2011-09-24

「『起業しろ!』だよ(笑) 」 APU卒業生インタビュー第八弾 ベトナム Nga (ナー)さん

今回、私たちはインタビュー前日にNgaさんが経営する「MESS」の一店舗にお邪魔しました。

まずはそちらのご紹介。
場所はハノイの中心部ビンコムタワーのすぐそばです。


まず驚くのがお店の外観のおしゃれさ。
ここだけ渋谷です(笑)。

お店の中に入ると、
千明さんは終始「へーカワイイ~!」と叫びっぱなし。。

お店のスタッフさんもフレンドリーで
初めての訪問ながら、居心地の良い雰囲気でした。

「こんなお店の経営をしてる卒業生ってどんな人やろ?」
そう思いながらインタビュー当日を迎えたのでした。

今回のインタビューもベトナムはハノイから。
場所はオペラ劇場近くのお洒落なカフェ(My Way)です。

Ngaさんはこのインタビュー直前にも
N○Kさんの東京カワイイTVにも取材されるような方です。

なので、初めてお会いしたNgaさんのあまりの美しさとオシャレ具合に
夫婦共々緊張しっぱなし!終始ドギマギしてしまいました(笑)

(Facebookプロフィール写真より)

もちろん、お話の内容も刺激的でした!!
では、以下インタビュー内容をお楽しみ下さい!!


氏名    Hoang Viet Nga さん
卒業年度 2004年春 (2000年秋入) 
学部    APM
出身地  ベトナム、ハノイ
職業    NAA Co., Ltd. 経営者

(以下、KはKentaro、CはChiaki、それ以外はご本人)
①卒業から現在まで

K「まず卒業はいつになるんですか?」

「卒業したのは2004年の春です。
入学したのは2000年の秋なんですけど、
実質3年半で単位を取り終えて、その後大学には行きませんでした。」

K「じゃあ、早期卒業をされたんですか?」

「いいえ、早期卒業プログラムの申し込みには間に合わなかったから、
単位を3年半で取り終えて、先生に卒論だけ先に提出させてもらったんですよ。」

K「なるほど。そして現在のご職業はと聞かれたら(笑)?」

「ビジネスウーマン?(笑)NAAという会社の経営者かな?それがメインです。」

K「なるほどNAAという会社の事業の一つとして、
MESSというブランドも展開しているんですね?」

「そうですね。洋服を創って、お店で直接販売するのがメインで、
もう一つはイベント事業みたいなこともやっています。
私がTV番組やイベントの司会などをすることがあるので。」

K「なるほど。他には?」

「そうですね。少し長くなるんですけど、
学生時代にビジネスプランコンテストがあったじゃないですか?」

K「あぁ、ありましたね。」

「私、その時ブライダル事業のプランを出して優勝したんです。
それで東京でのインターンシップに参加させて頂いたんですよ。
実はその時から、ベトナムに帰ってからすぐにブライダル事業がやりたかったんです。」

K「なるほど」

「だけど、すごく資金がいることと、
その当時ベトナムではまだそういう需要は無かったので、
すぐには取りかからなかったんですよ。」

K「じゃあ、会社はブライダル事業をやるために創ったんですね?」

「最初はそうでしたね。でもそのうち、いろいろやりたくなって、
その中の一つで、『MESS』というファッションブランドを立ち上げたんです。」

K「なるほど。」

「会社立ち上げてから今年で6年経って、
そろそろブライダル事業もやり始めたいと思っています。」

K「なるほど、ちなみにビジネスプランコンテスト後のインターンは
どこの会社に行かれたんですか?」

「テイクアンドギヴ・ニーズ(T&G)に行かせてもらいました。」

K「良いですね~。ところで話が前後するんですが、APUを卒業してからは
どういった流れで今に至るんですか?」

「まず単位も取り終わったので、半年余ったじゃないですか。
なので東京に出て、109で働きながら、洋服の事を勉強して。
他のバイトも同時進行で資金を貯めていました。」

K「109にいらっしゃったんですね!」

「短期間だけでしたけどね。その後はハノイに帰ってきて、まず市場調査から始めました。
その一環で、ブルーエクスチェンジっていうベトナムの大手カジュアルウエア・ブランドが
あるんですが、そこでマネージャーのような仕事をさせてもらったりしてました。」

C「いきなりマネージャーですか?」

「そうですね。その会社の社長さんが人間的に気に入ってくださって、
『いろいろ好きにやっていいよ』って。(笑)その時もちょうど近くの街で新しいショップをやろうとしていたので、その立ち上げのお手伝いをしたりもしました。その中でデザインや、仕入れや、
販売の勉強などを一年近くやりましたね。」

K「なるほど」

「そしてその後には、ドラマのお仕事が数カ月あって、
それが終わってからMESSを起業しましたね。」

C「いきなり女優もしたんですか(笑)?」

「いや、いきなりというよりは、
もともと名前が売れていると何かと仕事がやりやすいかなと思っていて、
それで受けたんですよ。偶然タイミング良くきたオファーですけど。(笑)」

