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2012-04-26

『いま、世界を変えている日本人』 第三弾 森本喜久男さん④

Q、中学高校時代にお好きな本とか、作家さんとかって何かありますか?
「特にない。
僕はいろんな人の本を読んでいた。
例えば中学生の頃は谷崎潤一郎に読みふけっていたりね。
だから好きな本とかは無い。
けど、大事なことは
なんでもいいから大切な本に出逢うことさ。

本を読むって、やっぱり過去の人達の知恵を学ぶことでしょ。 
一日は24時間しか無いんだから、
そういう時間をどれだけ取れるかだよね。」

K.「そうですね。
けれど、いまの若い人達って、
ノイズというか、雑な情報に囲まれていて
なかなかきっかけが無いと
『読書しよう!』ってなりづらいんだと思うんですよ。」

「そういう意味でいったらね、
僕は家に閉じこもっていないでね、
街に出て、現場に立って、自分の肌で感じてみることを
オススメするよ。」

K.「なるほど」

「頭で考える時代はもう終わった。
身体で感じること。それが大切。」

K.「そうですね。」

「頭で考えてね。コンピューターの前で抽象的な概念だけ考えてるなんて
もう限界よ。自分の目で見て、肌で触れて、そういうことをしないと。」

K.「いいですね。」

「あのね。
頭で考えるから『解る』『解らない』って思うさ。
けどね人間の身体ってのはそうじゃないから。
『解らない』ってことは身体には無いから。」

K.「う~ん。なるほど」

「冷たいだったら、冷たいし、
温かいだったら温かいでね。感じる事はできるんだよ。
『解る』『解らない』ってのは抽象の概念、
いわゆる形而上の概念だよ。
形而下だったら違うんだよ。」

K.「そうですね~。面白いな~。
それに結果として、そういう風に身体で体験していけば
知りたいこととかって自然に出てくるんですよね。」

「そうそうそう。」

K.「そこで始めて本との出逢いとかが
出てくるわけですよね。」

「そう。だから汚い水飲んで、七転八倒してもいいさ。
その上で、じゃあ。って話。」

K.「知識じゃなくてね。」

「知識じゃなくて、思想さ。
そういう意味では、いまの日本って思想が欠落してるんだよ。」

K.「そう思います。
部屋でずっと書籍に埋もれて、パソコンに向かってて、
そこから世界の事が解ったなんて言っても
それは知識の集積であって、
そこから思想は生まれないですよね。」

「そう。それはただ『思ってる』だけ。」

K.「やっぱり『現場』とか『リアリティ』ってのがキーワードになってきますよね。」

Q、若いころ、尊敬していた人とか憧れていた人とかいましたか?

「ない(笑)。けれど、そう言う意味でいったら
僕にとってはそこで暮らしている人達さ、現場の人達。

若い時からいろんな現場を経験してきたから、
例えばアルバイトで横浜の港で、沖仲士、船出しで
コンテナとか無い時代に、人力で担いで荷出ししたりね。 
絵を書くための絵具買ったり。
そこで働いてたら、おやじと同じ給料もらえるのさ。
そんな暮らししながら、油絵をやってたんだけど、
横浜の寿っていう、街があって
そこでおっちゃん達と一緒に酒飲んだりして、
ぼくはそこで見てきたものがあるさ。

普通尊敬するひとって言うと
偉い人っていう人がいるでしょう。
僕にとっては、そうではなくて
普通に町場で生きている人さ。
僕にとってはそうだよ。」

K.「これも面白い。素晴らしいですね。
そういう風に考えられると、
おそらくですけど、ずっと楽しいですよね?」

「そうそう。」

K.「目の前に居る人とか、
あらゆるものに興味が尽きないわけですもんね。」

「とてもリアル(笑)」

K.「とてもリアルですね(笑)」

「僕は嫌なことやらない。
うちの皆にもいうんだよ『嫌なことはやらなくて良い』って。
それを見てる人がさ
『300人にそんなこと言って、それで本当に会社って回るんですか?』
って聞くの。でもそれは違うんだよね。それは頭で考えてるからそうなる。

頭で考えてしたい仕事と、身体で考えてしたい仕事は違う。
身体には個性があるから。
頭で考えるから、みんな特定の仕事に集中しちゃうのさ。」

K.「うん。面白い(笑)そうですね。
身体は違いますもんね。」

K.「日本にはたまに帰られるんですか?」

「たまに。
僕は本当は日本に帰った時には、こういう話をしたいんだけど、
織物の話を聞かせてくれって言われるんだよね(笑)」

「布の向こうに見える世界。
東南アジアのなんていうのかな混沌。
その歴史は融合されていく、
アウフハーベンされていく
エネルギーのあるものどうしが対立せずに
融合していく。」

K.「中国の陰陽の考えにも通じますね。」

「そう対立から秩序にかわっていくんだよ。
日本の2000年の歴史もそうじゃん。
新しいものが入ってきて、時には対立するけど、
やがて受け入れて新たな文化となっていく。」

K.「そうですね。
日本の受容性っていうのは凄いんですね。
それはきっと日本人がずっと自然に対してフレキシブルで在り続けた…」

「事の結果だと思う。
だから、自然に対してフレキシブルに対応できるということ 
ことがとても大切なことだし、素晴らしいこと。」

K.「いや~面白いな。」

************************************************************

K.「昨日おっしゃっていた
これからの世界が人間経済になっていく、という直感は
どういったきっかけで持たれるようになったんですか?」

「(笑)ここ十年ぐらいの世界の格付けとか、ISOとか 
ああいうのなんてインチキだよ。彼らは利権集団だからね。
それをつけることで彼ら自身の利権を守る。
そういうのに世界が振り回されている。
『虚の世界』から『虚の虚』の世界になってしまってる。」

K.「おっしゃる通りだと思います。」

「これからもっと混乱すると思うよ。
人間って行きつくところまで行かないと気づけないから(笑)」

K.「なるほど」

「ただ僕は、その先にある『人間にとって何が必要なのか?』
っていうことを『お金じゃないんだよ』ってことを考えてる。
おカネも元は兌換だったわけでしょう。
それが今もう崩壊している。
みんなそのことを隠してるんだよね(笑)。」

K.「それは僕も金融の現場にいた時から感じていました。
みんな気づかないフリをしてるな~って(笑)」

「右肩上がりの、生産性をあげて行く、収益を上げて行く
つきつめればおカネを稼ぐ。
それに血眼になる。それが行きつくところまで来てね。」

K.「なるほど」

「きっと世界のそういった仕組みをコントロールしている人達もいるんだろうけど、
彼らも生身の人間だからね。
頭で考えていることと、ヒューマンとしての自分が
いつかぶつかる時がくる。それが極よ。
その状況がいまから10年後位にくるんじゃないかと考えている。」

K.「それに関しては同意見ですね。
証券マン時代に『おカネって何だろう?』ってことを
ずっと考えていて、その結果やっぱりニクソンショック以来
おカネってやっぱり紙になっちゃったんですよね。
刷りたいだけ、いくらでも刷れるんだから。
その仕組みがどこかで破綻する、
これは良く考えれば誰でも解ることですよね。
だから一部の人達が仕組みをより複雑にして、
挙句の果てに、自分たちにも良く解らないようにしてる。
そんな感じを受けています。」

「結局その先で、
借金まで債券にして売っちゃうってことやってるわけでしょう。
これは極の極だよね(笑)。

100円の商品が50円になっても、10円になってもいいのさ。
それでもみんなの生活は一緒なのさ。
その代わり虚の世界はすべて切り捨てられる。」

K.「そんな中で、ウチの父はずっと田んぼをやってるんですよ。
稼ぐためではなくて、荒らさないために。
でもそれって見方を変えると『強い』な~って思うんです。」

「強い!
ぼくがカンボジアで村のおっちゃん達と話してるとね
『家族が一年食べる米があって、それ以上何が要るんだ?』って言うわけ。
これ核心よ。」

K.「核心。」

「実は『伝統の森』を始める当時、
織物が残っていた村は少ししかなかった、
彼らは結局家族が食べて行くだけの米を作れる
田んぼをもってない、貧しい人達だったの。
米がとれないから、織物を作って現金収入を稼いでた。
だから貧しさのおかげで、伝統的な織物が残っていたんだよ。」 

K.「なるほど。」

「僕は、そういう人達に仕事を提供するのが仕事だと考えている。
だからウチの強みはみんなが貧しいことなのさ(笑)」

K.「(笑)」

「ウチで働いていた、
あるおっちゃんが村の中では貧農だったんだけど、
ウチで働いて小銭貯めて、そのお金で農地を買いたしていく。
それでウチを辞める時にこういったよ。
『俺はこれから本当に農業やるんだ』って。」

K.「面白い。」

「それ聞いて、嬉しかった(笑)」

K.「それを良しと出来る
おっちゃんの感覚も面白いですね。
おカネが稼げるとなったら、
そっちを選んじゃうのが今の世の中じゃないですか。
それを家族が暮らせるだけの農地が手に入ったから、手放すって面白い。」

「それがこそ、頭で考えるか、身体で考えるかの違いだよね。」

K.「なるほど~。カンボジアから学ぶことがたくさんありますね。」

「ホントだね~(笑)」

K.「日本では私達の生活が大地から離れて行くことを
悲しいとか、まずいなとか感じる人が少しずつ
増えている様な気がします。」

「僕は東京の街を一度全部、畑にしちゃったら良いと思うよ(笑)」

K.「(笑)」

「いいんだよ。別にそう考えても。
『それがダメだ』と考えるのは、とても限定された考えになってしまう。
そこからもう一回創ることだってあるよ。
それくらいの発想を持たないと、これからの時代は生きてい行けないと思う。」

K.「それは先ほどおっしゃられた伝統を守る事と一緒ですよね。
常識に捉われず、いま在るものに捉われずって事ですよね。」

「そういうこと。今からわずか
60年ほどまでに東京は焼け野原になったんだから。」

K.「想像できないですね~(笑)」

「いままでほとんどの日本人って
電気なんて考えたこと無かったと思う。
震災以降、電気がどこから来ていたのかも
ようやく知るようになった。」

K.「そうですね。」

「いま、知るきっかけができたわけだけど、
僕はとても楽観主義者だから可能だと思っているんだけど、
『放射能に強い生活の仕方』っいうのが
これからの大切な学問になると思う。
食事の作り方とか、素材の選び方とか、
そういった新しいノウハウよ。
みんな過去に目が向いているから、
ネガティブに考えているけど。
未来に目を向けてポジティブに考えれば、
今の状況をどうネクストに持っていくかが基本になる。
それが大切になる。」

K.「今だと単純な二元論で、原発廃止か、存続かに陥りがちですもんね。」

「そう、それはとても限定された二元論さ。
僕は多元論、可能性のなかでいろんなものを認めながら、
かつそれらを融合させていく(笑)」

K.「アウフヘーベンしていく過程だと捉えるわけですね。
ようやく対立自体が明らかになりつつある。」

「まだだね。もう少し時間がかかる。
いまはその入口だと思う。これから数年かかるよ。」

K.「その時に、大きな痛みって伴うものだと思われますか?」

「もちろんあるよ。
でも、痛みが無いと人間って考えられないからね。」

K.「それも身体感覚か。」

「そう。電気が無くなって、そこから電気の事を考える。
それと同じよ(笑)」

K.「考えると単純ですね。
だけど、其処から抜け出せないんですよね。」

「脱却できない。
それはある種の共同幻想さ。
そういう幻想の中で、みんなが安定するという幻想を抱いていたわけ。
それが今崩れつつある。」

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Q、この先おやりになりたいことは何ですか?

