Q、中学高校時代にお好きな本とか、作家さんとかって何かありますか?
「特にない。
僕はいろんな人の本を読んでいた。
例えば中学生の頃は谷崎潤一郎に読みふけっていたりね。
だから好きな本とかは無い。
けど、大事なことは
なんでもいいから大切な本に出逢うことさ。
本を読むって、やっぱり過去の人達の知恵を学ぶことでしょ。
一日は24時間しか無いんだから、
そういう時間をどれだけ取れるかだよね。」
K.「そうですね。
けれど、いまの若い人達って、
ノイズというか、雑な情報に囲まれていて
なかなかきっかけが無いと
『読書しよう!』ってなりづらいんだと思うんですよ。」
「そういう意味でいったらね、
僕は家に閉じこもっていないでね、
街に出て、現場に立って、自分の肌で感じてみることを
オススメするよ。」
K.「なるほど」
「頭で考える時代はもう終わった。
身体で感じること。それが大切。」
K.「そうですね。」
「頭で考えてね。コンピューターの前で抽象的な概念だけ考えてるなんて
もう限界よ。自分の目で見て、肌で触れて、そういうことをしないと。」
K.「いいですね。」
「あのね。
頭で考えるから『解る』『解らない』って思うさ。
けどね人間の身体ってのはそうじゃないから。
『解らない』ってことは身体には無いから。」
K.「う~ん。なるほど」
「冷たいだったら、冷たいし、
温かいだったら温かいでね。感じる事はできるんだよ。
『解る』『解らない』ってのは抽象の概念、
いわゆる形而上の概念だよ。
形而下だったら違うんだよ。」
K.「そうですね~。面白いな~。
それに結果として、そういう風に身体で体験していけば
知りたいこととかって自然に出てくるんですよね。」
「そうそうそう。」
K.「そこで始めて本との出逢いとかが
出てくるわけですよね。」
「そう。だから汚い水飲んで、七転八倒してもいいさ。
その上で、じゃあ。って話。」
K.「知識じゃなくてね。」
「知識じゃなくて、思想さ。
そういう意味では、いまの日本って思想が欠落してるんだよ。」
K.「そう思います。
部屋でずっと書籍に埋もれて、パソコンに向かってて、
そこから世界の事が解ったなんて言っても
それは知識の集積であって、
そこから思想は生まれないですよね。」
「そう。それはただ『思ってる』だけ。」
K.「やっぱり『現場』とか『リアリティ』ってのがキーワードになってきますよね。」
Q、若いころ、尊敬していた人とか憧れていた人とかいましたか?
「ない(笑)。けれど、そう言う意味でいったら
僕にとってはそこで暮らしている人達さ、現場の人達。
若い時からいろんな現場を経験してきたから、
例えばアルバイトで横浜の港で、沖仲士、船出しで
コンテナとか無い時代に、人力で担いで荷出ししたりね。
絵を書くための絵具買ったり。
そこで働いてたら、おやじと同じ給料もらえるのさ。
そんな暮らししながら、油絵をやってたんだけど、
横浜の寿っていう、街があって
そこでおっちゃん達と一緒に酒飲んだりして、
ぼくはそこで見てきたものがあるさ。
普通尊敬するひとって言うと
偉い人っていう人がいるでしょう。
僕にとっては、そうではなくて
普通に町場で生きている人さ。
僕にとってはそうだよ。」
K.「これも面白い。素晴らしいですね。
そういう風に考えられると、
おそらくですけど、ずっと楽しいですよね?」
「そうそう。」
K.「目の前に居る人とか、
あらゆるものに興味が尽きないわけですもんね。」
「とてもリアル(笑)」
K.「とてもリアルですね(笑)」
「僕は嫌なことやらない。
うちの皆にもいうんだよ『嫌なことはやらなくて良い』って。
それを見てる人がさ
『300人にそんなこと言って、それで本当に会社って回るんですか?』
って聞くの。でもそれは違うんだよね。それは頭で考えてるからそうなる。
