夢を持つことで、こんなに人はエネルギッシュになれるのか!
と実感していただける。そんな一巻になっております。
そして多くの別府人に読んでもらいたいな~☆
それではどうぞ。
名前 Eugene Seok Keun Oh (通称:ソックン)
卒業年 2004年
学部 APS
出身 韓国、ソウル
現在 韓国でジュエリー&ジュエリーボックス関連業を起業し経営を担っている。
①卒業から現在まで。
Q、まずAPU卒業から現在までの経歴を教えてください。
「卒業してからはまず軍隊に入ったんだよね。そのあと日本で一回勤めたんだけど、つまらなくなったから半年でやめてアメリカに行ったんだよね。」
K「ほう」
「むこうで知り合いの仕事を手伝いながら稼いで、英語を磨くために語学学校にも通ってたよ。
あとそのときオレも世界一周しようと思っていたからさ、カナダやメキシコ、ヨーロッパに旅もしてたんだよ。」
K「働いて稼いで、英語勉強して、しかも旅までしてたの?」
「そう、ちゃんと稼げるいい仕事だったんだよね(笑)」
K「その後は?」
「一年以上を海外で生活しつつ、また韓国にもどってLG関連の半導体を扱う商社に勤めたよ。そこで二年間働いて昇進試験パスした後に辞めて(笑)いまの仕事を仲間と始めたんだよね」
K「大手の仕事で稼ぎも良かったのに、なんで前の仕事はやめたの?」
「おれは夢があっていつか自分の店を持ちたいんだよね。そのために経営や料理の勉強もやらなきゃいけない。だから自分の都合で時間をつくれる今の仕事を選んだんだよね。」
K「なるほどね」
②学生時代を振り返って。
Q、学生時代はどこに住んでいましたか?
「最初はAPUハウスでしょ。その後石垣八丁目、公園とシダックスのすぐ近くに友達とシェアして住んでたんよ。」
Q、サークルやゼミ、バイトは?
「サークルはDOHCっていうダンスサークルをやってたんだよね。ゼミは情報社会の….。あれ、先生の名前なんだったけな?(笑)」
「バイトはいっぱいやってたよ。もちろん4年間学食もやってたし、韓国語を教えるチューターとか、
亀の井バスの掃除の仕事もあったんだよね。あとは週末にカメラマンのアシスタントとか、
梅の収穫のバイトもしたしね。」
K「そんな仕事もあんの?」
「あと、大分農業センターってあるでしょ」
K「安心院の方でしょう?」
「そうそう、そこで韓国料理を教える仕事とかもしたし、別府の飲み屋街で厨房に入ったりもしてたよ。」
Q、そもそもAPUに入学したきっかけは?
「小学生のころから、とにかく海外の大学に行きたいって思ってたんだよね。
日本でもアメリカでもどこでもいいから、大学生活を海外でいろんな国の人と一緒に過ごしたいって思ってた」
K「はやいね」
「それで高校のとき、うちの高校でAPUの説明会があって、それで『あぁ、これいいじゃん』って思っただよね。けど、そのころはまだ海外の大学に行くっていうのも、当たり前のことじゃなかったんだよね。だから親も簡単には納得しなかった。でも、何回も話してオレが奨学金もらえるなら許すって話になったんだよ。それで試験もうまくいって入学することになったんだよね。」
Q、別府の第一印象は?
「田舎!(笑)ずっとソウルにいたせいかもしれないけど、70年代のマンガの世界かと思ったよ。」
K「ソウルからやとトンへより田舎やもんな」
「山の上であの時はAPハウスも一つやったから、他に何にもない野原やろ。
えぇ~何これって感じ。けど一カ月くらいしたらゆっくりできる良い町やなって思ってたよ。
けど、そう思う人もいたし、やっぱり何にも無いってずっと思ってた友達もそれぞれいたよ。」
Q、別府で好きな場所は?
「オレ石垣八丁目好きだよ。公園もシダックスもあるし、楽しかった。あとはSPAビーチとか。
あと高木さっちゃん(APU一期生)の実家が杵築にあって遊びにいってたりしてたんだけど、
あっちも雰囲気の違う田舎で好きだったよ。なんか、情があるっていうか、
人と人の距離が近いんだよ。それが良かった」
K「確かに韓国みたいに人と人の距離が近いかもな」
「あと安心院のワイン工房も良く行ったし、湯布院の足湯も良かった。オレバイク持ってたからどこでも行けたんだよね。」
K「他にある?」
「あとは鉄輪の湯けむり展望台の近くにあった美味しい餅しゃぶを出す店、そこから眺めも凄く好きだったな~。いまは店なくなっちゃてるけどね」
Q、地元の人で親しくなった人はいますか?