「いろいろやりたいことあるけど、
いま思っているのは僕が生きている間にどこまで
自分が出来るか?」

K.「それは」

「僕ね12歳の時に電車に乗って家出したの」

K.「はい。」

「けど当時豪雪で電車が途中で止まっちゃって
それまで京都から福知山線で日本海側に走って行く時、
景色がどんどん真っ白になって行くんだけど、
その真っ白のど真ん中で汽車が動かなくなっちゃてね(笑)

それが「香住」っていう駅だった。
それから50年経ってね、
この間僕は香住の人に呼ばれて、
その街を訪れたから、もう一度その香住の駅に50年ぶりに立ったの。」

C.「素敵~」

「僕はね。その時思ったの。
僕は一つの人生を終えたってね。」

K.「感覚的にですね(笑)」

「なので、僕は次の人生を歩むんだろうなっていう気がしている。」

K.「なるほど。」

K.「村は今後住む人を増やしていくんですか?」

「いや、それも一緒さ。大きくすることに意味はないさ。」

K.「今の状態が持続するようにってことですね。」

「僕にとっては適正規模で、みんな大きくすることとか、
広げる事が良いことだって考えるけど、
その価値観が僕には無いから(笑)
そのクオリティをどう上げるかってことよ。」

K.「クオリティを上げるというのは?」

「其れは技術的なことも含めて、
まだまだ確立しなきゃいけないことがたくさんある。
人間の能力は磨けば磨くほどもっと優れたものになっていくと思う。
その可能性の中の、まだ半分しか行ってないと思ってるよ。」

K.「なるほど」

「ウチの布だって、世界のトップレベルにあると思っているけど、
それだってまだ半分なんだよ。その極に行くっていうのはまだまだ。」

K.「極を目指すわけですね。そのアプローチって、職人さんらしいですね。」

「でもね。ウチはウチとして成り立っている。けれど、
それが他の場所で他の人達で成り立つのかどうか?
っていう事を自問自答している。
実際ウチみたいなことをやりたいという人が来るのさ。
そして、始める人もいるわけ。
それに対するアドバイスみたいなものも今考えていて。」

K.「なるほど」

「いままでは、ウチの村のことだけで精一杯だったけど、
いまはウチの村も僕がいなくても回るから、
そういう事を考えられるようになった。
なので、どう普遍化していくか?というのが鍵になってきて」

K.「そうか。」

「僕はいま、
特殊だけど、それが普遍の価値観でもあってもいいなって
思えるようになってきた。」

K.「在る程度突き抜けたらそう思えるようになってきたんですか?(笑)」

「そういうこと。それはクオリティって事と繋がるでしょう。」

K.「そうですね。」

************************************************************

Q、中学生・高校生へメッセージを。

K.「高校生、中学生に何かアドバイスするとしたら、
なんて声をおかけになりますか?」

「半歩でもいいから足を踏み出しなさいってことだね。
考えていないでね。」

K.「それは実際に足を踏み出すってことですね(笑)」

「そうすると、見えてくる世界が変わる。」

K.「現実として自分が位置を変えれば、
見えるものが変わりますもんね。」

「体感できるものが変わる。」

K.「ですね~。」

「僕も実際に自分でそうしてきたから
いまココにいる訳で、でしょう?
迷った時に『いいや、行っちゃえ!』ってね。
別の言い方で言えば、
『リスクを恐れない』ってこと。
少し前の時代まで、リスクを負わないことが良いことだっていう神話があったでしょ。
それは変わってきてるんだよ。
リスクを避けるってのは悲しみを避けるのといっしょさ。
悲しみが無ければ、反対の喜びも無い。」

K.「なるほど。」

「全てが整った上で、やるって言うのは間違いさ。
在る程度見えた段階でやってみる。
それが半歩踏み出すってこと。
その勇気を持つことさ。」

K.「やってみないと解らない。」

「人間っていうのは身体を動かすもの、
その事で進化していくもの。」


K.「いやぁ、面白かったです。
日本でも若い人向けに講演会とか是非してほしいな~。
本日は貴重なお話ありがとうございました。」

以上

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最後まで読んでくださりありがとうございました。

アンコールワットへ行くことがあれば、
IKTTや『伝統の森』にも是非足をのばしてみてください!


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2012-04-25

『いま、世界を変えている日本人』 第三弾 森本喜久男さん③

Q、苦労されたことって何かありますか?
「僕はね、やりたくないことはやんない(笑)」

「(一同笑)」

「だからね苦労は山ほどしてるって言えるけど、
それを苦労だと思わない。
僕は苦労ってのを仕事だと思っている。
問題があるから仕事があるって思っている。」

K.「なるほど」

Q、逆に嬉しいことって何ですか?

「やっぱりみんなの笑顔が見られること。
みんなが幸せに暮らしていること。
けど、一番嬉しいのはあれだよ、
僕が30年前にミュージアムで見た布、
其れを超えるような布をいま僕が作れていること。
これは嬉しいというか、もうゾクゾク!」

K.「鳥肌立っちゃう感じの?」

「うちの彼女たちが造った布を見て、
僕は自分で鳥肌立っちゃう(笑)」

K.「それは面白いな~。京都でご自身が職人として造られる時よりも
その喜びは大きいんですか?」

「いや、僕はいまでも自分の手で造っているよ。
ろうけつ染めをやってる。
それは僕の根っこにアーティストとしての気持ちがあるから、
年に何枚かは自分の手で造る。」

K.「なるほど。」

「それに、この間
おそらく現代の職人がみても、
どうやったかわかんない技術を
僕は見つけちゃった(笑)」

K.「新しい?」

「いや、これは昔の人がやっていた技法。
100年前まで草木染めは当たりまえのことだったんだよ
それ以降、化学染料が市場に出回って、
その時のテクニックがほとんど消えている。」

K.「なるほど」

「僕は30年やってきて
いろんな発見をしているんだけど、
今回は特Aクラスの発見をしちゃった。」

K.「面白いな~」

「例えば日本で室町時代の布を見て、
その復元の方法が解らないなんてことがあるんだけど、
僕はその手掛かりを見つけちゃった。
わかっちゃった(笑)」

K.「職人さんならではだね~☆」

K.「話は飛ぶんですが、
僕は学生時代に伝統工芸の職人さんのことを調べていて」

「何をやっている人?」

K.「漆塗りの職人さんや、舟箪笥の職人さんですね。
その方々が言うには、後を継ぐ人もいないし、
自分の代で終わりだっていうんですよね。」

「うん」

K.「その場合、ご自身がやめたら
技術なり、知恵なりってのはどうなるんですか?って聞いたら、
『これはもう残らない』っておっしゃるんですね。
例えば『書いて残すようなこともしない』と、
『書いたって意味が無い』とおっしゃるんです。」

「うん。そうそう」

K.「ですよね。職人の技術とか知恵って、まさしく経験的なもので」

「『手の記憶』さ。ウチもまったくそう。
うちはだからマニュアルがない。
マニュアルが無いのがマニュアル。」

K.「でしょうね。」

「僕らは自然を相手にしているでしょう。
自然っていうのは一定してないさ。
みんな、定量で一定のもんだって想定したがるんだけど、
それは違う。常に変化してる。」

K.「そうですね。」

「だからその変化している自然に対して、
対応していかなければいけない。それがマニュアルなんだよ。
だから、100グラム、一時間などでマニュアル化しても
なんの意味もない。」

K.「なるほど」

「それ以上の対応をしていかないと、
良いものは出来ない。そういう風に僕ら思うね。」

K.「特にそれは質を重視したらそうなりますよね。」

「尚の事そうなる。」

K.「日本のそういう技術っていうのは、、、」

「ただね
日本の伝統っていうけど、
同じよ。
伝統って言うのは守っちゃいけない。
僕はね、いま現役で最前線でやっている人達はね
『伝統を守る』って言わないと思う。
自分達は伝統を創っていく。って考えてる。
それをわかんない人達が守るって言う。」

K.「なるほど。」

「これはね、文科省が悪い。
守ろうとしてる。守ることに捉われると、
後ろ向きになっちゃう。
保存なんて意味が無いんだよ。
生きた伝統っていうね。
そこに立たない限り、伝統っていうのは持続しない。
守ろうとか考える時点でね
それは既にマイナスに考えている。」

K.「おっしゃる通りですね。
僕の祖父の話なんですけど、
山に囲まれた田舎で、ずっと田んぼを耕して、
暮らしていた人なんです。
その祖父が無くなって3年くらいたった時に
祖父の家の庭をなんとなく見て周ってたんです、
そしたら其処に根本と枝先が明らかに違う種類なのに
花を咲かしている一本の木を見つけたんです。」

「うん」

K.「それについて、ばあちゃんに『これなんなの?』って聞いたら
要はじいちゃんが生きてるときに趣味で、
種類の違う木同士を『接ぎ木』をして育ててたんだ。 
っていうわけです。」

「うん」

K.「『接ぎ木』って言われても、僕らの世代からすれば
どうやってやるのか、さっぱり見当もつかないわけですよ。
違う木の途中から、違う木が生えているなんてのは。」

「あぁ、はい。」

K.「で、その時に思ったのは
伝統工芸の職人さんに限らず、
日本でずっと手で仕事をしてきた人達。
そういう人達って、ものすごい知恵を」

「持ってた。」

K.「持ってたんですよね。
例えば僕はおじいちゃんがもう死んじゃったから、
もう解らないんですよ。聞くこともできない」

「うん。」

K.「そう言う意味で、
伝統を守ることとはちょっと違って、
そういった知恵や技術が日本からどんどん消えていっているな~
ということへの感覚的な危機感?
そういったものがあるんですよ。」

「わかる。
実はうちのプロジェクトは 
日本語では『伝統の森プロジェクト』って言ってるんだけど、
英語では『wisdoms of forest』つまり『森の知恵』さ。」

K.「おぉ、なるほど~」「素敵」

「それは何百年もの間自然の中で暮らしてきた人々の
知恵を取り戻す活動だよ。
これは日本も中国も同じさ。いま世界中で必要なの。
これからまさに必要なの。」

K.「まさにね。」

「世界が『量から質』に転換するためにはこれが必要なの。
そして、いま、日本でも以前にウチに来たことがある人達がそれを始めてるの。」

K.「あぁ、いるんですか?」

「30代くらいの女性でね。
僕が日本にいった時、会いに来てくれて。
『私も日本で森本さんのところみたいな
お金使わなくても良い生活がしたい』って
言うんだよね。」

K.「おぉ。」

「これは貨幣経済の本質をついてるんだよね。
おカネは紙でしかないというね。」

K.「そうですね。」

「その紙にみんなが振り回されてる。
そうじゃなくて、宝の宝庫としての自然を相手にして生きる
そのことを彼女はうちの村に来て感覚的に理解したんだね。」

K.「面白い」

「実は僕はね
中学生時代に日本の農本主義者の安藤昌益
が好きでね。彼のことに憧れていた時期があった。」

K.「不勉強で知りませんでした。
あんどうしょうえき、、、」

「たぶん今僕が言っていることはね、
丁度19世紀、産業革命の混乱期、あの時の様な世界の転換点
その新しい転換点に差し掛かってるんだなと感じてる。」

K.「なるほど」

「そういった流れのなかでテーマとなる農、自然と人間がどう付き合うか?
そういった事への考えを江戸時代の農本学者はもってた。」

K.「日本人って面白いなと思うのは
江戸時代までは自然との共生っていうのが
うまいことバランス取れてた。」

「うん。取れてたと思う。」

K.「ところが西洋化によって、
自然からある意味で離れて行った。
どちらかと言うと、コントロールしようとするようになりましたよね。」

「商業資本から産業資本の時代に入っていったってことだよね。」

K.「そうです。
ただ、日本人の精神的な根っこには
自然との共生ってどうしても捨てきれないんですよね。」

「そうだね。八百万の神々だからね。
それは自然との付き合い方だね。
だからヨーロッパの絶対神とは違う世界。
人間を優位に置いてではなくて、
自然と人間がシームレスに繋がっている関係。」

K.「その通りだと思います。
その感覚って、多分若い世代もまだ持ってるんですよね。」

「持ってる」
「話また飛ぶけど、日本人が良く『俺は無宗教だ』
っていうけどあれ嘘よ。」

K.「そうですね。」

「みんな知らない、というか自覚してない。
これは政治の問題よ。限定された人々の主張の結果、
日本人本来の姿が説明されていない。」

K.「そうですよね。」

「面白いのは、カンボジアも八百万の神なんだよね。
だから日本人がここに来ても、何か安らいで、リピータになる。
それは根っこの部分で似たものがこの国にあるからよ。」

K.「なるほど。そうなんだ!」

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K.「話はまた飛ぶんですけど、『環境経済学』という学問が
西欧でもてはやされ出したのは70年代位からじゃないですか。」

「そうそうそう。」

K.「でも、あれって日本人にとっては、、」

「当たり前のこと。だから
うちのヨーロッパで興味を持っている人達っていうのは、
そういった価値観の変化を起こしているなかで、
うちのやっていることを見て評価している。」

K.「面白い。けれど、森本さんには
ある程度確信があったと思うんですが?
そういう風に世の中が変わっていくだろうという確信が、、」

「そうそうそう。」

K.「それが現実になってきたんですね。」

「だから僕は筋を曲げないさ。
曲げる必要が無いって思ってるから。
途中で討ち死にしたら、まぁしょうがない(笑)」


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④(最終回)につづく


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2012-04-23

『いま、世界を変えている日本人』 第三弾 森本喜久男さん②

Q、改めて、カンボジアでの活動に至る経緯。

K.「ユネスコのコンサルタントをやってから、
ご自身でカンボジアで活動をしようするにはきっかけがあったんですか?」

「それはね、やっぱり僕は職人だから、調査員じゃないから。
僕から見れば、その時出逢った村で、出逢ったおばちゃん達が創ったものを
仲買人に二束三文で買い叩かれているのを実際に現場で見て、
『それは違うぜ』って思ったんだよね。
やっぱり彼女たちの腕に見合った正当な対価を払って
仕事ってのをさせてあげたいなって思ったのが一つのきっかけだね。」

K.「なるほど、それはやっぱり現場に行ったからですね。」

「それに、僕はカンボジアの素晴らしい布の世界を少し知っていたから、
それを自分たちの手で復興させたいなって思ったね。
これは僕の布に対する思いだよね。僕は布好きだから。」

K.「森本さんが、忘れかけられていたカンボジアの織物文化を
再発見されたわけですね。」

「まぁ、そうかもしれない。」

K.「危なかったですね。少し遅かったら、、、」

「今だったらもう出てこないね。
あの時だから出来た。あの時出逢った人間国宝級のおばあちゃん達も
今は半分以上亡くなっている。

例えば藍染、僕はそれをやってたおっちゃんと出逢ったんだけど、
その人にインタビューして、
どういう道具を使っていたかとか、全部メモってる。

それが無かったら、
カンボジアで藍染をどういう工程で創っていたかなんかも
どこにも記録が残っていなかった。」

K.「なるほど。そういった記録は
昔織物などをやっていた方々に聞きとりをして
残していったんですね。」

「そう。調査は始めはジグソーパズルみたいなもの。」

C.「その当時は通訳をつけて調査をしていたんですか?」

「うん、英語の通訳をつけてた。
けど、在る時に気がついたんだけど
僕が『それは違うよ』って怒ったり、ネガティブなことを
相手に伝えようとすると、
通訳がそれを伝えてないんだよね。
良い話しかしないんだよね。

