2011-07-31

「日本人として世界の中で生きていく」  世界一周APU卒業生インタビュー  第6弾 ベトナム 一期生トモコさん

お待たせいたしました。久しぶりにAPU卒業生のインタビューをお送りします。
中国内陸部でAPU生の足跡を見失って以来約二か月ぶりの更新となります。

お相手は一期生のトモコさん。
今回のインタビューは2011年7月31日に
ベトナムはハノイ旧市街のタマリンドカフェで行いました。

今回も学びの多いお話です。
APU生に限らず、海外で働く日本人の皆さんに読んでいただきたい。

そしてAPU生では特に女性、それも海外で働いている。
もしくは、将来働こうと思っている方に是非読んでいただきたいです。
それでは以下、お楽しみください。



「日本人として世界の中で生きていく」 

氏名:トモコさん(ご本人の希望により名前のみ掲載)

出身地:奈良県(日本)

学部:APM

職業:日系某メーカーで営業管理。ベトナム、ハノイ勤務。

①卒業から現在まで。

K「そもそも、何故今の会社を選んだんですか?」

「(今の会社は)ベトナムに工場があって。もともとベトナムで働きたいと思っていたから、
ベトナムに事務所や工場がある企業を選んで受けてたんだよね。」

K「うちの卒業生一発目ですよね、大変でしたか?」

「いや、そんなこともなく、いまの会社は学閥的なものも無くて。」

K「ベトナムでの現在のお仕事はどんなことになるんですか?」

「営業管理になるかな。ベトナム人スタッフの営業支援と
ベトナム国内の販売促進を計画します。営業に関することは全部、幅広くなんでもやります。」

K「職場のスタッフは何人くらいいるんですか?」

「私の直属は営業マンが7人で、事務の女の子が3人で、工事部隊が7人の計17人。
事務所は30人ぐらいスタッフが働いてます。」

K「全員ベトナム人ですか?日本人は何人くらいいるんですか?」

「営業所は私と上司の二人だけ。上司は越橋の方でパワフルです。
ちょっと特殊な環境かな(笑)」

K「じゃあ仕事はいつもベトナム語ですね?

「今は、私は基本ベトナム語でやってる。英語は段々忘れちゃって(笑)」

K「女性としてそういうメーカーで働く場合って、セクハラまがいのことで苦労することありますか?」

「今でも失礼しちゃうな~って思うことはたまにあるよ。
苦労というか、個人の感覚が大きく関係するよね。慣れもあるし。
私は、もはや逆セクハラ?!と突っ込まれるぐらいに慣れたよ(笑)
セクハラは、過去に同じような体験をしたことのある女性の先輩や、
相談できる友達とかがいないと大変だよね。抱え込むのは本当によくないし。
神経質になりすぎず、女性であることの魅力を強みに変えられる人は素敵だと思うよ。」

K「ベトナムでもあるんですか?」

「ベトナムはセクハラという概念がまだないし、普通に日常会話で出てくる。」

「まだ結婚しないの?とか。ごはん食べた?と同じくらいの頻度で聞かれます」

K「なるほど」


②学生生活を振り返って

Q、別府ではどこに住んでいたのですか?
「ベルメゾン」

K「ベルメ、亀川だったんですね。」

Q、サークルやゼミは?

「一応、神楽サークルとか、、、結構ふまじめな(笑)

K「他は?」

「何してたかな?(笑)そうそう、あとは亀川でお茶やってた。
家の裏にお茶の先生がいて、そこに通ってた。高校から始めて、大学でも続けてたよ。

K「ゼミはどうですか?」

「ゼミはバイロンゼミだった。自主ゼミで畠田先生のLSB研究会にも入ってました。」

Q、別府でバイトはしてましたか?
「バイトは学食で。あと亀川のコンビニとか、家庭教師とかもやってたよ。」

C「でも基本は学食だよね。チキン南蛮の考案者だもんね。」

「時々しか出てなかったのを、絶対売れるからって定番メニューにしてもらった。」

K「そうなんですか!それはお世話になりました(笑)」

Q、その他に学生時代に力を入れたことは?

「う~ん。畠田ゼミかな。別府の町づくりのような活動で、ずっと研究活動が動いていたし、
卒業前はそれがビジネスになるかもってとこまで行って本当に面白かった。」

C「あの風力発電の?」

「いや風力発電もやってたけど、LSBの方。
これで仕事やって行こうかなって考えてもいたんだけど、
畠田先生が外で働いた方がいいよって(笑)」

K「なるほど」

「あの時のわけのわからない調査がホントに面白かった」

K「わけのわからない調査ってどんなことしてたんですか(笑)」

「なんか、大学入った時と同じで、
先は見えないけど、仮説を立てて、先が見えるまで何度も何度もやるっていう。」

K「そうですね。」

「長期滞在の概念を定着させるために、ひたすら町を歩いて、食べて、温泉入って。
観光客向けのお散歩コースを検証したり、ウェブに必要な情報を議論したりね。
まず自分だったら、何があれば別府に長期滞在するかを考えてたかな。」

K「たしかに最初は、みんながまずは別府を知るって所から始めてましたね。」

「そう、だからその分別府への愛着もひとしお。」

Q、別府で好きな場所はありますか?

「浜田温泉。朝起きて行って、夜も行って。毎日通ってた。
改装前は、長い歴史を感じさせるすごく古い建物で味があったな。」

K「他には?」

「あとは亀川の商店街に在学中にオープンしたお洒落なカフェ、好きで良く行ってた。」

Q、APUに入学したきっかけは?

K「そもそもなんでAPUに入学したんですか?」

「もともと立命館に入りたくて、オープンキャンパスでRitsに行ったときにAPUのブースもあって、
そこでバイロンに会ったんだけど、それがきっかけで、面白そうやなと」

Q、別府の第一印象は?

「え?こんなとこ?って感じやった。けど、はじめて出る(生活する)県外やったから
わくわくしてたけど。田舎ぶりに気づいたのはしばらくしてからやったなぁ。福岡遠っ!みたいな(笑」

K「僕が高校生のとき教室からAPUが建つのを見てたんですけど、
あんなところに誰か来るのか?って思ってましたもん(笑」

「あれは騙されたね(笑)」

K「家とかは下見に来たんですか?」

「いや、もうFAXだけやったよ。けど、来てみたら海も見えるし温泉も近いし最高だったよ。」

K「温泉はもともと好きでしたか?」

「うん、もともとお風呂が好きやったから」

Q、地元の人で親しくなった人はいますか?

「ポニーテールの近藤さん。」

K「ポニーテールの近藤さん?」

「亀川商店街の美容師さんインドとかベトナム人の留学生とかに
別府のお父さんと言われている方で。留学生向けにアパートも運営されてます」

K「すごい!そんな方もいらっしゃるんですね。

「APUの開学10周年の本にも載ってるよ。
あとは北原さんAPUの2Fのカフェで働いてたお姉さん。」

K「へぇ」

「近藤さんはYoutubeでAPUの情報発信をしてくれてます。
結婚の報告とかで国際学生が別府に帰ってるみたいで、本当にお父さん。」

K「じゃ、別府の人とは結構からんでましたね。」

「うん、みんな温かい。」

Q、学生時代の一番の思い出は?