K「面白いですね~」

「MESSオープンは2006年の6月でしたが、その年初めにドラマ撮影が終わって、すぐに起業準備にかかりました。」

K「開業資金はなかなか大変じゃなかったですか?」

「学生時代&東京でアルバイトして貯めたお金でだいぶ助かりましたね。」

K「そもそもブライダル事業などはいつからやりたいと思ってたんですか?」

「もともとビジネス全般興味があったんです。そのお金になるものと、
とにかく新しいものをいろいろベトナムでやりたかったです。」

K「なるほど」

「いまMESSでつくっているのは渋谷系のファッションなんですけど、
それも当時はベトナムに無かったので、先駆け者としてやろうって思ったんですよ。」

「ベトナムでのブライダル事業に関しても、
みんなに全く新しいチョイスを与えたいなっていう思いがあるんです。
例えばハウスウエディングみたいな、そういうオシャレなウエディングも
ベトナムではこれからじゃないかなって思っています。」

C「ベトナム人にとって結婚てすごく大切なイベントですもんね」

「最近のベトナムの若い子はオシャレな結婚式を挙げたいって子も多いし、
実際友達の結婚式に出ても、みんあお金も時間もかけているしね。
そういう意味で、ブライダルに関しては絶対これからだと思っています。
でも、ブライダルだけではなく、他にもやりたいことはたくさんあるんです。」

K「ということはNgaさんにとっては、ビジネスをすること自体に対して
好奇心があるってことなんですね?」

「そうだと思います。」

K「もともとビジネスがやりたいなと思うようになったのはいつなんですか?」

「子どもの時からみたいです。小さい時から、
私のおばあちゃんがやっていた雑貨屋さんの手伝いを誰よりも好んでやってたんです。
その時から自分は、お金づくりが好きなのかなって。」

K「へぇ~、面白いな」

「それで、中学も高校も何かお金を創る事を見つけると
興味深々だったりして。それで経営学を勉強したいと思ってAPUに入ったんです。
で実は、経営始めた当初は、株もやってみたり、土地の勉強もしてみたり。だけどぜんぜん続かず、、結局分かったのは、お金が好きのではなく、何かを新しく創ったり、それを運営したりするのが好きなんだって。」

K「なるほど。ちなみにいま、お仕事は順調ですか?」

「すごい順調ですね。おかげさまで。」

K「昨日お店にも伺ってきたんですけど、
隣のお店と比べると、めちゃくちゃオシャレですよね。」

C「あと値段が意外と安いですよね?」

「そうなんですよ。若い子向けに手の届きやすい値段設定にしてるんです。
高いものを売ってなかなかお客さんが来ないより、値ごろな値段で賑やかな感じのお店の方が好きだから。(笑)」

K「ちなみに社員さんて何人いらっしゃるんですか?」

「いまは、工場とお店2店舗含めて30人ちょっといます。」

C「Ngaさんは、日本語がすごくお上手ですけど、
大学以前に日本に住んでらっしゃったことはあるんですか?」

「子どもの時に二年ぐらい、
小学校一年と中学一年の時にそれぞれ大阪に居たんです。」

K「では、大学を決める際に、日本っていうのはそんなに遠い存在では無かったんですね?」

「そうですね。大学は絶対日本がいいってずっと思っていました。
APUもまた丁度良い時期に設立されたんで、、」

「なるほど。」


②学生生活を振り返って

Q、別府ではどこに住んでいたのですか?

「鉄輪。の安いとこ(笑)。バス停のすぐ近く。古賀アパート。
あとは何とか(鉄輪?)プリンスってところに居ました。ちなみに最初の半年はAPハウスです。」

Q、サークルやゼミ、バイトは?

K「サークルとかやっていました?」

「全然(笑)」

K「バイトは?」

「一番最初は学食でやりましたね。
そのあとはいろいろ短期のバイトをやって、城島高原でレストランやブライダルの
お手伝いもしてました。聖歌隊とかもやってましたよ。歌わされた(笑)。
けど、その時の経験でブライダルビジネスプランを書くことができたんです。
そこの男性のマネージャーさん、とてもいい人で、いろいろ教わってくださったんです。
今でも感謝しています。」

K「ちなみにその時書いたのは、ベトナムで行うブライダル事業だったんですか?」

「そうです。」

K「そのビジネスコンテストってだれが主催されたんですっけ?」

「久原先生が中心になってAPUが主催したんです。」

K「なるほど、APSだったからあんまり知らないのか?今も続いているんですかね?面白いな~☆
ちなみにゼミは?」

「だれだっけ?名前忘れちゃった。いっつも忘れちゃうんだよね。一番好きな先生なのに。」

K「ゼミの研究なんかもビジネスプランベースなんですか?」

「そうですね。」

Q、学生時代に力を入れたことは?

