2011-10-16

『自分が認められる自分でいたい』 いま、世界を変えている日本人インタビュー第一弾 ベトナム 白井尋さん④

「話は少し飛ぶんですが、昔、渡邉さんがやろうとしてるみたいに
世界各地に住む日本人を取材して放送する『住めば地球』っていう
番組があったんですよ。」

K「面白そうなタイトルですね!」

「振り返ると、私の小さいころくらいから「世界」っていう題材を番組にする
 ことが多くなったんですよね。「兼高かおる世界の旅」とか、
「世界まるごとHOWまっち」とかね(笑)」

K「なるほど。タイトルに『世界』っていう言葉がつく番組が増えたんですね。」

「そう。その一つとして『住めば地球』も放送されていたんだけど、
あれは田舎に住んでいただけにインパクトありましたね。」

K「そうですか。」

「今でも『住めば地球』で当時放送された、
ヨーロッパでカーデザイナーとして頑張っていた方の話を覚えていますね。」

K「それは、面白いですね。
そういったTV番組などもきっかけになって、
尋さんの世代以降、多くの若者が海外へ渡るようになったのかもしれないですね。」

「そうかもしれませんね。やっぱりインプットが無いと
 アウトプットってありえないですからね。」

K「そうですよね。
しかも察するに、当時はそういったテレビなどから得られる海外に関する情報が
適度に足りなかったんじゃないですか?」

「そうだね。そうかもしれない。」

K「今みたいに、知りたいことはパソコン開けば一通り調べられる。
というくらいの膨大な情報量になると、もう、それだけで満足しちゃう。
けれど、適度に足りないと『行ってみたい』っていう欲求が
どんどん膨らんじゃうんでしょうね。」

「そうだね。足りない分、あとは自分の『想像力』が動き出しますからね。
多分そういった意味で『想像力』って、自分のパワーに繋がりますからね。」

K「なるほど」

「やはり『想像力』が掻き立てられないと、人間ってパワーは出てこないですよね。
例えば恋愛でもそうじゃないですか(笑)」

K「確かにそうですね。(笑)」

「だから、私は『想像力の欠如』って怖いと思うんですよね。」

K「なるほど、それは膨大な情報を全部与えてしまう事の怖さにも
繋がりますね。」

「そうですね。」

K「情報量が多いと『想像力』を駆使して考えることが難しくなりますよね。
私自身以前に日本の「能」について研究していたんですが、
その時にそれを強く実感しました。」

「それはどういう意味で?」

K「世の中にはブロードウェイのミュージカルから「能」まで
いろんな舞台演劇があるじゃないですか。その中でも「能」って
限りなく演出を省いたものなんですよね。
具体的にいえば、演者の表情すらお面で意図的に隠すわけです。」

「なるほど」

K「どうしてそれをするかと言うと、
結局それは能楽者が「最高に美しいもの」を追い求めた結果なんです。」

「というと?」

K「日本人にとって「最高に美しいもの」って「自然」そのものなんですよね。
それはいわゆる「神の造り賜うたもの」なんですよ。
だから「能」を究めようとした人々はそれに近づこうとしたんです。」

「なるほど。」

K「けれど、どんなに頑張っても人工的にそれを創りだすことができない。
むしろ造り込めば造り込むほど、それとは離れていくんです。
その事に気がついたんですよね。そこで、唯一その「最高に美しいもの」を
意図的に生み出す方法として辿りついたのが、
受け手の『想像力』に託すことだったんです。」

「なるほど、全くその通りですね。
 つまりそれは、美しいものを創りだすんじゃなくて、
 美しいって感じなくちゃいけないって事ですよね。」。

K「そうですね。そういう風に感じられる事が大切なんですよね。
そしてそういった『想像力』に基づく『感性』を大切にしてたからこそ、
日本の伝統芸能は『余白』を大切にしてきたんですよね。」

「そうだね。」

K「それらに基づいて思い返しても、やっぱり情報でもなんでも、
全部詰め込んで渡しちゃうと、受け取った方には『想像』する余地も無い。
その結果おっしゃられた通りで、エネルギーが生まれてこないんだと思います。」

「本当にそうだね。」


Q、日本について
K「これは個人的な質問なんですけど、尋さんは日本って好きですか?」

「そうですね。本来ある日本の文化や精神ってのは好きですね。
けど、現代日本っていうのが好きかと言われるとどうでしょうかね?」

K「ベトナムで事業を行われる中で、
自分が日本人だなと意識されることありますか?」

「もちろん。やっぱり日本って特異というか、ユニークだと思うんです。
自分自身、西洋だろうが東洋だろうが、どこに出て行っても
カルチャーショックを受けるんですね。
それって異質なものにぶつかっているからで、結局日本がそれらとは違うから
感じるモノですよね。」

K「そうですね。」

「そういうことを感じたり、考えるたびに、
やっぱりそれは自分が日本人だからなんだなって感じますよね。」


K「尋さんが好きな日本ってどういうところですか?(高校生から聞かれたとき)」

「わかりやすく言うと、やはり日本は文化水準が高いと思うんですよね。
何かを感じる力、共有する力、緻密に表現するセンスや能力などね。」

K「確かに、旅の中でそう感じる事は多いですね。」

「華道や茶道、職人の技にしろ、伝統的な日本文化の全てが、
そういったものに関わっているんですよね。目には見えない部分に、
言葉に出来ない深い世界が在ると感じています。」

