにとって良い事なのか?
そうでないのか?

真剣に考えてしまうものなのです。

例えば、
アフリカでは
外国人をみれば
とりあえず「恵んでください」と
聞いてくる場合が多くあります。

そんなとき、
これまでの諸外国からの
援助や、支援への過剰な依存が
結果として、現地の人々に

「お金はもらうもの」

という考え方を植え付けてしまっているように感じるのです。

だからこそ、
簡単にお金を恵むことはできないなぁ、と感じています。

きっと、
旅人の多くはそういう感覚を持っているはずです。

その経験から
相手の顔も見ないで、
ただお金をあげるだけという、
寄付や援助の仕組みに
違和感を感じるようになりました。。

もちろん、
誰かからの金銭的な援助を必要としてういる人は世界中にたくさんいます。

それで助けられている人も、
たくさんいるのです。

なので、
お金を恵む行為自体が必ずしも
悪いことだとは全く思っていません。

ただし、
渡す側の立場として
相手の事を何も知らずに
知ろうともせずに、
お金を恵むことは
とても無責任な行為なんだなぁ
と実感しています。

以上

次回からは、ウガンダ編。

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2012-07-17

「疑う力」 日本考@ケニア

ケニアには二週間弱滞在しました。
その間の宿泊はすべてナイロビにて。

ケニアを実際に訪れて強く感じることは、

やっぱり
 「百聞は一見に如かずだなぁ」ということです。

ケニアってなんとなくざ・アフリカという感じで、
そして正直にいうと「危険」「汚い」「貧しい」というイメージでした。

そういう人は多いんじゃないですか?


しかし、実際に訪れてみて、
はじめに驚いたのはナイロビの近代的な街並を見た時。

特に金融機関の活躍ぶりには目を見張るものがあり、
よくも悪くもサラ金だって街のあちこちに店舗をかまえている。

もちろん、
ケニアには私たちのイメージ通りにスラムも在るし
 それ以外の街や村はとても近代的と呼べるものではない。

けれど、どちらもケニアの一面でしかないのです。

街の治安だって、
いままで訪れた国と比べて特段に
悪いという雰囲気は一切感じませんでした。

(もちろん、最低限の注意はどこの国でも必要ですよ。)

むしろ、
印象的なのは街中で道を尋ねる時に
とても流暢な英語で丁寧に案内をしてくれる人々の姿です。

夜のナイロビを
歩いていても、声をかけてくる若者は
カンフーの真似事をしながら、

「おい!!ブルース・リー!!」

と声をかけてくるくらいで、その少しズレた、だけど素朴な
愛嬌の良さも私個人は嫌いじゃないんです。

私がケニアを訪れる前に抱いていた
イメージと現実の間にどれだけ
大きなギャップがあるのかを痛感させられました。

というような経験をへて、

私たちがテレビや新聞を経由して
手にする「情報」はいつだって
「編集」されており、

つまり、それは、必ず対象の或る一面でしかないのです。

この当たり前のことを
今一度私たちは思い起こさなければならないと思います。


マスコミから与えられる情報だけじゃなく、
教科書に乗っていることだってそう、
偉そうな人が偉そうに言っている言葉もそう、

すべてを土台から疑ってみる力が必要だと思います。


その「疑う力」って支配している側の人達からすれば
支配されている人達に一番身につけて欲しくないものなんです。

そういう力って私たちが現在のシステムの中で
効果的に奪われてきたものじゃないですか?


以上

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2012-05-04

俺たちの子供のころは日本製品なんて、バカにされていた。 日本考 エチオピア編


前回もお伝えしたように、
アディスアベバではカウチサ-フィンで
お世話になったお宅が、なぜか夜な夜な
近所のセレブなおじさまたちが集まる場所だったので、
いろんな話をきけました。

あるとき同じ家に宿泊していた日本人の旅人さんから、
セレブのおじさま方が、

俺たちが子供のころは日本製品なんてバカにされてたな。

と話していたと、聞きました。

そこで
どういうことなのか実際に確かめてみると
おじさまたちの話には、


戦後はなんでもヨーロッパやアメリカのものが一番よくて、
その中に出てきた日本製品なんて、みんなバカにしてたんだよ。
安いけど、どうせすぐ壊れる。みっともないってね。

でも、今じゃ、日本製品が一番良い!!に変わっている。
テレビにしたって、車にしたってそうだ。
ま、高いからなかなか手は出せないけど。

そして、いまは中国製品がバカにされてるんだよ。
はっはっはっ!!

