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2011-11-16

「横断的で重層的な韓国の海外戦略」 カンボジアに学ぶ 日本考



ホーチミンの一番高いタワー、
ビエンチャンの一番高いビル、
プノンペンの一番高くなるはずのビル。

そのどれもが、
韓国資本によるものだという事を知って驚いている。

正直、
韓国の海外展開戦略は上手いな~、と感じている。

それは官民合同で、
ロジカルかつ、長期に渡る行動力を持って、実行されている。

その戦略は、大筋ではこんな感じだ。

①KーPOPや韓国ドラマをはじめとするコンテンツを
TVメディアを通じて発信し、まずは韓国文化をしっかりと浸透させる。

これは各国の宿で、
テレビをつけてチャンネルを回すと実感できる。

70チャンネル近い番組の中で、韓国のドラマや、音楽は
1~2割近いチャンネルで常時視聴することができる。

一方,日本の番組はNHKワールドを中心に一チャネルあるかないかである。
ちなみに、韓国の放送並みに多いのは中国国営放送だった。

②韓国語教育機関の設立、韓国人留学生の送り込みなど、
若い世代における、文化的精神的な壁を取り除く仕組みを設置する。

例えばベトナム語を学ぶのに有名な、ホーチミン人文社会大学。
ここで教鞭をとっていらっしゃる恩師に聞いたところ、
外国人向けベトナム語コースは現在、韓国人学生が圧倒的多数を占めるそうだ。

また、カンボジアでは
韓国側が出資、協力して、
原子力に関する専門的なカンボジア人研究者を育てるための
教育機関を設置しているとの話を伺った。

ここで、育った人々が
いつかカンボジアの原子力政策の一翼を担うのだとすれば、
その時、どの国の企業が有利に話を進められるだろうか?

③そして、先述したように、
その国の主要な都市に、ランドマークになるような建造物を建てる。
そこには当然、各国のトップ企業が軒を連ねることを期待されている。


以上ここまでが「お見事!」としか言いようの無い、
韓国の海外進出戦略。

翻って私達日本人が学ぶべき点はなんだろうか?

幾つかあるが、私個人は何より第一に、
「国家として一貫した戦略を継続する点」にあるように思う。

横断的で、重層的な国家戦略の運営。
現代日本はそれを行っているだろうか?

政権が変わるたびに、がらりと変わる国家戦略。
それらが災いし、もう何年も時間を無駄にしてはいないだろうか?

また、同時に盲目的な「技術至上主義」といった面もあるのではないか?
確かに日本の技術力は、素晴らしい。

それらは繊細な感性と、想像力豊かな人々にのみに
与えられたギフトだろう。

今後も、世界は日本の技術力を必要とし続けるに違いない。
それは全力で護り、磨き続けねばならない。

しかし、ほんの少し、私達自身は
そのことを過信し過ぎてはいなかっただろうか?
「日本の技術は世界一」や、
「良いものを創っていれば売れる」という職人気質の考え方は、
残念ながら現在の世界では必ずしも通用するとは限らない。

どんなに良いものでも、使ってもらわなければ
ガラクタと一緒だし、私達の生活を豊かにはしてくれない。

つまり、日本のモノづくりは「良いものだからこそ、多くの人に届けたい」
という想いと交わり、しっかりと世界中の人々に買ってもらってこそ、
真の価値が発揮されるように思うのである。

しかし、この点に関して
私自身は悲観的ではない。

なぜなら、いま世界各地で出逢う多くの日本人の若者が、
みな例外なく「内向き志向」の自分達を変える必要を訴え、
日本を飛び出しているからだ。

彼らは既に、気付き
自分自身を変える事から始めている。

エリート教育とは全く違う次元だが、
そんな逞しい彼らが日本のセールスマンになることが、
大きなカギになり得ると感じている。

以上


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2011-10-16

『自分が認められる自分でいたい』 いま、世界を変えている日本人 ベトナム 白井尋さん⑤

Q今後の事について

K「フーンライの事業はずっとご自身で続けていかれるんですか?」

「自分は自分自身の力でやっているというよりも、
やらせて頂いていると感じているんですね。
だから、もし大きな壁が出てきたり、
例えば、ここに入りたい子がいなくなったりね。
そうなったら「お前はもうここでやらなくていい」ってサインなのかな?
って考えますね。」

K「なるほど。」

「けど、そういう子どもたちとの出逢いが続く限りはまだ続けていくのかな。
本当はこういうレストランないほうが良いわけですから。
なので絶対続けていくとは決めていないですね。それに純粋にレストランとして、
喜んでくれるお客さんがいる限りはレストランとして続けていくべきなのかな?
とも考えられますしね。」

K「つまり、始めた時と同じなんですね。決めずに自然な流れにまかせる。」

「そうですね。ただどちらにしろ、これから自分がやるべき事って
何なのかなっていうのには、アンテナを張っていますね。」

K「尋さんのそういう自然な姿って良いですよね。
なんか聞いてて疲れないっていうか(笑)。
必ずしも形ありきで進んでいく必要は無いんでしょうね。」

「形をつくりたがるとか、ゴールを創りたがるっていうのは
場合によっては素晴らしいことだけど、それが絶対では無いってことですね。
ただし自然に進んでいく上で大事なことは
常に自分を振り返る余裕を持つってことですよね。」

K「なるほど。」

「それが無いと自然に流れていくことは出来ないんですよね。
流れていく自分自身が自分じゃなくなっちゃうから。
自分がそういう余裕が持ち続けて居られるのは
ベトナムに居るからなのかなとも思っていますね。
日本だと、それは難しいのかもしれない。」

K「言い換えると、ゴールを設定するより、自分を掘り下げる方が先だと
言うことですよね。そう考えると日本の教育は逆なのかもしれないですね。
外から付け加えるものは何か?から決めつけていくというかね。」

「『枠に入れ!』っていう感じですね。」

K「そうじゃなくて、自分は何なのか?から始まる学び方もありますよね。」

「夢とか目標は何ですか?と伺うところなんですが、
尋さんは設定されないんですもんね(笑)。」

「唯一言える事は、後悔したくないんですよね。
常に納得できる自分でいたいなって思ってますね。
あまりストイックな意味ではなくてね。」

K「なるほど」

「その時その時に、自分が自分自身でいること、それが目標ですね。
または自分が認められる自分でいたいなと。」

K「深い!」

「北の国からの五郎さんみたいに税金払えなくなるのは極端だけど、
ああいうスタイル、概念も忘れないで生きていければ
踏み外さないで生きて行けるんじゃないかなと思うんですよね。
そこには大きな目標とかっていらないんですよね。」

K「ふと思ったんですけど、
僕ら日本人って基本農耕民族じゃないですか?
そして農耕民族って基本的に大きな目標っていらないんですよね。」

「その通りですね。むしろ日本人って淡々と、きちんとできることに
魅力を感じる美意識って持っている。目立たなくても自分を見失わないで、
日々『これだ!』と思えるものを続けて一日を終われる。本当はそれが一番良い。」


K「結果、それってスゴイことですしね。
積み重なっていって、年輪みたいになるわけですよね。」

「そう。去年とほとんどいっしょなんですよね。
けど、ちょっとだけ違う。一枚外側なんです。」

K「それが百年とか二百年経つうちに、大木になっている。
それが日本人の持っている本来の姿かもしれませんね。」

「ちょっとかもしれないけど、確実に前進している。
というものだよね。日本の職人さんは皆そういう心をもっているよね。
そういう職人さんは満足した人生をおくれると思うんだよね。」


Q最後に読者へ何かメッセージを

「やっぱり『現代日本の常識には騙されるな』ってことじゃないですか(笑)。
具体的にはマスコミや世論とかに流されないってことですよね。
疑問を持って否定することから、自分のなかで再構築する。
そういう姿勢を持つことが大切でしょうね。」


K「(本物を見る感性がある)日本の若者に向けた
メッセージも頂きたいのですが?」


「学校の先生の事を初めから信用するなってことですね。
要は一回疑ってみろってことですね。 
そして自分できちんと考えてみて、その上で結果として信用するのはいいんですよ。
ただ、まずはいろんなことを疑えってことですね。」


K「それって日本にいる大人はなかなか言えないんですよね。
なので、とても重要な示唆だと思います。インタビューは以上になります。
大変有意義なお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。」


(インタビューは2011年9月に実施)
******************************************

インタビューを終えて(感想)


白井さんとのお話では何よりも「自然体でいることの大切さ」が強く印象に残っています。

私は今まで「社会起業家」や「途上国支援」といったフレーズにはいつも
「決意」や「覚悟」といったものがセットになっていると思っていました。

しかし、必ずしもそんなことは無い。
ということを白井さんの背中から学ぶことができました。

白井さんは「自分が自分であることが大切」だとおっしゃいます。
そして自然体でいるからこそ、しっかりと自分の道を歩んでいけるのです。
ともするとこれは簡単なことのように聞こえますが、しかし、実際は難しいものですね。

例えば事業の中でも「ビジネスとしては逆方向」とわかっている選択を、
敢えてする場合も、自分自身が自然体でいなければ出来ないことでは無いでしょうか。
まして、社会や他人からの評価や批判そういったものばかりを気にしていたら、
信念を貫くことは難しいのではないでしょうか?
そういった意味でも「自分自身で考えること」や「自分自身と向き合う時間」が
大切なのだと改めて実感させられました。

ですので、日本の若い皆さんには白井さんのおっしゃる通り「常識を疑ってみる」ことを是非実践して頂きたいと感じています。

それは「自分自身で考えること」に他なりません。そしてその先にはきっと自然体のあなた自身が見つかるのではないでしょうか?

最後に白井さん、そして奥様には
インタビューだけでなくホーチミン滞在中はプライベートでも大変お世話になりました。

お二人に出逢えたことが、
私達にとって大きな財産となりました。

本当に有難うございました。

以上

『自分が認められる自分でいたい』 いま、世界を変えている日本人インタビュー第一弾 ベトナム 白井尋さん④

「話は少し飛ぶんですが、昔、渡邉さんがやろうとしてるみたいに
世界各地に住む日本人を取材して放送する『住めば地球』っていう
番組があったんですよ。」

K「面白そうなタイトルですね!」

「振り返ると、私の小さいころくらいから「世界」っていう題材を番組にする
 ことが多くなったんですよね。「兼高かおる世界の旅」とか、
「世界まるごとHOWまっち」とかね(笑)」

K「なるほど。タイトルに『世界』っていう言葉がつく番組が増えたんですね。」

「そう。その一つとして『住めば地球』も放送されていたんだけど、
あれは田舎に住んでいただけにインパクトありましたね。」

K「そうですか。」

「今でも『住めば地球』で当時放送された、
ヨーロッパでカーデザイナーとして頑張っていた方の話を覚えていますね。」

K「それは、面白いですね。
そういったTV番組などもきっかけになって、
尋さんの世代以降、多くの若者が海外へ渡るようになったのかもしれないですね。」

「そうかもしれませんね。やっぱりインプットが無いと
 アウトプットってありえないですからね。」

K「そうですよね。
しかも察するに、当時はそういったテレビなどから得られる海外に関する情報が
適度に足りなかったんじゃないですか?」

「そうだね。そうかもしれない。」

K「今みたいに、知りたいことはパソコン開けば一通り調べられる。
というくらいの膨大な情報量になると、もう、それだけで満足しちゃう。
けれど、適度に足りないと『行ってみたい』っていう欲求が
どんどん膨らんじゃうんでしょうね。」

「そうだね。足りない分、あとは自分の『想像力』が動き出しますからね。
多分そういった意味で『想像力』って、自分のパワーに繋がりますからね。」

K「なるほど」

「やはり『想像力』が掻き立てられないと、人間ってパワーは出てこないですよね。
例えば恋愛でもそうじゃないですか(笑)」

K「確かにそうですね。(笑)」

「だから、私は『想像力の欠如』って怖いと思うんですよね。」

K「なるほど、それは膨大な情報を全部与えてしまう事の怖さにも
繋がりますね。」

「そうですね。」

K「情報量が多いと『想像力』を駆使して考えることが難しくなりますよね。
私自身以前に日本の「能」について研究していたんですが、
その時にそれを強く実感しました。」

「それはどういう意味で?」

K「世の中にはブロードウェイのミュージカルから「能」まで
いろんな舞台演劇があるじゃないですか。その中でも「能」って
限りなく演出を省いたものなんですよね。
具体的にいえば、演者の表情すらお面で意図的に隠すわけです。」