K「なるほど。」

「特に見た目でもわかるのは、礼儀正しさですよね。
先ほどもお店に日本人のお客さんから電話がかかってきたんです。
その方がね『赤ちゃんを連れてお店に伺おうと思うんですが、他のお客さんの
ご迷惑にならないでしょうか?』って聞いてくるんです。
うちは外国人でも家族連れのお客さんは多いんですが、
そんなことにまで気を遣うのは日本人以外にあり得ないですよ。」

K「すごい気遣いですよね。」

「そういう他者への思い遣りや、礼儀正しさ、おもてなしの心、
綺麗好きな所、あとは忍耐強さなどかな。そういった部分は
やっぱり素晴らしいんじゃないでしょうか。」

K「今の日本の嫌いな部分あるいは気になる部分は?」

「やはり怖いなと思うのは、多くの人が疑問を持たないことですね。」

K「なるほど。」

「多くの人が持っているのが、周りの流れにフォローしてないと
自分が自分でいられなくなるという不安感。けれど、その不安感は
逆を言えば、『どれだけ自分が無いか?』っていうことを表しますよね。」

K「その通りですね。」

「その不安感から目を背けたいがために、
周りの流れを簡単に自分の中に受け入れてしまう。
それってものすごく危険だな~と思いますね。」

K「なるほど。自分で考えないって楽ですもんね。
けれど、大きな流れが間違った方向に進みだしたとき、
そのまま突き進むことになる。そういう危険性を常にはらみますよね。」

「あとは、もっと大きな視点の話をすると、
政治家など国のトップの言葉や、政策や教育改革の議論の中で
『人間教育』や『道徳心』あるいは『正義観』なりについての
話や話題が一切出てこない事ですよね。」

K「たしかに。」

「そういった根幹の話が、
大きな流れを決める上で、一切出てこないというのは
絶望的なことかもしれないと感じています。」

K「日本による途上国支援について何か感じる事はおありですか?」

「基本的に『支援』って難しいなと思うんですよね。
前提として自分にとって異質だから支援の手を差し伸べるわけじゃないですか?
同じだったら『支援』することはないから。」

K「そうですね。同じ経済水準、生活文化の人々に『支援』なんて
する必要無いですもんね。」

「だから本来『支援』というのは自分と異質の人達の事を理解して行わないと
いけないんだけど、実際はそれが難しいんですよ。異質だから(笑)。」

K「たしかに、そして遠く離れたところに居ると支援する方は、
その事をなかなか理解できないんですよね。現場とのズレが生じている、
そのこと自体に気付けない。結果として『支援』が副作用をもたらすこともある。」

「あとは、継続支援か、単発支援か?という違いもありますよね。
けど、これもどちらが良いとは言えないんです。」

K「そうなんですか?継続支援の方が良いというイメージがありますが。」

「継続的に支援をしていても、時間が経てばその分現地の状況も変わってきますよね。
それを支援する側が感じられず、結果としてズレが生じてくるんです。
そういうリスクを考えると単発支援の方がズレが少ないとも言える。」

K「あぁ、そうか。」

「やっぱり人間対人間なので、お互い変わるんです。だからこそ、
支援する側は常に『想像力』を働かせないといけない。それがとても難しんですよ。」

K「なるほど」

「実際に友人から聞いた話なんですが、
フランス人が運営するある孤児院で
子ども一人ひとりにベットを用意したんです。
フランス人にとってはそれは基本的な人権の尊重に
他ならない重要な事なんですよね。」

K「そうでしょうね。」

「けれど、実際には子どもたちは誰もベッド寝なかったんです。
ベトナム人はみんな涼しい床で寝るのが好きなんですもん。(笑)
これは笑い話で済みますけどね。こういうことが起こっている。
結局『支援する側』は自分達の先入観でしか『支援』が出来ないんですよね。」

K「現場の事を知る姿勢、それを継続することが必要なんですね。」

「そうです。そういった事も含めて『支援』するということの『怖さ』は
日本にいると普通は持っていないですよね。」

K「たしかに。」

K「日本が憧れられる国になるために何が必要だとおもいますか?

「あくまでも希望ということでいいですか?(笑)」

K「もちろんです。」

「希望を言うと先ほども話にあった様な『日本人の精神性』を
輸出できるといいですよね。ちょっと前の「MOTTAINAI」から始まってね。」

K「同感です!」

「これからアジアの国々は間違いなく物質的な飽和状態を迎えると思うんです。
そのときに精神的に安定した姿を日本が示すことができたら各国から尊敬されると
思うんですよね。」

K「なるほど。」

「そしてその精神性の先に技術も磨くわけです。
これから先、人類にとって何が本当に大切かっていうことを考えて、
その上で磨いていくんですよね。それに、
どうあったって、日本人の持つ技術力って
世界で必要とされつづけると思うんですね。」

K「問題はその精神性の輸出の仕方ですよね。」
 
「そういうの日本は苦手ですからね。」

K「それに比べるとアメリカってそういう発信するのがとても上手な
気がするんですよね。何にでも「アメリカ」っていうのを乗っけて輸出してる。
コンテンツにも、プロダクトにもね。「これがアメリカだ!」と
言わんばかりにね。」

「圧倒的ですよね」

K「なにはともあれ、第一歩としては私達自身が
本物の日本人にならなければならないですよね。その上で海外に出て行く。」

「ビジネスにおいても日本人ビジネスマンは儲けだけじゃないんだと。
自分のやりたいことはこれで、そのために来てるんだ。という姿勢が必要だと
思うんですよね。それが結果として業績にも繋がると思うんだけどね。」

K「そういった事のできる余裕を持った国って、実は少ないんですよね。」

⑤へ続く


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