「ビジネスプラン探しですね。」

K「ビジネスプラン探しをするにあたって、別府っていう環境どうでした?」

「う~んとね。良くないね(笑)。なんていうのかな、(勉強など)集中するのには良い環境だった
けど、集中したあとはやり場がない。そういう意味で夏休みになるとずっと東京に行ってた。」

「というか、APUでビジネスプランコンテストに参加する前に、
2年生の時に『マネーの虎』っていう番組にもプランを出してたんですよ。
なぜかというと投資金が出るのと、自分のプランの確かさを確かめたかったから。」

K「あの『マネーの虎』にも出したんですか!?」

「収録のために、その時初めて東京に行ったんです。
その時から東京は刺激的なところだなって思いました。」

K「え?『マネーの虎』出たんですか(笑)?」

「出ましたよ(笑)。」

K「え、放送されたんですか?」

「放送ありましたよ。投資の話まで出たので、2回もです。(笑)」

K「じゃ、結果はどうだったんですか?」

「あの~吉川社長っていらっしゃったんですけど、あの方から出資頂けることになって、
ただまだ学生だったので、参加する場合、中途退学になるので、親からは
どうしても許しが出なくて。
プラス、ベトナム市場だから、投資&利益返還に関わる制度を調べた時に
少し難点がでてしまったりで、結局私から辞退したんです。」

K「面白いな~。ちなみに『マネーの虎』に出たことってAPUとかで話題になってました?」

「いえ、全然!(笑)。」

K「そもそも、大分で放送して無かったですしね(笑)」

「そう。でもそれが良かったかも。皆に見られたら絶対恥ずかしいから、、」

C「学生時代にバイトをしていた時から、将来のビジネスの資金を貯めなきゃっていう意識が
あったんですか?」

「それはありましたよ。あと、生活費も自分で稼がなきゃいけなかったし。」

Q、APUに入学したきっかけは?

K「そもそも、どうしてAPUに入学されたんですか?」

「奨学金が出たから。(笑)プラスAPUは環境が面白そうだったから。
最初は東京の大学に行きたかったんだけど、
そういう大学って入学や奨学金をもらうのも難しくって、
しかも当時はベトナムでの手続きも含むといろいろあって時間がかかりそうだったの。
だからなるべく、高校卒業後すぐ受け入れてくれて、奨学金も出て、
あとは自分の自由に活動させてくれる大学(笑)にしようと思って、APUがマッチしたんです。」

K「APUのことはどこで知ったんですか?」

「ハノイでAPUのガイダンスがあって、それにお父さんが参加してくれて
パンフレットを持って帰ってくれて、それを見てからですね。」

C「じゃ、ご両親はNgaさんが日本にでることは反対しなかったんですね。」

「もちろん。むしろ勧めてました。」

Q、別府の第一印象は?

「みんなと一緒だと思うよ(笑)。山の上なのには少しびっくりしたけど、
まぁ、勉強にはいいかなと思った。」

K「期待はずれでは無かったんですね?」

「全然そんなことは無かったですよ(笑)。」

Q、別府で好きな場所はありますか?

「全然遊ばないんですよ私。だから遊ぶのにどこがいいか全然分からない。(笑)
しいていうなら、別府じゃないけど、大分駅の近くの商店街にショッピングしに行くのがいつもの
楽しみだった。」

Q、地元の人で親しくなった人はいますか?

「深い付き合いではないけど、古賀アパートの大家のおばあちゃんはすごく親切にしてくれたり、
大分では、ファッションのお店を経営している女性オーナーの方とお付き合いさてて頂いたり。
2年前に別府にたまたま遊びに行った時もその方と再会しました。
地元の人は、とても親切だったことが今でも覚えています。」

K「Ngaさんご自身は大学2年目くらいからやりたいことがハッキリしてきたわけじゃないですか?
そうなると別府に居ることって逆にハンデになったんじゃないですか?
大学で勉強するより、早く仕事を始めたいっていう感覚ですよね?」

「まさにそうでしたね。」

K「面白いな~」

Q、学生時代の一番の思い出は?

「やっぱり、ビジネスプランコンテストに参加したことと、
それをきっかけにAPMの先生方やいろんな友達、あとは成功している経営者の方と
お会いできたことじゃないですかね?」

K「なるほど、お話が一貫していますよね。」

「ちょっとシンプルかも知れませんけど、、」

K「いや刺激になりますよ(笑)。」

K「因みに、ベトナム社会で女性起業家って多いんですか?」

「多いですよ。日本よりは多いんじゃないんですかね。
30%位が女性経営者だとか聞いていますよ。」

K「へぇ。」

「日本みたいに競争も激しくないし、共働きの文化もあるからかな。」

K「なるほど。僕10年ぶりのベトナムなんですけど、
やっぱり今のベトナムって凄く伸びそうな雰囲気を感じてます。」

C「今後MESSのお店は増やすおつもりなんですか?」

「そうですね、ベトナムの中部のダナンとホーチミンでもそのうち店舗を構えたいと思ってます。
あとインターネット通販も展開してますが、こちらも今後伸ばしていきたいですね。」

K「なるほど」


③未来に向けて

Q、APUがもっと良くなるためには何が必要ですかね?