C.「やっぱり感情が入っちゃいますよね。」

「入っちゃうんだね。だから、
これは僕がクメール語で直接伝えなきゃいけないなと思うようになった。」

K.「そうでしたか。」

「僕はタイ語は読み書き出来たんだけど、
ほら、タイの大学でテキスタイルデザインを教えていたりもしたからね。」

K.「おもしろい!」

「だけどクメール語は喋れるけど、いまも読み書きは出来ないね。」

K.「ちなみにネガティブなことって例えばどういう内容ですか?」

「例えばね『化学染料は使っちゃいけないよ』とかね。
人間って怠惰な生き物だからね。
そっちに流れるのを止めるのが僕の仕事だから。」

K.「『叱る』に近いですね。」

「そう。その叱るときに相手に伝えたい内容が伝わってないと困る。
これは多分ね。通訳介して英語で仕事をしている人は
皆思っていることだと思う。」

*****************************************************************

『伝統の森』にて

Q、現在の活動と、そこに至るまで

K.「今現在、何人の人が働いているんですか?」

「いま実質は260名くらい。」

K.「森本さんが再発見したとはいえ、
若い人達は知識も経験も無い所からのスタートですよね?
その点はどうでしたか。」

「そこはね。人間国宝級のおばあちゃんとかをまず呼んで来てもらって、
そこで指導をしてもらう。
僕は外国人だから技術を教えないで環境を整えていくのが仕事。
いまもそうだよ。」

K.「へぇ~」

「僕は村を創って、森を創ってるけどそれは環境を整える事。
経験、知識、知恵ってのは
カンボジアの人達が持ってるものだと
僕は理解しているから。」

K.「それが繋がる場を創るって感じですね?」

「そうそう。それが発揮できる場を
創るのが僕の仕事。」

K.「布を創る職人の仕事は最初から現地の人達に認められたんですか?」

「当時はまだ内戦をやっていたから、
鉄砲のたまがどこから飛んでくるかもわからなくて、
地雷もたくさん埋まってたし。

だからカンボジアの人達はまだそんな事に目が行く段階じゃなかったね。
今日生きるかどうかもわからないんだから。」

K.「えぇ」

「でも僕は10年、20年経ったときに其れが成り立つってわかったから。
そして、当時それを始められるポジションに自分がいることもわかってた。」

K.「なるほど」

「と同時に、その頃ぼくはたまたまタイにいて、大学でテキスタイルを教えていたんだけど、そこでタイの専門家がカンボジアの布を『これはタイのものだ!』って言い張ってたのよ。

彼らも高度成長を遂げる中で、自分達の文化というか、素性を語りたくなったんだろうね。」

K.「アイデンティティですね。」

「そう。けれど、僕はその時に
この布は間違いなくカンボジアのものだ、ってのを確認した。
だから、カンボジア側にもそのカンボジアのアイデンティティを
公的に主張する場がないといけないと理解していたから。
そこで僕はこのクメール伝統織物研究所っていうのを立ち上げたんだよ。」

K.「なるほど、ココにはそういう場としての機能もあるんですね。」

「いわゆる人間って、衣食住が整ってくれば
氏素性が語りたくなる(笑)」

K.「そうなんですよね。
けど、カンボジアの人にとては直近まで殺し合いやってたわけですから、
誇りもなにも無いんですよね。」

「そうだね。やっと、ここ最近だよ。
カンボジアの人達が僕らの活動に興味をもってくれ出したのは。」

K.「そうなんですか!」

「あと、この前もね、僕ねクメール語で本を書いたの
2000冊くらい印刷して、それを無料で配った。
そしたらね、それの反響がすごくてね。
その本をシアヌーク殿下も読んでくれて、
手書きの感謝状をもらったの(笑)。」

K.「えぇ、本当ですか?スゴイ」

「『手書きなんて普通ないんだよ!』って言われたよ(笑)
本当にうちがやっている事を解った上で、
頂いた感謝状だからね。嬉しかったよ。」

*****************************************************************

Q、森本さんのモチベーションとは

K.「でも、既にある意味で形を創り上げていたタイから移って、
改めてカンボジアでやろうとした時の
森本さんのモチベーションって何だったんですか?
当然、日本に戻って何かをやって行くという選択肢も常にあったんですよね?」

「僕にはそれはなかったの(笑)」

K.「あ、なかったんですか(笑)」

「正直に言っちゃうと、
83年に日本を出てきたでしょう。
本当は82年に出たかったけど、とても工房を片づけられなかった。
弟子も居たしね。」

K.「親方ですもんね(笑)」

「での、その時ね日本では丁度『飽食の文化』が始まっていた。」

K.「その頃からか。」

「当時ね日本は頭と胃袋は日本列島に乗っかっているけど、
手と足は東南アジアに転がってる。
その上で、日本は飽食に甘んじている。
実を言うと、僕はそういう日本に少し嫌気がさしていた。」

K.「あぁ、なるほど。」

「でね、丁度大友克洋ってマンガ家いるでしょう。
彼の『さよならニッポン』っていうマンガがあってね、それで僕も
『さよならニッポン』しちゃおうって(笑)」

「(一同笑)」

「あと、写真家の藤原新也の『全東洋街道』
あれが出たばっかりの頃、それを見ながらさ。」

K.「最近いろんな方のお話を伺って思うんですけど、
あの80年代の初頭って日本人の若い世代が改めて『気づき』を持って
世界に目を向け始めた時代なんだなと感じるんですよね。」

「一般的な感覚で言えば、
60年代後半からJALパックが始まり、
70年代頭からドル円が固定相場から変動相場に移行し始めた
それで日本人が海外に出やすくなっていったんだよね。
ハワイとかグアムとかに行き始めて、
一方で、シベリア鉄道でヨーロッパへ行くとか、
インドフリークとかが出始めたのが70年代。」

K.「なるほど」

「それから10年経って、80年代ってのは、
それが丁度一巡して、次のサークルがもう一回り大きくなった。
だから、僕みたいな人間も『海外に行ってもいいかな?』
ってそう思えるような時代になった。」

K.「ロケットの第二段階なんですね。」

「そうそう。だからバックパッカーじゃなくても
新婚旅行で海外にいこうかなって人も出てきた時代になっていたんだろうね。」

K.「その中でも、カンボジアにいらっしゃって、
ユネスコのコンサルになる段階では
在る程度カンボジアで長い期間腰据えてやるぞ!って気持ちはあったんですか?」

「全然そんなことない。
僕はタイでやっていたから、
ユネスコからコンサルってことで依頼を受けたんだよ。
実際には予算も少なくて、持ち出しもかなりあったんだけどね(笑)
でもある人に、
『森本さんユネスコのコンサルっていうのはステータスがあるんだから、
それをちゃんと利用しないと』って言われてね。」

K.「なるほど」

「実際、個人で活動を始める時も
ユネスコのコンサルをやっていた森本ですっていうと、
ちゃんとステータスとして使えるんだよね。
ユネスコの後光はちゃんと後ろから射してたんだよ(笑)」

K.「使えるものはなんでも使わないとね(笑)」

K.「こちらで活動を続けていく上で、
カンボジアの人達に、アイデンティティを取り戻す、
もしくは新たに築いていくかっていうこと、
または、ダイレクトに雇用を生み出していくという価値も生まれているわけですけど、それはやっぱり、森本さんのなかでは
そうすることにモチベーションを感じてらっしゃるんですか?」

「そうですね。
つーか、逆にね、いままでウチは
織物をやっているNPOという限定された見方しかされなかった。
でも、実際にウチがやっている仕事は違う。僕らは『村を創っている』んだよ。
ウチがやってきた仕事ってのは織物を作り出すその全体なんだよ。」

K.「それって要は、衣食住と学ぶ場所と
いわゆる村って言うのが機能するために
必要な場所を一つずつ創ってきたってことですよね。」

「そう。ウチはそれを実践してる。」

K.「それは森本さんがカンボジアにいらっしゃった時に、
そういう場、そういう人が生きるための場が不足していると感じられたんですかね?」

「仕事が無い。そういう人達がたくさん居た。」

K.「今だと、職業訓練とかに絞った活動をするNPOとかもあるじゃないですか?」

「僕はいつも言うんだけど、国連でもそうだけど、
職業訓練のための訓練をしているケースはいっぱいあるんだよ。
職業訓練を終えた後に食えないケースがたくさんあるのさ。
彼らにとったら職業訓練をしていることに意味があるのさ。
そんな訓練必要ないさ。」

K.「おっしゃる通りですね。」

「彼らは年次報告で、
『これをしてます!』というためにやってる。
だからそんないらない。と僕はそう思ってる。」

K.「つまり、全てが自己完結するような仕組みを創る気が無い…」

「そう、リアリティが無いものには意味が無い。」

K.「良いっすね。僕『リアリティ』って言葉が好きなんですよね(笑)」

「僕はずっとタイでそういう現場を嫌になるほど見てきた。
いろんなNPOとかプロジェクトとかが失敗している姿を山ほど見てきたから。」

K.「なるほど。」

「僕は基本、批評とか批判はしないさ。ていうのは
言葉の意味って言うのはそこでしかないから。」

K.「そうですね。」

「実際に僕がいまやっている『村を創る』は
そういった無意味なものに対する僕の対案さ。
『こういうことが出来るんだよ』っていうね。
それを形で示している。
それが僕の言葉さ。」

K.「説明する必要はないってことですね。」

「それが僕の言うリアリティ。」

K.「それってちょっと昔まで、
日本人が一番得意とするものだったのかなって思うんですよね。」

「うん。もしかしたらね。」

K.「手に仕事を持ってね。面白いな~」



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③へつづく

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2012-04-21

『いま、世界を変えている日本人』 第三弾 森本喜久男さん①

『いま、世界を変えている日本人』 第三弾目は
アンコールワットで有名な都市、
カンボジアのシェムリアップでお会いした森本喜久男さんです。

《プロフィール》

Facebookプロフィールより

1948年生まれ
京友禅の親方、タイ難民キャンプでのボランティアを経て、
タイの村で伝統織物の復興に携わる。

その後カンボジアに拠点を映し、
1995年以来、カンボジアの伝統的な織物技術の復興、
それによる伝統の再生、および自然環境と生活圏(村)の構築を手がける
IKTT(クメール伝統織物研究所)『伝統の森』の代表を務める。

詳しくはこちらクメール伝統織物研究所HPをご参照ください。
→http://iktt.esprit-libre.org/

《インタビューの前に》

私達は今回のインタビュー前後で
森本さん達が運営するIKTTのショップと
創り手やその家族たちが生活している村である『伝統の森』を訪れました。

まず、ショップに並んでいる布は
私達のような素人の目にも
質の良さを感じさせるものです。



お値段も、カンボジアの平均的なお土産などとは比べ物にならないほど立派なもの(笑)。
ですが、このシルクを求めて世界中からお客さんがいらっしゃるそうです。

続いて、こちらは村の様子です。


村の中心部にはこのように織物を造る
道具がびっしり揃っています。


機織りの作業を見ていると
一枚の布が出来るまでに
文字通り気の遠くなるような作業が行われるんだな~と実感し、
感動してしまいました。

また村の中で遊ぶ、子どもたちの笑顔も印象的。


そしてこの村のスゴイ所は
織物に関する全ての素材が、村の中だけでそろえられるということです。

蚕はもちろん、
染付に使う様々な植物も育てられています。

まさに自給自足。
そんな村から世界トップレベルのシルクが造られているんです。


こんな村を造った森本さんとは一体どんな方なのか?
是非インタビュー本文をお楽しみください

《森本さんインタビュー》
K→賢太郎、C→千明、それ以外のコメントは森本さん

Q、IKTT(クメール伝統織物研究所)について

K.「IKTTを始めたのはおいくつの時なんですか?」

「僕は30年前にタイで同じようなことを始めていたから、
まぁ、ここ(シェムリアップ)で始めたのは2000年からですね。」

K.「森本さんが、、、」

「51だね。」

K.「なるほど」

「始めてからは倍々ゲームで売り上げも、働く人も増えて一時期は500人を越えていたんだよね。だけど3年ぐらい前から『量より質』にシフトしたの。
人はいま500人から300人ぐらいになったんだけど、、
みんなね、腕が上がっているから、500人当時よりも生産量が上がっているんだよね。」

K.「逆に?」

「そう逆に。やっぱりみんなのスキルが上がってるんだね。
みんなにも『量は作らんでいいから、良いもの創れ』って言ってる。」

K.「なるほど」

「うちは、一枚の布が出来るまでに一年かかるんだよ。」

K.「一年?」

「一年かかる。だからその話をして、
実際に生地ができたのが二年前。」

K.「一年後ですね。」

「面白いのがね、今まで一枚100ドルで売っていたのに、
これまでの倍に近い手間をかけて、見た目にも良くなっているから、
僕は『150ドルで売ってもいいよ』って言ったんだけど、
みんな戸惑いがあったんだよね。」

K.「へぇ~」

「それで実際にそれをここ(IKTTのショップ)に並べてみたの
そしたら二時間後にそれが150ドルで売れちゃった(笑)。」

K.「面白いですね(笑)」

「みんなそれから『やっぱり良いもの創ったら高くても買ってもらえる』
って実感したね。実際、値段は上がっているんだけど、
新しいバージョン、つまりより良いものの方が売れるんだよね。」