「なるほど」

K「どうしてそれをするかと言うと、
結局それは能楽者が「最高に美しいもの」を追い求めた結果なんです。」

「というと?」

K「日本人にとって「最高に美しいもの」って「自然」そのものなんですよね。
それはいわゆる「神の造り賜うたもの」なんですよ。
だから「能」を究めようとした人々はそれに近づこうとしたんです。」

「なるほど。」

K「けれど、どんなに頑張っても人工的にそれを創りだすことができない。
むしろ造り込めば造り込むほど、それとは離れていくんです。
その事に気がついたんですよね。そこで、唯一その「最高に美しいもの」を
意図的に生み出す方法として辿りついたのが、
受け手の『想像力』に託すことだったんです。」

「なるほど、全くその通りですね。
 つまりそれは、美しいものを創りだすんじゃなくて、
 美しいって感じなくちゃいけないって事ですよね。」。

K「そうですね。そういう風に感じられる事が大切なんですよね。
そしてそういった『想像力』に基づく『感性』を大切にしてたからこそ、
日本の伝統芸能は『余白』を大切にしてきたんですよね。」

「そうだね。」

K「それらに基づいて思い返しても、やっぱり情報でもなんでも、
全部詰め込んで渡しちゃうと、受け取った方には『想像』する余地も無い。
その結果おっしゃられた通りで、エネルギーが生まれてこないんだと思います。」

「本当にそうだね。」


Q、日本について
K「これは個人的な質問なんですけど、尋さんは日本って好きですか?」

「そうですね。本来ある日本の文化や精神ってのは好きですね。
けど、現代日本っていうのが好きかと言われるとどうでしょうかね?」

K「ベトナムで事業を行われる中で、
自分が日本人だなと意識されることありますか?」

「もちろん。やっぱり日本って特異というか、ユニークだと思うんです。
自分自身、西洋だろうが東洋だろうが、どこに出て行っても
カルチャーショックを受けるんですね。
それって異質なものにぶつかっているからで、結局日本がそれらとは違うから
感じるモノですよね。」

K「そうですね。」

「そういうことを感じたり、考えるたびに、
やっぱりそれは自分が日本人だからなんだなって感じますよね。」


K「尋さんが好きな日本ってどういうところですか?(高校生から聞かれたとき)」

「わかりやすく言うと、やはり日本は文化水準が高いと思うんですよね。
何かを感じる力、共有する力、緻密に表現するセンスや能力などね。」

K「確かに、旅の中でそう感じる事は多いですね。」

「華道や茶道、職人の技にしろ、伝統的な日本文化の全てが、
そういったものに関わっているんですよね。目には見えない部分に、
言葉に出来ない深い世界が在ると感じています。」

K「なるほど。」

「特に見た目でもわかるのは、礼儀正しさですよね。
先ほどもお店に日本人のお客さんから電話がかかってきたんです。
その方がね『赤ちゃんを連れてお店に伺おうと思うんですが、他のお客さんの
ご迷惑にならないでしょうか?』って聞いてくるんです。
うちは外国人でも家族連れのお客さんは多いんですが、
そんなことにまで気を遣うのは日本人以外にあり得ないですよ。」

K「すごい気遣いですよね。」

「そういう他者への思い遣りや、礼儀正しさ、おもてなしの心、
綺麗好きな所、あとは忍耐強さなどかな。そういった部分は
やっぱり素晴らしいんじゃないでしょうか。」

K「今の日本の嫌いな部分あるいは気になる部分は?」

「やはり怖いなと思うのは、多くの人が疑問を持たないことですね。」

K「なるほど。」

「多くの人が持っているのが、周りの流れにフォローしてないと
自分が自分でいられなくなるという不安感。けれど、その不安感は
逆を言えば、『どれだけ自分が無いか?』っていうことを表しますよね。」

K「その通りですね。」

「その不安感から目を背けたいがために、
周りの流れを簡単に自分の中に受け入れてしまう。
それってものすごく危険だな~と思いますね。」

K「なるほど。自分で考えないって楽ですもんね。
けれど、大きな流れが間違った方向に進みだしたとき、
そのまま突き進むことになる。そういう危険性を常にはらみますよね。」

「あとは、もっと大きな視点の話をすると、
政治家など国のトップの言葉や、政策や教育改革の議論の中で
『人間教育』や『道徳心』あるいは『正義観』なりについての
話や話題が一切出てこない事ですよね。」

K「たしかに。」

「そういった根幹の話が、
大きな流れを決める上で、一切出てこないというのは
絶望的なことかもしれないと感じています。」

K「日本による途上国支援について何か感じる事はおありですか?」

「基本的に『支援』って難しいなと思うんですよね。
前提として自分にとって異質だから支援の手を差し伸べるわけじゃないですか?
同じだったら『支援』することはないから。」

K「そうですね。同じ経済水準、生活文化の人々に『支援』なんて
する必要無いですもんね。」

「だから本来『支援』というのは自分と異質の人達の事を理解して行わないと
いけないんだけど、実際はそれが難しいんですよ。異質だから(笑)。」

K「たしかに、そして遠く離れたところに居ると支援する方は、
その事をなかなか理解できないんですよね。現場とのズレが生じている、
そのこと自体に気付けない。結果として『支援』が副作用をもたらすこともある。」

「あとは、継続支援か、単発支援か?という違いもありますよね。
けど、これもどちらが良いとは言えないんです。」

K「そうなんですか?継続支援の方が良いというイメージがありますが。」

「継続的に支援をしていても、時間が経てばその分現地の状況も変わってきますよね。
それを支援する側が感じられず、結果としてズレが生じてくるんです。
そういうリスクを考えると単発支援の方がズレが少ないとも言える。」

K「あぁ、そうか。」

「やっぱり人間対人間なので、お互い変わるんです。だからこそ、
支援する側は常に『想像力』を働かせないといけない。それがとても難しんですよ。」

K「なるほど」

「実際に友人から聞いた話なんですが、
フランス人が運営するある孤児院で
子ども一人ひとりにベットを用意したんです。
フランス人にとってはそれは基本的な人権の尊重に
他ならない重要な事なんですよね。」

K「そうでしょうね。」

「けれど、実際には子どもたちは誰もベッド寝なかったんです。
ベトナム人はみんな涼しい床で寝るのが好きなんですもん。(笑)
これは笑い話で済みますけどね。こういうことが起こっている。
結局『支援する側』は自分達の先入観でしか『支援』が出来ないんですよね。」

K「現場の事を知る姿勢、それを継続することが必要なんですね。」

「そうです。そういった事も含めて『支援』するということの『怖さ』は
日本にいると普通は持っていないですよね。」

K「たしかに。」

K「日本が憧れられる国になるために何が必要だとおもいますか?

「あくまでも希望ということでいいですか?(笑)」

K「もちろんです。」

「希望を言うと先ほども話にあった様な『日本人の精神性』を
輸出できるといいですよね。ちょっと前の「MOTTAINAI」から始まってね。」

K「同感です!」

「これからアジアの国々は間違いなく物質的な飽和状態を迎えると思うんです。
そのときに精神的に安定した姿を日本が示すことができたら各国から尊敬されると
思うんですよね。」

K「なるほど。」

「そしてその精神性の先に技術も磨くわけです。
これから先、人類にとって何が本当に大切かっていうことを考えて、
その上で磨いていくんですよね。それに、
どうあったって、日本人の持つ技術力って
世界で必要とされつづけると思うんですね。」

K「問題はその精神性の輸出の仕方ですよね。」
 
「そういうの日本は苦手ですからね。」

K「それに比べるとアメリカってそういう発信するのがとても上手な
気がするんですよね。何にでも「アメリカ」っていうのを乗っけて輸出してる。
コンテンツにも、プロダクトにもね。「これがアメリカだ!」と
言わんばかりにね。」

「圧倒的ですよね」

K「なにはともあれ、第一歩としては私達自身が
本物の日本人にならなければならないですよね。その上で海外に出て行く。」

「ビジネスにおいても日本人ビジネスマンは儲けだけじゃないんだと。
自分のやりたいことはこれで、そのために来てるんだ。という姿勢が必要だと
思うんですよね。それが結果として業績にも繋がると思うんだけどね。」

K「そういった事のできる余裕を持った国って、実は少ないんですよね。」

⑤へ続く


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2011-10-15

『いま、世界を変えている日本人』 ベトナム 白井尋さん③ 

Q、過去を振り返って

K「尋さんは、どんな高校生でしたか?」

「たぶん私は消化不良だったんですよね。
当時は燃えるものが欲しかったんじゃ無いかな(笑)。先ほどもお話した通り、
基本的には言ってみれば真面目な生徒ですよ。
学級委員長やったりとかね。でも心の中では「つまんないな~」と思ってた。」

K「そもそも、海外に行こうと思われたのはいつ頃ですか?」

「物心ついたときからそう思っていましたね。
お話したとおり、やっぱりテレビの影響も大きかったと思います。
いつの間にか『自分はいつか海外に行く』そういうイメージを
自然に持っていたんですよね。」

K「そういう自然さっていいですよね。」

「ホントはみんなそういう風に自然に
自分の興味のあることに向かっていけるといいですよね。
それを引き出すのが教育じゃないですか。」


K「そうですよね。ちなみに初海外はいつですか?」

「高校生の時語学留学に行ったんですよね。
それが最初でした。それも学校が用意している交換留学使わずに、
わざわざ自分で見つけ出して申し込んだんです。
その語学留学後はますます栃木を出て、
はやく東京に出たいと思いましたよ。」

「なるほど。白井さんの人柄を知っていただくために、もう少し角度を変えて質問させてもらいますね。(笑)まず、好きな書籍や作家を教えていただけますか?」

「いっぱいあるんですけどね。やっぱりまずは『致知』でしょう。
それから以前から好んで読んでいたのは『三浦綾子』『曽野綾子』
『遠藤周作』『五木寛之』『武者小路実篤』とかですね。
一時期は『あいだみつを』さんの本も読んでいましたし、
あとは『和田重正』さんの本も読んでましたね。」

K「例えば、もしご自身に高校生のお子さんがいたとして、
何か本を勧めるとしたら何をすすめますか?」

「やっぱり『きけ、わだつみのこえ』ですかね。
 若いうちにあの本くらいのインパクトを与えないと
 スイッチ入らないんじゃないかな(笑)。」

K「いいですね。まっさらな気持ちで
 高一ぐらいで読むと心に響くでしょうね。」
 
「そうですね。あの作品は高校生ぐらいになったらわかると思うんですよ。
 あの本にはいつの時代の若者にも普遍的に共通する「家族への愛」とか、
 「自己責任」とか、あるいは「生と死のこと」であり「正義心」であり、
 そういった若者が必ず考えることが書いてあるわけじゃないですか。
 そういう意味で時を超えて、強烈なパワーがありますよね。」

K「確かにそうですね。」

「それに、あの作品を読むことで、
 あの当時の若者はこんな文章書けたんだ!とか
 こういう想いを持ってたんだ!っていう事を感じられると思うんですよね。」

K「おっしゃる通りだと思います。
 私も本当に驚いたんですが、当時の若者の、
 あの文章力ってどうやって養われたんでしょうね?」

「やっぱり当時は古典などをしっかり学んでたんでしょうね。
 そういうインプットが無いと、あれだけのアウトプットはできないでしょう。」

K「私は以前に東京にいたころ、
 「東京都戦没者霊苑」を訪れたことがあるんです。
 そこに併設された資料館では特攻隊などに属していた
 戦時中の若者が家族にあてた最後の手紙などの
 現物を展示しているんです。
 それを見た時に驚いたのは、どの手紙も文字がめちゃくちゃ綺麗なんですよね。」

「そうだよね。昔は文字が綺麗な人ばっかり。
 と同時に感心させられるのは、やはり彼らの想いだよね。
『お父様、お母様、何も親孝行出来なくて申し訳ありません』とかね。
 今だったら、自分もそうだけど10代後半でそういう想いを
 持つことって難しいと思うんですよね。」


K「そういった意味でも、強烈なインパクトがありますよね」

「ああいった手紙などは、今の若者には是非読んでほしいですね。」

「次に、尊敬する(していた)人物って誰ですか?」

「小さい頃尊敬してた人物はね、野球選手なんですよ。(笑)」

K「野球選手ですか?(笑)」

「そう昔西武にいた、石毛 宏典。」

K「あの石毛選手ですか?お好きだったんですね?」

「そうですね。自分はそんな人間ではないんだけど、
 日本風に言うと気合とガッツで周りを引っ張っていく
 そのために、自分は何でもやっていく。
 そういうエネルギッシュで、またアナログ的な姿が
 好きでしたね。