「勉強の水準をもうちょっと上げて欲しいです。
楽だったんだけど、楽した分だけ、得たものも少なかった。」

K「なるほど」

「なんだろう。ベトナムの大学を出た人より知識が少ないかもしれない。
もちろん、環境から得たものは大きかったけど、
授業で得られた知識はあんまり無ーい(笑)。」

K「今はわからないですけどね。そういうご意見よく伺いますね。
日本社会自体で大学を卒業することが目的化していることもあるんですかね。」

K「ちなみにもしAPU生で、将来起業したいと思ってる子がいたら、何てアドバイスします?」

「『起業しろ』だよ(笑)。それだけ。」

K「なるほど」

「したいようにしたらいいじゃんって。それだけ。
私自身もこれからだし、まだ未熟すぎて、アドバイスなんてまともなのできないけど、
とにかく『やりたいことやりな』って。そのうちいろいろ道が開くから。そう思う。」

K「逆にやりたいことが無いって人も多いんですけど、そういう人にはどんなアドバイスします?」

「『結婚しろ』だよ(笑)」

K「確かにね(笑)。」

「やりたいことが無いってなんでだろうね?
まだ見つからないからだと思うけど?!どうかな。
でも、だからといって人間みんな何かに向かって走らなきゃいけないというのもないと思うし。
だって、人間それぞれ違うから、、
会社員をやって安定したい人もいれば、多少リスキーでもいろんなことに挑戦したい人もいる。
ただ自分のしていることに対してプライドを持ってやればいいんじゃないかな。
例えば、変な話、主婦になる人はやりたいことが無いのじゃなくて、家事手伝いということとか、
子供たちの面倒をみることがその人の好きなことだったら、それはそれですごくいいと思う。
逆に尊敬する。」

K「なるほど。ちなみにNgaさんが自信が無くなったり、落ち込んだりした時はどうしてます?」

「ボーっとして何も考えない。ダラーっとする。
そうすると自然にバッテリーチャージされてまた動き出せる。」

K「根本的にビジネスが好きっていうのは、やっぱり楽しいっていう気持ちが
おありなんですかね?」

「そう。すごい楽しい。仕事自体が趣味って感じ。
経営なんていつも上手くいくもんじゃないけど、いろいろ自分の思い通りになった時とか、
その達成感は最高に気持ちいい!」

K「目標にしてる人っています?」

「具体像はないけど、自分としては後々
ベトナムの中で尊敬される成功女性トップ10に入りたい。叶わぬ夢かな?(笑)」

K「いいですね。」

C「海外に出店したりはしないんですか?」

「いや、したくない。ベトナムが好きで、かつてホームタウン・ハノイに近いほど良い!
自分の国のために力を尽くしたいし、ハノイだけでもやりたいことやりきれないかも。(笑)」

K「自分に素直なんですね(笑)」

「自分の事は良くわかってるつもり。
だから、自分は自分のできる範囲だけをやっていく。」

K「なるほど。」

Q、これからの夢、目標は何ですか?

「NAAをファッションの分野でもっと地盤を固めると同時に、ブライダルとか、
美容関係だとか、いろんなことをやって育てていきたいと思ってます。」

Q、同じAPU卒業生へのメッセージをお願いします。

「ベトナムでビジネスしたい人は連絡して!(笑)
一緒に組んでいろいろやりましょう。」

K「面白いですね~」

「ベトナムで仕事がしたい人・手を組んでくれる人と出会いたいです。」

K「そういう人いるけどネットワーキングされていないんでしょうね。」

「いろんな人の強みを活かして、ビジネスやれれば最高ですよね。
あと、同じ大学の人だと安心できますし。」

Q、APUの現役学生、未来のAPU生にメッセージをお願いします。

「ちゃんと勉強して、自分の好きなことを大学で探してください。」

K「大学生活を無駄にしないために大事なことってなんですか?」

「なんだろう。とにかく、学生生活をエンジョイしたらいいんじゃないですか?
その中でいろいろ見えてくるもの・閃くもの絶対あると思います。」

K「その時、その時では、目の前の事がどう繋がってるかなんて
わからないんですよね?けど、とりあえず目の前にあることに
一生懸命取り組めばいいってことですよね?」

「そうだね。その時、その時で完全燃焼すればいいと思う。
なんか中途半端にエンジョイしなかったとか、ここに来て楽しくなかったとか、
そういうマイナス思考ではなくて、プラスに考えて。それが一番大事。」

K「なるほど。以上でインタビューは終わりになります。
忙しい中ありがとうございました!」


④インタビューを終えて(千明感想)