K.「へぇ~」

「うちはほら、うちの事をちゃんとわかってて来てくれるお客さんが多いからね。
布が好きな人が世界中からくるから、すると高くても良いものは売れるんだよね。」

K.「それは創り手の方には自身になりますよね。」

「もちろん。」


Q、森本さんご自身について

K.「ご出身は京都でいらっしゃいますね?」

「そうです。」

K.「元々友禅の職人さんの家庭にお生まれなんですか?」

「いや、うちは父親は普通のサラリーマンでね。
僕は10代の頃、油絵描きを目指していて
そして15、6の頃にアリストテレスの芸術論、ヘーゲルの『美学』とかね。
ああいったのを一生懸命読んでる時期があって、
その時代に他にも社会学、哲学、経済学なども読んでたんだね。

K.「なるほど。」

「僕は日本出てもう30年になるけど、
新聞もテレビも一切見ない。だけど大体分かるんだよね(笑)」

K.「歴史を学んでいると、在る程度社会の次の段階が
予想できますもんね。」

「そうそう。次のステージが見えてくる」

K.「そっか、じゃあ哲学的な思考というのは
若いころから鍛えられていたんですね。」

K.「そうだね。僕が昨日も話した
人間経済学、いわゆる数量じゃない、お金じゃない
ヒューマンエコノミックスに転換していくであろうというのは、
そういう僕のいろいろ学んできたことがあるからだろうね。」

K.「且つ、これまで実際に現場で経験されてきたことが
合わさってという感じですよね。もう一つの直感のようなものですね?」

「そうだね。」

K.「いまはこちら(IKTTのショップ)にお住まいなんですか?」

「うん居候してるの(笑)。三、四家族と同居してる。」

K.「みなさん、創り手の方ですよね。」

「僕本当は、ここから30キロ行ったところに村を創って、
そこで子ども入れたら200人近くの人が暮らしてるんだよね。」

K.「呼び名とかじゃなくて、本当に村なんですね?」

「本当に村を創ったの(笑)。
38家族が一緒に暮らして、周辺の村から通ってくる人達もいる。」

K.「面白いな~。」

*****************************************************************


Q、カンボジアでの活動のきっかけ。

K.「話が前後しちゃうんですけど、そもそも、なぜカンボジアで始められることになったんですか?」

「一つはね。タイでやってるときに、
カンボジアのユネスコから声かけられたんだよね。
調査を依頼されて、当時まだ内戦終わってなかったから
94年に僕が来て」

K.「94年!?」

「そう。本当はね93年にユネスコの織物復興プロジェクトってのが始まって
それを手伝ってくれって言う話があったんだ。けど、
(トル、予算が無くて)実現しなかった。

その時に僕が90年に
アメリカのテキスタイルとか、人類学をやっている人達と
タイの調査を一緒にやったことがあって。

その時のメンバーがそのまま
ユネスコのカンボジアのメンバーに93年に来て、
『お前もこいよ』って誘われたんだけど、
予算が無くて実現しなくて

まぁ、そんな関係もあってユネスコのスタッフの顔を知ってた。
たまたま94年ココに来て
織物やってる村を見たいって

当時は街の外にでるのも大変な時期で、
でも、織物やってるといわれる村を訪ねて、

ユネスコのスタッフは事前に何度か調査をやっていたんだけど、
そちらは『ここに自然染料の織物の技術は無い』って断言してた。

ところが僕は
昔織物をやっていた形跡とか、その素材とかを見つけたのね。」

K.「へぇ~」

「言葉は全然通じないけどね、
実際に僕はその前に10年タイでやってきたでしょう、
だから、村の職人が道具をどこにしまうかとかわかるの。

K.「そうか。」

「だから、僕はそこに探しにいって、そしたら見つけちゃった(笑)。」

K.「面白い」

「その話をプノンペンに戻って、ユネスコのオフィスの人に話したら
『やっぱり素人じゃなくて、プロが調査しないと駄目なんだな』って話になって
それで僕に95年から改めて調査の依頼が来た。」

K.「なるほど」

「そこからユネスコのコンサルとして半年間活動してね。」

K.「それがカンボジアに来るきっかけなんですね。」

Q、タイでの活動のきっかけ。

K.「もっと話戻っちゃうんですけど、
そもそもなんでタイで10年も活動することになったんですか?
それまではずっと京都で友禅の職人をされていたんですよね?」

「それはね、バンコクのスラムの天使って
呼ばれていたプラティープさんっていう女性がいてね。

K.「プラティープさん?」

「そう。彼女が1978年(ぐらい)にマグサイサイ賞をもらって
79年に日本の宗教者平和会議が彼女を日本に招待したの。」

K.「なるほど」

「その時に10日間ぐらい日本に滞在して、
一日京都だった。僕の友達がそのスケジュールを管理していて
他の日はびっしりスケジュールが詰まっていたから、
間の一日ぐらい休ませてあげたいと彼は思ったんだね。
僕はその時、京都で友禅の工房をやっていたから
『京都友禅工房の見学』という名目で、
実はうちで休んでもらった(笑)」

K.「不思議な御縁ですね~(笑)」

「それがきっかけで彼女と知り合って、
僕ははじめてバンコクという街があって、スラムがあって
そこにたくさん人が住んでいるっていうのを知った。
それが79年。」

K.「79年。」

「そして80年の3月に彼女を訪ねてバンコクへ。
でその時に、当時カンボジアの人達は難民になって、
難民キャンプをつくっていた。
なので僕がバンコクに行くといったら
友達が『難民の人達に何か届けてくれ』って言って
衣類とかたくさん託された。」

K.「なるほど」

「それでバンコクのNGOの事務所に行って、
物資を届けたのが一つと、あとは十日間ほどスラムにも滞在して、
先生(プラティープさん)の家に泊めてもらって。

当時ね
バックパッカーのはしりの時代だったの
そういう日本人がね、世界中からバンコクに集まって
ボランティアとかしてたんだよね。

面白い人いっぱい居て、
『世界100カ国回ってきたよ』とかね
そういうツワモノみたいな熱い
連中がボランティアでバンコクに集まってた。

僕はそういう人達とその時バンコクで飯くったりしながら
いろんな話聞いてね。『面白い人達がいるな~』と(笑)」

K.「本当にそうですね(笑)」

「で、みんなが沼地にどぶ板並べて住んでいる様なスラムなんだけど、
みんな楽しそうに暮らしてるんだよね。
僕はそれを見てね。リアルスラムのマイナスのイメージがあるでしょ。
でも、その中で、そうやって強かに生きている人がいる。

で面白いのがね、
僕はその中であるじっちゃんと話したことがある。
その人はスラムのコミッティーのメンバーなんだけど

スラムの表までは電気が来ている。
けれどスラムの中は不法滞在者だから電気は来てないんだよ。

でもね。表の電線を自分達で切って
そこからスラムの中に電気を引くんだよ。
引くと、その線を切られる、切られるとまた引く。
それをいつもやってんだって、
笑いながらそう言う話をする人達が居る。

僕はね。

それまで友禅の職人をしていたけど、
やっぱりふっきれたもんがあったんだよね。

自分が丁度友禅を10年やってきて、
親方として弟子もいたんだよ。

丁度30過ぎててね

人生を半分来た。
後半の人生自分はどう生きるのか?
そういう疑問を丁度自分に投げかけていた時期でもあったんだよ。」

K.「三十いくつの時ですか?」

「31。その時、そういう人達と出逢った。

K.「衝撃的ですね。」

「僕がね京都で友禅の職人をやっていて、
まわりに大先輩もいるわけよ。
師匠格の50~60の人で、
伝統工芸士の資格をもらって、
職人20人から30人抱えて
ちっちゃなビル建ててね。

でもね、僕が30の時に
『それはオレの未来じゃないな。』
って思ったの。」

K.「じゃあ、その時に海外に行きたいという想いがあったわけでも無いんですね。」

「無い無い。たまたま(笑)」

K.「なるほど、本当に御縁ですよね。
お話を伺うまでなぜ友禅の職人さんが
カンボジアやタイに行くことになったのか不思議に思っていたんですよ。」

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②へつづく

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2011-12-21

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん⑤

《未来の事について》

Q、「遠い未来の事はおいておいて、先々の事で考えている
目標やイメージを聞かせて欲しいんですが?」

「いくつかありますね。
もちろん今燃えていて、大変なのは
コミュニティファクトリー事業を自立させることですよね。
そのためには僕の働き方も変わって行かなければならないし。
一年半ぐらいは頑張る。

ですけど、同時に興味があるのは、カンボジアに進出する日系企業への
人材紹介みたいなことなんです。

かものはしは6年半カンボジアで活動してきて、
それなりに現地に雇用も生みだしてきたんですけど、
それでも雇ってたかだか150人ぐらいだと思うんですね。
勿論150人という数も立派なものだとは思いますけれど、
同時にもっと上手くやる方法があるんじゃないかなって思うんですよね。

そこで考えているのが、カンボジアへ進出する日系企業への人材紹介なんです。
いますごい勢いで日本企業が進出してきているんですよ。
例えば味の素さんとか、あとはモーターとかを造ってるM社さんとかですね。
そういった企業さんは、めっちゃ人材募集するんですよ。
『ワーカーさんを1000人募集します』とかね。
でも、集まらなかったり、定着しなかったりするんですよ。」

K 「へぇ~」

「味の素なら知ってるけど、M社って言われても彼らは何の会社かも
解らないですよね。日本人でも解らない人が多いと思うしね。
同時に企業側も農村に入って行って話をしたりはしないんですよね。
『あれ、仕事無いから募集したらくるんじゃないの?』って感じですよね。
そこにミスマッチがあるんですよね。一方でNGOは雇用を創りたいのに。」

K 「なるほど。」

「うち(かものはし)が一人一人に雇用を創るのはすごく大変なんですよ。
200人雇用するならそれだけのビジネスを創らなきゃいけない。
けどM社の採用を手伝って200人を雇用させるならやりやすいじゃないですか?」

K 「ありですね」

「10年ぐらいは日系企業の進出は続くと思うので、採用と定着、
あとはお金にはならないけど彼らが自立するためのライフスキルの提供、
こういったことを絡めて1000人、10000人っていう雇用に関わって、
その中に最貧困層も混ぜ込める、となったら面白いなと考えています。」

K 「非常にインパクトも大きいし、現実的ですよね。
その辺が目下の関心事ってことですね。」

「そうですね。その辺りで事業を創れるかどうかで、
創れないなら諦めて日本に帰ろうかなと思ってます。」

K 「中長期にわたって、ご自身として夢に近いものはなんですか?」

「長期で言えば、人が変わる姿を見ていきたいってことですし、
中期で言えば、今お話した事業が立ちあげられるかどうかが気になっているところだし
その間くらいには、先ほどお話した師匠のような方々を一緒に仕事をしてみたいし、
そういうと、結構あるな~(笑)」

K 「そうですね(笑)」

「といった、仕事軸の話と、家族軸の話ですね。
やっぱり家族あっての・・・だと思っているので(笑)
早くどこでもドアでも出来れば良いのにね(笑)」

K 「どういう仕事をするにせよ人が変わって行く何かに
関わり続けて行きたいということなんですね?」

「そうですね。ただ、現場との距離感は変わってくるかもしれません。
もっと現場に近いかもしれないし、
もっと現場から離れてインパクトを重視するかもしれない。
今はギリギリ名前が覚えられるとか、
実感がある範囲でやりたいなと思ってますね。」

K 「なるほど」

「けど、単にあれだね。
うちの工房に行くとワーカーさん達が『ケンタ、ケンタ』って
声かけてくれるのが嬉しい。」

K 「それは嬉しいですね~。
現場って言葉が出たので、ひとつ質問なんですが、
日本とカンボジアのギャップって感じますか?
具体的にはかものはしのサポート会員の方々と
現場が抱えているもののギャップですね。」

「もちろん現場のことを解ってもらえているかといえば、
難しいですよね。こちらも発信し切れていない。
現場の苦労とか、何が大変かとかね。
なんていうのかリアリティがね、なかなか伝わってはいない。

例えば、現場のカンボジア人スタッフとかは
本気でかものはしのミッションに共感して入ってきているだけじゃなくて、
いわゆる外資系企業の一つとして入ってきているわけだから、
ジョブホッピングしていくわけですよ。
そういうレベルのリアリティは(日本の方には)解ってはもらえないですよね。
もちろんギャップはあって当然で、
全部が全部を理解してもらう必要はないと思うし。」

K 「そうですね。」

「ただもうちょっと身近に感じられるようになったり、
好きになったりしたら、応援し甲斐が出てくるんだろうなとは思います。
それはこちらの努力不足なんですけどね。」

K 「そういったギャップがあることで、
ミッションとは逆のことが現地で起こったりすることはありますか?」

「それはね。気をつけなきゃあるでしょうね。
誰を向いて仕事をするかっていうときに、サポーターの現時点での満足だけを考えたら
段々と現地でやりたいことと離れていくことはあるかもしれない。

でも、長い目でちゃんと現地の事を知ってほしいし、
かものはしの事を真面目に知って応援してほしいし、
それをこちら側が望むかの話ですよね。

だから、財務状況なんかは文句が出なくてもきちんと公開するし、
そういう情報発信は結構本気でやりたいと思ってるし、
そこをやるかじゃないですかね?」

K 「そうですね。」

「それが無かったら、ドナーからすればやっぱり
解り易いものが良いよってことになりますよね。
例えば『学校を建てたい』とかね。

日本で支援する側のあるべき支援像ってあるじゃないですか、
それが現場の状況が変化しているのに対して、
あまり変化していないと感じるんですよね。

寄付慣れしていない日本人もいるし、
説明し慣れしていないNGOも多いと思いますね。

だって学校は売りやすいですもん。
だから学校を建てて売っているNGOはあるけど、
本当はただ学校が建てたいんじゃなくて、
良い学校を創りたいはずですよね。

『だから良い学校って何ですか?』って話をある程度真面目にしないとね。
寄付をする側から歩み寄ってくることはないでしょう。
だからNGO側からきちんと説明をしていかないと思いますね。」