「ゼミ(研究)、畠田ゼミかな。」

K「どんな瞬間が印象的ですか?」

「暇があったら先生の研究室に行って、色々な話を聞いてもらったよ。
先生がぽろっと言ってくれた一言にヒントがあって、そこから自分でまた先に進むみたいな。
考えることの面白さを教えてもらった。」

K「頼れる先生だったんですね。」

「うん。ホントに切り口や発想が面白くて、チャーミングな先生だったよ」

K「なるほど。ちなみに、ベトナム語は留学とかしてたんですか?」

「二か月だけ」

K「あとは大学で?」

「そう。」

Q、学生時代一番苦労したことってなんですか?

「人間関係?(笑」

K「というと?」

「やっぱり距離の取り方とかが当時は解らなくて、ぶつかったりもしたし。
せっかく良い環境に居たけど、今も付き合えるような国際学生の友達があんまりいないのは残念。
なんで飛び込まなかったのかな~っていう。」

K「僕自身もそう思ってるんですけど、知ってる人はいるけど、
一緒に時間を過ごしたって人は少ないんですよね
。学生時代にちょっとだけ勇気を出していれば違ったのにな~って思ってるんですよね。」

「そうそう、やっぱり社会人とは違うから。社会人になって友情を深めようと思っても、
なかなか難しい。」

「だから、動かなかったという意味も含めて人間関係難しかった。」

「なんかそういう環境に憧れていったわりにはっていう。」

K「キャンパスで固まっている日本人とかみてると
『なんだそれ』って思いながら、自分も結局そうなってるっていう(笑)」

Q、学生時代に学んだことで一番役立っている事ってなんですか?

「特殊な環境にいたってことはメリットかな。
だから今どんな環境に行っても少々の事では動じないよ(笑
学生時代に凄く特別な環境にいたからこそ。そう思えるのかな。」

「あとは一から何かをやるっていうのにも
物怖じしないようにもなったかな。いつもなんでも一からだったし。」

K「なるほど」

「APUの後輩(ベトナム人)が会社に何人か入ってきてるけど、やっぱりみんなタフだね。」

K「ゼロから創るって経験は大事ですよね。
一期生はある意味強制的にそういう環境にいたんですけど(笑)、
最近少しショックだったのは新入生に入学式の次の日に会った時、
最初に受けた質問が『どうやったら就職って上手くいきますか?』だったんですよ。」

「夢がないね~(笑」

K「なので、こちらが逆におどおどしちゃって、いま、そんなこと考えなくても良いのに!って。」

K「ゼロからやることと、いろんな価値観があることに慣れたってのはとても大事なことですよね。」


「自分なりの考えが無いと価値観もぶつからないからね。
『自分はこうだし、自分は日本人ですけど、なんですか?』みたいなものが。」

K「ご自身は最初からありましたか」

「無い。(笑)無いけど、一期生として入学したから、みんな譲れない想いとかがあって、
それをお互いぶつけることが多かった。でも今の後輩たちは、誰ともぶつからないまま
四年間を過ごすこともできるのかも知れないね。」

K「なるほど。たしかにAPUに居て、誰とも一度もぶつからないってのはもったいないですね。」

「社会人になってベトナムに来て痛感したのは、どんなにこの国が好きだとしても、
やっぱり私はベトナム人になりきるってことは出来ないんだよね。
もう、日本人としてここで生きるっていう。」

「だから、いい意味で現地の人に目線に合わせるってことはしない。あくまで、日本人なの」

K「ほぉ、そうなっちゃうんですかね?」

「そう。それはある意味すごく残念なこともあるどね。学生の時、ベトナム語を勉強して、
ベトナムに実際来て、心も体もベトナム人みたいになりたかった。
で、また今回ベトナムに来たけど、学生の時とはちょっと違ってね。
自分が日本人であることを強く自覚したの。結局は日本人というアイデンティティは捨てられないし、すごく大切なもの。だから、日本人として世界の中で生きていく。」

K「それは面白いな~」

「仕事の中でも、文化の違いで妥協したりするところもあるけれど、
基本、妥協しないところはしない。今も『ここはベトナムでも、日系の会社やで!』
みたいな感じで(笑)」

K「ほぉ」

「一番分かりやすいのは、時間厳守。これはベトナム人はすごく弱い。
仕事をする上で、時間や期限を守るのは、日本では基本でしょう。
そういうのはベトナムだからと、多めに見ることはしないで、きっちり注意してます。」

K「面白い、『郷に入りては、郷に従わず』ですね?」

「でも、それは私が日本人として育ってきたから。わたしじゃなかったら許せることかもしれない。
だけど、私はそういう考えで育ってきたから、じゃないとフィフティ・フィフティにならない。
いっつも譲って、いっつも譲ってはしない」

K「いや~それはめっちゃ大事なことじゃないですか?
外に出て、外に染みいって行くほど、『私は日本人だ』っていうのを出すしかなくなるし、
そうじゃないといる意味ないでしょうね。」

「世間の人は私を日本人として見るしだから、どれだけベトナムが好きでも
私は日本人として生きるっていう風にね」

K「最初からそうしてたんですか?」

「いや、最初は妥協してたよ。『そっか、時間も守れないか。お給料も日本とは違うし、仕方無いか』って思って。」

「でも全部「仕方ないか」って妥協してたら、何のために私が来たのか分からないし。
だから譲らないものは譲らないってしたの。そしたら向こうにも譲れないものがあるから
それをぶつけて、その方がかえって上手く行く。」

「たとえば、日本以外には無い、『筋を通す』事とか。『話の筋は通さんかい!』みたいな(笑」

「最初はそうは言っても、理解してもらえないけど、時間をかけてコミュニケ―ションとるうちに
だんだん解って来てもらえる。」

「日本人としてのプライドもって日本のことを好きだって気持ちがないと。
やっぱり妥協しちゃうのかな。」

K「なるほど、ちなみに日本は好きですか?」

「日本大好き。今は海外に出ちゃってるけど、どこに住みたいかって聞かれたら
絶対日本って答える」

K「とても重要な話ですね。少しわきにそれるんですが、
僕達が旅をしていても日本人の旅人の中には逆の人も多いんですよね
『僕は日本が嫌いだから旅にでました』っていう」

「あぁいるね。逆にベトナムにいるのに、ベトナム嫌いとか。なのに、
『これだから日本人は』とか言って日本人を笑うとか。寂しくなるよね。
日本人に日本を否定されると。」

K「なるほど、するとご自身は学生時代すでに
日本人だったんですね。私はこれが譲れないみたいなことを
ちゃんと言えてたんですもんね?」

「そう。ずっと、めっちゃ日本人。だけど、日本人として自覚を持つっていうのが大事」

Q、 いま、振り返って

K「APUってどういう場所ですか?」

「息抜きしに行く場所かな。でも行かへんけど。なんかあったら行こうかなって。
無くなったら困るっていうか」

K「故郷って感じですか?」

「う~ん。故郷とも違う。働きだしてから、数回大学に帰ったけど、
自分がいるのはもうここじゃ無いなって感じることが多かった。
一番良い時を過ごした場所だけど、私も、周囲ももう先に進んでいるから、
ここに来て新しく得るものはないって。」

K「まさに『遠くに在りて思うもの』ですね(笑)

「だから別府から出た方がいいと思うよ、しがみつかず(笑)」

K「良い意味で巣立ったんですね?」

「そうそう(笑)良い環境で勉強とかはできたけど、これからは観光客として
別府へ遊びに行きます。」


③未来に向けて

Q、別府や、APUがもっと良くなるためには何が必要ですかね?