起業家を志す学生もちらほらいるAPUで、Ngaさんはまさに先駆けとなった先輩です。
学生時代から彼女が取ってきた行動の一つ一つや考え方は、
全ての学生やこれから何かを始めようと考えている卒業生にとって、
一つの良いお手本であり、刺激となるのではないでしょうか。

お話をうかがってると、どちらかというと落ち着いた雰囲気のNgaさん。
ですが、彼女の言葉の節々に、
自分の好きなこと、やりたいことを着実に実践していく
意志の強さやパワフルな行動力を感じ取ることができました。

また、彼女ほど学生時代の活動と現在のビジネスが直結してる卒業生も
なかなかいないように思います。

そういう意味で、自分のやりたいこと、自分はどういう生き方をしたいのか
そういったことを、人生の早い段階にはっきりとさせ、
学生時代の四年間をうまく活用できると、
卒業後のスタートが人より飛びぬけたものになるんだな、と感じました。

インタビューを読んでいただくと、

「やりたいことが分かっていれば、あとは必要なことをやるだけ。」

という彼女のシンプルで一貫した姿勢を見てとれると思います。

難しく考える必要はない。
一番大切なのは、まず自分の気持ち。

あとはとにかくやってみる。
今回のインタビューが、いろんな方にとって
一歩を踏み出す後押しになればと思います。

Ngaさん、本日は大変お忙しい中、貴重なお話ありがとうございました!
(インタビュー実施日:2011/8/8)

以上

PS 読者の皆様へ
カンボジアで活躍する日本人APU卒業生情報急募!!
ご存知の方はメールで直接ご連絡いただけると有難いです!
(国際学生は既に確認済。)

ちなみに、たまに聞かれるのでお断りしておきますが、
この企画は個人のボランタリィな取り組みで、
大学および校友会などからの金銭的な補助などは一切頂いておりません。

唯一、APUをより良くしていきたいという皆様の励ましの声と、
ご協力をエネルギーにして継続しております。

何卒、お力添えよろしくお願いします☆


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2011-09-20

「途上国支援という名の刃」 ベトナムから学ぶ⑦ 日本考~100年先を見据えて、30年後を創る~

私たちは世界一周旅で訪れる国々で、
カウチサーフィンhttp://www.couchsurfing.org/を利用して
必ず現地の一般家庭に泊めてもらうようにしている。

そして、ここホーチミンでもたくさんの御縁をいただいているが、
先日の出来事ほど心を揺さぶられることは無かった。

ある日
「泊めてはあげられないけど、ディナーだけでも」と
とあるベトナム人の家族が私たちを自宅でのディナーに招いてくれた。

ベトナム人のビンさん(46歳)とアメリカ人の奥さん、
そして二人の子どもたちの明るい四人家族だ。

特にビンさんはユーモア溢れる方で、
子どもたちや、私たちの、緊張をほぐそうと
温かく接してくれた。

「良いお父さんだな~」
とすぐに打ち解けることができた。


その後、美味しい食事をご馳走になりながら、
お互いに日本の文化や、ベトナムの文化についてなど
和やかに様々な話をしていた。


ところが、私がふとしたきっかけで、

「国際NGOによるベトナムへの支援」

について質問をした瞬間、、
急にビンさんの表情が変わったのだ。

不機嫌になった。

どころではなく、
眼を見開き、声を荒げて、怒りに打ち震え出した。




ビンさんは

「What is NGO !?」

という一言を皮切りに
奥さんの制止も振り切って激しい口調で私たちに訴えた。

その内容は主にこうだ。

「私は『NGOでベトナムに支援をするために来ている』という連中にいつもこう聞くんだ。
『おまえは自分の金でここまで来たのか?』ってね。

彼らがこの国に来るために使う飛行機代で、
一体何人の貧しい人達がご飯を食べられると思う?



本当に誰かを救いたいなら、自分の金でやればいい!




自分の食事やホテル、飛行機代も用意できないのに
どうして他人を助けようとするんだ!