K「なるほど」

「彼は毎年オフシーズンに座禅を組んだり、修業をしたりとかしながら、
次の一年のテーマを書いたりするんですよね。
TVを通してそういう姿を見ていて、
子どもながらにこの選手は違うなって感じたんですよね。
実際結果も出ていましたしね。当時ライオンズはずっと優勝していた。
だから高校生ぐらいまでは、ずっと憧れていましたよ。」


K「面白いな~。けど、そんなに石毛選手の事を知る機会ってあったんですか?」

「あの頃はライオンズも全盛期でしたし、
 なにより今よりもプロ野球自体がフォーカスされていたんですよね。」

K「では結構、プロ野球選手の露出はあったんですね?」

「いまじゃ考えられないけど、当時は
 日本シリーズで優勝したチームのハワイへの慰安旅行とか
 二時間の特集でテレビで放送されてたんですよ。
 奥さんとか子どもさんとかも出ていてね。
 だから、プロ野球選手の存在が今よりも身近でしたよ。」

K「なるほど。今ほどプライバシーなどにもうるさく無かったでしょうからね。
 ちなみに、他に尊敬する人はいらっしゃいますか?」

「あとはね。僕の先生は玉置 浩二ですよ。」

K「!?、、、あの、玉置 浩二さんですか?」

「そう。あの玉置 浩二さんです(笑)
あの人からは人間的な影響をものすごく受けましたね。
大学時代から二十代にかけてずっと影響受けてましたね。」

K「具体的にはどういうところで影響を受けてらっしゃったんですか?」

「あの方は変わっているというか、生粋の芸術家なんですよね。
なんというか『皆で頑張っていこうよ。オレもダメだし、お前もダメだけどさ、
みんなで頑張って笑っていこうよ。』そんな感じだったり。」

K「なるほど」

「彼は、いわゆる一般の常識に捉われない作品を作ったりとか
生き方をしてきてるんですよね。人の痛みとか優しさとか、
人間の限界とか、社会の限界とかそういったものをいつも感じながら生きている。
そして、そういう事が作品にも出ている。」

K「面白い。」

「彼がよく言うのが『全肯定』っていう事なんです。」

K「それは結果として起こる事、全部OKって意味ですか?。」

「そう結果として起こったことは全部OKってことですね。」
 と同時に、彼は周りを魅了してやまないんですよ。」

K「というと?」

「昔からよく言われているのは、インタビューとか仕事で会いに行った人が
 一度彼に会うと、みんな好きになっちゃうんだそうです。
 そういった事をはじめとして、私は彼の作品や生き方を通じて
 大きな影響を受けているんですよ。」

K「作品っていうのは?」

「もちろん曲ですね。特に彼がソロになってから10年ぐらいの作品を
 ずっと聞いてましたね。小さいころからも聞いていたんですけどね。
 私が積極的に聞いていたのはその時期の作品ですね。
 私自身が理解出来て、かつ積極的に吸収したいと思えたので。」

K「なかなか出てこないですよね。
 尊敬している人で、玉置 浩二さんのお名前は(笑)」

「でてこないでしょうね。なんというか、芸術家になれない自分からすれば
そういう彼への憧れもあるんですよね。」

K「なるほど、では小さいころから、
 芸術とか、芸術家とかに興味あったんですか?」

「いや小さい頃は栃木の田舎で育ったので、
 そういったことにはあまり興味も抱かなかったですね。
 ただ、デザイナーにはなりたかったんですよ。」

K「なるほど。創造することに興味をお持ちだったんでしょうか?」

「そうですね。デザインといっても、特に人生をデザインすることにも
 興味があったんですよね。」

K「というと?」

「正確にはデザインという言葉を使うのも誤解を招きやすく危険なんですが、
私の考えでは商業的な計算をともなわない人生デザインをする人っていうのが
いわゆる芸術家であってね。仮に自分がそうではなくても、
自分の中でイメージをしながらそれを創り上げていきたい、
という想いがありましたね。」

K「なるほど。」

④へ続く

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『いま、世界を変えている日本人』 ベトナム 白井尋さん②

(フーンライ玄関前)


K「ベトナム家庭料理の美味しさを広めたいと思われた理由をもう少し詳しく
教えていただけますか?」

「やっぱり私自身がベトナムの素晴らしい文化を広めたかったんですね。
実はフーンライを始める一年前にテウテウというショップをオープンしたんですが、
そこでは敢えてベトナムの手刺繍の製品にこだわったんです。」

K「敢えて?」

「そう。単純にビジネスとして考えたら、手刺繍を扱うことは逆方向なんです。
単純に時間も手間もかかる。けれどお客さんはその手間の分を払おうとは
思わないですよね。」

K「そうですね。」

「だから商売だけ考えたら、機械刺繍の方がいいんです。
ほとんどのお客さんは機械刺繍と手刺繍違いがわかりませんからね。
ただやっぱり、両方を買って、手にとって何度も繰り返し使っていると、
違いが解ってくるんですよね。」

K「なるほど。」

「だから、やっぱり手刺繍というベトナムの素晴らしい技術があるので
それにこだわってやって行きたかったんですよ。」

K「なるほど。」

「『テウテウ』でベトナムの文化を紹介するハコは一つ出来た、
という感覚はあったんです。けど、その後もっと自分の好きな
ベトナムを紹介していきたいっていう欲が出てきたんです。
それに加えて、ブティックは女性向けだけど、レストランは万人向けに
伝えられるじゃないですか。そういう考えもあって、
レストランを始めることになったんです。」

K「ちなみに当時ベトナムの人々自身は
ベトナムの文化に誇りを持っている感じは無かったんですかね?」

「そうですね。けど、それはどこの国でも一緒じゃないでしょうか。
やっぱり自分の国のものよりは、自分達に無いものに憧れる。というのかな。」

K「なるほど。では、ベトナム人で
敢えてベトナム家庭料理レストランを開こうっていう人は
なかなかいなかったんですね。」

「だと思います。今でもあまり見ないですしね。
例えばワインにしても、うちはベトナムのダラット産ワインしか
置いていないんですよ。もちろんビジネスを考えたら
高級なフレンチワインを置いた方が利益もあがるし、絶対に良いわけです。
けど、「ベトナムを紹介する」というコンセプトを考えたら、
やっぱりフレンチワインを店には置けないんですよね。」

K「確かに。」

「それに自分で味わって「これはいける」と思えるベトナムワインが見つかったんです。
それを提供することが、お客さんにとっては新たな出逢いになるわけですよね。
『こういうワインがベトナムにもあるんだ!』ってね。」

K「そうして生まれる『お客さんとベトナム文化との出逢い』
その瞬間の感動を提供したいわけですね。」

「そうですね。」

K「しかし、そもそも、なんでベトナムなんですか?」

「何故、渡航先としてベトナムを選んだか?ですか。
先ほどもお話したとおり、小さいころから海外には興味があったんですよ。
なので、大学時代にバックパックを背負って世界のいろんな国を旅したんですよね。
その時の経験から自分は東南アジアと波長があったんですよね。
当時東南アジアは今よりも、フレッシュで、エネルギッシュであり
しっちゃかめっちゃかだったんですよね。そして、自分も若かった(笑)。」

K「なるほど。波長が合った。」

「なので異質であると同時に、同質な部分も感じられたんですよね。
だから面白いなと感じていました。」

K「なるほど。」

「中でもベトナムを選んだのは、偶然なんです。
まず海外に出ようと決めてから。では、どこに行くかを考え出した。
当時、日本の図書館で、いろいろリサーチして国を決めようとしたんです。
そのなかでビザや語学学校など様々な条件が整っていて、
かつ面白そうだなと感じたのがベトナムのサイゴンだったんです。」

K「最初ベトナム語でのコミュニケーションは苦労しませんでしたか?」

「もともと語学は好きだったんです。
だけど、それでも最初の二カ月ぐらいは壁にぶち当たりましたね。
発音が出来なかったんですよ。」

K「声調多いですもんね。(笑)」

「『このまま話せないんじゃないかな?』なんて考えたりしましたもんね。
なので、こちらで日本語を勉強しているベトナム人を捕まえて
曜日ごとに相手を変えてはベトナム語の勉強をさせてもらって、
夜は路上の売り子さんを相手にベトナム語を勉強して、
それを続けていく事で、なんとか話せるようになりましたね。」

C「では、ベトナムの食文化の豊かさなども
こちらに来てから気がついたんですね。」

「そうですね。」

K「当時、日本人って歓迎されてました?」

「やっぱり日本人は愛嬌あるから、好かれてましたね。」

K「孤児院との出逢いについて詳しく教えてください。」

「私がベトナムに来て四年ぐらいした頃に、とあるNGOが翻訳ボランティアの募集をしていたんです。
面白そうだなと思ったので、それに申し込んだんです。
そしたら、そのNGOに日本人スタッフが居て、
その方の紹介である孤児院に出逢ったんです。」

K「なるほど」

「その頃ベトナム生活も四、五年目に入り、
ベトナムの社会に対して客観的な考え方も持てるようになっていたんですね。
なので、もう少しベトナム社会に入って行きたいなって思ってたんですよ。」

K「ベトナム社会に関わっていきたいと思われたんですね。」

「自分の中にベトナムに対して『感謝』や『罪悪感』や『愛着』といった
いろんな感情が生まれて来てたんです。それを形にしたいなと思ったんですね。」

K「当初ベトナムに来るときには
『何年くらい居よう!』とか決めていたんですか?」

「まったく決めてませんでした。
私は、元々小さいころから夢を見る事をしなかったんです(笑)。
常に予感に生きていたというか、
『これは正しいんじゃないか』って自分が感じるものを大事にしてきたんです。」

K「面白いですね。」

「なので『2、3年はいるだろうな』っていう予感だけを持っていたのかな。
とにかく、『決める』のは自分のスタイルじゃなかった。」

K「結果として15年近くベトナムにいらっしゃるわけですが、
腰を据えると決めたのはいつですか?」

「大きなターニングポイントはなかったかもしれないですね。
自然とそうなっちゃった(笑)。つまりね、私にとっては
ベトナムに住んでいることがだんだん非日常から、日常になっていくんですよ。
わかりやすくいうと「ベトナムに来てもう一年か」という風に数えなくなるんです。」

K「なるほど、そういう意味で自然に現在に至っているんですね。
そして「よし!やるぞ」って決める瞬間も無かった。それって凄く面白いな~。
私の経験としては、日本の若者が非営利分野で起業するとなると周囲の人々から
『骨をうずめる覚悟があるのか?』ってな事を聞かれるケースが多いんですよ。
けど、考えてみると、それは本人が言いたいことじゃなくて、
実は周りが言ってほしいことなんですよね。」

「それに比べると、私はやっぱり小さいころから周りの意見に
流されたくなかったんですよね。(笑)」

K「そうなんですね(笑)」

「私自身が子どもの頃を振り返って良かったなと思うのは、
自分が小さいころから学校を信じて無かった事なんですよ。」

K「良い意味で疑問を持っていたんですね。」

「普通田舎の子ってね、従順だから、学校のこと信じちゃうんですよ。
学校が全てで、先生が全てなんです。だから校則や、教材などをはじめ
言われること全部に従うし、信じちゃうんですよ。」

K「そうですね。僕自身も実感しています。」

「そういう「当たり前」と言われることを簡単に信じちゃうんですよね。
私はそれが苦手でした。もちろん学級委員とか生徒会とかやってたんで、
決してひねくれものってわけでも無いんですけど、心の底で信じてはいなかった。
それが結果として良かったなと、いま思いますね。」

K「とても重要なお話ですね。」

「例えば当時、学ランの首周りの白いカラ―をつけるのがどうしても
嫌だったんですよ(笑)。それに「カラーをつけないと不良」っていう
周囲の考え方もわかんなかったし(笑)。」

K「面白いな~。おっしゃられる通り、
そういう『常識』とか『当たり前』とされていることを鵜呑みにしないで、
一度きちんと自分で考えて、それから判断するってとても大事な事ですよね。
日本では何かステレオタイプにはめるのが好きなんですよね。」

「そうだね。ただ、戦後そのおかげで成長してきたのも否定できないんだよね。」


K「確かにそうですね。話を戻しますが、
では孤児院の子ども達のための事業という一面は
強烈な原体験があってから始めた。という訳ではないんですね。」

「そうですね。」

K「ちなみに、ベトナムの孤児院は何歳まで受け入れているんですか?」

「基本的には16歳までです。
以前は16歳以上を受け入れる所もあったんですけど、
つぶれちゃったんですよ。子どもたちが暴動を起こしてね。
あまり知られていないけど、本当は孤児院の運営ってものすごく大変なんです。」