頭で考えてしたい仕事と、身体で考えてしたい仕事は違う。
身体には個性があるから。
頭で考えるから、みんな特定の仕事に集中しちゃうのさ。」
K.「うん。面白い(笑)そうですね。
身体は違いますもんね。」
K.「日本にはたまに帰られるんですか?」
「たまに。
僕は本当は日本に帰った時には、こういう話をしたいんだけど、
織物の話を聞かせてくれって言われるんだよね(笑)」
「布の向こうに見える世界。
東南アジアのなんていうのかな混沌。
その歴史は融合されていく、
アウフハーベンされていく
エネルギーのあるものどうしが対立せずに
融合していく。」
K.「中国の陰陽の考えにも通じますね。」
「そう対立から秩序にかわっていくんだよ。
日本の2000年の歴史もそうじゃん。
新しいものが入ってきて、時には対立するけど、
やがて受け入れて新たな文化となっていく。」
K.「そうですね。
日本の受容性っていうのは凄いんですね。
それはきっと日本人がずっと自然に対してフレキシブルで在り続けた…」
「事の結果だと思う。
だから、自然に対してフレキシブルに対応できるということ
ことがとても大切なことだし、素晴らしいこと。」
K.「いや~面白いな。」
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K.「昨日おっしゃっていた
これからの世界が人間経済になっていく、という直感は
どういったきっかけで持たれるようになったんですか?」
「(笑)ここ十年ぐらいの世界の格付けとか、ISOとか
ああいうのなんてインチキだよ。彼らは利権集団だからね。
それをつけることで彼ら自身の利権を守る。
そういうのに世界が振り回されている。
『虚の世界』から『虚の虚』の世界になってしまってる。」
K.「おっしゃる通りだと思います。」
「これからもっと混乱すると思うよ。
人間って行きつくところまで行かないと気づけないから(笑)」
K.「なるほど」
「ただ僕は、その先にある『人間にとって何が必要なのか?』
っていうことを『お金じゃないんだよ』ってことを考えてる。
おカネも元は兌換だったわけでしょう。
それが今もう崩壊している。
みんなそのことを隠してるんだよね(笑)。」
K.「それは僕も金融の現場にいた時から感じていました。
みんな気づかないフリをしてるな~って(笑)」
「右肩上がりの、生産性をあげて行く、収益を上げて行く
つきつめればおカネを稼ぐ。
それに血眼になる。それが行きつくところまで来てね。」
K.「なるほど」
「きっと世界のそういった仕組みをコントロールしている人達もいるんだろうけど、
彼らも生身の人間だからね。
頭で考えていることと、ヒューマンとしての自分が
いつかぶつかる時がくる。それが極よ。
その状況がいまから10年後位にくるんじゃないかと考えている。」
K.「それに関しては同意見ですね。
証券マン時代に『おカネって何だろう?』ってことを
ずっと考えていて、その結果やっぱりニクソンショック以来
おカネってやっぱり紙になっちゃったんですよね。
刷りたいだけ、いくらでも刷れるんだから。
その仕組みがどこかで破綻する、
これは良く考えれば誰でも解ることですよね。
だから一部の人達が仕組みをより複雑にして、
挙句の果てに、自分たちにも良く解らないようにしてる。
そんな感じを受けています。」
「結局その先で、
借金まで債券にして売っちゃうってことやってるわけでしょう。
これは極の極だよね(笑)。
100円の商品が50円になっても、10円になってもいいのさ。
それでもみんなの生活は一緒なのさ。
その代わり虚の世界はすべて切り捨てられる。」
K.「そんな中で、ウチの父はずっと田んぼをやってるんですよ。
稼ぐためではなくて、荒らさないために。
でもそれって見方を変えると『強い』な~って思うんです。」
「強い!