そんなお金があるなら、5000ドンでも良い。
貧しい人々にお金を渡してあげるべきだ。

大切なことは今日!いま!お腹を空かせて死にそうな人達に
何か食べさせてやることだろう!」


上記のビンさんの意見自体にはもちろん様々な反論も成立しうる。
しかし、少しだけビンさんの心に寄り添って想像して欲しい。

ビンさんは、ベトナムの貧困の体験していて、それは理屈では無いのだ。


しばらくして落ち着きを取り戻したビンさんは

「私が過去に「貧困」や「戦争」という体験をしているからこそ、
人一倍この話題には神経質になるんだ。すまないね。」

と語り、その後はまた良きパパに戻った。


この出来事は
私にとても大きなショックを与えた。

なぜなら、私自身が本当の意味で
途上国の人々の気持ちに寄り添っていなかったことに気がついたからだ。

私自身旅の中で、
肥大化した非営利団体や
政府主導の国際支援事業が行う「途上国支援」に
たくさんの「無駄」や「悪習慣」があることを見聞きする。

しかし、それらを知っても、
「全くしょうがないな。」とか
「税金の無駄遣いやな。」くらいのことしか思わなかった。

それらの問題が私の中に激しい怒りをもたらすことは無かったのだ。


しかし、ビンさんは違う。


彼にとってベトナムで支援を受ける人々は家族であり、友人である。

彼らにとって効果的な支援を受ける事は
「生きること」そのものに直結することであり、
決して「道楽」や「選択肢の一つ」などでは無いのだ。


だからこそ、ビンさんは怒る。、
非効率な自分達を許してしまえる支援事業に対して。

国際ボランティアという名を語り故郷ベトナムの地を荒らしていく
無責任な輩に対して。


話は変わるが、「途上国支援」を敢えて通常のビジネスに当てはめれば
「支援」という「サービス」を受ける人々は「顧客」である。

そして彼らの求めるもの、彼らの不平不満を解消することが
支援する側の提供すべき「サービス」である。

で、あれば
まず「顧客」が真に何を欲しているか?を
知ることが不可欠なはずだ。

そして、その声に真摯に耳を傾け続けることも
また不可欠ではないだろうか?
その姿勢無くして、彼らに喜んでもらうことは難しい。

「何をいってるんだ。「支援」はビジネスじゃない。
そんな必要はない!彼らを「顧客」だなんて思う必要はない。
彼らは代金も払えない。こっちはカネまで払って、助けてやってるんだぞ!」

という意見を、残念ながら同じ日本人から聴くことがある。
もちろん、そういう考え方はある意味で正しい。

但し、心からそう思う人は今後「途上国支援」という言葉を使うべきではない。
正直に「途上国の貧しい人々と関わることを通じて自己満足したい」と言い換えるべきだ。

実際、面白いことに
私が旅で出逢う人々の中で、
現地で直に人々と触れ合って支援事業をしている人々、つまり現場にたっている人々は
「支援」という言葉をほとんど使わない。


また重ねて断っておくが、
「途上国支援」と呼ばれる活動が悪いわけでも、
そこで働く人々が悪いわけでも一切無い。

むしろ、私が知っている友人や先輩は、皆
心の底から「誰かのために何かを」と考えて行動している。


そのことを踏まえた上で、私が強調したいのは

「途上国支援」を行った結果、
担い手と受け手それぞれの受け取り方の間に大きな乖離が産まれているという事実だ。

そして、ビジネスなら「顧客」に見はなされれば会社がつぶれてオシマイだが、
補助金や税金を投入されるような国際貢献事業は違うということだ。

もし仮にその支援事業が途上国の人々を傷つけていたとしても
「支援」は決して止まらない。

そういった意味で、私たちは「支援という名の刃」で
彼らの心を傷つけ続ける恐れがあるのだ。

ということを、今回ビンさんと出逢い、
その怒りに触れたことで実感できた。

なお、上述したような空しい出来事を避けるためには、

非営利団体は営利企業(便宜上敢えてそう呼ぶ)以上に
第三者による監査や、事業成果への評価を受ける事で、
高い事業性、透明性を確保し続けなければならない。

そして、それは他ならぬ
納税者、寄付者である国民、
つまり、私たち自身が厳しい目で「非営利団体・事業」を見守ることによって成立する。

もしそれをしないと、
過酷な現場で「誰かのために」と汗と涙を流して頑張っている
多くの人々の努力も無駄になるし、
それどころか喜んでもらえるはずの
途上国の人々には「怒り」を抱かせ続ける事になりえるのだ。

みなさんも、
今一度、身の回りで見聞きする「途上国支援」の中身を
調べなおしてみてはいかがでしょうか?

以上

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2011-09-14

カウチサーフィン in サイゴン②

サイゴンでの2回目のカウチ体験は、こちらからのリクエストではなく、
先方からのお誘いです。

カウチサーフィンにログインすると、自分の現在地が表示されます。
『今、ホーチミンにる旅人(カウチサーファー)たち』みたいな感じ。

それを見た同じホーチミン在住のカウチサーファーや、
ホーチミンを旅行中のカウチサーファーが、
互いに連絡をとることができるわけですね。

そんなわけで、私たちがサイゴンにいることをしったベトナム人青年
チャウ君が、「お時間があれば会いましょう!」と連絡をくれたわけです。

もちろん、私たちもチャウ君も、カウチサーフィンのホームページで
事前に互いのプロフィールをチェックすることができます。

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チャウ君は日本人や日本の文化が大好きで
とっても物腰やわらかな好青年。

最近、海外で出逢う『日本好きの外国人』というと、
たいてい、日本のアニメ、マンガ、ドラマ、音楽、ファッションが好き!
という人ばかりですが、チャウ君は珍しく(?)
日本の伝統文化が大好きな青年というから、逆にこちらが驚きました。

なんと茶道と書道が趣味と言うではないですか!

