旅に出て早4ヶ月が経つ。
中国に居るころから私は「公園力」という言葉を用いるようになった。
きっかけは中国のあらゆる都市で公園が異様に元気だったことだ。
平日は朝早くからそこら中に老人が集まり、太極拳や独特な体操など思い思いに動いている。
御昼前になると、楽器を持った集団が現れ音楽を奏で出す。
それを見るために車いすで詰めかける老人もまた多い。
午後には孫をつれた大勢の老人達が公園にあつまり、トランプをしたり、お茶を飲みながら過ごす。夜になると学校上がりの子どもたちも加わり、あちらこちらでエアロビや社交ダンスなどが
見かけられる。
まさに大賑わいだ。
そんな公園を見ていると、どうしても日本で自分自身が見てきた公園と比べることになる。
東京吉祥寺にある井の頭公園は一級品だ、とか、代々木公園もいいな、とか思う。
が同時に、住宅街にある公園や団地の中の公園、整備されてはいるが人で賑わってはいない
公園のこともたくさん思い出す。
その中でふと気づいたことは
「公園」には、その地域社会の繋がりの強さや、抱えている課題が現れるな~ということだ。
ご存知のとおり「公園」とは都市機能の一つである。
いわゆる田んぼだらけの田舎にも公園はあるが、都市のそれとは目的と機能が大きく違う。
都市における「公園」は本来大変重要な役割を担っていると思う
それを踏まえて、「公園力」を診るときには以下のポイントを抑えると面白いと思う。
①主な利用者はだれか(世代や性別に特徴がでる)
②時間帯による利用率はどう変化するか?
③トイレは綺麗か?
④個人利用が多いか集団での利用が多いか?
⑤行われているアクティヴィティに特徴はあるか?
その視点をもって是非周囲の公園を一度見つめなおしてほしい。
たくさんの興味深い事実に気づくことができるはずだ。
主な利用者からは、その「公園」の周囲が閉じた地域社会か?
あるいは開かれたものか?世代間の繋がりは?ご近所同士の繋がりは強いか?
その地域社会のどこに潜在的な力が眠っているか?などが浮き彫りになる。
時間帯による利用率の変化からは、
その地域社会の生活リズムそのものや、その国の義務教育制度の在り方、
行政による生涯学習への取り組み具合まで伺えてくる。
トイレが綺麗かどうかはとても重要だ。
それを誰が管理しているか?どれくらいの頻度で清掃されるか?などは、
行政の地域社会へのサービスレベルそのものに直結している。
それに利用者、つまり地域社会の道徳的な成熟度合いも見えてくる。
個人利用が多いか?集団利用が多いか?からは
公共、民間を問わずその周辺の都市に不足している機能が見えてくる。
それは時にビジネスとも直結する話だ。
行われているアクティヴィティの内容は、
そのまま土着文化や、スポーツ、世代別トレンドなどをあらわす。
以上の5点をもっていろんな公園を診ていき、
さらにそれらを世界各地のものと比べると、
日本社会が抱える問題が相当根深く深刻なものであることに気付かされる。
例えば現在の日本では、さまざまなレベルあるいは地域で、
行政は住民(国民)の気持ちに寄り添う事を忘れ、
住民生活の営みをイメージすることすら疎かにしている
と言わざるを得ない。
(これは原子力政策の末路からも周知の事実となったが。)
また、多くの地域社会は世代間の繋がりを失いつつあり、
それどころか向こう三軒両隣にだれが住んでいるのかわからない事すら受け入れつつある。
そんな地域社会に誇りを持つことは難しいと思うし、
そのように自分の足元にすら誇りを持てないのに、
国に誇りを持つというのも少々浮ついた感覚を覚える。
しかしこの「公園力」という考え方で大切なことは
「公園力」を高めることで、
地域コミュニティ(地域社会)の力を高めることができるという点だと思う。
これは私が地元で「地域コミュニティ醸成装置」として「祭」を創造することで、
周辺地域コミュニティの再構築に挑んだの基本的に同じで構造である。
これらは時間はかかるが、人々のココとに働きかけるので、
費用をかけずとも大きな成果を生み出す。
みなさんも今後、
身の回りの「公園」をじっと観察してみてはいかがだろうか?
もし、そこから地域の抱える問題が見えてきたら、
つぎは「公園」を人の集まる楽しい場所に変えるため、
まずはその公園で貴方自身が家族や友人と遊んでみると良い。
きっと元気が出てきますよ。
以上
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