ぼくがカンボジアで村のおっちゃん達と話してるとね
『家族が一年食べる米があって、それ以上何が要るんだ?』って言うわけ。
これ核心よ。」
K.「核心。」
「実は『伝統の森』を始める当時、
織物が残っていた村は少ししかなかった、
彼らは結局家族が食べて行くだけの米を作れる
田んぼをもってない、貧しい人達だったの。
米がとれないから、織物を作って現金収入を稼いでた。
だから貧しさのおかげで、伝統的な織物が残っていたんだよ。」
K.「なるほど。」
「僕は、そういう人達に仕事を提供するのが仕事だと考えている。
だからウチの強みはみんなが貧しいことなのさ(笑)」
K.「(笑)」
「ウチで働いていた、
あるおっちゃんが村の中では貧農だったんだけど、
ウチで働いて小銭貯めて、そのお金で農地を買いたしていく。
それでウチを辞める時にこういったよ。
『俺はこれから本当に農業やるんだ』って。」
K.「面白い。」
「それ聞いて、嬉しかった(笑)」
K.「それを良しと出来る
おっちゃんの感覚も面白いですね。
おカネが稼げるとなったら、
そっちを選んじゃうのが今の世の中じゃないですか。
それを家族が暮らせるだけの農地が手に入ったから、手放すって面白い。」
「それがこそ、頭で考えるか、身体で考えるかの違いだよね。」
K.「なるほど~。カンボジアから学ぶことがたくさんありますね。」
「ホントだね~(笑)」
K.「日本では私達の生活が大地から離れて行くことを
悲しいとか、まずいなとか感じる人が少しずつ
増えている様な気がします。」
「僕は東京の街を一度全部、畑にしちゃったら良いと思うよ(笑)」
K.「(笑)」
「いいんだよ。別にそう考えても。
『それがダメだ』と考えるのは、とても限定された考えになってしまう。
そこからもう一回創ることだってあるよ。
それくらいの発想を持たないと、これからの時代は生きてい行けないと思う。」
K.「それは先ほどおっしゃられた伝統を守る事と一緒ですよね。
常識に捉われず、いま在るものに捉われずって事ですよね。」
「そういうこと。今からわずか
60年ほどまでに東京は焼け野原になったんだから。」
K.「想像できないですね~(笑)」
「いままでほとんどの日本人って
電気なんて考えたこと無かったと思う。
震災以降、電気がどこから来ていたのかも
ようやく知るようになった。」
K.「そうですね。」
「いま、知るきっかけができたわけだけど、
僕はとても楽観主義者だから可能だと思っているんだけど、
『放射能に強い生活の仕方』っいうのが
これからの大切な学問になると思う。
食事の作り方とか、素材の選び方とか、
そういった新しいノウハウよ。
みんな過去に目が向いているから、
ネガティブに考えているけど。
未来に目を向けてポジティブに考えれば、
今の状況をどうネクストに持っていくかが基本になる。
それが大切になる。」
K.「今だと単純な二元論で、原発廃止か、存続かに陥りがちですもんね。」
「そう、それはとても限定された二元論さ。
僕は多元論、可能性のなかでいろんなものを認めながら、
かつそれらを融合させていく(笑)」
K.「アウフヘーベンしていく過程だと捉えるわけですね。
ようやく対立自体が明らかになりつつある。」
「まだだね。もう少し時間がかかる。
いまはその入口だと思う。これから数年かかるよ。」
K.「その時に、大きな痛みって伴うものだと思われますか?」
「もちろんあるよ。
でも、痛みが無いと人間って考えられないからね。」
K.「それも身体感覚か。」
「そう。電気が無くなって、そこから電気の事を考える。
それと同じよ(笑)」
K.「考えると単純ですね。
だけど、其処から抜け出せないんですよね。」
「脱却できない。
それはある種の共同幻想さ。
そういう幻想の中で、みんなが安定するという幻想を抱いていたわけ。
それが今崩れつつある。」
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Q、この先おやりになりたいことは何ですか?