ということでした。


さすがに日本のモノづくりの評価は
ここアフリカでも高いな。

と感じたのと同時に、
私自身は、正直この時ドキリ!としたのです。


だって、今ある
日本製品は素晴らしい!!っていう考えも

30年経たらどうなるかわからない。ってことでしょう。
ありえないとは言い切れない。

ポイントはきっと、
ハングリーさだと思う。

それを持つ人たちと、
それを忘れた人達の差が、
やはり長い年月を経たのち、
優劣として現れるんだと思う。

能力や、性質で、素質で誇ることはできるが、
姿勢はそれらのハンディを補って余りある要素。


油断大敵

以上


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2012-03-25

ネパール 日本考

電力の多くを水力発電でまかなっているというネパール。

私が訪れたカトマンズ、ポカラともに
冬季は山から流れる水が凍るため、水量が減り
慢性的な電力部足に悩まされている。

どちらの街も
毎日12時間近く
必ず停電しており、
その停電計画表を把握したうえで
ホットシャワーをいつ浴びるか?
など、毎日しんけんに考えていた。

宿で過ごす夜は
日没とともにロウソクが配られ、
その灯で暗い夜をやりすごす。

まぁ、たしかになかなかに不便で
戸惑うこともあったけれど、
それがあたりまえのネパールの人々は
しっかりそれに対応して楽しんでいるふうにも見えた。

電気が不足する生活を体験してみて、
これまでの日本がどれだけ電力を無駄遣いしてきたのかを
思い知らされた気がする。

私たちは
膨大なエネルギーを
国土の外から輸入し、
なにをはばかる事なく消費している。

本来、
1秒たりとも
電力の途切れない生活が、
なんの矛盾もなく存在するはずはないのだ。

と、同時に私たちは多くのもとあった豊かさを失ってしまった。
たとえば、美しい星空とか。

あげく、膨大なエネルギー消費、その照明で見失った美しい星空を
屋内で再現するために、さらなるエネルギーをつかったりしている。

私自身プラネタリウムも
日本の豊かな生活も好きだけど、
それには、やっぱり何か極端な無理があることを痛烈に感じさせられた。

そんなネパール滞在でした。

以上

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2012-01-14

「最貧国とよばれる豊かな国バングラデシュ」 日本考

ミャンマー、バングラと連続して
多くの気づきを与えられた気がする。

中でも、印象的なのが、
バングラデシュという国の豊かさを
見せつけられたことである。
え?と思う方もいるかもしれない。
でも、私の触れたバングラデシュは確かに豊かだった。

ダッカでは、
人々の心の豊かさに魅入られた。

例えば、在る時はダッカ駅で、
ベンガル人のオジサンに
インドまでのチケットの値段を聞いたら、
自分では答えが解らないオジサンは、
わざわざ途中まで自分が並んでいた列を離れて、
チケットカウンターに訪ねてくれて、回答をしてくれた。
その後オジサンは、また列の最後尾に並びなおした。

また、ダッカでは芸術を愛する人々、
その人達の豊かな文化も目の当たりにすることができた。

一方田舎では、
日本の田舎も顔負けの美しい田園風景が広がっていたし、
そこに住む人々、特に子どもたちの創造力の豊かさには驚かされた。

それらを実感した、いま、私は

「この国のどこが最貧国なんだ?」

と疑問を抱かずには居られない。


勿論、ダッカの街中では
毎日ゴミを漁るような生活をしている
子どもたちもたくさん見かけたし、

物乞いをする老人やお母さんの数も
これまで訪れた国の中ではダントツだった。

しかし、時に、その人達の表情の中にさえ、
満面の笑みを見つける事ができるのだ。


とはいえ、
数字とデータだけで世界地図を眺めるのが大好きな人達にとっては
間違いなくバングラデシュは最貧国だろう。
(最貧国の定義はウィキペディアで確認してね☆)

また大変悲しいことだけれど、
この世界にはバングラデシュなどの国々に
ある意味で「貧しい国」で居続けてもらわなければ困る人も大勢いる。
(薄々は気付いていたけれど、その事も改めて意識させられた。)

そして、その人達にとっても、バングラデシュは「貧しい国」で
ありつづけるだろう。


いずれにしろ、
賢明な皆さんには
機会があれば是非バングラデシュを訪れて、(先入観を持たずに!!)
人々と触れ合って、風の臭いをかぎ、土に触れてもらいたい。

そうすれば、きっとこの国がどれだけ豊かな国か感じられるはずです。


と同時に、これらの事から、
やはり私達の住む日本という社会も

いま、
また「豊かさ」の定義そのものを見つめなおさなければ
ならない時機に突入しているのだな~。

と強く実感させられています。

「カネじゃない、経済成長でもない。
もう少し違う尺度で世界を見つめ直そうぜ!」

なんて事を、
例えばTPPの議論の前段階で
世界に向けて主張出来たらカッコいいと思うけどな~。

以上

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