「まぁ、基本的には自分の問題だよね(笑)
だから、別府やAPUがどうとか、周囲の環境ではなくね。会社に入ってからもそうだからね。
大学も誰か一人のために有るわけではないからね、個人の言う事全部聞いてらんない。」

K「基本はその姿勢が大事ですよね。」

「敢えて言えば、別府は観光地にしては、町がわかりにくい。
どこに何があるかが分かりにくいと、観光客が限られた時間の中で、
ふらっと別府に来て町を周っても『別府良かった』とはならないと思う。
もう少し分かりやすい町づくりが必要かも。別府の田舎ぶりは好きだけどね。」

Q、これからの夢、目標は何ですか?

「とりあえずは今の仕事を全力でやって。今までは『自分』が大事でやってきたけど、
これからの10年は『誰か』を大事にする10年にしようと思ってるよ。」

「いまの仕事もお客様のことを一番に考えて、営業としてどうやって
売上げを上げるかとかを考えてやってきたけど、これからは会社の社会貢献とかにも
もっと興味をもって「誰かのために」っていうような方向に行きたい。」

K「なるほど、面白いですね。」

「あとは、日本に居ないからかもしれないけど、
ベトナムの人みたいに家族を大事にするようになりたいかな。」

K「それも含めて、誰かのためにってことですね?」

「そう、自分以外の誰かのためにっていう風に。」

K「面白いな~。これまで7、8年ガムシャラに働いてきたその土台の上に、
これからは『誰かのために』って行動していくんですよね。なかなか、出来ないことですよね。」

「NGOとかそういう社会的活動はすごいなって思うけど、基本的に利益無くして企業無し
みたいなね(笑)APM卒だし。そういう風に考えてきた。」

K「お話聞いて思ったんですが、これから先どこかで非営利セクターの仕事をしている
APU卒業生と会って話をしていくと、お互い良い刺激になるかもしれませんね。」

「確かに!今なら、そういう話題もすごく興味を持って聞けると思う。
昔はそういう会とかに座ってるのが苦手だった。」

K「いや、是非これから30歳を迎えるところでAPS、Mまとめて皆で話すと、
突拍子も無いことになりそうですね。」

「是非企画して(笑)」

Q、同じAPU卒業生へのメッセージをお願いします。

「いつかどこかで!(笑)みんなそれぞれ頑張ってるって思ってるから。
だから、『いつかどこかで』。あとはベトナムに来たら連絡ください。」

Q、APUの現役学生、未来のAPU生にメッセージをお願いします。

「迷ったら入らないほうが良いと思う。でないと、四年間あんな田舎ですごせないよ(笑)」

K「迷ってるなら入るな。と?(笑)

「いや、迷ってるならもっと考えなさいって。環境が助けてくれるわけでは無いから。
情報量や、出会う人の多さで言えば、都市部の大学の方が多いし。
何が大事かで入る大学も変わってくるはず。」

K「就職を控えている子たちにはどうですかね?」

「ちょっと言いたい!(笑)続かないんだって、最近の若者は(笑)
一年くらいで辞めてしまう子が多い。『実はやりたいことがありました』みたいな事言って、
でもそれは勿体ない。せっかく苦労して入ったんだから、
やっぱり3年ぐらいは続けた方がいいと思う。もうちょっと忍耐。」

K「明確な目的意識があって、この会社に就職するってよりも、
就活自体が儀礼化している節もありますよね。みんなやるから、オレもやるみたいな」

「日本だけにこだわらなくても良いと思う。海外も視野に入れたら可能性は広がるよ
でも、仕事だから、やっぱり割り切って続けてほしいかな。もうちょっとだけ頑張ってよ。ってね」

K「入学したての子にはどうですか?」

「とりあえず前向きに楽しんで。だよね。大学時代って一番良い時期やから、
悩むこともあるけど、どういう状況でも楽しんで欲しいな。」

「あとは、ベトナム人が良く言うのは、『日本人は、大学まで出て何してるんや』って。
大学に行かせてもらってる、っていう自覚が少ないと言われてます。それはそうだなって思う。」

K「たしかに旅していても、自分は大学で何を勉強してたっていう
自己紹介から入ってくる人は多いですよね。
それだけ、ちゃんと勉強してきたっていう自負もあるんだろうし。」

「大学を出るって言う事が、凄い有難いことだって思って、
その四年間を無駄にしないで大事にしてほしい。悔いのないように楽しんで欲しいな。(在学中は)私も気づかなかったけどね(笑)」

K「みんな、そうですよ(笑)。インタビューは以上になります。
本日はお忙しい中ありがとうございました。」

④インタビューを終えて
終始淡々と、控えめに語ってくれたトモコさん。

しかし「日本人として生きる」こう語ってくれたトモコさんの言葉はとてつもなく重いものでした。
フィールドがどこであれ、国際社会の一員として世界の中で生きていく以上、
否が応でも「自分は何者か?」と問い続けることになります。

例えば日本人であれば、日本人として誇りを持って、
且つ妥協せずに生きていくことが自然と必要とされるでしょう。

トモコさんは、さらっと言ってのけたけど、、
しかし、実際にはそれはとても難しいことのように思われます。

なぜなら妥協をせずにぶつかっていくことは
大きなエネルギーを必要とすることだし、
なにより結果を出さなければ相手を納得させられないからです。

遠くベトナムの地でベトナムの人々の中で仕事をする。
その中で、日本人として譲れない部分を貫き続ける。

私たちに同じことができるでしょうか?

多くの人が妥協する、もしくはそもそも誰ともぶつからない道を選んではいないでしょうか?

そして、このことは何も社会人だけの話では無く、
APUでの学生時代でも、そうあるべきだろうと思います。

大切なことは、恐れずにお互いが譲れない部分をぶつけあい、
理解し合い、そして新しい道を見出すことではないでしょうか?

