そもそも、
民主主義が絶対正しいなんて誰が決めたのか?
自由、平等、
一見見栄えの良いこの言葉達は、
果たして私達自身と将来世代の
幸福を約束してくれるものだろうか?
自由になることで
人は幸せになったと言い切れるだろうか?
史上、平等が達成されたことが、
一度でもあったのだろうか?
それは人間社会を幸せにしたか?
エジプトの大統領選に関する混乱ん、それ依存の実質的な独裁政治期間。そんな現場の雰囲気を肌で感じると、そういう事を考えずにはいられない。
そもそも、
民主主義なんてのは
ほんのちょっと前に、
世界のとある風土で生まれた
主義思想に過ぎない。
何故それが、現在あたかも
絶対的正義であるかのように
世界中でもてはやされているのか?
それは、
それが勝者のモノであったからでは無いだろうか?
民主主義の旗を掲げた国が、
ずっとケンカに勝ってきた。
だから、それ自体も
敗者に強要されてきたのではないだろうか?
風土の上に、衣食住が成りたち、
その上に信仰が生まれ、儀礼が造られて、やがて主義思想となるのだ。
つまり、
風土それぞれに
本来固有の主義思想が存在したはずだ。
そして、それらが最も
その土地に適した主義思想であったに違いない。
ただし、
時代が変わり、技術が発達すれば、衣食住のあり方も次第に変わる。
であれば、
主義思想もそれに合わせて変化して然るべきだろう。
また戦に敗れて
敗者となった以上、
勝者の主義思想を強要されることになる。
人間社会は時間の経過とともに
次第に風土から離れ、
もう一つの世界を
風土の上に築いてきた。
しかし、
どんなに技術が発達しようとも、
私達は大地の上に生きている。
風土の恩恵なしに生きていくことなど、決してできないのである。
つまり、
頭の、心の、遺伝子の奥底にある
古来からの主義思想から完全に
離れることなどできないのである。
その事を踏まえて、考えた時、
豊かな森に囲まれた土地で生きてきた人々の主義思想が、
砂漠の真ん中でよる術も無く漂ってきた人々に完全に受け入れられるというのは到底無理な話ではないだろうか?
独裁政治と聞くと、
イメージはよくないかもしれない。
民主化と聞くと
いかにも耳触りは良いかもしれない。
市民の自由、平等な社会構築のためだと聞くと、正義の香りがするかもしれない。
けれど、
それが本当にその土地の人々が望むモノだろうか?
それが本当にその風土の上に生きていく人々の幸福を約束するのだろうか?
そういった、
単純だけれども、
物事の根本を疑う姿勢は
とても重要です。
そして、
その姿勢で私達自身の国の歴史、
特に現代日本の成立の過程を
見つめ直してみることが、
いまこそ必要なのではないでしょうか?
以上
次回は、
世界八十八湯温泉巡り@エジプト
砂漠のど真ん中!ベドウィン村の温泉紹介。
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