「いろいろやりたいことあるけど、
いま思っているのは僕が生きている間にどこまで
自分が出来るか?」
K.「それは」
「僕ね12歳の時に電車に乗って家出したの」
K.「はい。」
「けど当時豪雪で電車が途中で止まっちゃって
それまで京都から福知山線で日本海側に走って行く時、
景色がどんどん真っ白になって行くんだけど、
その真っ白のど真ん中で汽車が動かなくなっちゃてね(笑)
それが「香住」っていう駅だった。
それから50年経ってね、
この間僕は香住の人に呼ばれて、
その街を訪れたから、もう一度その香住の駅に50年ぶりに立ったの。」
C.「素敵~」
「僕はね。その時思ったの。
僕は一つの人生を終えたってね。」
K.「感覚的にですね(笑)」
「なので、僕は次の人生を歩むんだろうなっていう気がしている。」
K.「なるほど。」
K.「村は今後住む人を増やしていくんですか?」
「いや、それも一緒さ。大きくすることに意味はないさ。」
K.「今の状態が持続するようにってことですね。」
「僕にとっては適正規模で、みんな大きくすることとか、
広げる事が良いことだって考えるけど、
その価値観が僕には無いから(笑)
そのクオリティをどう上げるかってことよ。」
K.「クオリティを上げるというのは?」
「其れは技術的なことも含めて、
まだまだ確立しなきゃいけないことがたくさんある。
人間の能力は磨けば磨くほどもっと優れたものになっていくと思う。
その可能性の中の、まだ半分しか行ってないと思ってるよ。」
K.「なるほど」
「ウチの布だって、世界のトップレベルにあると思っているけど、
それだってまだ半分なんだよ。その極に行くっていうのはまだまだ。」
K.「極を目指すわけですね。そのアプローチって、職人さんらしいですね。」
「でもね。ウチはウチとして成り立っている。けれど、
それが他の場所で他の人達で成り立つのかどうか?
っていう事を自問自答している。
実際ウチみたいなことをやりたいという人が来るのさ。
そして、始める人もいるわけ。
それに対するアドバイスみたいなものも今考えていて。」
K.「なるほど」
「いままでは、ウチの村のことだけで精一杯だったけど、
いまはウチの村も僕がいなくても回るから、
そういう事を考えられるようになった。
なので、どう普遍化していくか?というのが鍵になってきて」
K.「そうか。」
「僕はいま、
特殊だけど、それが普遍の価値観でもあってもいいなって
思えるようになってきた。」
K.「在る程度突き抜けたらそう思えるようになってきたんですか?(笑)」
「そういうこと。それはクオリティって事と繋がるでしょう。」
K.「そうですね。」
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Q、中学生・高校生へメッセージを。
K.「高校生、中学生に何かアドバイスするとしたら、
なんて声をおかけになりますか?」
「半歩でもいいから足を踏み出しなさいってことだね。
考えていないでね。」
K.「それは実際に足を踏み出すってことですね(笑)」
「そうすると、見えてくる世界が変わる。」
K.「現実として自分が位置を変えれば、
見えるものが変わりますもんね。」
「体感できるものが変わる。」
K.「ですね~。」
「僕も実際に自分でそうしてきたから
いまココにいる訳で、でしょう?
迷った時に『いいや、行っちゃえ!』ってね。
別の言い方で言えば、
『リスクを恐れない』ってこと。
少し前の時代まで、リスクを負わないことが良いことだっていう神話があったでしょ。
それは変わってきてるんだよ。
リスクを避けるってのは悲しみを避けるのといっしょさ。
悲しみが無ければ、反対の喜びも無い。」
K.「なるほど。」
「全てが整った上で、やるって言うのは間違いさ。
在る程度見えた段階でやってみる。
それが半歩踏み出すってこと。
その勇気を持つことさ。」
K.「やってみないと解らない。」
「人間っていうのは身体を動かすもの、
その事で進化していくもの。」
K.「いやぁ、面白かったです。
日本でも若い人向けに講演会とか是非してほしいな~。
本日は貴重なお話ありがとうございました。」
以上
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最後まで読んでくださりありがとうございました。
アンコールワットへ行くことがあれば、
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