K 「なるほどね。」

「もう一つNGO側の課題として、問題が変わってきているのに、
それに気付かないふりをするというのは最悪ですね。」

K 「やっぱり、それはあるんですね?」

「例えば、僕達がここで児童買春問題に取り組んでいて、
けれど、その結果、数がどう変化しているかは解らないんですよ。
NGO関係者誰に聞いても、悪くなったとも、良くなったとも言わないですよ。
けれど、実際売春宿に客のふりして子ども出してっていうと
『今は法律が厳しいから無理』
とか言われるわけですよ。」

K 「なるほど」

「でも、言えるんですよね。
『この問題はアンダーグラウンドにいっただけで、いまでも大変なんです』
って。それは事実でもあるけど、どこかで嘘になったり、
効率が悪い話になったりするわけですよね。

それよりは被害者のケアの方に事業を変更しようよとか、
そういう話になるはずなのに、
そのソーシャルアジェンダの設定が変わってきていることを見ない。
うすうす勘づいてはいるけど、見ない。
『そんな余裕ないよ』とか言ってね。
そういったことは気をつけないと起こり得る話だなと思ってますね。」

K 「そうですよね。あらゆる非営利団体に言える事だと思います。」

「うちなんか、児童買春問題が世の中から無くなれば
解散すれば良いんですよ。嬉しい!ってパーティしてね。
解決するつもりでやってるんだから、解決すれば、無くなれば良いって話でしょう。
そういう緊張感が無いとやっぱり駄目ですよね。」

K 「かものはしの皆さんのように自らリスクテイクして
始められている方にはそういった方は見られないですけどね。」

「リスクテイクって言われましたけど、
僕はね実はリスクヘッジしてると思ってるんですよね。」

K 「そうですね。」

「本気でやれてるかどうか?本気でやって成長しているか?
ってのが大切なんですよ。
その方が中期的に安定してくると思ってるんですよね。」

K 「なるほど。」

「本気でやることの方が全然リスク少ない。
だから挑戦することの方がリスクが少なくて、
挑戦しないことの方がリスクが大きいと思っていますよ。

K 「その通りですね。」

「世の中一般のお金に関するリスクとかそういったものじゃ、
人間は死なないんですよね。それに加えて、共働きだし(笑)
奥さんが、しっかりしてるし(笑)」

奥様 「そうか、中期的には安定するのか(笑)」

「中期的には絶対幸せにするから、全く問題ない(笑)」

K 「長期的にはどうなんですか?」

「良い感じで死ぬ(笑)」

K 「でも、いまの考え方が一番重要ですよね。」

「そうですね。よく人から不安じゃないですか?とか、
よくリスクを取りましたね?とか言われるけど
自分はそんな感じはしていない。」

K 「それは僕自身もそう思ってて、、」

「じゃなきゃ、会社辞めないですよね(笑)?」

K 「会社に留まり続けることの方が、
リスクだと考えるから辞めるわけでね。」

「そうですね。」


Q、「最後に高校生ぐらいの年代の若者にアドバイスをするとしたら?」

「うちにスタディツアーで大学一、二年生とかが良く来るんです。
その中に国際協力がやりたいって子が多いんでうけど、
その子たちの話を聞いていると、考えている国際協力のハードルが高いんですよね。
国連 or not!みたいなね(笑)」

K 「or not ね!」

「本当は国際協力なんていくらでもやり方はある。
やり方や生き方、在り方の問題なので。」

K 「そうですね。」

「でも、なんでも多分そうで、結構高校生や大学生の頃には
社会の事とか解らないし、見えないんですけど
実際は、結構なんでもありなんですよね。
僕なんかが生きているってのがそもそも良い証拠で(笑)
そういう意味ではどこから始めてもいいし、
50歳、60歳から起業してイケてる人も結構いるじゃないですか?」

K 「そうですね。」

「だから、何でもいいと思うんですよね。
何かの本に書いてあったけど、
人生は自分がやりたいことをやってると結構時間があるし、
そうじゃないと結構短いよって話ですよね。」

K 「なるほど。」

「うちの子たちなんて20歳とかで工房に来て、
最初は読み書きも出来ない子が、チームリーダーとかやっちゃうわけですよ。
あの変わり様を見てるから、日本の大学や高校を出ていて
『何を言っとんじゃお前』って思っちゃいますよね。
だから、何でもありって思ってもらった方が良いのかなと思いますね。」

K 「なんでもありって凄く説得力あるな~(笑)」

「代々木公園で炊き出しの手伝いとかして感じることでもあるけど、
日本で餓死とかあんまりないでしょう。
そういう中で、何が本当のリスクを見えなくするか?って、
僕はやっぱり変なプライドだと思うんですよ。
年収はいくらなければいけないとか、
女性よりも男性の方が稼がなければいけないとか、
良い車に乗ってなきゃいけないとかね。

そういうプライドがあることで頑張れるってことなら
良いと思うんですけど、妙にこだわりが多い人もいるじゃないですか?
極端に言えば『良い車に乗れなきゃ、自分の人生失敗した』とか考える人がいると
凄く勿体無いなって思うんですよ。」

K 「なるほど」

「やっぱりプライドを持つ部分を絞った方がいいと思っていて、
ぼくなんかは『本気で仕事をできているかどうか』
にしかプライドを持っていないので、
それ以外のことは、まぁどうでもいいんですよ。」

K 「わかる。」

「もう一つ思うのは、カンボジアの農村で生まれて
小学校を途中で辞めた子と仕事をしているとね、
日本で何も考えずにとりあえず大学まで行けたって、
その時点で相当幸せなことですよね。」

K 「そうですね。」

「まず、幸せなんですよ。先に幸せがある。
その中で年収とかがどう影響するんですか?っていう話でね。
だからそういう意味でのこだわりは少ない方が良いと思う。」

K 「うん。」

「あとはね、人生ってコントロールできないじゃないですか?
僕自身ここで仕事してるとは全く想像もできなかったですしね。
まさが、学校辞めてNGOやってるとは思わなかったし。
人とのご縁とかってコントロールできないでしょう。
だから、あんまりキャリアプランニングとかしすぎないことじゃないでしょうか。」

K 「ちなみに青木さんが一番プライドを持つのはどこですか?」

「自分が一番信じられるミッションの中で、
本気でワクワクして仕事しているかどうか?
信じられるミッションていうのは、僕の場合わりと公共性があるもので、
児童買春問題って自分で迷う必要がないんですよ。
だって明らかにきついっしょ、みたいなね。
被害にあってる子の事を考えるとキツイでしょ。
だから、児童買春を無くすために何かをするってなったら、
全然迷わなくて済む。」

K 「確かに。長々と大変ありがとうございました。

― 完 ―

補足: 「」のみ=青木さん、K=賢太郎、奥様=青木さんの奥様

かものはしプロジェクトについて、もっと知りたい方はこちら。
http://www.kamonohashi-project.net/

なお、シェムリアップの『アンコール ナイトマーケット』には
かものはしプロジェクトの専門店があります。
シェムリアップへお越しの際は、ぜひのぞいてみてください。



アンコール ナイトマーケット
営業時間:16:00-23:59(無休)

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これからも、世界各地で活躍されているカッコイイ日本人の方たちを
日本の皆さまにご紹介すべく、
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2011-12-20

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん④

Q、「これまでの中で苦労したことってありますか?」

「入金が無いと潰れちゃうとか、
お客さんに訴えられそうになったとか
そういった中での苦労はありました。
けど、それ以外の苦労っていうと
自分のキャラとの戦いってのがありましたね。」

K 「というと?」

「自分のキャラはね、いわゆる人材育成とか
コントロール系の経営には向いていないんですよ。
完全に現場系なんですね。
なので、数値だけで管理するといったやり方に向いていないんです。
けど、今は、それが僕に求められているんです。」

K 「なるほど。」

「それが結構大変ですね(笑)」

K 「今までのお話聞いていると、
青木さんってズレが無いですよね。
ホントの自分と実際の自分のズレが少ない。」

Q、「一番楽しかったことはなんですか?」

「それを聞かれると、わりと最近がやりがいがあるんですよ。」

K 「例えば、三年前に同じ質問を受けたらどう答えてました?」

「多分、同じように『今やってることが』って答えてましたね。
そうじゃないとやめちゃうんですよ。飽きっぽいから(笑)」

K 「やめようと思った事はありますか?」

「真剣にやめようかと思った事は無いですね。
この間、アメーバ赤痢になった時は
初めてカンボジアは辛いなとは思いましたね(笑)」

Q、「好きな本や作家って?」

「宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)って作家がいるんですけど、
中国の歴史モノが多いですね。
その人の作品は好きですね。司馬遼太郎に近いかな?
なんか、ワクワクするんですよね。
生き様みたいなものにフォーカスしてるんですよね。
僕がすごく思うのは、500年後くらいにそういった本に
脇役とかでいいから、登場したいんですよね(笑)」

K 「良いですね。他にありますか?
例えば高校生にオススメするとしたら?」

「良い本はありますよ。ミヒャエル・エンデの『モモ』?
あと、アウシュビッツの話を書いた『夜と霧』とか、
カーネギーの『人を動かす』とかね。
けど、別に読まなくても良いと思うけどね。
読みたいものを読んでいればラノベでも良いと思うし。」

K 「高校生の時に影響を受けた本ってなんですか?」

「やっぱり宮城谷さんの本は、やっぱりそうですよね。
男受けしかしないんですけど
例えば『重耳(ちょうじ)』『晏子(あんし)』とかね。」

K 「人物伝ですね。面白いな~。」

Q、「尊敬する人、してた人っていますか?」

「そこもいろんな方をつまみ食いしてますね(笑)。
生活や日々の事に関しては、
結構嫁を尊敬してるんですよ。真面目にね。
やっぱり師匠としても三人浮かびますよね。
ETIC.のメンターをやっていた高橋義孝さんとか、
STYLE2003の最終審査員をやられていた小城さん。」

K 「旧カネボウなどの社長を務められていた、
あの小城さんですよね。
小城さんはカッコいいですよね。」

「見た目が既にカッコいいもんね。」

奥様 「ね~。」

「小城さんには結婚式でスピーチをして頂いんですよ。
正直、僕は世間一般からすればアウトローな生き方をしているわけですよ。
結婚式だと、相手の親族やうちの親族からすると、
『あの人大丈夫なの?』っていう状況なわけです。
そういう事を理解したうえで
『彼は代表的な日本人になると思います』
とか援護射撃をしてくれたんですね。
小城さんにそう言われると、そんな気がしてきちゃって(笑)」

K 「そうでしょうね(笑)」

「彼の言葉は前向きだし、力強いし、人を元気にしてくれる。
小城さんは『かものはしに来ると元気になる』と言ってくれるけど、
その言葉が僕達を元気にしてくれてるんですよ。」

K 「すげぇな~」

「もう一つ感動した台詞は、
東大のOBの集まりみたいなのに
小城さんに出て欲しいとお願いしたんですよね。そしたら
『僕は青木君の頼みは断らないことにしてるから。』
ってOKしてくれたんですよ。」

K 「カッコいい~~!」

「訴えられそうになった時だって、
『とりあえずその仕事はちゃんと終わらせろ』と。
『ダメだったら俺が300万ぐらいはなんとかしてやるから』とかね。
本当にカッコいい人です。
そういった人達にお世話になってるし、
本当に尊敬していますね。」

K 「なるほど面白いな。」

「結局自分の人生や、選択って結構周りに影響されてるんですよね。
当たり前の事なんだけど、
やっぱり『自分』って周りの環境の産物だと思うんですよね。
どういう友達や、師匠と一緒に過ごすかってことだと思うんですよね。
なので、渡邉さんのように逆にそこを聞いて行くことで
その人がどういう人物かって本当に見えてくるんですよね。」

K 「そうなんです(笑)」

Q、「青木さんは、どんな高校生でしたか?」

「塾っ子だったんですよ。
高校の時に通っていた塾は東大一直線みたいなところだったんですけど、
そこが好きでね、毎日のように通ってたんです。
でもね、そうすると調子に乗ってくるんですね(笑)
学校の授業内容とかも『それ二年前にやりました』ってなってくるんですよ。
本来をそれを表に出さないのが大人じゃないですか、
けど僕は子どもだったんで、ちょっと調子乗って
学校を段々舐めて行くんですよね。
あんまり学校にも行かなかったくなったんですよ。
けど、生徒会はずっとやってましたね。
6限終わってから学校行って文化祭の準備したりしてね。
いま考えれば、もっと上手くやれたと思うんですけどね。」

奥様 「私は子どもがそんなになったら嫌だ~(笑)」

K 「面白いな~(笑)」

Q、「高校の時力を注いだのは?」

「やっぱ文化祭とかですね。
文化祭実行委員とかは毎年やっててね。
いろいろ失敗したりね。
例えば物品管理をやってた時には、
限られた数のついたて配るんですけど、
それを調子に乗って配りまくってたら
足りなくなっちゃって(笑)
しょうがないから作ろうって事で、木材買い集めて、
井の頭公園でついたて作ってましたよ。」