「いっぱいいるよ。韓国語教えてた杵築の奥さんとか、今でも年賀状に韓国のりつけて送ってるよ。あと、10号線のSEGAの従業員で別府大学の4つ上の人ともよく旅行とかいってた。」
K「ソックンみたいに韓国からの学生はみんな、そんなに別府の人と親しくなってたの?」
「いや、周りの友達はほとんど地元の人とは馴染んでなかったと思うな」
Q、学生時代の一番の思い出は?
「そうだな~勉強はあまりしてないから(笑)やっぱりいろんな国のメンバーでプレゼンとか発表の
準備をしたりしたことかな。その準備が楽しかった思い出がある」
③未来に向けて
Q、APUをより良くするために意見はありますか?
「今はどうかわかんないけど、授業の数が少なすぎた。選択肢が無いから興味の無い授業をとるしかなくて、結局つまらなくなるでしょ。」
K「たしかにね」
「あと、いまは学生が増えすぎじゃないかな?特に日本人の比率があがると普段の付き合いが
日本語に偏っちゃうんじゃないかな?それだと勿体ないよ。」
Q、別府をより良くするために意見はありますか?
「最初は別府の人が外人を受け入れる準備はできてなかったと思うよ。『朝鮮人』とか言われることもあったし」
K「ほんと?」
「うん。けど自分は4年間通してゆっくりできたし、楽しめたよ。とくに無いかな。」
Q、これからの夢、目標を聞かせて下さい。
「おれは17の頃から毎年年初に10年計画を立ててるんだよ。」
K「それはすごいね。」
「だから10年前の計画といまを振り返ったりできるんだよね。すると大体のことは計画通りになってる。海外の友人を100人つくるとか、二つ以上の言語を習得するとか。大企業に入ってみるとかね」
K「たしかに紙に書いたことは実現するよな」
「で、今年30歳でしょ。まずは今の仕事を軌道の乗せて、仲間に任せられるようにする。
そのあと40歳までに自分の名前を掲げた店を世界に3店舗創るのが目標なんだよね。」
K「場所は日本なの?」
「いや、日本かも知れないし、アメリカかもしれない。それは決めてない。けど、3店舗自分の店を
出すのが目標なんだよ」
K「素晴らしい!」
「あともう一つは40歳の時点で、成功したAPU卒業生として、APUで講演とかしてみたんだよね。」
K「それも具体的で面白いね。」
Q、APU卒業生へのメッセージをお願いします。
「夢を見続けて欲しいってことやな。」
K「いいね~(笑)」
「夢が無いと人生つまんないでしょう、もっと人生の波を大きくして欲しい、
ダイナミックな人生を生きて欲しいっておもう。失敗してもいいじゃん。」
K「うんうん」
「生活するのにお金は必要だけど、チャレンジはし続けて欲しいっておもうよ。
あと地方紙でもなんでもいいから自分の名前と顔を出せるように努力してほしい。サラリーマンやるなら一回くらい社長目指してみたらいいと思うよ。」
K「そうね、やっぱり目標を無くした人は輝いてないしね」
Q、現在、そして未来のAPU生へメッセージをお願いします。
「大学は人生の終点じゃない」
K「おぉ、久しぶりに鳥肌が・・・」
「大学はその後の人生の始まりの始まりでしょ。」
K「その通りやね」
「だから何でもいいから自分は学生時代これをやりきった!ってものを一つ作って欲しい。
勉強でも遊びでもいいし、これは誰にも負けないっていう経験をしてほしい。」
K「たしかに」
「そして学生時代を楽しんで欲しいね。卒業してから後悔しないように。」
④インタビューを終えて
ソックンとのインタビューは、私たち夫婦にとってはとても意外なものとなりました。
なぜなら普段のソックンはエネルギッシュで、ユーモアあふれるそんな男です。
あまり真面目そうな雰囲気は漂ってはいません(笑)。
しかし、今回のインタビューではソックンの違う一面、むしろ本音の部分を垣間
見ることができました。そんな気がしています。
特に印象に残っているのが「夢」に関する考え方。
途中、マンガの『ワンピース』などのセリフも飛び出て大盛り上がりでした。
これをみて、「何を子供じみたことを」と思う人が居るかも知れません。
しかし同時にそれを現実のものにするための『10年計画』
これがあるからソックンはただの理想主義者でなく、現実的な理想主義者なのです。
そしてアントレプレナーシップ(起業家精神)とはまさしく
ソックンのような「現実的な理想主義者」によって具現化されるものだと私は思います。
「夢はあるけど、どうしていいかわからない。」
そんな人はまずソックンの言う『10年計画』を実践してはいかがでしょうか。
いま、夢を語れるソックンはとても魅力的です。
彼の10年計画はきっと実現すると直感的に感じられたし、
何よりその過程で手伝えることがあれば協力したい。
そう思わせてくれる魅力がありました。
ソックン、そしてずっと一緒にいてくれたソナ。
心からありがとう~☆
以上
(インタビュー実施日:2011/5/23)
♪ クリッククリック ♪
↓↓↓
0 件のコメント:
コメントを投稿