会った初日は、カフェでお茶してその後ランチ。
次の日に、さっそくチャウ君が師事しているお茶の先生のお宅へお邪魔することになりました!

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高校時代まで学校茶道をやっていた千明は、もちろんお茶が大好き。
賢は茶道は初体験ながら、日本の伝統芸のには強い関心を持っているので、
2人ともドキドキわくわくしながら、タンビン区にある先生のお宅に向かいました。

さて、部屋に通されてびっくり!
なんとお茶室があるではありませんか!!
本当にここはベトナム!!?というくらい、完成度の高い美しい和室です。


部屋の隅には水屋も設けられています。
う~ん、かなり本格的。


そして先生のご登場。
日本語がとっても堪能でらっしゃるうえ、
とても優しく穏やかな、まるでお母さんの様な雰囲気の方です。

先生とおしゃべりしていると、チャウ君が私たちのお昼ご飯を運んで来てくれました。
本日は和装!よく似合ってる!!

そしてなんと!海苔巻とそうめん!!!
しかも本当に日本の味!!!これには二人とも感動(涙)


先生はとってもお料理上手な方で、和食を作る際は
かならず昆布や鰹節などからきちんと出汁をとるそう。

そして驚きなのが、お茶で使う和菓子も自分で作っちゃうそうな!

ベトナムには和菓子がないから、と諦めるのではなく
手に入る材料でいろいろ工夫して生み出すところがすごいですね。

今日のお茶菓子も、先生から習ってチャウ君が作ってくれました。
チャウ君も普段から和食や和菓子を作るのが好きだそう。


しかも、その日にいけてあったお花をかたどるという
嬉しい心配りつき!素晴らしい!


さぁ!いよいよお茶です!
先生のご指導のもと、チャウ君がお茶をたててくれます。
うーん、本当に美しい身のこなし…



さっきまでふんわりとした雰囲気だった先生も、
キリッと厳しいまなざし、凛とした姿勢でチャウ君を見守ります。
うーん、ここは日本か…?!

そうこうするうちに、茶道はお仕舞へ。
最後にみんなで記念撮影。


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今回はカウチサーフィンは、私たちが逆に日本の事を学ぶという不思議な体験となりました。

茶道のような日本の伝統芸能は、
外国人にとってとっつきやすいものではないかもしれません。
いろんな道具も必要だし、準備も大変、お金もかかる。

けれど、今回チャウ君やチャウ君の先生が教えてくれた
『和・敬・清・寂』という茶道の精神。

二人は、茶道をやるうえで、何よりこの精神が好きだと言っていました。
そして、茶道を学ぶにつれて、自分の性格も変わってきたと。

彼らを見て、茶道のような日本の伝統文化も、きちんと伝えれば
外国の人にも正しく理解してもらえる。
そして、それが彼らの生活に良い影響を与えている。

このことをチャウ君と先生を通して
実際に目で見て感じることが出来たことは、
私たちにとって大きな収穫となりました。

二人とも、ありがとう!


日々是感謝なり
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2011-09-10

「何故か中国人が大嫌いなベトナム人」 ベトナムから学ぶ⑤ 日本考~100年先を見据えて、30年後を創る~

 突然だが、
大抵のベトナム人は中国ことが大嫌いだ。

ここベトナムでは聞いても無いのに「私は中国のことが嫌いだ」と言ってくる人が
やったら多いのには驚いている。

「どうして?」と聞くと、
理由は政治的なマクロの問題もあるが、
多くは個人的な中国人とのエピソードが挙げられる。
特に中国人観光客の横暴な(というか強烈な)
振舞いに嫌悪感を抱いているようだ。

また具体的な話として、
以前ベトナムで行われたミスコン(ミスアースかな?)
のスタッフをしていたベトナムの友人が言うには、

「ミス中国が、いつもミス台湾にきつく当たってたの!
あれを見ていてすっかり中国の事が嫌いになったわ!」
なんてのもあった。

ご承知の通り、ベトナムは日本以上に
中国の影響をあらゆる面で受けている国。
ましてや、同じ社会主義国である。

なので、中国との関係はそれなりに良好なのかな?
と思っていたが、全く違った。


翻って、日本のイメージを聞いてみると
お世辞もあってか、かなり良いイメージを持っていることにも驚く。
しかも、それはどうも経済的な利害関係や、公教育の内容に起因するものでは無い。
それこそ、まさに先人達の振舞の賜物だと感じている。