K 「面白い。」

「あと、女装して文化祭の司会やったりね。」

K 「実は僕も高校の時、文化祭でナース服来て司会してましたね。」

奥様 「なんか似たとこがあるんですね(笑)」

K 「そんな高校生だから、今ここ(カンボジア)にいるんですかね?」

「ま、ちょっと変でしたかね。」

K 「エネルギーが余っている感じってありましたか?」

「ありましたね。あと僕は他人と一緒ってのが嫌だったんですよね。
だからなのか、大学に入っても、
みんなは官僚とか弁護士とか大企業とかいう雰囲気があったけど
それには興味がなかったですね。」

K 「なるほど。けど、結果として東大に入ったのはなんでですか?」

「僕は単に通ってた塾が好きで、
その塾がたまたま東大受験は前提になっていて、
むしろ『東大の中でどこに行くか?』っていうコミュニティーだったんですよ。
そこにいた結果、勉強ができるようになったんです(笑)
結局東大しか受けなかったんですけどね。」

K 「それで、すんなりいくもんじゃないんですけどね(笑)
その後のアウトローっぷりのが痛快ですね。」

「だから親は言ってましたよ。
『せめて卒業だけはしてくれないと、
何のために塾のお金を払い続けたのか』ってね(笑)」

K 「ごもっともですね。
けれど、面白いのが、青木さんご自身がそのような生き方に
また特段の価値を見出していない所ですよね。」

「そうですね。アウトローで良かったとも思わないし、
アウトローじゃないほうが良かったとも思わないですね。」

K 「自然でしょ?」

「そうですね。なので大学中退する時も
あまり考える事は特にありませんでしたね。」

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2011-12-19

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん③

Q、「これまで生み出してきた成果についてどうお考えですか?」

「正直ね、世界を変えてこれたかな?と問うてみると、
やっぱり自分達が最初に妄想していたほど甘くは無い。
世界にとって『かものはしが必要だよね』というレベルにまでは
まだ全然来ていないし、
それほどの変化を生み出せていないなと感じています。
なので、その点では正直まだ始まったばかりだと考えていますね。」

K 「なるほど」

「もう少し身近なレベルで、個人としては
今、工房で一緒に働いているカンボジアの女性達が
結構に楽しそうに働いてくれていて、きちんと収入も得て、
自信も持つようになってきているということ。
そういう彼女達の変化を一人ひとり見ていると、
少なくとも、事業を始めて、
この人達の人生が変わったということを考えると、
やって良かったな~と思いますね。
まぁ、かものはしが存在して、現地に事務所作って雇用して、
それが無駄ってことはなかったなと思いますね。」

K 「なるほどね」

「やっぱり100人の人生変えているというのは、
スゴイことというより、重いんですよね。」

K 「そうですよね。」

Q、「普段やってて面白いなと思うことはなんですか?」

「やっぱり、その女性達が変わっていくことを実感できることですよね。
僕がこちらに来てから見ている二年間で、いろんな子が、
話す内容や自信や余裕が違うなってことがすごく多くて。

例えば、今はスタッフを採用するのに
『ワーカー』と呼んでいる工房で働く女性達にも
募集をかけることがあるんですけど、
そういうときにもガッツリ応募してきてくれたりね。

K 「自分から?」

「そうですね。
もちろん給料が良いとかいうのもあるんだろうけど、
小学校を途中で辞めた子が、
読み書きも全然できない中で工房に来た子が、
そういうものに挑戦してくれるのが有難いなと思いますね。」

K 「かものはしでやっていることって、
誰かに褒められたりすることありますか?」

「カンボジアの中では、雇用創出という意味では、
他の団体からも見てもらえる部分があって、
様々な団体が見学に来ては「スゴイネ」って
言ってくれることはあります。
それは結構嬉しいですね。

あと日本だと、そういう活動をやっている、
というだけで褒められたりするじゃないですか?(笑)」

K 「そう、そう、お聞きしたいのはそこです(笑)」

「やってるのを褒めるのは大切なことなんでしょうね。
チャレンジする人は増えたほうが良いので。
けれど、それだけだとこちらは違和感があって。
正直、こっちでやっていることに
100%の自信があるわけではないので。」

K 「そこなんですよね。その現場との距離感って、
日本にいると、この十年間でますます拡がった気がするんですよ。
例えば現地に入って時間をかけて活動をする若者や、
寄付をする人々の中でもしっかり中身を見定めようとする方など、
真の意味で理解者も増えているんだとは思うんですが。」

「すそ野が拡がったのかな。」

K 「そうですね。なんというか、
現場から入ってくる情報量は増えたんですよね。」

「駐在員ブログとかたくさんあるもんね。」

K 「そう、それで現場の全てをわかった感じになっちゃいがちですけど、
実際はブログに書けない苦労とかあるわけじゃないですか?
そういったものが認識されずに、鵜呑みにされる、
なんかキレイなものとして受け止められる傾向も強いな~、
と感じています。」


《過去について》

Q、「かものはしの立ち上げと青木さんの参加の経緯を教えてください。」

「さっきも触れたとおり、
藤沢烈さんにそそのかされたのが大きいんですよ(笑)
そして僕と本木で、村田をそそのかし、
とにかくそそのかし合いまくってました(笑)」

K 「なるほど(笑)」

「当時、僕と本木には具体的なテーマが無かったんですよ。
大きなこと、面白いこと、チャレンジングなこと、
社会の役に立つようなこととかやりたいよねっていうのはあったけど、
これだっていうのは無くて。」

K 「なるほど。」

「正直、その頃は斜に構えていたかもしれません。
『まぁ、世の中いろいろ社会問題とかあって大変だよね。』って感じで。
そんな時に、村田の話聞いていると、村田は僕たちとは真逆なわけです。
『私は児童買春問題を解決するために生まれてきた』
みたいなことを言うわけですよ(笑)」

K 「ちなみに三人はどうやって出逢ったんですか?」

「僕と本木は同じ大学で、村田とは、当時大学のサークルで
ある国際シンポジウムの運営を手伝いに参加していたんですが、
村田がそのシンポジウムに来ていたんですね。
その時から、私達のサークルに参加することになったんです。
それがきっかけですね。」

K 「なるほど。」

「けれど、その後も話し合ってはみるものの
具体的なアクションには繋がらずにモヤモヤしてたんですが、
ちょうど2002年の4月ごろかな。
藤沢烈さんが『社会起業家』とか言い出して。

『何それ?』って、
『どうやら、社会問題を解決することを仕事にしながら
結構ハッピーに生きている人達がいるらしい』
っていうのが、最初の理解でしたね。」

K 「ちなみに烈さんとの出逢いはどういったきっかけなんですか?」

「はじめはサークルの運営の事で相談に行ったんですよね。
当時、もうマッキンゼーにも勤めてらっしゃったんですが、
ちょくちょくお会いしてはいろいろ相談していたんですよね。
そんな中で、烈さんが社会起業家を発掘するプロジェクトを開始すると。
ついては『青木、本木参加しないか?』と、
そこから『まずは社会起業家の卵を100人探そう』ってことになったんです。」

K 「なるほど。」

「その過程で、そういえばうちサークルの中に面白いこと言ってるやつがいるな、
ってことになったんですね。
『自分は児童買春問題を解決するために生まれてきたんです』ってね。
そんな訳ないじゃないですか(笑)
本当は無視してたって生活できるのにね。
でも、その話を聞いていて、この人は面白いなと思ってましたね(笑)」

K 「なるほど、そこで繋がってくるわけですね。」

「そうです。そこでそのサークルの次の活動としても
村田が言っていることに取り組んでみて、
それに烈さんにも支援してもらいながらという形を
とろうということになったんですね。
それが2002年の7月くらいかな。」

K 「そうでしたか。」

「なら、やるならまず徹底的に調査しろと、
どうして問題が起きているのか?
どこで問題が起きているのか?
誰がこの問題に取り組んでるのか?
ってことを全部調査して、
その上で、事業モデルが組めるならやろうって事になったんです。
そこから現地調査も含めて三カ月間調べたんです。」

K 「現地調査もね。」

「そこで出てきたのがITで仕事を現地に創ろうぜって話になって、
そこで僕はなんかよくパソコンさわってるって理由でIT担当になって(笑)」

K 「なるほど。」

「そんなこんなで始めちゃったんですよね(笑)
僕は調査の段階で既にほとんど学校には行っていなかったし、
ITを始めたら益々行かなくなったので、
そこで大学二年生半ばで大学をやめたんですよ。」

K 「あぁ、そこでやめたんですね。面白いな。」

「村田さんは最初こう言ってたんですよね。
『私はこういった問題に取り組もうと思っている、
けれど今は人脈も経験も無いから20年後ぐらいに、
こういった団体を立ち上げようと思っている』ってね。
そこで僕はあまり先の事は考えないタイプなので、
『今やりゃ、いいじゃん、俺と本木も手伝うからさ』って言ったんです。

K 「そそのかし合ったんですね(笑)
その後の活動はどう進んだんですか?」

「かものはし歴史観と僕の歴史観で内容が違うんですが?(笑)」

K 「青木さんの歴史観でお願いします(笑)」

「その後の六年間はずっと僕はIT事業でお金稼ぎをしてたんですよ。
自分でプログラミング勉強して、仕事受注して、ってやってたんですね。
請けた仕事が終わらなくて監禁されたりとか、
損害賠償されそうになったりとか、いろいろあったんですよね。
そんな中でもなんとか成長していって、IT事業自体で
10人ぐらい人を雇って売り上げも6000万円ぐらいまでは伸ばして
しっかり資金調達は出来ていたんですよね。」

K 「面白いですね。」

「そんなこんなで、IT事業の後任も見つかり、
僕自身はずっとカンボジアに行きたかったので、
こちらに来ることにしたんです。ちょうど結婚して半年ぐらいかな。」

K 「奥さんはそれはOKだったんですか(笑)?」

奥様 「いやいや、聞いてなかったですよ~(笑)」

「そう言ってたよ、三年ぐらい行くよって(笑)」

K 「それでカンボジアに来て二年ちょっと経つわけですね。」

「そうですね。」

K 「こっちに来てからはずっとコミュニティーファクトリー事業ですか?」

「そうです。その中でも最初は営業マネージャーみたいなことをやっていて
その後もマーケティングとかやってて、いまでこそ一歩引いて
経営者のようなことをやれていますけどね。

K 「これまでのお話だと、それぞれ経験としてはとても面白いですよね。」

「僕ね、それについては自信がありますよ(笑)
プログラミングとか細かいところから、
いまはミシンのセッテイングまでできますもん。
日本のプロの方に指導していただいたおかげで、
『糸はここを通んないとだめだろ!』みたいな事が言える。
そんな事してちゃ経営者としてはダメなんですけどね(笑)
自分は現場プレイヤータイプなので。」

K 「面白い。」

「それこそ三年一事業くらいのタームで
IT事業で自分が食っていけるようになるって段階の経験もあったし、
マネージャーとしての仕事もあったし、
こっちに来てからはメーカーとしての商品開発、生産管理、
販売マーケティングなども一通り経験することができてよかったですね。
あとはカンボジアという途上国で仕事をするというのも
大きな経験になっていますね。
途上国って本当に意味が解らないんですよ(笑)」

K 「具体的には?」

「毎日ありすぎて、どれを話していいのかわからない(笑)」

奥様 「それに関しては私がお話していいですか(笑)?
こっちに来てから毎日プンプン怒っているんですよ。」

K 「どうぞ(笑)」

奥様 「最初に衝撃だったのは雨漏り事件ですね。
オフィスがある建物の最上階に住んでいるんですけど、
部屋に水たまりができるくらい雨漏りが起こったんですよ。」

K 「なるほど。」

奥様 「その修復工事に来たお兄ちゃんが
うちのシャワーを勝手に浴びたりとか、
キッチンで料理の食材調達したりね。」

「これは、カンボジアの人達にとっては当たり前なんですよね。
加えて言えるのは彼らは仕事慣れしていないってことですね。
彼らの親は皆、農民とかですよ。
子どもの事からサラリーマンとか見たこと無いですよ。
学校で文化祭や体育祭を運営するような事もしていないしね。
だから時間を守るとか、指示を受けて結果を報告するとか、
マネジメントするといった概念自体が皆無なんですね。」

K 「なるほどね。」

「そう言う意味ではこれは当たり前の話なんです。
けれど予想以上でしたね(笑)
なのでカンボジアで仕事をするというのは
日本でやるのとは違う意味で難易度が高いんですよ。
日本はやっぱり、皆優秀だったなって思いますね。」

K 「それどこに行っても聞きますね(笑)」

「日本だと『みんながんばって』って言ったら
良い感じで頑張ってくれるしね。
まぁ、そういった事を通じて、自分の仕事のやり方とか、
得意不得意、それにキャラとかが見えてきたのは良かったですね。」

K 「なるほど」


④へ続く

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2011-12-18

『いま、世界を変えている日本人』 カンボジア 青木健太さん②

《現在のお仕事について》

かものはしの活動について

Q、 「設立はいつですか?」

「2002年の7月かな。」

Q、「かものはしの事業は今現在誰のために行っているんですか?」

「私達のミッションが
『世界から若者の人身売買を無くしたい』
という想いでやっているんですね。
それも、できれば未然に防ぎたい、という想いがあるので、
事業としてはそういった状態に陥りやすい人達を手助けしたり、
すでに被害にあった人達の社会復帰を手助けすることもあるし、
法執行の強化といった部分も手がけていますね。」