K「なるほど、でも子どもたちにとって一番重要なのは
その16歳から20歳くらいまでの数年間をきちんとフォローしてあげる事ですよね?」

「おっしゃる通りです。その時期にきちんと真っ当な道を見せてあげることが
重要なんです。その時期に出逢うもの次第で、良くも悪くもいくらでも変わりますよ。」

K「なるほど」

「例えば、孤児院に居るまでは良かったけど、
 そこを出た途端、悪い友達とつるむようになって
 売春に手を出して、病気をもらって死んじゃった子もいますからね。」

K「なるほど、そういった事を踏まえて伺いますが、
フーンライをはじめて既に10年経つわけですが、
これまで一番苦労されたことってなんですか?」

「これまでというか、常に苦労するのは、
やはりそういう環境で育った子たちが相手なので、
子どもたちが人との接し方とか愛情の示し方とかが苦手なんです。
なので結果として、すぐ仲間割れとかをしちゃうんですよ。
そこら辺の解決や防止、子どもたちの導き方っていうのは今でも頭が痛いですね。」

K「そういう、愛情不足だったり、親すら信頼できないといったバックグラウンド
を持つ子ども達との『信頼関係』ってどうやってつくるんですか?」

「そもそもベトナムでは『信頼関係』を築くこと自体すごく難しいんですよ。
それが出来る子はできるし、出来ない子はどれだけ時間をかけても出来ない。
例えば、昔はうちのスタッフ間でも平気で盗難とかありましたからね。」

K「スタッフの間で?」

「そう。同じ貧しい境遇の間柄でも盗るんですよね。
自分も最初はびっくりしましたよ。『同じスタッフのモノでも盗るんだ!?』ってね」

K「それは凄まじい状況ですね。」

K「一方でフーンライを運営していて嬉しいことって何ですか?」

「嬉しいことって、日々の事なんですよね。
例えば、子どもたちが英語が話せるようになるとか、
お客さんとコミュニケーション出来るようになるとか
そういう彼らの成長を感じられると嬉しいですよ。」

K「尋さん自身、経営者であるとともに教育者としての役割もおありになるんですね。」

「僕が言うのもなんですけど、そうですね(笑)。
あとは純粋にお客さんに料理とサービスを提供して、喜んで頂けることですよね。
気に入ってくれたお客さんが何度も足を運んで下さったりする。
そういうスタッフ全員で共有できる感動が、日々あるんです。
それも大きいですよね。」

K「なるほど、そういった両面の喜びが、ご自身のモチベーションになるんですね。」

「それとは別に以前、とても感動したことがあるんです。
ホーチミンにマジェスティックホテルという五つ星ホテルがあるんですが、
そこで私の結婚式を挙げることにしたんですね。なので、ある日下見を兼ねて
そのホテルのレストランに食事に行ったんです。
その時、そこで食べた料理がすごく美味しくて、夫婦で感動していたんですね。」
そうしたら、そのレストランのキッチンから、ふと以前フーンライに居た子が
出てきたんですよ。」

K「おぉ。」

「その子が『今日はもう上の人間が帰ったから、いまは俺が料理をつくってるんだ』
っていうんですよ。」

K「え、すごい!」

「彼がマジェスティックに入ったのは知っていたんですけど、まさかここまでの
料理を出しているとは思わなかったので『これ、お前が作ってんのか!?』
って言って驚いちゃった。」

K「それは嬉しいですね~!」
ちなみに、今まで何人くらいの子がフーンライを巣立ったんですか?

「50人くらいですね。
そのうち八割位が『この子なりに学んでくれたな』という気持ちで送り出せましたね。」

K「残りの二割は?」

「問題起こして辞めちゃったりですね。」

K「なるほど、卒業した子はみんなホーチミンで就職するんですか?」

「いや、ムイネーやダナンに行く子もいますよ。
来週もある子から相談を受けるんですけど、その子はホーチミンのニッコーホテルと
ダナンの五つ星ホテルとどちらも受かっていてね。どっち行くか迷っているから、
相談に乗るんですよ。」

K「凄いですね。ちなみにベトナムではホテルなどの採用は実力主義なんですか?」

「そうですね。特に外資はそうです。」

K「なら、学歴とかそういった変な縛りは少ないわけですね。」

「ただ、うちに来るような子どもたちにとって一つ問題なのは
IDカードが無いということなんです。日本でいえば、
本籍が無い子がいるんです。そういう子はどれだけ実力があっても、
高級ホテルへの就職が難しいんですよね。」

K「本籍が無い?そんなことがあるんですか?」

「そうなんです。そういう子どもたちは誰かの籍に入る事でしか
IDを取得できないんです。けれどそれはなかなか難しいんですね。」

K「日本人にはイメージ出来ない事ですね。」

③へ続く


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2011-10-14

『自分が認められる自分でいたい』  いま、世界を変えている日本人インタビュー 第一弾 ベトナム 白井尋さん①

はじめに(企画趣旨)

世界一周旅を始めて、はや四か月。
多くの出逢いを通じて、私はひとつの衝動にかられています。

それは「私が出逢った格好良い大人達の姿を日本の若者に伝えたい。」
という衝動です。

近年「社会起業家」や「NPO」といった言葉に代表される
新しい生き方が日本にも急速に浸透しています。

しかし、未だに一つの生き方としてそういった生き方を生業として生きていくことが
難しい現状もあるかと思います。

私の旅のテーマの一つは、
その現状を打破するアイデアを生み出す事なのですが、
そういった視点で旅をしていると、道すがら出逢う日本人に
とてつもなく輝いて見える方がたくさんいらっしゃるのです。

彼らからお話を伺えば伺うほど、
その思考パターンや信念、人生観などがエネルギーに満ち溢れていて、
クリエイティブな事に感動しています。

まるで大きな木と会話しているような感覚なのです。

そして、何より彼らの言葉には「説得力」があるのです。
なぜなら、彼らがずっと「現場」に立ち続けているからだと思います。

少し、話が飛びますが、私自身の経験として、
中学や高校のころ、両親を始め「尊敬できる大人」はたくさんいたけれど、
「カッコいい大人」「憧れられる大人」には出逢えませんでした。

「ああいう大人になりたい!」

そういった、いわゆるロールモデルと呼ばれる大人の背中に出逢う時期は
なるべく早い方が良いと実感しております。

そんな想いを持っていたこともあり、
私は
「海外で」
「事業を興し」
「長年に渡り」
「誰かのために」
「現場に立ち続けている」
「日本人」
をテーマに取り上げ、そんな人々の背中を
日本の中学・高校・大学生といった感性豊かな若者に
届けたいと考えるようになりました。


取材にあたっては、
本人へのインタビュー
関係者・スタッフへのインタビュー
サービスの受け手へのインタビューの3点を軸にする予定ですが、
ブログ上ではおもに本人へのインタビュー内容のみを
ご紹介していくことになると思います。

いずれにせよ「現場」から「本物」の姿をお届けすることに
こだわってお届けしますね。

では、最初の一稿を下記にご紹介します。


ベトナム、ホーチミンからお届けするのは
レストラン フーンライのオーナー兼マネージャー
白井尋さんへのインタビュー内容です。




***************************************
『自分が認められる自分でいたい』 白井尋さん ベトナム、ホーチミン

《インタビューを読む前に伝えたいこと》

私たちは以下の白井さんご本人へのインタビューの前に
現在フーンライで働いている十代後半の子どもたちや、フーンライ卒業後、
五つ星ホテルで副マネージャーを務めている方にお逢いしてそれぞれにお話を伺いました。

彼らへのインタビューで何よりも印象に残っていることは、「フーンライに来たことで何が変わった?」という問いかけに対して、彼らがみな「自分が目標や夢を持つようになった」と答えたことでした。

これがどれほどスゴイ変化なのか、日本に居る皆さんにはなかなか想像がつかないかもしれません。

私たちはホーチミン市内をはじめ、ベトナムで多くの子どもが路上で働く姿を見かけました。
その仕事のほとんどが、一枚10000ドン(約40円)の宝くじ売りや、靴磨きといった些細なものです。

一日の収入は20000~30000ドンだと聞きます。ある晩には夜八時ごろ小学一年生くらいの女の子が、
私達が食事をしているテーブルにひと箱40円のガムを売りに来るといった事もありました。

そんな現実の中にいる子どもたちに「夢や目標」という言葉がどれほどの意味を持つでしょうか?
ただただ「今日をどう生きるか?」そのことに必死なのです。

そして、そんな子どもたちにとっては日本では当たり前の「教育」を受ける機会すら、
未だに大変貴重なものなのです。

そんな彼らとここベトナムで10年以上もの間、寄り添って歩んでこられた白井さん。
以下は、そんな白井さんとのお話です。

《白井さんの略歴》
1973年生まれ
栃木県、那須出身

大学卒業後、一年の社会人経験を経て単身ベトナムへ
大学でベトナム語を学んだあと、
ベトナム雑貨の日本への卸売業を営む。
ベトナム手刺繍ブティック「テウテウ」開業。
2001年からレストラン「フーンライ」開業
以後、オーナー兼マネージャーとして現場に立ち続け、
現在に至る。


《白井さんの現在のお仕事》
レストラン「フーンライ」は
二つの顔を持っている。

一つは本物の美味しいベトナム家庭料理を
外国人に伝えていくためのレストランとして。
もう一つは、孤児院出身の子どもたちなど、機会に恵まれない若者への
「英語」「サービス」を中心とした「教育及び独立支援の場」としての側面である。

これまでに
約50名の若者がフーンライを巣立っており、
その多くは卒業後、各地のレストランや五つ星ホテルなどで、プロとして働いている。


これらを踏まえて、以下インタビュー内容をどうぞ。
****************************************
(以下K,Cはインタビュアーの発言、それ以外はご本人の言葉)













(写真左が白井さん、フーンライ店内にて)

Q、現在のお仕事について。

K「そもそも、フーンライを始められたのは何年前ですか?」

「いまから約10年前ですね。」

K「10年間、ずっとこの店舗で営業を続けているんですか?」

「そうです。店舗どころか家具や内装に至るまで
ほとんど10年前のものを使っていますよ。(笑)」

K「ちなみにフーンライは、お一人で始められたんですか?」


「言い出しっぺは自分ですが、もちろん友達やスタッフに
手伝ってもらいながらですね。経営という意味では
自分が主体でやっていますが。」 

K「何も知らない人が傍目から見れば、
単にレストランの経営を行ってると映るんですが、
具体的には誰のために事業を行われているか教えていただけますか?」

「フーンライの目的は大きく二つあります。
最初のひとつはベトナムの美味しい家庭料理を
外国人に味わってもらう事ですね。」

K「なるほど」

「実はベトナムには外国人が入りやすい、ベトナム家庭料理を出す店は
昔も今もあまり多くないんです。とはいえ、不慣れな外国人観光客だと、
なかなか屋台ばかりに行くわけにもいかないでしょうし、
そういう店に行くと、それなりのものしか出てこないんですね。」

K「そうですね。」

「なので、外国人が入りやすくてしかも、飽きずに食べられる
美味しいベトナム家庭料理を提供するお店を創りたかったんです。
私自身もともと料理は食べるのも作るのも好きだったし(笑)。」

K「なるほど。」

「それに自分の実体験として、
ベトナムに来てはじめの頃にこちらの家庭料理を良く食べる機会があったんですね。
その印象が強烈だったんですよね。」

K「とおっしゃいますと?」

「ベトナムに来た当初は、
街中のビンザン(大衆食堂)の食事を「美味しい」って食べてましたけどね。
こちらの家庭料理を知れば知るほど、
実はビンザンのご飯が美味しくないって気づかされたんですよ。」

K「へぇ~」

「考えてみればビンザンっていうのは結局、
商売優先だから、安くて、種類があって、ボリュームさえあれば良い。
そういうスタンスなんですよね。なので、テキトーにしか作らないんですよ。」

K「とりあえず何でも味の素で味付けしとけ!って感じですもんね。(笑)」

「かたや家庭料理は家族のために時間をかけて作るんです。
だから美味しいんですよね。」

K「そうでしょうね。」

「それに私は嘘っぱちってあんまり好きじゃないんですよね。
だから外国人がベトナムにきてそういう大衆食堂にだけいって、
美味しい本物のベトナム料理を知らないで帰るのが嫌だったんですね。」

