Q、過去を振り返って
K「尋さんは、どんな高校生でしたか?」
「たぶん私は消化不良だったんですよね。
当時は燃えるものが欲しかったんじゃ無いかな(笑)。先ほどもお話した通り、
基本的には言ってみれば真面目な生徒ですよ。
学級委員長やったりとかね。でも心の中では「つまんないな~」と思ってた。」
K「そもそも、海外に行こうと思われたのはいつ頃ですか?」
「物心ついたときからそう思っていましたね。
お話したとおり、やっぱりテレビの影響も大きかったと思います。
いつの間にか『自分はいつか海外に行く』そういうイメージを
自然に持っていたんですよね。」
K「そういう自然さっていいですよね。」
「ホントはみんなそういう風に自然に
自分の興味のあることに向かっていけるといいですよね。
それを引き出すのが教育じゃないですか。」
K「そうですよね。ちなみに初海外はいつですか?」
「高校生の時語学留学に行ったんですよね。
それが最初でした。それも学校が用意している交換留学使わずに、
わざわざ自分で見つけ出して申し込んだんです。
その語学留学後はますます栃木を出て、
はやく東京に出たいと思いましたよ。」
「なるほど。白井さんの人柄を知っていただくために、もう少し角度を変えて質問させてもらいますね。(笑)まず、好きな書籍や作家を教えていただけますか?」
「いっぱいあるんですけどね。やっぱりまずは『致知』でしょう。
それから以前から好んで読んでいたのは『三浦綾子』『曽野綾子』
『遠藤周作』『五木寛之』『武者小路実篤』とかですね。
一時期は『あいだみつを』さんの本も読んでいましたし、
あとは『和田重正』さんの本も読んでましたね。」
K「例えば、もしご自身に高校生のお子さんがいたとして、
何か本を勧めるとしたら何をすすめますか?」
「やっぱり『きけ、わだつみのこえ』ですかね。
若いうちにあの本くらいのインパクトを与えないと
スイッチ入らないんじゃないかな(笑)。」
K「いいですね。まっさらな気持ちで
高一ぐらいで読むと心に響くでしょうね。」
「そうですね。あの作品は高校生ぐらいになったらわかると思うんですよ。
あの本にはいつの時代の若者にも普遍的に共通する「家族への愛」とか、
「自己責任」とか、あるいは「生と死のこと」であり「正義心」であり、
そういった若者が必ず考えることが書いてあるわけじゃないですか。
そういう意味で時を超えて、強烈なパワーがありますよね。」
K「確かにそうですね。」
「それに、あの作品を読むことで、
あの当時の若者はこんな文章書けたんだ!とか
こういう想いを持ってたんだ!っていう事を感じられると思うんですよね。」
K「おっしゃる通りだと思います。
私も本当に驚いたんですが、当時の若者の、
あの文章力ってどうやって養われたんでしょうね?」
「やっぱり当時は古典などをしっかり学んでたんでしょうね。
そういうインプットが無いと、あれだけのアウトプットはできないでしょう。」
K「私は以前に東京にいたころ、
「東京都戦没者霊苑」を訪れたことがあるんです。
そこに併設された資料館では特攻隊などに属していた
戦時中の若者が家族にあてた最後の手紙などの
現物を展示しているんです。
それを見た時に驚いたのは、どの手紙も文字がめちゃくちゃ綺麗なんですよね。」
「そうだよね。昔は文字が綺麗な人ばっかり。
と同時に感心させられるのは、やはり彼らの想いだよね。
『お父様、お母様、何も親孝行出来なくて申し訳ありません』とかね。
今だったら、自分もそうだけど10代後半でそういう想いを
持つことって難しいと思うんですよね。」
K「そういった意味でも、強烈なインパクトがありますよね」
「ああいった手紙などは、今の若者には是非読んでほしいですね。」
「次に、尊敬する(していた)人物って誰ですか?」
「小さい頃尊敬してた人物はね、野球選手なんですよ。(笑)」
K「野球選手ですか?(笑)」
「そう昔西武にいた、石毛 宏典。」
K「あの石毛選手ですか?お好きだったんですね?」
「そうですね。自分はそんな人間ではないんだけど、
日本風に言うと気合とガッツで周りを引っ張っていく