それこそが、リアルリトルワールドとしてのAPUが持っている
可能性の一つであると改めて思いました。

最後に、この暑いベトナムの地で、
社会人としてそれらを実践し、たくましく生きて抜いている先輩がいることを
私たち夫婦は誇りに思っています。

以上
(ちなみに、トモコさんが誰だかわかっても、
ご本人のお名前をSNSやツイッターなどで公開することは控えてくださいね☆)


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ハノイ 素敵な宿①

ラオカイからの列車旅も無事に終え
早朝にハノイ駅へ到着


早速予約してある宿に向かいます。

7時過ぎにもかかわらず、
宿のスタッフは丁寧に応対部屋にも
すぐに通してくれました。

とりあえず、初のベトナム朝食を!
ということで街に繰り出します。

ホテルは旧市街の中にあり、
周辺は朝から賑やかな場所です。


10年ぶりのベトナムで見かける、
シクロや傘をかぶった人々の風景に
すこし心がなごみます。

そして何気なく入った、
道端のフォーがとにかく美味い。

一瞬にしてハノイが気に入りました。

さて、この日は千明さんの誕生日ということもあり、
いつもより高め(二人で一泊二千円)の部屋に泊まっていたのですが、
それを知った(パスポート情報からかな?)宿のスタッフが
サプライズで誕生日のお祝いをしてくれました。


ケーキやでっかい花束を用意してくれて
お出迎え!

このホスピタリティには
夫婦ともども感動!


このあと宿のスタッフのみなさんと
ケーキを一緒にいただきました。

この宿の名前は「ゲッコ―ホテル2」
ここには一日しか泊まらなかったけど、
その後も何度もお邪魔しては
コーヒーなどをご馳走してもらいました。

ハノイでの宿泊先を考えている人には
是非訪れてもらいたい素敵な宿です!

以上

2011-07-30

「ここはベトナム、美味しい国」 ラオカイからハノイへ

ついに到着した
ベトナム!川を一つ隔てるだけで
全ての雰囲気ががらりと変わるから
不思議!!

国境からタクシーで
ラオカイ駅へ!

50000ドン取られましたが、
少し高めですね。

駅に着くと早速電車のチケットを買おうとしますが
窓口は11時から2時までお休みとのこと。

駅入り口前には、鉄道チケットのダフ屋さんがいて、
寝台車両の切符を売りつけてきます。

ここベトナムでは鉄道チケット(特に寝台)は
旅行会社とダフ屋によって買い占められるのが常
との情報がありましたが、実際その通りの様です。

チケットを買う前にまずはベトナムドンをゲットしようと思い、
両替出来る場所をさがしました。

駅周辺の売店のおばちゃんやらが、
しつこく寄ってきて、両替ならここでできるよと
言ってきたので、お店の青年にレートを聞くと
500元(約6500円)が100万ドン(約4000円)とのこと。

「話にならないよ(笑)」というと
「ラオカイじゃこれが普通だ」と言い返してきました。

その後、すぐそばの駅前で一番立派なホテルに入って
両替レートを聞くと150万ドン(約6000円)とのこと。

まぁ、何事も慌てないことですね。

午後二時再び列車のチケットを求めて
窓口に行くと、
「今日の分のチケットはもう無い」
とのこと。

しかし、そのやり取りのそばから
「今夜のチケットあるよ」
と再びダフ屋のオバちゃんが寄ってきます。
駅員さんも注意するでもなく、
やっぱり、ベトナムではダフ屋行為は公然と
行われているようです。

結局ハノイまで一部屋四人の寝台席2席を
一人55万ドン(約2200円)で購入。

出発は夜八時過ぎなので、それまでを
こちらのカフェですごします。

駅前にあり、内観もおしゃれ。
Wi-Fiもつかえ、ドリンクメニューも豊富。
しかも、値段もそれほど高くありません。
こちらで6時間近く過ごさせてもらいました。


昼間はガラガラだった駅前も、夕方6時を過ぎると
次々に出発する列車に乗るために
大勢の人であふれかえります。
その喧騒を横目に、乗り込んだ列車は
時間通りに出発。
一路ハノイへと向かいます。

車内はこじんまりとして其れなりに清潔。

特に有難いのが、中国と違い
トイレが常に綺麗なことです。

また、この路線はかつて
千明さん寝ている間にがパスポートを取られた路線です。

なので、列車内での警戒レベルを4にあげて、
がっちりガードして眠りにつきました。


結局、無事に朝を迎える事が出来ました。


移動中切符の確認したら、
あとは特に何もすることの無い車掌さん。

何はともあれ無事にハノイへ到着!
さぁフォー食うぞ!


2011-07-29

「大盛りにしといたのよ!」 世界達人列伝 タイ国鉄の女

みなさんはご存じだろうか?

バンコクからシンガポールへ鉄道で南下する
いわゆる「マレー鉄道」の存在を。

名前は聞いたことがある人も多いだろう。

実際にはタイ国鉄とマレーシア国鉄の二つの会社により運営される
国際路線であり、マレー鉄道の名は通称である。

今回はそのマレー鉄道内で出逢った達人をご紹介。

その日私たち夫婦は
バンコクを14時に出発する列車に乗り込んだ。

チケットは寝台席で、日中は座席として使用でき、
夜には上下団のベットへと早変わりするというものでした。

乗り込んで早々、向かいの席の中国人のおばちゃんたちと
つたない中国語で仲良くなり、約20時間に及ぶ列車旅も
とても快適なものになりそうな、そんな予感がしていました。

あの時までは・・・。

車窓に流れる風景に見とれていた夕方5時ごろ、
車掌服を着たおばちゃんが
おもむろに私たちの席に近づいてきます。

そして
「晩御飯だけど、列車で食べるとお得よ?」
と満面の笑みでメニュー表を私たちに見せてきました。

どこかで弁当でも買えるやろ。
そう考え晩御飯の用意もしていなかった私たち。
メニュー表の値段を(ちらっと)見て

「まぁ、少し高めやけど(200バーツくらい)せっかくやし列車で食べようか?」
「(嫁)そうね、結構美味しそうやしね。」

ということになり、トムヤムクンセットなどを注文。

「食事の時間になったら運んでくるから」
という言葉を残し、おばちゃんは一旦去って行った。

約一時間たったころ再びおばちゃんが登場し、
食事用に机(各席に備え付いている)をセット。
小分けされた料理を丁寧に並べてくれ、
さながら食堂車の雰囲気を演出してくれる。

それらの作業が一通り終わるとおばちゃんは
またまた素敵な笑顔で

「250バーツよ」

と手を出してきた。

一瞬
「あれ?意外と高いな?」
と思ったものの

料理の到着を「いまか」とを待ちわびている他の乗客の手前もあり

「はい、じゃ250バーツね」
といって支払いを済ませた私。

なにはともあれ、これでディナーを楽しめる!
ということで食事を始める私たち。

しかし、食べ進むほどに、美味しい食事とは裏腹に
段々むずがゆい感情が広がっていきます。

「なぁ、これやっぱちょっと高すぎん?」

「そうやね。もしかしたらやられた(ボラれた)かもよ」

「というか、確実にやられたな。」

私の心にあったモヤモヤは確信を帯びてきました。
けれど、まだ
「でも、国鉄やし、そんなことするかな?」
「何より、あのおばちゃんの素敵な笑顔を信じたい。」
という気持ちと