K「なるほど。」

「それに私自身ケチなんで(笑)
そんなに高くない設定で料理を提供できるお店を作りたいと思ってました。」

K「なるほど。そういう意味で一つは美味しいベトナム料理を
提供するレストランとしての一面があるわけですね。」

「そしてもう一つの目的が、
ベトナムの孤児院などで育った若者たちに
『機会』を与える場所、一種の教育の場を提供することなんです。」

K「どうして、そういうお考えをもたれたんですか?」

「ある時期に、偶然出逢った孤児院で生活する若者達に感銘を受けたことがあるんです。
はじめて彼らに出逢った時はびっくりしたんですよね。
彼らは英語もできるし、志も高いし、考え方もしっかりしてる。
『スゴイなこいつら!』と思った。
けれど、彼らはそこにいる限り、衣食住は与えられるけど、
それ以上の教育などを与えられるわけでは無い。
そして16歳で孤児院を出た後は、もう自活するしかないんです。」

K「彼らはどんな仕事をして生活するんですか?」

「いまもそうだけど、例えばそういった所を出た男の子は
ほとんどバイク修理の仕事をするんですよね。」

K「なるほど」

「けれど、自分が元々文系なのもあって、
そういう機械仕事に向かない子がいるのもわかるわけですよ。
なので、そういった子供たちに、もう少し別の機会を与えたいなって
思ったんですよ。」

K「そうでしたか。」

「自分も学生時代に部活やなんかで、
さまざまなチャンスを与えられた結果変わってきたので、
彼らもチャンスさえ与えられればさらに変わるだろう、っていうのがわかっていた。」

K「なるほどそのチャンスを与えたいと思ったわけですね。」

「そう。人生にチャンスは必要だからね。
当時の私のイメージしていたのは部活ですよ。
27歳の自分が、10代後半の若者と一緒に新しいものを創っていこう、みたいに。」

K「なるほど、そういう意味で
一つは美味しいベトナム料理を外国人に提供するレストランとして、
一方でベトナムの貧しく、機会に恵まれない若者への教育の場としての
二つの目的を果たすためにレストランを始められたんですね。」

「そうです。」

②に続く


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2011-10-10

サイゴンからプノンペン バス移動

結局2ヶ月間も滞在したベトナム(そのうち1ヵ月はサイゴン)。

ベトナム人の方、日本人の方、アメリカ人の方
年齢も国も職業も本当に様々な方との出逢いに恵まれ、
「うちらの旅はやっぱ人との出逢いだね」と、
これまでの想いが確信に変わった国でした。

さぁ、とはいえ、いつかは前に進まねばなりません。

2011年10月29日、プノンペンに向けて出発です!

バスはデタム通りの日本人御用達旅行会社『TNK』にて手配。
なぜかって、選べるバスの種類と時間が豊富だったのと、
確実にトイレ付きのバスに乗りたかったから。

相場よりちょっと高めの『メコン・エクスプレス』をチョイス。
朝8時集合、8時半発、お一人様12ドル。



ちょっと高いなーと思ったけど、
トイレ付きの安心感に加え、充実(?)のサービス。

バスに預ける荷物にタグをつけてくれ、
朝食なのかおやつなのか、ABCベーカリーのパン2個と
ミネラルウォーターが配られました。

所々で英語の車内説明もあり。
クーラーは寒すぎる事もなく適温。
車体はそこまで新しくないけど、クッション付きでシートもまずまず。

トイレさえ付いてれば良かったんだけどね。

************************************************************

プノンペンまでは約6時間とのことでしたが
国境通過に1時間くらいかかって合計7時間ちょい。
バスの中でカンボジア出入国カードとビザ申請書を渡されます。

こちらがベトナム側国境。
一旦バスを降りて出国です。



社会主義国だからか、なんだかお堅い印象ですね。
けれども出国審査は至ってゆるい。

バス会社のスタッフがバスの中でパスポートを回収し、
出国スタンプをもらってくれるので、
私たちは出国管理官の前にたむろして名前を呼ばれるのを待つだけ。

名前が呼ばれたらパスポートをもらって出国。
その際、出国管理官の前を素通り。
審査はなーんにもありません。


お次は入国。

国境を歩いて渡りたい!と思ったものの、
カンボジアのイミグレまではまたバスに乗って移動。
残念。



ゲートの向こうがカンボジア側へのイミグレへ通じてます。

途中、バスの中からカンボジアのイミグレをパシャリ。



こちらの国境は雰囲気がガラリと変わって南国ムード。
屋根がイカしてます。

ビザは自分達でとれば20ドルですが、バス会社のスタッフにお任せしたら25ドル。
私たちは面倒なので頼んじゃいました。

バスの中でスタッフに再度パスポートを渡し、
入国審査前にビザ付きのパスポートを返してもらいます。

入国の審査はさすがにちょっと厳しく(というか普通)、
顔や指紋をチェックされました。

とはいえ何の問題もなく、入国完了!
韓国から数え、ようやく4ヶ国目、カンボジア入国です!

5月に日本を出国してからすでに4カ月ちょい!

************************************************************

なお、バスはイミグレ通過後にランチ休憩。
そのまままっすぐ道をプノンペンに進みます。

道路はきちんと舗装されており、
また中国ほど道が大きくないせいかスピードも出ず
快適な旅でした。

ベトナム国境までの道も至って快適。

バスが到着したのはプノンペンの有名なゲストハウス『キャピトル』や
オルセーマーケットの近くです。
さっそくトゥクトゥクに乗って宿へと向かいます。

************************************************************

新しい国に入って心機一転!
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2011-10-09

「いくらかわからないと、恐くて入れない」 観光JAPON 正札の威力

観光JAPON
「正札」の威力。

アジアでのバックパッカー経験のある方はご存知の通り、
ベトナムに限らずアジアの街かどで買い物をしていると
値段が表示されていないことが多々あります。

例えば、お土産もの、安食堂の食事、ホテル料金あるいは
レンタルバイクの値段といったものもそうです。

おわかりの通りこれは、
店側からすればお客(特に外国人観光客)に対して
価格交渉の際有利にことを勧めるためにも、当然の措置です。

1ドルのものを
とりあえず5ドルと言ってみたりね。

なので「正札」が無いと
お客はしばしば価格交渉に一定のエネルギーを
使わねばなりません。

これが面白いところでもあるのですが、
ある程度わかってくると、これが面倒くさくなってきます。

私たち自身、旅も五カ月目に入り
自分達なりの購買行動のパターンが決まっています。

特に日用品、消耗品はスーパーなど価格のハッキリしたところで買い、
それ以外の贈答用の品にしても、同じものが売っていれば「正札」がある場所で購入する
というのがスタイルになってきました。

つまり、「いくらかわかる」お店で購入することが多くなるのです。


また、こんなこともあります。

たま~に、門構えも内層も立派で
「こりゃ、見るからに高いな!」と思われるカフェやレストランに
人に連れられて入ることがあります。

もちろんそんなお店に「正札」などなく、
入口にはメニューも置いておりません。

私達だけなら絶対に入らない(笑)お店です。

しかし、実際に店内でメニューを見てみると
「意外とそうでもないな」と思うことが多々あります。

むしろ、この雰囲気、サービス、味に対して
「この値段は安いな~。」と思うのです。

そんな時は
「表にメニュー置いておいてくれればいいのに(笑)」
と感じますね。


さて、翻って日本を旅行する外国人観光客はどう感じるでしょうか?

一概に言えませんが、
外国人からすれば東洋の島国で
はじめて使う通貨で(しかも呆れるほど物価の高い国で!!)
買い物をしているわけです。

やはり「値段がわからない。」

ということは、ともすれば財布のひもを閉じたくなる
一因になるのではないでしょうか?

もちろん、
とはいっても日本はとても親切な国です。
ほとんどの商品が価格を堂々と表示しています。

ですが「都市から田舎」「新しいものから伝統的なもの」に向かうにつれて
様子が少し変わるようにおもいます。

例えば各種武道や茶道、華道といったもの。

本来ならば、外国人観光客に強く訴えていきたい
日本の「古き良きモノ」そういったものほど、
「高そう」だし「いくらかかるか解らない」と感じたことはありませんか?

いわゆる「敷居が高い」という感じです。

日本人の私でも感じまるのです、
外国人にも感じられるのではないかな?と心配しています。

そういった視点から、
外国人観光客に本当の日本を心地よく楽しんでもらうためにも
必要なものには「正札」を張って安心させて挙げる。
これも、大切なことかもしれません。

以上


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2011-10-07

「NY在住、太極拳マスター」 公園力@ホーチミン、ベトナム

私たちは世界一周旅(しかも貧乏旅行)にも関わらず、
ホーチミンには約一か月滞在しました。
私達にはベトナムの雰囲気がとても合っているんです☆

さて、そんなホーチミンでは
ほぼ毎朝のようにファングーラオ沿いの公園に通っておりました。

太極拳を練習するためです。

8月末ホーチミンに到着したその朝に
公園を散歩していたら隅っこで太極拳をしている人々を見つけたことがきっかけです。

太極拳にはずっと興味があったのですが、
中国でもなかなか教わるチャンスがありませんでした。

そこで、これはチャンス!と、
普段シャイな私も勇気を出して、

「僕も混ぜてもらっていいですか?」

と声をかけてみました。すると、

「もちろん、ようこそ!!」

ということで、あっさりその日から参加することになりました。

毎朝7時~10時の間練習をしており、
参加者は好きな時に来て、好きな時に帰ります。
有難いことに、無料です。

教えてくれるのはNY在住のベトナム人キー先生。
見た感じ、そこら辺の人とはオーラが違います。

毎年冬はNY、春から秋はベトナムで過ごしており、
ベトナム滞在中は毎日のように太極拳を教えているそうです。
もちろん英語もお話になるので、
意志疎通が図りやすいのです。

参加者は基本全員ベトナム人です。

英語教師をやっているお姉さんや、
横浜に住んでいて一時的に帰国してきたおばちゃん、
電力会社の社員さん、
大学生や
怪しいシクロおっちゃんなど様々です。

この太極拳教室に参加していたこともあり、
毎朝のように公園に通うわけですが、
この公園自体も「公園力」の高い素敵な公園でした。


ここには老若男女、さまざまな世代が集まります。

散歩をする人、
ベンチでおしゃべりする人、
変な体操をするひと、
セパタクローやバトミントン、
園内の池では釣りをしている人もおりました。

また、このは外国人バックパッカー向けの安宿街の目の前ということもあり、
外国人の利用者もたくさんいるのです。

また、この外国人を狙って
お土産物販売や、英語の勉強をするために
公園内をうろうろしている人々もたくさんいます。


そういったごちゃごちゃ感がありながら、
広い敷地のおかげもあり、
良い距離間でみなが思い思いに過ごすことができる場所でした。

加えて、管理も行き届いており
園内全体が常に清潔に保たれております。

毎日のように草木の手入れをする人もいますし、
一回1000ドン(4円)の有料トイレも清潔です。
何より、中国と違って(笑)ゴミをポイ捨てする人がほとんど居ない。

いつ、訪れても
ブーゲンビリアと蓮の淡い赤の美しさが際立ちます。
10年前と比べてホーチミンの街並みは大きく変化していましたが、
この公園の雰囲気は変わっていませんでした。

朝から晩まで、
人が絶えず集まり、笑い声に満ちている素敵な公園でしたよ!
ホーチミンを訪れる際は是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか!?
なお、太極拳の先生とはNYでの再会を約束してお別れしました!
キー先生、一カ月に渡るご指導ありがとうございました!!

以上

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2011-10-06

サイゴンで高い場所に登る!

賢も千明も7~8年ぶりにサイゴンにきてびっくり。
「なんやあの高いの!!?」
「まさかヘリポートまでついてる??!」

その正体は、
Bitexco Financial Tower (ビテクスコ・フィナンシャルタワー)です。
ベトナムの国花である蓮の花のつぼみがモチーフだそう。
(建設は韓国)

高い場所が好きな私達。

20万ドン(約800円)という値段に多少尻ごみしつつも、
周りからの評判がなかなか良いので
思い切って足を踏み入れてみました!


************************************************************************

高さ262m(東京タワーより低い!)で68階建て。
49階にスカイデッキ(展望階)があります。

マレーシアのタワーと違い、入口もスカイデッキも
ひとけが無くガラガラ(笑)


でもサービスマンはとっても丁寧でした。

わくわくしてエレベーターから出てみると、「おぉ!」
予想以上に見晴らしが良い!