日本人の清潔さ、調和を重んじる心などが
私たちの諸先輩方の行動から伝わり続けているのだろう。

例えば、こんな体験をした。
私がホーチミン滞在中毎朝通っている太極拳の教室に
日本語を少ししゃべるベトナム人のオジサンがいる。

オジサンに
「どうして日本語をしゃべれるの?」と聞くと

「前に日本で働いてたんです。山形の新庄ってところでね。」
と答えが返ってきた。

次に「日本はどうでしたか?」と聞くと

「風景がとても綺麗でしたね。お刺身やイモ煮など食事も美味しかったし、
何より町の人がみんな親切でしたよ。お酒をたくさん飲まされたけど(笑)」
と言われた。

このオジサンにとって
日本は本当に素敵な国に映っている。
そして、それは山形赴任中に何気なく出逢った人々の印象によるものだ。


以上に紹介した通り、それぞれ国のイメージなんてものは
偶然に出会った数人の人々の印象から造り上げられるものだ。

日本に居ても、京都や東京、別府など一部の都市を除いて
外国人を日常的に目にする機会は多いとは言えないだろう。
まして、話しかけられて道案内をするなんて事はめったにない。

しかし、もしその機会が訪れたら、
どうか温かく応対をしていただきたい。

なぜなら貴方にとって相手は数多い外国人の一人でも、
相手にとって貴方は『日本代表』に他ならないからだ。

それは観光客として、
海外を訪れる場合でも同じだ。

私たちのちょっとした言動や、振る舞いが、
日本そのものの印象になる。

それを頭の片隅においてみると、
外国人との何気ないコミュニケーションが
素晴らしいチャンスに見えてきませんか?

「はみ出し者」こそ、日本の宝モノ! ベトナムから学ぶ④ 日本考~100年先を見据えて、30年後を創る~ 

 いきなりだけど、
私が中学生のとき、校則に「靴は白。」というものがあった。
なので私を含め、ほとんどの生徒は何の疑問ももたず、白い靴を履いて、
毎日通学していた。

しかし、「不良」と呼ばれた友人達は違った。

白に一本だけラインの入った靴(コンバースのスニーカーみたいな)を
事あるごとに履いてきては先生に怒られ、けど、また履いてきて、怒られ。
と繰り返していたのだ。

そんな些細なことだが、
多くの教師から校則もろくに守らない彼らは、
不良という「はみ出し者」のレッテルを張られた。
その結果、いくら才能があっても次第に学業成績自体も振るわなくなっていく。
(実際、自分の周りの不良と呼ばれた友人には頭のキレるやつが多かった。)

すると、進学率も下がってきて、結果として大人になった今
いわゆる大きな会社で、大きな仕事をする機会にはなかなか恵まれていない。


しかし、いま振り返って冷静に考えてみると、
実は正しかったのは「不良」と呼ばれた友人達だったように思えてならない。

なぜなら未だに「靴が白」でなければならなかった理由なんて思いつかないからだ。

むしろ、言われたことに何の疑問ももたず、
ただ盲目に従っていた私たちの方が恐ろしい。

もちろん「不良」と呼ばれていた彼らも、論理的に考えて
そのような行動に出ていたわけではないだろう。
ただ直感でその疑問を感じ、それを行動に移すだけの
エネルギーが満ち溢れていたのではないだろうか?

そして、いま日本社会が本当に必要としているのは
彼らのような人財ではないだろうか?と思ったことがある。





そして私は、現在、ここベトナムでの旅を通して似たような思いをもつようになった。

ご存知の方も多いかもしれないが、
いま、ここベトナムには多くの日本の若者が単身で渡ってきている。
彼らの多くは日本従来の「大学三年生から就職活動」や
「会社に入ったら定年まで勤めて」といった固定観念に縛られない若者たちだ。

友人の言葉を借りれば「カネなし、コネなし、経験なし」の状態で
半ば開き直ったかのように異国へ突撃をしている。

そして多くの日本の大人(中高年層)から見れば、
彼らの姿はとても不安定で、ともすれば無責任なモノに映るかもしれない。

しかし、私の意見は違う。
彼らにこそ、近い将来の日本の原動力としての可能性を感じずにはいられない。
なぜなら彼らの直感と行動力そのものに高いポテンシャルが見え隠れするからだ。

もちろん彼ら自身にも論理的な戦略があるわけではない。
しかし、彼らは本能的に『このままではダメだ』『何かがおかしい』
と直感し、それを行動に移しているのだ。

そう、まるでかつての不良たちのように!!


結論として、私が言いたいことは以下の一点に限る。

それは上記の様な「はみ出し者」達を『落後者』として見るのではなく、
直感と行動力に溢れたエネルギッシュな『人財』として見る事が大切。

ということだ。

もちろん、単にはみ出していれば良いわけでも無いし、
はみ出さない人が悪いわけでも無い。

しかし「はみ出し者」を最初から落後者として決めつけて見るのは、もう止めよう。
あまりに勿体無い!!

少なくとも私自身が旅の中で出逢った日本の「はみ出し者」達は
強烈な人間的魅力を放っている!
そんな彼らが活躍する日本の将来を想像すると、
ワクワクしてきませんか?

だから、いま私は
日本にとっては「はみ出し者」こそ宝モノだ!そう思って止まないのです。


以上