K 「女性が主な対象になるんですかね?」

「女性が多いですよね。
カンボジアの人身売買の被害にあうのは、女性が八割くらいになるんですが、
例えば農村部などの貧困家庭から出稼ぎに出る過程で
騙されてそういう被害にあったりする人が多いんですね。
そのあたりの女性達がいかに減るか、
いかに安全な仕事をえられるか、という所ですね。」

K 「かものはしの事業はシェムリアップ中心なんですか?」

「そうですね。以前はプノンペンでしたが。
今後は違う国への展開も考えています。」

K 「スタッフって何人ぐらいいるんですか?」

「カンボジア側の運営スタッフが14、5人と、
(かものはしの事業の)受益者でもあるんですが、
工房で働いている女性たちが94人います。」

K 「え!そんなにいるんですか?」

「ちょっと増えたんですよ。
2008年は15人だったんですけどね。
あとは日本に10人くらいですね。」

K 「なるほど、日本側のスタッフは主に何を行うんですか?」

「主に資金調達ですね。
二つあって、企業協賛や個人会員の獲得が一つ、
あとはIT事業での資金調達ですね。
ちなみにIT事業は今年度で終えると思います。」

K 「かものはしのパンフレットには、財務の中身が
細かい所まではっきりと表示されていますね。」

「やはり個人会員の皆さんからのお金をお預かりしているので、
その辺は気をつけていますね。」

Q「いまの活動のポイントは?」

「まず、児童買春に関しては二つの観点があるんですね。
いかに売らせないか。いかに買わせないか。という二点です。
その上で、行っている事業は3つあるんです。

まず売らせないためにコミュニティファクトリー事業という、
自立支援の仕組みですね。
もう一つの売らせない仕組みが、ポイペトにある孤児院への協力ですね。
ポイペトには幼い子が無茶に出稼ぎにいって
ポイペトでストリートチルドレンしたりとか。
そういう子がそこに集まっているんですよ。
そういう子たちに、まずは教育をきちんと受けてほしいと考え、
支援をしているんです。」

K 「なるほど」

「もう一つは少し特殊なんですが、買わせないために出来る事として、
カンボジアでの法執行の強化なんです。
カンボジアには法律はあるんですよ。人身売買を禁止する法律とかね。
けれど、国としてもようやく法律ができたような状態だから、
それを執行する警察にキャパがないんですよ。
証拠を集めて、起訴までもっていく、といった事が出来ないんです。
それに買春に関しては、売ってる方が悪い、
といった男尊女卑的な感覚もまだまだある。」

K 「なるほど」

「そこで、彼ら警察にキャパシティが生まれれば、
法執行も強化されて、
『カンボジア買いづらいじゃん』
といった状態がつくれるかな、と考えているんです。
まぁ、実際は買い手の7割ぐらいは
カンボジア人によるものなんですけどね。」

K 「へぇ!そうなんですね。」

「法執行に関しては、うちが独自でやっているわけじゃなくて、
ユニセフさんや、ワールドビジョンさんなどと一緒に、
内務省がやっている警察への訓練プロジェクトに参加しています。

結論からいうと、そういった取組の効果はかなり出てきていて、
売春宿のオーナーが捕まったりもしてきているんですよ。
なので、いわゆる『堂々と子どもが売られる』、
といったようなことはほとんど無くなってきていると考えています。
まぁ、アングラなので正確な把握は難しいんですけどね」

K 「そうでしょうね。
そこから先は残念だけど表には出てきづらいでしょね。」

「けれど、そうだからといって
『数字が解らないので、ずっとカンボジアでやります』
というのも変な話なんですね。
私達のもっているリソースやノウハウを使って
他の国で事業を展開した方が
より効果は大きいかも知れないじゃないですか?」

K 「それはありますね。」

「私達のミッションは
『世界からそういった状況を無くしたい』
ですからね。」

K 「そうですね。」

「なので、徐々にカンボジア以外の国にシフトしようとしています。
それで、以上の三つの柱の中でも、一番自分達が資源を投資してるのが
コミュニティファクトリー事業なんです。」

K 「なるほど」

「そして僕が今それを担当しています。」

K 「具体的にはこちらで何をしているんですか?」

「オフィスはシェムリアップの街の中にあって、
工場は25キロくらい離れたところにあります。

実は最近やっと(僕自身が)具体的な仕事から
はずれる事ができるようになったんです。
つまり、生産や商品開発や営業などといったそれぞれの分野を
カンボジア人のマネージャーに任せてやってるんです。
僕はそのマネージャー陣が気持ち良く仕事ができるように
環境を整えたり、指導をしたりするようにしています。」

K 「青木さんの他にこちらに日本人スタッフはいらっしゃるんですか?」

「現在インターン生が一人いますね。
あとは共同代表の本木がいったり来たりして
この事業もみてくれています。」

K 「じゃ、段々とマネジメント全体を任せていってるんですね。」

「そうなんです。
じつはこれに関しては一年半後に黒字化し、現地化する、
つまりカンボジア人だけで経営できるようにする、
という目標があるんです。」

K 「それは大変そうですね(笑)」

「めっちゃ大変ですよ(笑)
自分が現地人になった方がよっぽど楽(笑)」

K 「そういった、かものはし全体の方向性は
どうやって決めているんですか?」

「戦略の骨子に関しては、
本木と僕で決めているところが大きい。特に本木かな。
もちろん総会も行うんですけど、
実質的には総会は会員さんへの説明のプロセスといった感じで、
反対票が出たことがないんですよ。」

K 「なるほど。」

「むしろ評議委員会、3ヶ月に一回行っている、
まぁ取締役会みたいなもんですね。
昔から応援してくれてる経営者の方とかをお呼びして、
3ヶ月に一回経営方針について話し合う、そういう会を行なっているので、
ま、そこでは議論になりますね。

ちょうど三日前にも開かれてまして、
そのときに中期経営計画に対する進捗具合であるとか、
ガバナンスをどうやって強めていくのか?
かものはしのポジショニングについてなどの話も出るんです。
そんなことを評議委員会の方々に頼りながらやっています。」

K 「思い出した。
そういえば一番最初にかものはしのことを知ったのは、
STYLEファイナルのプレゼン時ですよ。」

「STYLE2003かな?」

K 「そうですね。その時かものはしのプレゼンを
僕はタイムキーパーとして見てたんですよ。
チーンってカネを鳴らしながらね(笑)」

「あ、そうなんですか?懐かしいな。
あれは感動的な会でしたよね。みんなポロポロ泣いちゃったりして(笑)」

K 「その時にプレゼンの内容は今もはっきり覚えていますよ。
当時はIT事業を軸に、カンボジアでIT技術者も育てるといったお話でしたね。」

「まぁ、うちはよく事業が変わるんですよ(笑)
あきらめが悪いってよく言われますよ。」

K 「うん。でもそれがスゴイと想うんです。
なんていうか、皆さんと同世代で同じタイミングで
何かを始めたけど、途中で続けられなくなってやめた人も
たくさんいるじゃないですか。
そこで次に伺いたいのは、なんでここまで続けたのか?って事です。」

「なるほど、なんだろうな~。
続けてるといっても自分の中ではフェーズが時期によって違うんですよ。
僕自身が三年一区切りぐらいで変わってきてますね。
興味であるとか、かものはしとの付き合い方自体も変わってると思います。

本当に個人的なことを言えば、
やっぱり自分が信じられるミッションがあって、
いっしょにやりたいと思う仲間がいて、
それに、一応食っていけてね。
それで面白いことやってるな~と自分が思えるかどうかじゃないですかね?
後から考えてみれば、
ワクワクするなって思える事業をやっていることって
幸せな事だなと思いますね。」

K 「勿論そうですよ。」

「結構、仕事やっていてもそう思えない人も多いですよね。
あと、結構僕ね、バカなんですよ(笑)」

K 「なるほど」

奥様「その台詞がちゃんと出てきた(笑)」

「頭が悪いというか、一つは先の事考えないんです。」

奥様「それが言いたかった私も(笑)」

「二年後三年後の事とかあんまり考えないんです、普段。
僕の視点はいつも一週間後とかに固定されているんです。」

K 「なるほどそれは学生時代とかからですか?」

「もう、キャラですね。より最近確信しています。
現在を生きてる。
いま、来週に夢中になっていることであれば、迷いなく続けられるんです。
だから、三年後とかは考えない。

あと、もう一つは楽観的なんですよね。
根拠は無いけど自信があったりとか。
本気で取り組んで、結果はどうあれ自分自身が成長さえすれば
仕事はどうにかなる、と思っているんです。
今かものはしをクビになってもどうにか就職できるというか、
きちんと仕事につけると。それも妥協するんじゃない形で。
そういう自信もあるし、同時に緊張感もあります。」

K 「なるほど」

「創業者だから、かものはしに居座るっておかしなはなしで、
フェーズによって不要になってくる人もいるじゃないですか。」

K 「そうだと思います。
ということは、かものはしはこの十年間
青木さんにとって成長できる場で在り続けたってことですね。」

「そうですね。かつ多少なりとも貢献してこれたってことだと思いますよ。
そのバランスが重要だと思いますよ。
そう言う意味でお互いに良い緊張感をもって
かものはしとも付き合っていこうと思います。」

K 「なるほど。」

「烈さんって知ってます?」

K 「もちろん。藤沢烈さんですよね。」

「そう、烈さんに影響された部分がものすごく多い気がするんですよ(笑)
そもそもかものはしを起業したのは烈さんにそそのかされたからだし(笑)
『君たちなら出来るよ』ってね。」

K 「なるほど。」

「烈さんには『かものはしの人になるな』って言われたことがあって、
一人の人としてかものはしっていう場を利用したり、
貢献したりする意識が必要だってことを教えられました。」

K 「それは『プロとしての意識を持て』ってことですよね。」 

「一つはそうですよね。
まぁ『バリュー出してるか?』ってことじゃないですか、
マッキンゼー流にいうと。」

K 「なるほど」

「ま、そういったことから
僕自身は成長していれば大丈夫だっていう自信があるので、
諦めようということを考えたことはあまりなかったです。
ただ、今後かものはし以外でも仕事をしていく可能性は
あり得るなと思っています。」

K 「もちろんそうでしょうね。」

「かものはしとしては、徐々にカンボジアから
経営資源を他に移す方向で動いているんですけど、
僕個人としてはもう少しカンボジアに残ろうかなと思ってるんです。」

K 「なるほど。」


③に続く

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2011-12-17

『いま、世界を変えている日本人』インタビュー第2弾 カンボジア 青木健太さん①

今回はカンボジアのシェムリアップから
NPO法人かものはしプロジェクトの共同代表を務めていらっしゃる
青木健太さんとのお話をご紹介します。

青木さんとのお話は、
2011年9月、カンボジアのシェムリアップで行いました。
インタビュー場所は、現地ではお馴染みのクロマーヤマトGHのレストラン。

私達とはほぼ初対面の青木さんですが、
当日はまだ小さな娘さんを抱きかかえ、
見事なパパっぷりを披露しながら、
奥様と共にお越しくださいました。

インタビューはご家族を交えての楽しく、
且つ大変刺激的な時間となりました。

是非、日本の高校生や大学生など
多くの若者に読んで頂きたい内容だと思っております。

では、インタビューに入る前に、
まずは青木さんのプロフィールと
かものはしの工房『コミュニティファクトリー』をご覧下さい。

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《インタビューを読む前に》

青木さんのプロフィール


《写真: facebook より》

青木健太さん
1982年
東京都生まれ

学生時代にはじめた、かものはしの活動に没頭し大学を中退
その後IT事業を中心に担当し、
2009年よりカンボジアに駐在。
児童買春問題の原因となっている
カンボジア貧困家庭の女性達に向けた
雇用創出及びライフケアなどを行う
コミュニティファクトリー事業を統括。(現在に至る)

一児の父。

なお「NPO法人かものはしプロジェクト」とは
『子どもが売られない世界をつくる』を合言葉に
世界から児童買春問題を無くすことを目的に活動している団体です。
詳細は下記HPをご参照下さい。
http://www.kamonohashi-project.net/

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《「かものはし」の現場レポ》

さて私達はインタビューに伴って、
シェムリアップ郊外にあるコミュニティファクトリーの工房へ
青木さんと共にお邪魔しました。

この工房では現在100人弱の女性たちが働いています。
ちなみ訪問当日は洪水の影響があり、
工房に出て来られない人も多数いました。



こんな感じの場所で、
女性たちが製品づくりの様々な工程を
分担して行っています。

こちらはイ草の染付



こちらは寄り分けかな?



また同じ工房の隅では、
青木さんを中心に
カンボジア人の生産管理マネージャーなどが
ミーティングを行っています。
なかなか、一筋縄では行かない
現地ならではの苦労も、、、。



お昼の時間が近づくと、
工房の女性が一気に立ち上がり
整理体操を行っていました。

この工房を訪れて大変印象に残ったのは、
とにかく働いている女性たちが楽しそうな事でした。

誰に話しかけても、
恥ずかしそうにだけれど、にっこりと微笑み返してくれるし、
いろんな所から、作業をしながらでも
笑顔が溢れています。

それだけ見たら、「楽しそうな職場だな~」って
日本人でも羨ましくなるかも?

けれど、
もしこの工房が存在しなかったら、この中の誰かが、
過去、そして今なお、笑顔など浮かべる事の出来ない生活を
送っていたかも知れないのです。
これって、スゴイことだと思いませんか?