街全体から空港、その向こうまで一望できます。

まだまだ高層ビルは少ないサイゴンでは
フィナンシャルタワーが今のところ一番高い建物。

こうやって改めて街を見てみると、
留学時代からだいぶ変わったなー、とちょっとしんみり。

まずサイゴン川の向こう側のエリア。
これから開発が進む予定なのか、さら地になっているところが目立ちます。


留学中は川の向うにバイクで渡って
川沿いの小道をのんびり走るのがお気に入りの散歩コースでした。

また、大開発が進んだ7区のあたりは
そこだけ高いビルが並んでいるのがわかります。

この写真のだいぶ後ろの方。たぶん。


もし10年後に再度サイゴンを訪れたら
きっと今とは全く違う都市の様子が見られることでしょう。

今まで見知らぬ土地で高いところに登るというと
キレイな景色を見たい、その街の全景を手っ取り早くつかみたい、
という目的が主でしたが、
自分の知った街で高いところに登ると、
その街の過去・現在・未来の様子、人々の暮らしに想いを馳せ、
想像を巡らせることになるんだなーとしみじみ感じたのでした。

みなさんも身近なタワーに改めて登ってみては?
別府の人なら別府タワーもオススメですよ!

************************************************************************

フィナンシャルタワー スカイデッキ情報

入場料
大人:200,000ドン
子ども(4~12歳)・高齢者(65歳以上)身体障害者:130,000ドン
子ども(3歳以下):無料

営業時間
日―木:09:30~21:30
金・土:09:30~22:00
チケットの販売&入場は閉館の45分前まで

住所
36 Ho Tung Mau, Ben Nghe Ward, District 1, HCMC
(路線バス1番)

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2011-10-04

ホーチミン市内移動はバス!

7~8年前、千明がサイゴンに留学していた時の足は
もっぱらバイク!『Honda Super Cub』でした。

原付なら免許がいらないし、
やっぱベトナムに来たらバイクだよね!という軽いノリで
日本でも乗ったことない原付を中古で購入。
何度か道で他のバイクに衝突しつつも、
快適なバイクライフを送っておりました。

しかし、今回の滞在ではバイクを借りなかったおかげで
バスの便利さに目覚めることができました!

何といってもその安さが魅力!

タクシーだと10万ドン(約400円)かかるところも
バスならたったの4000ドン(約16円)。
どこまでいっても4000ドンなんです!

バスのグレードやシステムは行き先によって様々。
古いものはクーラーもついてないけど
新しいのは日本のバスと比べても遜色ありません。

支払いも車掌がいるタイプと運転手が一人で管理するタイプがあります。

とにもかくにも、バスに乗るにはまずバス路線図をゲットしましょう。
路線図はベンタイン市場前のバスターミナルで無料でもらえます。

また、バスのHPはベトナム語のみですが、
左側の"So do tuyen"をクリックすると以下の路線図を確認することができます。


表は路線図、裏は各ラインの行き先と停留所の一覧です。
便利ですね~。

ではバスの乗り方。

①行きたい場所にバスが通っているか確認
②バスの番号を確認
③バス停でお目当てのバスが来たら手を挙げて運転手にアイコンタクト(重要)
降りる人がいないと、バス停は結構素通りされます。
④前から乗車。
⑤車掌がいればまず席を確保、いなければ入り口で前払い(4000ドン)
⑥車窓からの風景やバスの乗客を眺めて楽しむ。
⑦降りる場所が近づいたら下車ボタンを押して後ろの出口に進む。
⑧バス停があってたら下車、間違ってたら無視して次へ。


ただ、バスに乗ったはいいものの、
日本のバスのように各バス停の前でお知らせはしてくれません。
たまにしてくれてもベトナム語を聞きとるのは旅行者には至難のわざ。

なので、私たちもバスを降りるときはいつもカン(笑)。

行き先がどんなところか事前に知っていれば、これで結構なんとかなります。
あと、地図を見ながらとかね。

または、停留所名がわかっていれば運転手や車掌に告げて
バス停に着いたら教えてもらうという手もあります。

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ホーチミンのバスシステムをなんとなくつかんでいただいたら、
次は実際に私たちがよく使っていた路線をご紹介しましょう。

まずは何と言っても1番バス。

ベンタイン市場とチョロンを結ぶラインで、
最新の車体が導入されています。

バスを外の正面から見ると、行き先が電光掲示されており
遠くからでも見つけやすい!
ブルーの車体です。

このバスは私たちが泊まっていた宿の近くにバス停があり
(デタムやブイビエンのすぐ裏、チャンフンダオ通り)
ベンタイン市場を通過してオペラ劇場やドンコイ方面まで行ってくれるので
旅人にはとても使い勝手がよい路線かと思います。


耳を澄ませば、次の停留所をテープがアナウンスしてくれているので
ビギナーにもオススメです。

もちろん、ドンコイとは反対方向に乗れば、
チョロン(中華街)にも簡単に行けちゃいます。


お次は18番と50番。

この路線は、宿の近く(ファングーラオやベンタイン市場のエリア)から
大学に行く際に使えるバスです。
サイゴンに留学する人はたいてい『人文社会科大学』に通いますが
その大学があるディン・ティエン・ホアンを通ってくれます。

大学近くの動物園もオススメですよ。
フランス時代につくられたものだそうです。


最後はカウチサーフィンでお世話になった友人宅や
お茶の先生宅に行く際に使用した、65番、13番。

ベンタイン市場からタンビン区という空港近くのエリアまで行ってくれます。
もちろん空港に行くバス路線も別にありますよ(152番)。


よくみかけるのはグリーンの車体。

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いかがでしょうか。

タクシーやバイクに飽きたら、このローカルバスもぜひお試しください。

最初はちょっとわかりづらいけど、
慣れてしまえばこの安さとスリルがやみつきに!

最悪、行き先を間違えても同じ路線のバスに乗れば帰ってこれます。

ちゃんと目的地に到着した時の達成感は、
タクシーでは味わえないものがありますよ。


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2011-09-24

「『起業しろ!』だよ(笑) 」 APU卒業生インタビュー第八弾 ベトナム Nga (ナー)さん

今回、私たちはインタビュー前日にNgaさんが経営する「MESS」の一店舗にお邪魔しました。

まずはそちらのご紹介。
場所はハノイの中心部ビンコムタワーのすぐそばです。


まず驚くのがお店の外観のおしゃれさ。
ここだけ渋谷です(笑)。

お店の中に入ると、
千明さんは終始「へーカワイイ~!」と叫びっぱなし。。

お店のスタッフさんもフレンドリーで
初めての訪問ながら、居心地の良い雰囲気でした。

「こんなお店の経営をしてる卒業生ってどんな人やろ?」
そう思いながらインタビュー当日を迎えたのでした。

今回のインタビューもベトナムはハノイから。
場所はオペラ劇場近くのお洒落なカフェ(My Way)です。

Ngaさんはこのインタビュー直前にも
N○Kさんの東京カワイイTVにも取材されるような方です。

なので、初めてお会いしたNgaさんのあまりの美しさとオシャレ具合に
夫婦共々緊張しっぱなし!終始ドギマギしてしまいました(笑)

(Facebookプロフィール写真より)

もちろん、お話の内容も刺激的でした!!
では、以下インタビュー内容をお楽しみ下さい!!


氏名    Hoang Viet Nga さん
卒業年度 2004年春 (2000年秋入) 
学部    APM
出身地  ベトナム、ハノイ
職業    NAA Co., Ltd. 経営者

(以下、KはKentaro、CはChiaki、それ以外はご本人)
①卒業から現在まで

K「まず卒業はいつになるんですか?」

「卒業したのは2004年の春です。
入学したのは2000年の秋なんですけど、
実質3年半で単位を取り終えて、その後大学には行きませんでした。」

K「じゃあ、早期卒業をされたんですか?」

「いいえ、早期卒業プログラムの申し込みには間に合わなかったから、
単位を3年半で取り終えて、先生に卒論だけ先に提出させてもらったんですよ。」

K「なるほど。そして現在のご職業はと聞かれたら(笑)?」

「ビジネスウーマン?(笑)NAAという会社の経営者かな?それがメインです。」

K「なるほどNAAという会社の事業の一つとして、
MESSというブランドも展開しているんですね?」

「そうですね。洋服を創って、お店で直接販売するのがメインで、
もう一つはイベント事業みたいなこともやっています。
私がTV番組やイベントの司会などをすることがあるので。」

K「なるほど。他には?」

「そうですね。少し長くなるんですけど、
学生時代にビジネスプランコンテストがあったじゃないですか?」

K「あぁ、ありましたね。」

「私、その時ブライダル事業のプランを出して優勝したんです。
それで東京でのインターンシップに参加させて頂いたんですよ。
実はその時から、ベトナムに帰ってからすぐにブライダル事業がやりたかったんです。」

K「なるほど」

「だけど、すごく資金がいることと、
その当時ベトナムではまだそういう需要は無かったので、
すぐには取りかからなかったんですよ。」

K「じゃあ、会社はブライダル事業をやるために創ったんですね?」

「最初はそうでしたね。でもそのうち、いろいろやりたくなって、
その中の一つで、『MESS』というファッションブランドを立ち上げたんです。」

K「なるほど。」

「会社立ち上げてから今年で6年経って、
そろそろブライダル事業もやり始めたいと思っています。」

K「なるほど、ちなみにビジネスプランコンテスト後のインターンは
どこの会社に行かれたんですか?」

「テイクアンドギヴ・ニーズ(T&G)に行かせてもらいました。」

K「良いですね~。ところで話が前後するんですが、APUを卒業してからは
どういった流れで今に至るんですか?」

「まず単位も取り終わったので、半年余ったじゃないですか。
なので東京に出て、109で働きながら、洋服の事を勉強して。
他のバイトも同時進行で資金を貯めていました。」

K「109にいらっしゃったんですね!」

「短期間だけでしたけどね。その後はハノイに帰ってきて、まず市場調査から始めました。
その一環で、ブルーエクスチェンジっていうベトナムの大手カジュアルウエア・ブランドが
あるんですが、そこでマネージャーのような仕事をさせてもらったりしてました。」

C「いきなりマネージャーですか?」

「そうですね。その会社の社長さんが人間的に気に入ってくださって、
『いろいろ好きにやっていいよ』って。(笑)その時もちょうど近くの街で新しいショップをやろうとしていたので、その立ち上げのお手伝いをしたりもしました。その中でデザインや、仕入れや、
販売の勉強などを一年近くやりましたね。」

K「なるほど」

「そしてその後には、ドラマのお仕事が数カ月あって、
それが終わってからMESSを起業しましたね。」

C「いきなり女優もしたんですか(笑)?」

「いや、いきなりというよりは、
もともと名前が売れていると何かと仕事がやりやすいかなと思っていて、
それで受けたんですよ。偶然タイミング良くきたオファーですけど。(笑)」

K「面白いですね~」

「MESSオープンは2006年の6月でしたが、その年初めにドラマ撮影が終わって、すぐに起業準備にかかりました。」

K「開業資金はなかなか大変じゃなかったですか?」

「学生時代&東京でアルバイトして貯めたお金でだいぶ助かりましたね。」

K「そもそもブライダル事業などはいつからやりたいと思ってたんですか?」

「もともとビジネス全般興味があったんです。そのお金になるものと、
とにかく新しいものをいろいろベトナムでやりたかったです。」

K「なるほど」

「いまMESSでつくっているのは渋谷系のファッションなんですけど、
それも当時はベトナムに無かったので、先駆け者としてやろうって思ったんですよ。」

「ベトナムでのブライダル事業に関しても、
みんなに全く新しいチョイスを与えたいなっていう思いがあるんです。
例えばハウスウエディングみたいな、そういうオシャレなウエディングも
ベトナムではこれからじゃないかなって思っています。」

C「ベトナム人にとって結婚てすごく大切なイベントですもんね」

「最近のベトナムの若い子はオシャレな結婚式を挙げたいって子も多いし、
実際友達の結婚式に出ても、みんあお金も時間もかけているしね。
そういう意味で、ブライダルに関しては絶対これからだと思っています。
でも、ブライダルだけではなく、他にもやりたいことはたくさんあるんです。」

K「ということはNgaさんにとっては、ビジネスをすること自体に対して
好奇心があるってことなんですね?」

「そうだと思います。」

K「もともとビジネスがやりたいなと思うようになったのはいつなんですか?」

「子どもの時からみたいです。小さい時から、
私のおばあちゃんがやっていた雑貨屋さんの手伝いを誰よりも好んでやってたんです。
その時から自分は、お金づくりが好きなのかなって。」

K「へぇ~、面白いな」

「それで、中学も高校も何かお金を創る事を見つけると
興味深々だったりして。それで経営学を勉強したいと思ってAPUに入ったんです。
で実は、経営始めた当初は、株もやってみたり、土地の勉強もしてみたり。だけどぜんぜん続かず、、結局分かったのは、お金が好きのではなく、何かを新しく創ったり、それを運営したりするのが好きなんだって。」

K「なるほど。ちなみにいま、お仕事は順調ですか?」

「すごい順調ですね。おかげさまで。」

K「昨日お店にも伺ってきたんですけど、
隣のお店と比べると、めちゃくちゃオシャレですよね。」

C「あと値段が意外と安いですよね?」

「そうなんですよ。若い子向けに手の届きやすい値段設定にしてるんです。
高いものを売ってなかなかお客さんが来ないより、値ごろな値段で賑やかな感じのお店の方が好きだから。(笑)」

K「ちなみに社員さんて何人いらっしゃるんですか?」

「いまは、工場とお店2店舗含めて30人ちょっといます。」

C「Ngaさんは、日本語がすごくお上手ですけど、
大学以前に日本に住んでらっしゃったことはあるんですか?」

「子どもの時に二年ぐらい、
小学校一年と中学一年の時にそれぞれ大阪に居たんです。」

K「では、大学を決める際に、日本っていうのはそんなに遠い存在では無かったんですね?」

「そうですね。大学は絶対日本がいいってずっと思っていました。
APUもまた丁度良い時期に設立されたんで、、」

「なるほど。」


②学生生活を振り返って

Q、別府ではどこに住んでいたのですか?