「けど、どう考えても200バーツ位にしかならんもんな」
という気持ちが綱引きをしています。

そうこう心の中で葛藤していると、
食事が済んだ様子をみて
再びおばちゃんが登場。

「美味しかったでしょう?」

と再び満面の笑みで語りかけながら、
お皿を片づけて行きます。

「ええんや、これでええんや。」
「疑ったらいかん、誰かさんも信じる者は救われるって言ってたし。」

とかなんとか、僕は心の中で何度もそう唱え
モヤモヤを押し込めていました。

しかし、その後もモヤモヤは心の中で僕に問いかけてきます。

「ホントにいいのか?ここで引き下がったら、
あのおばちゃん次の日本人もボッタくるぞ」

「けど、確証もないし・・・」

「やったら、メニューもう一回だけ見ればいいやん。
そして値段確認だけすればいいやん」

「確かに・・・」
などといった心の葛藤を経て、私はついに勇気を出して
再度通りかかったおばちゃんに言ったのです。

「ちょっと、さっきのメニュー見せてもらえませんか?」

次の瞬間

ギクっ!!!!!

はっきりとそう音が聞こえそうなほどの
オバちゃんのリアクション!!!

(やっぱり、ヤリやがったな~!!)
それを見て私も徐々に興奮してきました。

それでも、百戦錬磨のおばちゃん、
平静を装いつつ、必死にごまかそうとして

「ハイ、メニューです(真顔で)」

とコーヒーとかの値段が乗った軽食メニューを出してきた。

「ちゃうちゃう、さっきのや!さっき食べた夕食のメニューや!」
と興奮を抑えつつ、オバちゃんに訴える私、
オバちゃんしぶしぶ夕食のメニューを出します。

それをじっと見る私。

そして自分たちの頼んだものの値段を計算すると
どう見ても40バーツ以上多く払っていることは明らか!

「助けていいんだとわかった時の あいつらの強さに 限度なんてないんだからっ」
というONE PIECEのナミのセリフを思い出しつつ、

いま、確信をもった私はオバちゃんを問い詰めます!

「いや、僕らが頼んだのコレとコレでしょ!コレとコレだと
合計してもコレだけにしかならんでしょ?」

「てか、ここにあるどのメニュー足しても250バーツにはならんでしょうが~~!」


オバちゃんピンチ!!

一生懸命計算する(フリ)!!

「コレとコレを足してコレでしょ。」

「そうや、あと40バーツもどこにあるんや!」

「・・・!!そうだ、じつは、ご飯大盛りにしといたのよ(笑)。」

!!!!!

「えっ?」

「ハぁ!?」


「いや、だから私がご飯を(勝手に)大盛りにしといたのよ。」

「いや、それで40バーツ? え!? しかも頼んでないし?」

「とにかく、だから合計するとそうなるのよ(笑)」

「ハぁ・・・。ワカリマシタ、モウイイデス。」


こうして最大の危機を乗り越えた、
オバちゃんは満面の笑みでその場を去って行きました。

「だめや、あのオバちゃんには会った時点で負けとったんや」

そう落胆する私たちをよそに、
地平線に沈む夕日はただただ美しいのでした。


PS

その数時間後、何事もなかったように
「明日の朝食だけど・・・」

と言って満面の笑みでメニューを出してきたオバちゃんに
怒りを通り越して、尊敬の念すら持った私たちでした。

以上

「さらば中国また来るかもね」 河口からラオカイ 国境


ベトナムとの国境の町河口(ハーコウ)

バスで到着した瞬間
雰囲気が違う事に気づきます。

ベトナムの香りがそこかしこに
漂っています。

宿はバスを降りてすぐの
宿で一泊一部屋50元

正直綺麗なものではありません。
シャワーも浴びれませんでした。

河口の街は独特の雰囲気のある街で、
夜などはずいぶんと賑やかです。

ただ、食事もあまり美味しくなかったし、
長居するには向かないように思います。

一晩寝て、翌日昼
ついに国境へ向かいます。

中国出国時の検査がやや
時間を喰いましたが、
何事も無く通過。

ベトナムへとは川を隔てており、
出国後橋を渡って中国を出ます。

橋の上から、中国を振り返って、
正直「ついに出られる!」
という喜びの方が大きかったです。

いずれにせよ「中国はでかい!」

ただただ、そう思わされた二カ月半でした。

さぁ、いよいよ三カ国目、ベトナムへ
 美食と出逢いに満ちた日々へ!




2011-07-28

昆明から河口へ 長距離バスの旅。

昆明での一週間の滞在を終え
無事にベトナムへの観光ビザ一か月も取得できたので
一路国境の町河口(ハーコウ)へ向かいます。

昆明市中心部からまずは郊外にある
バスターミナルへ一時間半かけて向かいます。

バスターミナルはとても立派で
中国各地への路線がそろっています。
ターミナルにはDICOSはじめ
食堂や売店も多数ありますので
心配いりません。

但し、ターミナルのトイレは
パーティーホールみたいなニーハオトイレです。

待合室の風景。

乗り込んだバスは快適なもので、
車内にトイレも設置されたものでした。

ほかの路線のバスも基本的には
日本で走っている高速バスと同じレベルでした。
昆明から各都市への移動は
バスが有効かも。

早速乗り込んだバスは満席。

バスの中では映画「スピード2」を流していて
それをみてベトナム人らしきおばちゃんが
終始笑っていました。
(船が港に突っ込むシーンなどは爆笑)

ちなみに河口に入る30分前に
公安の検問があり私たちもパスポートなどを
一時的に回収されました。

その際、何故か
2人ほど中国人の乗客がバスを下されてしまい、
彼らは戻ってこないまま、そのままバスは出発してしまいました。

一体彼らに何があったのか?
不思議な国です。

次は河口です。

2011-07-26

「米が美味い街、昆明」

地獄の硬座を乗り越えて、
ようやくついた昆明。


これといって特別な事はしませんでしたが、
なかなか興味深い都市でした。


上の写真はとある公園の日曜日
歌うたいのオバちゃんと、周囲には楽器を持ったおじちゃんが数人。

その美声を聞くために老人が何重にも輪をつくってました。
公園の外まで観客が溢れる始末

中国の公園は本当にどこもエネルギッシュ!



つづいては昆明名物 
名前忘れちゃったけど、
米麺にいろいろ乗せたやつです。

辛みが強いけど、
あっさり食べられて美味しい。

そのほかにも、昆明で感動的なのは
とにかく米が美味いこと。

しかも至る所に台湾料理のお店が多いことも
嬉しい限りです。

とにかく西安以降ずっと
マーラーの呪いに悩んでいた私たちにとって
昆明の食事は天国でした。


これは昆明の宿(ユースホステル)
私たちが旅した中では中国全土のユースのレベルは
本当に高かった。

ここもブーゲンビリアが美しい宿でした。




ま、そんなこんなで、昆明ではたっぷり休養をして、同時に
ベトナム領事館でベトナムビザを取得しました。

ビザについては気になる方はご連絡ください。

次はいよいよベトナムに向けて
国境の町河口(ハーコウ)へ。

2011-07-25

世界八十八湯温泉道 第14湯 昆明 「安寧温泉」

『世界八十八湯温泉道』
これは私たちが愛し、誇りにしている別府の温泉文化そのものと、
『別府八十八湯温泉道』を世界中に広めるための取り組みです。

*******************************************************************

今回訪れたのは中国は昆明の安寧温泉の天下第一湯


まずは昆明市内からバスにのります。
片道8元!