そのために、自分は何でもやっていく。
そういうエネルギッシュで、またアナログ的な姿が
好きでしたね。
K「なるほど」
「彼は毎年オフシーズンに座禅を組んだり、修業をしたりとかしながら、
次の一年のテーマを書いたりするんですよね。
TVを通してそういう姿を見ていて、
子どもながらにこの選手は違うなって感じたんですよね。
実際結果も出ていましたしね。当時ライオンズはずっと優勝していた。
だから高校生ぐらいまでは、ずっと憧れていましたよ。」
K「面白いな~。けど、そんなに石毛選手の事を知る機会ってあったんですか?」
「あの頃はライオンズも全盛期でしたし、
なにより今よりもプロ野球自体がフォーカスされていたんですよね。」
K「では結構、プロ野球選手の露出はあったんですね?」
「いまじゃ考えられないけど、当時は
日本シリーズで優勝したチームのハワイへの慰安旅行とか
二時間の特集でテレビで放送されてたんですよ。
奥さんとか子どもさんとかも出ていてね。
だから、プロ野球選手の存在が今よりも身近でしたよ。」
K「なるほど。今ほどプライバシーなどにもうるさく無かったでしょうからね。
ちなみに、他に尊敬する人はいらっしゃいますか?」
「あとはね。僕の先生は玉置 浩二ですよ。」
K「!?、、、あの、玉置 浩二さんですか?」
「そう。あの玉置 浩二さんです(笑)
あの人からは人間的な影響をものすごく受けましたね。
大学時代から二十代にかけてずっと影響受けてましたね。」
K「具体的にはどういうところで影響を受けてらっしゃったんですか?」
「あの方は変わっているというか、生粋の芸術家なんですよね。
なんというか『皆で頑張っていこうよ。オレもダメだし、お前もダメだけどさ、
みんなで頑張って笑っていこうよ。』そんな感じだったり。」
K「なるほど」
「彼は、いわゆる一般の常識に捉われない作品を作ったりとか
生き方をしてきてるんですよね。人の痛みとか優しさとか、
人間の限界とか、社会の限界とかそういったものをいつも感じながら生きている。
そして、そういう事が作品にも出ている。」
K「面白い。」
「彼がよく言うのが『全肯定』っていう事なんです。」
K「それは結果として起こる事、全部OKって意味ですか?。」
「そう結果として起こったことは全部OKってことですね。」
と同時に、彼は周りを魅了してやまないんですよ。」
K「というと?」
「昔からよく言われているのは、インタビューとか仕事で会いに行った人が
一度彼に会うと、みんな好きになっちゃうんだそうです。
そういった事をはじめとして、私は彼の作品や生き方を通じて
大きな影響を受けているんですよ。」
K「作品っていうのは?」
「もちろん曲ですね。特に彼がソロになってから10年ぐらいの作品を
ずっと聞いてましたね。小さいころからも聞いていたんですけどね。
私が積極的に聞いていたのはその時期の作品ですね。
私自身が理解出来て、かつ積極的に吸収したいと思えたので。」
K「なかなか出てこないですよね。
尊敬している人で、玉置 浩二さんのお名前は(笑)」
「でてこないでしょうね。なんというか、芸術家になれない自分からすれば
そういう彼への憧れもあるんですよね。」
K「なるほど、では小さいころから、
芸術とか、芸術家とかに興味あったんですか?」
「いや小さい頃は栃木の田舎で育ったので、
そういったことにはあまり興味も抱かなかったですね。
ただ、デザイナーにはなりたかったんですよ。」
K「なるほど。創造することに興味をお持ちだったんでしょうか?」
「そうですね。デザインといっても、特に人生をデザインすることにも
興味があったんですよね。」
K「というと?」
「正確にはデザインという言葉を使うのも誤解を招きやすく危険なんですが、
私の考えでは商業的な計算をともなわない人生デザインをする人っていうのが
いわゆる芸術家であってね。仮に自分がそうではなくても、
自分の中でイメージをしながらそれを創り上げていきたい、
という想いがありましたね。」
K「なるほど。」
④へ続く
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