それを考えると、
とてもスゴイ現場に来ているな~、と
感動してしまいました。

こんなにスゴイ現場を創ってきた「かものはし」が
これまでどんな軌跡を辿ってきたのか?

そして、それを中心人物の一人として成してきた
青木さんという人が一体どんな人物なのか?

以下のインタビューで迫りたいと思います。

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補足: 「」のみ=青木さん、K=賢太郎、奥様=青木さんの奥様

Q、「現在のご職業を教えてください。」

「職業か。相手によって言うことを変えてるんですよね(笑)
あんまり職業って感覚がないんだけど、就職活動してないからかな?
職業って言われてみて改めて考えてみるんですけど
僕は最近、といっても2008年くらいに夢が出来て。」

K 「ほう」

「その夢が、いまカンボジアでやっていることに似ているんだけど、
小学校を途中でやめちゃった子とか、
自分に自信がもてない子どもたちがいるでしょ。
そういう子たちはなかなか将来の事も考えられないんですよ。」

K 「そうでしょうね」

「けれど、ここカンボジアで運営しているウチの工房とかで、
そんな境遇にいる子たちが変わっていくのを見てきたんですよね。
それで、そういう子どもを一人でも増やしていきたいなって、
思うようになってきたんですよ。」

K 「なるほど」

「一言で言うと『エンパワーメント』ってことになるのかな。
それを一生を通してなんらかの事業として
行なっていきたいと考えるようになってきましたね。」

K 「それはカンボジアでですか?」

「いえ、そこには必ずしもこだわりないですよ。
もちろん、しばらくはカンボジアですけどね。」

K 「なるほど、とするとご職業は何になりますかね(笑)」

「そうだな、、、」

K 「でも、この質問で答がすぐに出ないのって面白いですね。
それは青木さんがご自身で仕事を創ってきたからですよね。」

「そうかもしれません。肩書よりも、事業そのものが自分にとって
大切だったから肩書にはあまりこだわっていません。」

K 「わかりました!じゃ、肩書は無しで、先に進みましょう(笑)」


②へ続く

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2011-11-28

シェムリアップ―バンコク 意外と過酷なバス移動

10月22日。
2週間お世話になったシェムリアップに別れを告げ、
一路バンコクへと向かいます。

バンコクまでのバスは、毎度お馴染み
『クロマーゲストハウス』で手配。

お一人様12ドルでした。

当日、朝7時半ごろにクロマーでピックアップ(トゥクトゥク)、
バスが出発する別のゲストハウスに連れて行かれ、
8時半に出発となりました。

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バスに乗り込んでしばらく行き、
別の宿でも乗客をピックアップするのですが
ここでアクシデント発生!!

なんと、バスに乗り込んできた人が、
乗る直前に道端に落ちていたう●こを踏んでしまったのです!

当然、バス中にかぐわしいう●この臭いが!!
あちこちから「Oh my GOD!!」の叫びが上がります。

これには陽気なバスのスタッフも半ギレモード。
すぐに車内を清掃し、
犯人の外国人のオジサマに対して
「You! Get off here!」
とサンダルを洗わせます。

可哀想なオジサマ、すっかり肩身が狭く
「I'm sorry...」
とポツリ。この状況じゃ誰も同情してくれません。

というわけで、せっかくのエアコンバスも
窓全開のノン・エアコンバスとなって国境へと走って行くのでした。

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国境までの道はちゃんと舗装されており、なかなか快適。

バスは2時間ほど走ると、国境の手前でトイレ&食事休憩。
『POIPET Transportation Center』とかなんとかいう
やたら立派な、でも閑散とした交通センターです。

そして、再度出発して間もなく、カンボジア側のイミグレに到着!

う●こバスとはここでお別れし、タイからは別のバスに乗り換えます。

カンボジア側のイミグレはとてもシンプルなつくり。
審査される側は屋外みたいなもんなので、とにかく暑い。。

旅行者が多いと大変みたいですが、
幸い私達の時はそれほど並ぶことなく審査官に辿り着きました。

指紋チェックをして、ワイロを請求されることも無くすんなり通過。

Good Bye! カンボジア!!

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出国が済むと、タイ側のイミグレまで歩いて進みます。
その間、300mほどでしょうか?



カンボジア側のゲート。ぽいですね。

タイ側とカンボジア側の国境の間には、カジノが乱立。
この場合、一体どっちの国の企業になるんでしょう。

カジノを横目で流しつつ、私達はさっさとタイ側国境へ向かいます。

タイ側のイミグレは普通に冷房がきいてて快適。
こちらも特に混んではおらず、あっさり通過。

韓国から数えて5カ国目、タイに入国です!
(ビザなしの陸路入国なので、滞在期間は15日以内)

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さて、今回のバス移動、大変なのはココからでした。

というのも、国境でバスを乗り換えるので、
カンボジアからのバスを下車する際、変なシールを貼られるのですが、
シールを貼られるからといって、
きちんと他のバスの乗客と区別してるかというとそうでもない。

とりあえず、何らかのシールを貼られている人は全員
国境を出てすぐのコンビニみたいな所に集められ、
皆、ここでひたすらバンコクに向かうバスを待ちます。

私達もしくみがよくわからないまま1時間以上待ちました。

その間に、千明はパイナップルを食べ過ぎて
数時間後、激しい胃痛に見舞われます。
パイナップルってそんなに危険な果物だったとは!

ちなみにバンコクまではバスではなく、15人乗りくらいのバン。

先に国境を出た人、後から出た人、特に関係なく、
シールの区別もほぼ機能せず、
どうやら自己主張の強い順に乗って行くらしい。

しびれを切らした私達もようやくバンに乗り込み、
バンコクへと向かいます。


こんな感じのバン。
狭い。

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東南アジアの中ではかなりの先進国、タイ。
タイに入ったからには道路も心配することないだろう、と思っていたら
道が整っている分、運転手さん、とばすとばす。

あまりのハイスピードゆえに、道路に高低差があると
身体がふわりと浮きます。
(ジェットコースターに乗ったときみたいな)

しかも、バンの座席は狭く、シートに頭の支えも無いため
全然快適じゃない。

千明にとっては、パイナップルからくる胃痛と
しばしば襲ってくる無重力感にさいなまれ、半泣き状態のバス移動となりました。

途中一回、トイレ休憩あり。

バスはカオサンまで行くのですが、
私達は前回も滞在したルンピニー公園近くに宿泊予定だったので、
BTSパヤタイ駅付近で途中下車。

なんとか無事にバンコク入りを果たしました。

空がだいぶ広かったカンボジアとは大違い、
シティライフ・バンコクの始まりです。

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2011-11-27

カンボジア 『伝統の森』訪問

ブログの内容の時期が少々前後しますが、
本日はカンボジア(シェムリアップ)滞在中のお話です。

10月20日、IKTT(クメール伝統織物研究所)の森本喜久雄さんが取り組んでいる
村落開発事業の現場、『伝統の森』に行ってまいりました。

森本さんやIKTTについては、以前、
『シェムリアップも水浸し』の記事




でちょろっとご紹介しました。
森本さんのインタビューについては、もうしばらくお待ちください。

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『伝統の森』について



『伝統の森』とは、一言で言うと、一つの村です。
普通の村のように、住人がいて、そこで普通に生活をしています。
子どももいっぱい生まれてます。



村には桑畑、綿花畑、藍畑、織物作業を行う場所、
完成した織物を販売するショップの他、学校や野菜畑などがあります。

以下、『IKTT JAPAN NEWS』より抜粋:

カンボジアの伝統織物の復興に携わるうちに森本さんは、織物を再生するだけではなく、織り手を育て、さらには織り手である村びとたちが暮らす自然環境までを再生しなければ、伝統織物を再生したことにはならない、と考えるようになりました。
かつてカンボジアの村には、手の届くところに染め織りの素材があり、村の外から何も持ち込まなくても、すばらしい織物が生み出せる自然と環境がありました。そうした自然環境(=森)の再生と、その自然の恵みを上手に生かすカンボジアの人びとの「暮らし」と「知恵」の復活、それらすべてを統合したかたちで「伝統織物の復興」を進めようというのが、森本さんが「伝統の森・再生計画」と名づけたプロジェクトなのです。
で、本当に村ができちゃうなんて…すごい!

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さて、シェムリアップ郊外にあるというこの『伝統の森』、
とても素敵な場所ですが、
行って帰るのがむちゃくちゃ大変でした。

宿でトゥクトゥクをお願いした当初は、
「40分くらいで行けると思うよ~」なんて言われてましたが
と ん で も な い !!!

これでもかという、デッコボコの未舗装の悪路を
トゥクトゥクで2時間以上。
ドライバーもぐったり&うんざりのコース。

ただ、道中の景色はほのぼのとしたカンボジアの田舎。
無邪気な子どもたちの笑顔や、
放し飼いの牛たちにとっても癒されます。

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で、肝心の『伝統の森』もちろん良かったですよ。

基本的に作業時間が決まっているようで、
私たちが訪れた時はハンモックでゴロゴロお昼休み中。



午後1時になったら、みなさんわらわらと作業場に集まりだして
各自、織物や糸紡ぎなど作業を始めます。



染料も自然にある材料を使って手作り。
発酵してなにやら怪しげな匂い…



予約はせずに行ったんですが、
日本語が話せる女性が、作業工程を1つ1つ説明してくれました。


目の前で行われている作業が、
かつては失われかけていたカンボジアの伝統工芸。
それが、奇跡のような様々な御縁やめぐりあわせ、多くの努力で
今ここに再現されていることに、少なからず感動。

実際の作り手たちは時折笑顔を見せつつも、淡々と作業をするばかり。
ただ、そこに地に足の着いたリアルな生活と、静かな誇りが感じられました。

シェムリアップに来た際は、
ぜひ、こちらも見学してみてはいかがでしょう?
カンボジアの自然や伝統を、肌で感じてみてください。

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2011-11-16

「横断的で重層的な韓国の海外戦略」 カンボジアに学ぶ 日本考



ホーチミンの一番高いタワー、
ビエンチャンの一番高いビル、
プノンペンの一番高くなるはずのビル。

そのどれもが、
韓国資本によるものだという事を知って驚いている。

正直、
韓国の海外展開戦略は上手いな~、と感じている。

それは官民合同で、
ロジカルかつ、長期に渡る行動力を持って、実行されている。

その戦略は、大筋ではこんな感じだ。

①KーPOPや韓国ドラマをはじめとするコンテンツを
TVメディアを通じて発信し、まずは韓国文化をしっかりと浸透させる。

これは各国の宿で、
テレビをつけてチャンネルを回すと実感できる。

70チャンネル近い番組の中で、韓国のドラマや、音楽は
1~2割近いチャンネルで常時視聴することができる。

一方,日本の番組はNHKワールドを中心に一チャネルあるかないかである。
ちなみに、韓国の放送並みに多いのは中国国営放送だった。

②韓国語教育機関の設立、韓国人留学生の送り込みなど、
若い世代における、文化的精神的な壁を取り除く仕組みを設置する。

例えばベトナム語を学ぶのに有名な、ホーチミン人文社会大学。
ここで教鞭をとっていらっしゃる恩師に聞いたところ、
外国人向けベトナム語コースは現在、韓国人学生が圧倒的多数を占めるそうだ。

また、カンボジアでは
韓国側が出資、協力して、
原子力に関する専門的なカンボジア人研究者を育てるための
教育機関を設置しているとの話を伺った。

ここで、育った人々が
いつかカンボジアの原子力政策の一翼を担うのだとすれば、
その時、どの国の企業が有利に話を進められるだろうか?

③そして、先述したように、
その国の主要な都市に、ランドマークになるような建造物を建てる。
そこには当然、各国のトップ企業が軒を連ねることを期待されている。


以上ここまでが「お見事!」としか言いようの無い、
韓国の海外進出戦略。

翻って私達日本人が学ぶべき点はなんだろうか?

幾つかあるが、私個人は何より第一に、
「国家として一貫した戦略を継続する点」にあるように思う。

横断的で、重層的な国家戦略の運営。
現代日本はそれを行っているだろうか?

政権が変わるたびに、がらりと変わる国家戦略。
それらが災いし、もう何年も時間を無駄にしてはいないだろうか?

また、同時に盲目的な「技術至上主義」といった面もあるのではないか?
確かに日本の技術力は、素晴らしい。

それらは繊細な感性と、想像力豊かな人々にのみに
与えられたギフトだろう。

今後も、世界は日本の技術力を必要とし続けるに違いない。
それは全力で護り、磨き続けねばならない。

しかし、ほんの少し、私達自身は
そのことを過信し過ぎてはいなかっただろうか?
「日本の技術は世界一」や、
「良いものを創っていれば売れる」という職人気質の考え方は、
残念ながら現在の世界では必ずしも通用するとは限らない。

どんなに良いものでも、使ってもらわなければ
ガラクタと一緒だし、私達の生活を豊かにはしてくれない。

つまり、日本のモノづくりは「良いものだからこそ、多くの人に届けたい」
という想いと交わり、しっかりと世界中の人々に買ってもらってこそ、
真の価値が発揮されるように思うのである。

しかし、この点に関して
私自身は悲観的ではない。

なぜなら、いま世界各地で出逢う多くの日本人の若者が、
みな例外なく「内向き志向」の自分達を変える必要を訴え、
日本を飛び出しているからだ。

彼らは既に、気付き
自分自身を変える事から始めている。

エリート教育とは全く違う次元だが、
そんな逞しい彼らが日本のセールスマンになることが、
大きなカギになり得ると感じている。

以上


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