バスは約一時間で安寧温泉地区につきます。

ここには日本の田舎の温泉地のような風景がひろがります。
山に囲まれ川が流れ、その両脇にホテルが並んでします。

さて、私たちが訪れ天下第一湯はこちら
古くからある元湯らしいのですが、
近年大改装したらしく、アジアのリゾート風の外観になっております。


個室浴槽のある二階から眺めた中庭。
こんこんとお湯が沸いています。

さて私たちの通された浴室はこちら

細かいタイル張りの浴槽は、
長湯温泉ラムネの湯を思わせる雰囲気です。
お湯は使い捨て方式。


お湯は柔らかいものの、
しっかりと中身のある良い湯です。
中国内陸部の温泉は外れなしかも。



昆明に在住、あるいは旅の途中でリラックスしたいなら、
立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

温泉地名:安寧温泉
料金:入湯料金一室50元~

泉質:アルカリ性の湯、別府で例えると北浜沿いの旅館などに似ている。
入りやすいお湯です。

アクセス:昆明の中心部から、バスで一人片道8元程度
バスは一時間に一本

≪評価≫

清潔さ:3
泉質:3
人情/ホスピタリティ:2
コストパフォーマンス:3
興味をそそるユニークさ:2
雰囲気:3
合計:16点 /30点満点


2011-07-20

「地獄の18時間」 成都から昆明へ 中国鉄道 硬座の旅

なんだかんだで、成都Sim'sに20日近く滞在しました☆
いや~ほんとに過ごしやすい宿だった。

Sim'sの皆さんありがとう、お元気で!

さて、成都を出発し向かうのは南の都市、昆明。
しかし中国も夏休み時期に入っており、
鉄道寝台のチケットは10日先まで常に完売。

やむなく硬座旅を決断しました。

まぁ、硬座といっても
日本の電車の普通の席です

シートは倒せないけど。

その電車で18時間の移動となります。
正直シート自体の辛さも応えますが
それ以上に参ったのが、
人の多さです。


御覧の通り、指定席無しで乗り込む人は
全員この硬座車両に集結します。

廊下は荷物と人であふれかえり、しかもやかましい!!

私たちの席にも先に座っている青年がいて、

「すみません、ここ俺らの席なんですけど?」
というと

「いや、こうやって詰めれば、座れるから、あんたも早く座りな」
と答えてきます。

「いや、あんたチケット持ってんならみせて?」

「いや、だからここ座れるじゃん。ほら座れよ!」

「そういう、問題じゃないんだよ。どいてくれ!」

「ち、しょうがねぇな。」

といった
いちいち面倒くさいやり取りもあり。

すっかり疲れ切ってしまいました。

本来は床と、階段が移るショット

硬座車両はその後も様々な手で
私たちをいら立たせてくれます。

何時になっても、
鳴りやまない携帯の着信音。

車内で堂々とタバコを吸うオジサマ方。

と行った具合で、
身も心もボロボロになってしまいました。

とはいえ、
明け方近く、昆明に近づくにつれて人も降りて行き、
段々と車内も過ごしやすくなりました。

昆明、到着した車両。硬座は二階建
ようやく昆明に到着したのは
お昼過ぎ。

私たちの脳に
「もう二度と乗りたくない乗り物」
として記憶された、中国の鉄道硬座旅でした。

以上



2011-07-19

「ワタシこれからミーティングがあるので...」世界達人列伝 中国交通銀行の女@成都中国

私たちは妻の体調不良もあり、
成都のSim'sになんだかんだでトータル三週間近く滞在してしまった。
いいかげん飽きてきたので
少し無理して列車硬座(ハードシート)での移動を決意し
その日、19時20分成都発昆明行の発車を控えて、慌ただしく準備をしていた。

成都駅に向かうおよそ二時間半前、
私は一人でお金を引き出しに銀行に向かった。

財布に多少の余裕はあったが、
「どうせ昆明について引き出すことになるから、慣れている成都で今のうちに、、、」
という軽い気持ちだった。
(この時はまだ、これから起こる惨事など想像もしていなかった。)

宿から五分ほど歩いたところにある中国建設銀行に到着。
店舗に隣接するATMにカードを挿入し、暗証番号を入れる。
すると画面に「カードが読み取れませんでした」と表示が、
「あれ、おかしいな?」と思いながらも
とりあえず、カードの返却ボタンを押した。

するといきなりATMがダウン!
(しまった、これが噂に聞いてた、カードが吸い込まれたまま戻ってこないってヤツか!)
と後悔しながらも、店舗内に居た警備員に冷静にカードが出てこない旨を伝える。

良くあることなのかすぐに理解して、奥に居る行員に伝えてくれた後、
「そこで待ってて」とジェスチャーで伝えてきた。

「なんとかなりそうやな」とホッと一息をついたのが間違いだった。

10分ほど待っていても何の変化もない。
その直後、いきなり店舗とATMコーナーの間のシャッターが閉まり始めた!!
(5時だから?)

(これはやばい!)
嫌な予感を遮って、慌てて店内へ駆け込み、
「ちょい、ちょい俺のカードどうなってんの?」
と警備員に詰め寄る。

警備員のおっちゃんは慌てて行員の女の子を連れてくる。
その子は英語が話せるらしく

「どうしました?」と聞いてくる。

「(どうしました?って)いや、カード出てこないんですけど?」

「あぁ、カードですね。すぐ出ますから。ちょっと待っててください」

(忘れとったんかい!けど、これでなんとかなりそうや)
「分かりました。ATM前で待ってればいいですね。」

「はい、そうです(笑顔)。」

さらに10分待つ。一向に動きが無い。
徐々に、列車の発車時刻も気になり始めたので、再度店舗へ。
さっきのお姉さん(何故かお茶を飲んで休憩している)に
「あの、カードまだですか?時間が無いんですけど?」
と聞いた。

すると、お姉さんがいきなり
「ごめんなさい。実はATMの鍵が壊れてしまってて
明日にならないと開かないんです。」

「は?(なんでそれを先に言わんのや!とのイラダチを抑えつつ)
そんなわけにはいかんのです。今夜昆明に行って、そのまま
ベトナムに向かうんやから。必ず今日中にもらわな!」

「そうなの。(奥の別の行員のおばちゃんと相談して)
う~ん、わかりました。なら20分だけ待ってください。
これから、ATMを開けられる人が鍵を持ってここに来ます。」

「ホントに?ホントやね?OK分かった、なら20分だけ待つわ。5時20分までやで」
と、中国人と言い争う時は、何故か関西弁っぽくなる自分を客観視しつつ、
店舗内のイスに座って、さらに、じっと待つこと20分。

ふと、開いた奥の扉から
さっきまで話してたお姉さんと、その相談にのっていたベテラン女性行員が
普段着に着替えて、化粧もばっちりきめて、電動バイクを押しながら出てきた。

(まさか!)