「鉄輪。の安いとこ(笑)。バス停のすぐ近く。古賀アパート。
あとは何とか(鉄輪?)プリンスってところに居ました。ちなみに最初の半年はAPハウスです。」

Q、サークルやゼミ、バイトは?

K「サークルとかやっていました?」

「全然(笑)」

K「バイトは?」

「一番最初は学食でやりましたね。
そのあとはいろいろ短期のバイトをやって、城島高原でレストランやブライダルの
お手伝いもしてました。聖歌隊とかもやってましたよ。歌わされた(笑)。
けど、その時の経験でブライダルビジネスプランを書くことができたんです。
そこの男性のマネージャーさん、とてもいい人で、いろいろ教わってくださったんです。
今でも感謝しています。」

K「ちなみにその時書いたのは、ベトナムで行うブライダル事業だったんですか?」

「そうです。」

K「そのビジネスコンテストってだれが主催されたんですっけ?」

「久原先生が中心になってAPUが主催したんです。」

K「なるほど、APSだったからあんまり知らないのか?今も続いているんですかね?面白いな~☆
ちなみにゼミは?」

「だれだっけ?名前忘れちゃった。いっつも忘れちゃうんだよね。一番好きな先生なのに。」

K「ゼミの研究なんかもビジネスプランベースなんですか?」

「そうですね。」

Q、学生時代に力を入れたことは?

「ビジネスプラン探しですね。」

K「ビジネスプラン探しをするにあたって、別府っていう環境どうでした?」

「う~んとね。良くないね(笑)。なんていうのかな、(勉強など)集中するのには良い環境だった
けど、集中したあとはやり場がない。そういう意味で夏休みになるとずっと東京に行ってた。」

「というか、APUでビジネスプランコンテストに参加する前に、
2年生の時に『マネーの虎』っていう番組にもプランを出してたんですよ。
なぜかというと投資金が出るのと、自分のプランの確かさを確かめたかったから。」

K「あの『マネーの虎』にも出したんですか!?」

「収録のために、その時初めて東京に行ったんです。
その時から東京は刺激的なところだなって思いました。」

K「え?『マネーの虎』出たんですか(笑)?」

「出ましたよ(笑)。」

K「え、放送されたんですか?」

「放送ありましたよ。投資の話まで出たので、2回もです。(笑)」

K「じゃ、結果はどうだったんですか?」

「あの~吉川社長っていらっしゃったんですけど、あの方から出資頂けることになって、
ただまだ学生だったので、参加する場合、中途退学になるので、親からは
どうしても許しが出なくて。
プラス、ベトナム市場だから、投資&利益返還に関わる制度を調べた時に
少し難点がでてしまったりで、結局私から辞退したんです。」

K「面白いな~。ちなみに『マネーの虎』に出たことってAPUとかで話題になってました?」

「いえ、全然!(笑)。」

K「そもそも、大分で放送して無かったですしね(笑)」

「そう。でもそれが良かったかも。皆に見られたら絶対恥ずかしいから、、」

C「学生時代にバイトをしていた時から、将来のビジネスの資金を貯めなきゃっていう意識が
あったんですか?」

「それはありましたよ。あと、生活費も自分で稼がなきゃいけなかったし。」

Q、APUに入学したきっかけは?

K「そもそも、どうしてAPUに入学されたんですか?」

「奨学金が出たから。(笑)プラスAPUは環境が面白そうだったから。
最初は東京の大学に行きたかったんだけど、
そういう大学って入学や奨学金をもらうのも難しくって、
しかも当時はベトナムでの手続きも含むといろいろあって時間がかかりそうだったの。
だからなるべく、高校卒業後すぐ受け入れてくれて、奨学金も出て、
あとは自分の自由に活動させてくれる大学(笑)にしようと思って、APUがマッチしたんです。」

K「APUのことはどこで知ったんですか?」

「ハノイでAPUのガイダンスがあって、それにお父さんが参加してくれて
パンフレットを持って帰ってくれて、それを見てからですね。」

C「じゃ、ご両親はNgaさんが日本にでることは反対しなかったんですね。」

「もちろん。むしろ勧めてました。」

Q、別府の第一印象は?

「みんなと一緒だと思うよ(笑)。山の上なのには少しびっくりしたけど、
まぁ、勉強にはいいかなと思った。」

K「期待はずれでは無かったんですね?」

「全然そんなことは無かったですよ(笑)。」

Q、別府で好きな場所はありますか?

「全然遊ばないんですよ私。だから遊ぶのにどこがいいか全然分からない。(笑)
しいていうなら、別府じゃないけど、大分駅の近くの商店街にショッピングしに行くのがいつもの
楽しみだった。」

Q、地元の人で親しくなった人はいますか?

「深い付き合いではないけど、古賀アパートの大家のおばあちゃんはすごく親切にしてくれたり、
大分では、ファッションのお店を経営している女性オーナーの方とお付き合いさてて頂いたり。
2年前に別府にたまたま遊びに行った時もその方と再会しました。
地元の人は、とても親切だったことが今でも覚えています。」

K「Ngaさんご自身は大学2年目くらいからやりたいことがハッキリしてきたわけじゃないですか?
そうなると別府に居ることって逆にハンデになったんじゃないですか?
大学で勉強するより、早く仕事を始めたいっていう感覚ですよね?」

「まさにそうでしたね。」

K「面白いな~」

Q、学生時代の一番の思い出は?

「やっぱり、ビジネスプランコンテストに参加したことと、
それをきっかけにAPMの先生方やいろんな友達、あとは成功している経営者の方と
お会いできたことじゃないですかね?」

K「なるほど、お話が一貫していますよね。」

「ちょっとシンプルかも知れませんけど、、」

K「いや刺激になりますよ(笑)。」

K「因みに、ベトナム社会で女性起業家って多いんですか?」

「多いですよ。日本よりは多いんじゃないんですかね。
30%位が女性経営者だとか聞いていますよ。」

K「へぇ。」

「日本みたいに競争も激しくないし、共働きの文化もあるからかな。」

K「なるほど。僕10年ぶりのベトナムなんですけど、
やっぱり今のベトナムって凄く伸びそうな雰囲気を感じてます。」

C「今後MESSのお店は増やすおつもりなんですか?」

「そうですね、ベトナムの中部のダナンとホーチミンでもそのうち店舗を構えたいと思ってます。
あとインターネット通販も展開してますが、こちらも今後伸ばしていきたいですね。」

K「なるほど」


③未来に向けて

Q、APUがもっと良くなるためには何が必要ですかね?

「勉強の水準をもうちょっと上げて欲しいです。
楽だったんだけど、楽した分だけ、得たものも少なかった。」

K「なるほど」

「なんだろう。ベトナムの大学を出た人より知識が少ないかもしれない。
もちろん、環境から得たものは大きかったけど、
授業で得られた知識はあんまり無ーい(笑)。」

K「今はわからないですけどね。そういうご意見よく伺いますね。
日本社会自体で大学を卒業することが目的化していることもあるんですかね。」

K「ちなみにもしAPU生で、将来起業したいと思ってる子がいたら、何てアドバイスします?」

「『起業しろ』だよ(笑)。それだけ。」

K「なるほど」

「したいようにしたらいいじゃんって。それだけ。
私自身もこれからだし、まだ未熟すぎて、アドバイスなんてまともなのできないけど、
とにかく『やりたいことやりな』って。そのうちいろいろ道が開くから。そう思う。」

K「逆にやりたいことが無いって人も多いんですけど、そういう人にはどんなアドバイスします?」

「『結婚しろ』だよ(笑)」

K「確かにね(笑)。」

「やりたいことが無いってなんでだろうね?
まだ見つからないからだと思うけど?!どうかな。
でも、だからといって人間みんな何かに向かって走らなきゃいけないというのもないと思うし。
だって、人間それぞれ違うから、、
会社員をやって安定したい人もいれば、多少リスキーでもいろんなことに挑戦したい人もいる。
ただ自分のしていることに対してプライドを持ってやればいいんじゃないかな。
例えば、変な話、主婦になる人はやりたいことが無いのじゃなくて、家事手伝いということとか、
子供たちの面倒をみることがその人の好きなことだったら、それはそれですごくいいと思う。
逆に尊敬する。」

K「なるほど。ちなみにNgaさんが自信が無くなったり、落ち込んだりした時はどうしてます?」

「ボーっとして何も考えない。ダラーっとする。
そうすると自然にバッテリーチャージされてまた動き出せる。」

K「根本的にビジネスが好きっていうのは、やっぱり楽しいっていう気持ちが
おありなんですかね?」

「そう。すごい楽しい。仕事自体が趣味って感じ。
経営なんていつも上手くいくもんじゃないけど、いろいろ自分の思い通りになった時とか、
その達成感は最高に気持ちいい!」

K「目標にしてる人っています?」

「具体像はないけど、自分としては後々
ベトナムの中で尊敬される成功女性トップ10に入りたい。叶わぬ夢かな?(笑)」

K「いいですね。」

C「海外に出店したりはしないんですか?」

「いや、したくない。ベトナムが好きで、かつてホームタウン・ハノイに近いほど良い!
自分の国のために力を尽くしたいし、ハノイだけでもやりたいことやりきれないかも。(笑)」

K「自分に素直なんですね(笑)」

「自分の事は良くわかってるつもり。
だから、自分は自分のできる範囲だけをやっていく。」

K「なるほど。」

Q、これからの夢、目標は何ですか?