そのまさかである。
次の瞬間、お姉ちゃんは「お疲れ様でした~」的なことを行員仲間に告げ、
帰ろうとしたのである。

「(慌てて)ちょっと!待って!待って!
いやいや、帰っちゃだめでしょ(笑)。こういうときは帰っちゃだめなの!(日本語)」
「つ~か、帰るにしても、誰かに俺のカードのこと言ってるの?」

(奥でお茶飲んでるお姉さんを(適当に!)指しながら)
「え~~っと、あの人が知ってます」

「で、あの人英語喋れるの?(イラッとしながら)」

「いいえ。喋れません。」

「じゃ、ダメやん!」

「でも、あと20分で鍵を開けられる人が来ますから大丈夫ですよ(笑み)」

「いや、さっきお姉さんそう言ってたけど、もう20分たったやん!もう5時20分なの!」

「・・・(困った顔しながら)」

「とにかく、開けられる人が来るまででいいから居てよ。もうすぐ来るんでしょ?」

「けど、私このあとミーティングがあるので、、、」

!!!!!
(何がミーティングじゃ!どう見ても合コンやんけ!
化粧ばっちり、おしゃれして、外で手招きしとるオバはんも
ばっちりキメとるやんけ!ミーティング言うたら諦める思ったんか~!!)
と心の中で絶叫しつつ、
「それでも、俺にはあなたが必要なんだよ」と
(実際には英語でI need youと妻にも使ったことのない言葉を使いながら)
訴えた。

すると再度、奥に下がり誰かに電話をして戻ってきた、
「5時40分までに必ず来るって言ってるから安心して」
と言ってきた。

「申し訳ないけど、もう、信じるわけにはいかんわ。
もし、40分までにカードが取り出せなかったらどうするの?」

「なら、明日カードを郵送で送りますよ。」

「どこに?」

「日本でしょ?」

「いや、日本じゃなくて、ベトナムに行くっていうたやん。」

「あぁ、そっか(笑)」

怒る気力も無くなった私は
「もう、いいわ、お姉ちゃん帰っていいよ。
その代わり、もし今日カードもらえんかったら
明日友達に取りに来てもらうから、その人に渡してな」

「わかりました。その人にパスポートかIDを持ってくるように言ってくださいね」

「(その辺はちゃんとしとんのやなと思いつつ)分かった、やからもう帰り」

お姉ちゃん、静かに電動バイクのエンジンを(店内で)かけ
去り際に一言
「本当にアンラッキーでしたね。バイバイ(笑)」

!!!?
(アンラッキーやなくて、お前らの不手際オンリーやないか~い!!)
と心の奥で突っ込みつつ、あまりの衝撃に言葉を無くし、ただ手を振るばかりでした。

幸いその後10分も立たないうちに
鍵を開けられるというおっちゃんが登場し、
ATMからなんなく私のカードを取り出してくれたのでした。


追伸
このあと取り出したカードを何故か奥に持って行ったオバさん行員に
「パスポートが無いとお渡しできません」と言われて
ついにブチキレた件は、もう疲れたので書きません。

以上

2011-07-15

「バカな話は男同士でしかできない」 成都Sim'sでの出逢い。

三度Sim'sへ戻ることになった私たち。

康定からSim'sについたその時に
早速思いがけない出逢いが待っていました。

宿で働いている日本人スタッフのリイチさんが、
私たちの顔を見るなり、

「おんなじ会社の人が来てますよ。」
と教えてくれました。

はて?おんなじ会社の人?
さて、誰だろう?
知ってる人だろうか?
と思いながらSim'sのレストラン二階に行ってみました。

すると、驚いたことに
以前勤めていた会社の同期がいるじゃないですか!

「あれ、こんなとこで何しよんの?」

「いや~オレも仕事止めて世界一周に出たんだよね」

「えっ!?そりゃまたアホなことしたな~(笑)」

と言った感じで再会を果たしました。

そして、その場には他に
病院を止めて世界一周に出てしまったお医者さん。
小学校の先生を辞めてチベットを撮りに来たカメラマンさん。
そして女性に思わず抱きついてしまいようになる鬼畜(笑)さん。
といった個性豊かな旅人が勢ぞろいしておりました。

この旅で、これまで
日本人との絡みは敢えて避けてきた私たちでしたが、
彼らとの時間は
久しぶりにバカで熱い楽しい時間となりました。

「夜の成都散策」
「心霊体験語り合い」
「アムウェイの歯ブラシは良い」
「あなたはデブを愛せますか?」
「フロイトって何?」

など数々の名場面が思い起こされます。

とにかく、私(賢太郎)自身はこのことがきっかけで、
この後各地で日本人旅人と絡みはじめます。

吉田さん、エイちゃん、りいちさん、大ちゃん、ユウト。
地球のどこかで再会する日を楽しみにしてます!!

それまでお元気で!









2011-07-09

世界八十八湯温泉道 第13湯 二道橋温泉

『世界八十八湯温泉道』
これは私たちが愛し、誇りにしている別府の温泉文化そのものと、
『別府八十八湯温泉道』を世界中に広めるための取り組みです。

*******************************************************************

今回訪れたのは中国四川省は康定(カンディン)の
二道橋温泉です。

中国とは言っても康定はチベット圏です。
街の標高も1900メートルと高いところにあります。
二道橋温泉は街から4キロほど離れたところにあり、
私たちは徒歩で訪れました。


写真の通り、外観は大変立派な中国風の造り。
何より嬉しいのが、建物に近づくにつれて硫黄臭が!!

久しぶりに別府の明礬を思い起こさせる
良質の湯の予感。


温泉の入り口 足湯が設置してある。



フロントでは広さごとに値段の違う浴室を選びます。
私たちは一室一時間40元(520円)の浴室を選びました。

フロント横の売店では水着なども売ってます。
これは、個室浴場とは別に、温泉プール施設もあるからです。


さて、問題の温泉はというと。。。





写真でもわかるように、

見事な白濁!!
湯の縁には湯の花もしっかりついています。

泉質は文句なし!!
温度も適温です。

久しぶりのリアル温泉に心も体も癒されました!

ちなみにこちらが隣のプール


家族連れで賑わっていました。

≪一般情報≫

温泉地名:二道橋温泉

料金:入湯料金一室20元~

泉質:強酸泉、別府で例えると明礬湯本屋旅館
アクセス:康定の中心部から、4キロ
徒歩またはタクシー10元程度
≪評価≫

清潔さ:3
泉質:5
人情/ホスピタリティ:3
コストパフォーマンス:3
興味をそそるユニークさ:3
雰囲気:3

合計:20点 /30点満点


2011-07-07

丹巴③ 宿

丹巴でお世話になったのもユースホステル。
成都のSim'sにチラシがあったので、そのままこちらへ。

『扎西卓康青年旅舎』



滞在日:7月5日~8日(3泊)
料金:一泊ツイン60元/部屋
アメニティ:特になし。シャワー・トイレは部屋の外。窓はあり。
廊下にウォーターディスペンサーあり。



安くてなかなか使い勝手良い宿でした。
窓からは山。



バスターミナルからは遠いですが、タクシーで5元くらい。

スタッフで英語を話せるのは一人でしたが、
みんな親切でスマイリーです。

トレッキングのアレンジは宿のご主人に依頼しました。

****************************************************************************

さて、日々の食事ですが、こちらでも
「毎日同じ所で食べて店の人と仲良くなる戦法」
でいきました。

他に特に美味しそうなところがなかったせいもあり、
朝昼晩本当に同じ店。

宿の近くのごくごく普通の食堂です。



いつもご飯をつくってくれる看板娘のお姉さん。
美人なうえに気が利いて、さらに中国では珍し笑顔の接客。

調理場が思いっきり見えるお店なんですが、
ここのまな板、豪快に丸太をそのまま使用しています。



二人で食べてもいつも20元ちょっとです。

美味しいご飯をいつもありがとうございました。

2011-07-06

丹巴② 一山越えて隣町へ

今朝は合計5時間の山越えトレッキングです。
朝から気合を入れてのぞみます。

朝7時、宿の主人に中路の入り口まで送ってもらいます。
ご主人の車、フォルクスワーゲン。
こういうとこに住んでるんなら4駆とかのほうが
安心じゃないのかな…なんて余計なお世話。

山道をつづら折りにガンガン登っていきます。
通学途中の小学生が笑顔でヒッチハイクしてくるのが印象的。
(拾わないけど)

毎日こんな山登ってるのか~と脱帽。

30分ほどで着いたのは、
「こんなのとこに人が住んでるのか?!」
というような山の上。

けれど、中路への門が開かれると、
なにやら観光案内所か宿のようなものが出現。



一面にトウモロコシ畑も広がり、向こうの方には
石の塔もちらほら。

朝靄がかかって、なんとも言えぬ静かな美しさです。

さぁ、ここからトレッキングスタート!

山を越えて隣の村へ行くので、前半はひたすら登りです。

案内してくれるのは、50歳くらいのチベット人のおっちゃん。
羽のついた帽子がよく似合ってます。

彼には私たちと同年代の子どもがいるそうですが、
山で生活してるだけあって、息も乱さず登っていきます。

対する私たち、最初っから「ゼーハーゼーハー」。
おっちゃんに何度も「クーイーマ(できるか)?」と確認される始末。

空は曇りがかって、トレッキングにはまぁまぁの天気。

中華料理で私たちがなるべく避けてきた山椒の実が
通り沿いの木にたわわに実っています。
こんなに作ってどーするの!


木になってる赤いのが山椒。

道中には、牛、豚、鶏、ヤギ、いろいろおります。
特に牛や豚の放牧(お散歩?)コースは、やつらのう○こだらけ。
それにたかるハエも大量にいます。



けど、こういった姿をみて思うのは、
山の上とはいえ決して貧しい生活では無いんだな、ということ。

畑には作物が青々と茂り、ありとあらゆる種類の家畜がいる。
食べ物も水もなさそうな、殺伐とした風景ではありませんでした。

そして、丹巴もこの村もそうだけど、子どもが多い!
本当に一人っ子政策してるの?というくらい、
人口比に対する子どもの割合が高そうです。

山ですれ違う子たちは、はにかみながらも挨拶をしてくれて
とっても可愛い。

カメラを向けただけでお金を要求してくる
バナウェイ(フィリピン)の子どもたちとはえらい違いです。
(それだけ観光客の数が違うということでしょうが)

話をトレッキングに戻しましょう。

ずばりしんどいです。

でも景色はいつまでたってもキレイ。
さすが、「中国一美しい村」といったところでしょうか。



バンバン写真を撮っていきたいとこですが、
なんと!途中、カメラが壊れるというアクシデントが!!!

誤って岩に打ち付けてしまい、物理的にへこんじゃったので、
どうやら直すのは難しそう…ショック。

というわけで、今後の撮影は全て iphone で。

そんなこんなで、ようやく頂上!
反対側の村が見渡せます。絶景!!




すごいところに家があるなぁ。。

あぁ!ここでおにぎりが食べられたらサイコーなのに!!!

まだお昼ではないし、当然おにぎりもないので、
ここでは軽くおやつ休憩。

しっかり休憩したら、下りはちょろいもんです。
ひょいひょい降りて行きます。

おっと、ガイドのおっちゃん、ガイドそっちのけで
ここから本格的にきのこ&山菜採りに入ります。

晩御飯のおかずかと思いきや、町で売るそうな。

我々もワラビ探しを手伝います。

途中休憩。


さて、下りに入ると体力的には楽ですが、道が滑ってよくない。

千明は合計3回もすっころびました。

おっちゃんが見るに見かねて、
危険そうなところは全部手を引いて支えてくれました。

手を繋いでさくさく山を下りていく二人に、賢太郎思わず、
「千明~俺を捨てないでくれ~~」

学校帰りの小学生。岩の陰でお昼ご飯の様子。




山を下りたら川の向こうで宿のご主人がお迎えに来てくれています。



下りはちょろいなんて言ってたけど、もう、身体はまさにヨロヨロ。

重たい体を引きずって、なんとか遅めのランチを食べに行き、
後はもう、ベッドへばたんキュー。

以上、合計300元のトレッキングでした。
(含む、送迎、ガイド、中路への入場料×2人)

2011-07-05

丹巴① 町をぷらぷら

丹巴といえば、美人が多いことで知られ、また
『中国国家地理』という雑誌で、
「中国十大美しい村」のトップに選ばれたことでも有名です。

その実力やいかに。

確かに目鼻立ちのくっきりした女性が多い気はします。
民族衣装も華やかな刺繍が美しい。

ただ人数的にそれほど美人が多いわけではないようです。

成都で会った旅人によれば、

「美人はみんな九寨溝に出稼ぎに行ったらしいっすよ!」

とのこと。なるほど。

そして、「美しい村」に関して言うと、
それは丹巴中心部ではなく、近隣の村の事だそうな。

と言うわけで、翌日、中路(Zhonglu)から梭坡(Suopo)への
トレッキングを申し込みました。

******************************************************************************

今日はとりあえず丹巴の町をぷらぷら。

中心部といっても険しい山のふもとに沿って町があり、
間を川が流れています。




青年たちのすぐ前は、切り立った崖。



小さな町かと思いきや意外と賑わっており、
歩行者天国まであります。


写真左奥からスタート。


多くの店の門構えはチベット風。

さらにあるいて行くと、おやおや、大きな音楽とともに、
人々が輪になって踊ってるではないですか!

半分くらいは民族衣装を着てるかな。



なんだか日本の盆踊りを思い出して懐かしい。

こうして一日目、終了。