「NAAをファッションの分野でもっと地盤を固めると同時に、ブライダルとか、
美容関係だとか、いろんなことをやって育てていきたいと思ってます。」

Q、同じAPU卒業生へのメッセージをお願いします。

「ベトナムでビジネスしたい人は連絡して!(笑)
一緒に組んでいろいろやりましょう。」

K「面白いですね~」

「ベトナムで仕事がしたい人・手を組んでくれる人と出会いたいです。」

K「そういう人いるけどネットワーキングされていないんでしょうね。」

「いろんな人の強みを活かして、ビジネスやれれば最高ですよね。
あと、同じ大学の人だと安心できますし。」

Q、APUの現役学生、未来のAPU生にメッセージをお願いします。

「ちゃんと勉強して、自分の好きなことを大学で探してください。」

K「大学生活を無駄にしないために大事なことってなんですか?」

「なんだろう。とにかく、学生生活をエンジョイしたらいいんじゃないですか?
その中でいろいろ見えてくるもの・閃くもの絶対あると思います。」

K「その時、その時では、目の前の事がどう繋がってるかなんて
わからないんですよね?けど、とりあえず目の前にあることに
一生懸命取り組めばいいってことですよね?」

「そうだね。その時、その時で完全燃焼すればいいと思う。
なんか中途半端にエンジョイしなかったとか、ここに来て楽しくなかったとか、
そういうマイナス思考ではなくて、プラスに考えて。それが一番大事。」

K「なるほど。以上でインタビューは終わりになります。
忙しい中ありがとうございました!」


④インタビューを終えて(千明感想)

起業家を志す学生もちらほらいるAPUで、Ngaさんはまさに先駆けとなった先輩です。
学生時代から彼女が取ってきた行動の一つ一つや考え方は、
全ての学生やこれから何かを始めようと考えている卒業生にとって、
一つの良いお手本であり、刺激となるのではないでしょうか。

お話をうかがってると、どちらかというと落ち着いた雰囲気のNgaさん。
ですが、彼女の言葉の節々に、
自分の好きなこと、やりたいことを着実に実践していく
意志の強さやパワフルな行動力を感じ取ることができました。

また、彼女ほど学生時代の活動と現在のビジネスが直結してる卒業生も
なかなかいないように思います。

そういう意味で、自分のやりたいこと、自分はどういう生き方をしたいのか
そういったことを、人生の早い段階にはっきりとさせ、
学生時代の四年間をうまく活用できると、
卒業後のスタートが人より飛びぬけたものになるんだな、と感じました。

インタビューを読んでいただくと、

「やりたいことが分かっていれば、あとは必要なことをやるだけ。」

という彼女のシンプルで一貫した姿勢を見てとれると思います。

難しく考える必要はない。
一番大切なのは、まず自分の気持ち。

あとはとにかくやってみる。
今回のインタビューが、いろんな方にとって
一歩を踏み出す後押しになればと思います。

Ngaさん、本日は大変お忙しい中、貴重なお話ありがとうございました!
(インタビュー実施日:2011/8/8)

以上

PS 読者の皆様へ
カンボジアで活躍する日本人APU卒業生情報急募!!
ご存知の方はメールで直接ご連絡いただけると有難いです!
(国際学生は既に確認済。)

ちなみに、たまに聞かれるのでお断りしておきますが、
この企画は個人のボランタリィな取り組みで、
大学および校友会などからの金銭的な補助などは一切頂いておりません。

唯一、APUをより良くしていきたいという皆様の励ましの声と、
ご協力をエネルギーにして継続しております。

何卒、お力添えよろしくお願いします☆


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2011-09-20

「途上国支援という名の刃」 ベトナムから学ぶ⑦ 日本考~100年先を見据えて、30年後を創る~

私たちは世界一周旅で訪れる国々で、
カウチサーフィンhttp://www.couchsurfing.org/を利用して
必ず現地の一般家庭に泊めてもらうようにしている。

そして、ここホーチミンでもたくさんの御縁をいただいているが、
先日の出来事ほど心を揺さぶられることは無かった。

ある日
「泊めてはあげられないけど、ディナーだけでも」と
とあるベトナム人の家族が私たちを自宅でのディナーに招いてくれた。

ベトナム人のビンさん(46歳)とアメリカ人の奥さん、
そして二人の子どもたちの明るい四人家族だ。

特にビンさんはユーモア溢れる方で、
子どもたちや、私たちの、緊張をほぐそうと
温かく接してくれた。

「良いお父さんだな~」
とすぐに打ち解けることができた。


その後、美味しい食事をご馳走になりながら、
お互いに日本の文化や、ベトナムの文化についてなど
和やかに様々な話をしていた。


ところが、私がふとしたきっかけで、

「国際NGOによるベトナムへの支援」

について質問をした瞬間、、
急にビンさんの表情が変わったのだ。

不機嫌になった。

どころではなく、
眼を見開き、声を荒げて、怒りに打ち震え出した。




ビンさんは

「What is NGO !?」

という一言を皮切りに
奥さんの制止も振り切って激しい口調で私たちに訴えた。

その内容は主にこうだ。

「私は『NGOでベトナムに支援をするために来ている』という連中にいつもこう聞くんだ。
『おまえは自分の金でここまで来たのか?』ってね。

彼らがこの国に来るために使う飛行機代で、
一体何人の貧しい人達がご飯を食べられると思う?



本当に誰かを救いたいなら、自分の金でやればいい!




自分の食事やホテル、飛行機代も用意できないのに
どうして他人を助けようとするんだ!


そんなお金があるなら、5000ドンでも良い。
貧しい人々にお金を渡してあげるべきだ。

大切なことは今日!いま!お腹を空かせて死にそうな人達に
何か食べさせてやることだろう!」


上記のビンさんの意見自体にはもちろん様々な反論も成立しうる。
しかし、少しだけビンさんの心に寄り添って想像して欲しい。

ビンさんは、ベトナムの貧困の体験していて、それは理屈では無いのだ。


しばらくして落ち着きを取り戻したビンさんは

「私が過去に「貧困」や「戦争」という体験をしているからこそ、
人一倍この話題には神経質になるんだ。すまないね。」

と語り、その後はまた良きパパに戻った。


この出来事は
私にとても大きなショックを与えた。

なぜなら、私自身が本当の意味で
途上国の人々の気持ちに寄り添っていなかったことに気がついたからだ。

私自身旅の中で、
肥大化した非営利団体や
政府主導の国際支援事業が行う「途上国支援」に
たくさんの「無駄」や「悪習慣」があることを見聞きする。

しかし、それらを知っても、
「全くしょうがないな。」とか
「税金の無駄遣いやな。」くらいのことしか思わなかった。

それらの問題が私の中に激しい怒りをもたらすことは無かったのだ。


しかし、ビンさんは違う。


彼にとってベトナムで支援を受ける人々は家族であり、友人である。

彼らにとって効果的な支援を受ける事は
「生きること」そのものに直結することであり、
決して「道楽」や「選択肢の一つ」などでは無いのだ。


だからこそ、ビンさんは怒る。、
非効率な自分達を許してしまえる支援事業に対して。

国際ボランティアという名を語り故郷ベトナムの地を荒らしていく
無責任な輩に対して。


話は変わるが、「途上国支援」を敢えて通常のビジネスに当てはめれば
「支援」という「サービス」を受ける人々は「顧客」である。

そして彼らの求めるもの、彼らの不平不満を解消することが
支援する側の提供すべき「サービス」である。

で、あれば
まず「顧客」が真に何を欲しているか?を
知ることが不可欠なはずだ。

そして、その声に真摯に耳を傾け続けることも
また不可欠ではないだろうか?
その姿勢無くして、彼らに喜んでもらうことは難しい。

「何をいってるんだ。「支援」はビジネスじゃない。
そんな必要はない!彼らを「顧客」だなんて思う必要はない。
彼らは代金も払えない。こっちはカネまで払って、助けてやってるんだぞ!」

という意見を、残念ながら同じ日本人から聴くことがある。
もちろん、そういう考え方はある意味で正しい。

但し、心からそう思う人は今後「途上国支援」という言葉を使うべきではない。
正直に「途上国の貧しい人々と関わることを通じて自己満足したい」と言い換えるべきだ。

実際、面白いことに
私が旅で出逢う人々の中で、
現地で直に人々と触れ合って支援事業をしている人々、つまり現場にたっている人々は
「支援」という言葉をほとんど使わない。


また重ねて断っておくが、
「途上国支援」と呼ばれる活動が悪いわけでも、
そこで働く人々が悪いわけでも一切無い。

むしろ、私が知っている友人や先輩は、皆
心の底から「誰かのために何かを」と考えて行動している。


そのことを踏まえた上で、私が強調したいのは

「途上国支援」を行った結果、
担い手と受け手それぞれの受け取り方の間に大きな乖離が産まれているという事実だ。

そして、ビジネスなら「顧客」に見はなされれば会社がつぶれてオシマイだが、
補助金や税金を投入されるような国際貢献事業は違うということだ。

もし仮にその支援事業が途上国の人々を傷つけていたとしても
「支援」は決して止まらない。

そういった意味で、私たちは「支援という名の刃」で
彼らの心を傷つけ続ける恐れがあるのだ。

ということを、今回ビンさんと出逢い、
その怒りに触れたことで実感できた。

なお、上述したような空しい出来事を避けるためには、

非営利団体は営利企業(便宜上敢えてそう呼ぶ)以上に
第三者による監査や、事業成果への評価を受ける事で、
高い事業性、透明性を確保し続けなければならない。

そして、それは他ならぬ
納税者、寄付者である国民、
つまり、私たち自身が厳しい目で「非営利団体・事業」を見守ることによって成立する。

もしそれをしないと、
過酷な現場で「誰かのために」と汗と涙を流して頑張っている
多くの人々の努力も無駄になるし、
それどころか喜んでもらえるはずの
途上国の人々には「怒り」を抱かせ続ける事になりえるのだ。

みなさんも、
今一度、身の回りで見聞きする「途上国支援」の中身を
調べなおしてみてはいかがでしょうか?

以上

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2011-09-14

カウチサーフィン in サイゴン②

サイゴンでの2回目のカウチ体験は、こちらからのリクエストではなく、
先方からのお誘いです。

カウチサーフィンにログインすると、自分の現在地が表示されます。
『今、ホーチミンにる旅人(カウチサーファー)たち』みたいな感じ。

それを見た同じホーチミン在住のカウチサーファーや、
ホーチミンを旅行中のカウチサーファーが、
互いに連絡をとることができるわけですね。

そんなわけで、私たちがサイゴンにいることをしったベトナム人青年
チャウ君が、「お時間があれば会いましょう!」と連絡をくれたわけです。

もちろん、私たちもチャウ君も、カウチサーフィンのホームページで
事前に互いのプロフィールをチェックすることができます。

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チャウ君は日本人や日本の文化が大好きで
とっても物腰やわらかな好青年。

最近、海外で出逢う『日本好きの外国人』というと、
たいてい、日本のアニメ、マンガ、ドラマ、音楽、ファッションが好き!
という人ばかりですが、チャウ君は珍しく(?)
日本の伝統文化が大好きな青年というから、逆にこちらが驚きました。

なんと茶道と書道が趣味と言うではないですか!

会った初日は、カフェでお茶してその後ランチ。
次の日に、さっそくチャウ君が師事しているお茶の先生のお宅へお邪魔することになりました!

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高校時代まで学校茶道をやっていた千明は、もちろんお茶が大好き。
賢は茶道は初体験ながら、日本の伝統芸のには強い関心を持っているので、
2人ともドキドキわくわくしながら、タンビン区にある先生のお宅に向かいました。

さて、部屋に通されてびっくり!
なんとお茶室があるではありませんか!!
本当にここはベトナム!!?というくらい、完成度の高い美しい和室です。


部屋の隅には水屋も設けられています。
う~ん、かなり本格的。


そして先生のご登場。
日本語がとっても堪能でらっしゃるうえ、
とても優しく穏やかな、まるでお母さんの様な雰囲気の方です。

先生とおしゃべりしていると、チャウ君が私たちのお昼ご飯を運んで来てくれました。
本日は和装!よく似合ってる!!

そしてなんと!海苔巻とそうめん!!!
しかも本当に日本の味!!!これには二人とも感動(涙)


先生はとってもお料理上手な方で、和食を作る際は
かならず昆布や鰹節などからきちんと出汁をとるそう。

そして驚きなのが、お茶で使う和菓子も自分で作っちゃうそうな!

ベトナムには和菓子がないから、と諦めるのではなく
手に入る材料でいろいろ工夫して生み出すところがすごいですね。

今日のお茶菓子も、先生から習ってチャウ君が作ってくれました。
チャウ君も普段から和食や和菓子を作るのが好きだそう。


しかも、その日にいけてあったお花をかたどるという
嬉しい心配りつき!素晴らしい!


さぁ!いよいよお茶です!
先生のご指導のもと、チャウ君がお茶をたててくれます。
うーん、本当に美しい身のこなし…



さっきまでふんわりとした雰囲気だった先生も、
キリッと厳しいまなざし、凛とした姿勢でチャウ君を見守ります。
うーん、ここは日本か…?!

そうこうするうちに、茶道はお仕舞へ。
最後にみんなで記念撮影。


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今回はカウチサーフィンは、私たちが逆に日本の事を学ぶという不思議な体験となりました。

茶道のような日本の伝統芸能は、
外国人にとってとっつきやすいものではないかもしれません。
いろんな道具も必要だし、準備も大変、お金もかかる。

けれど、今回チャウ君やチャウ君の先生が教えてくれた
『和・敬・清・寂』という茶道の精神。

二人は、茶道をやるうえで、何よりこの精神が好きだと言っていました。
そして、茶道を学ぶにつれて、自分の性格も変わってきたと。

彼らを見て、茶道のような日本の伝統文化も、きちんと伝えれば
外国の人にも正しく理解してもらえる。
そして、それが彼らの生活に良い影響を与えている。

このことをチャウ君と先生を通して
実際に目で見て感じることが出来たことは、
私たちにとって大きな収穫となりました。

二人とも、ありがとう!


日々是感謝なり
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