2011-10-14

『自分が認められる自分でいたい』  いま、世界を変えている日本人インタビュー 第一弾 ベトナム 白井尋さん①

はじめに(企画趣旨)

世界一周旅を始めて、はや四か月。
多くの出逢いを通じて、私はひとつの衝動にかられています。

それは「私が出逢った格好良い大人達の姿を日本の若者に伝えたい。」
という衝動です。

近年「社会起業家」や「NPO」といった言葉に代表される
新しい生き方が日本にも急速に浸透しています。

しかし、未だに一つの生き方としてそういった生き方を生業として生きていくことが
難しい現状もあるかと思います。

私の旅のテーマの一つは、
その現状を打破するアイデアを生み出す事なのですが、
そういった視点で旅をしていると、道すがら出逢う日本人に
とてつもなく輝いて見える方がたくさんいらっしゃるのです。

彼らからお話を伺えば伺うほど、
その思考パターンや信念、人生観などがエネルギーに満ち溢れていて、
クリエイティブな事に感動しています。

まるで大きな木と会話しているような感覚なのです。

そして、何より彼らの言葉には「説得力」があるのです。
なぜなら、彼らがずっと「現場」に立ち続けているからだと思います。

少し、話が飛びますが、私自身の経験として、
中学や高校のころ、両親を始め「尊敬できる大人」はたくさんいたけれど、
「カッコいい大人」「憧れられる大人」には出逢えませんでした。

「ああいう大人になりたい!」

そういった、いわゆるロールモデルと呼ばれる大人の背中に出逢う時期は
なるべく早い方が良いと実感しております。

そんな想いを持っていたこともあり、
私は
「海外で」
「事業を興し」
「長年に渡り」
「誰かのために」
「現場に立ち続けている」
「日本人」
をテーマに取り上げ、そんな人々の背中を
日本の中学・高校・大学生といった感性豊かな若者に
届けたいと考えるようになりました。


取材にあたっては、
本人へのインタビュー
関係者・スタッフへのインタビュー
サービスの受け手へのインタビューの3点を軸にする予定ですが、
ブログ上ではおもに本人へのインタビュー内容のみを
ご紹介していくことになると思います。

いずれにせよ「現場」から「本物」の姿をお届けすることに
こだわってお届けしますね。

では、最初の一稿を下記にご紹介します。


ベトナム、ホーチミンからお届けするのは
レストラン フーンライのオーナー兼マネージャー
白井尋さんへのインタビュー内容です。




***************************************
『自分が認められる自分でいたい』 白井尋さん ベトナム、ホーチミン

《インタビューを読む前に伝えたいこと》

私たちは以下の白井さんご本人へのインタビューの前に
現在フーンライで働いている十代後半の子どもたちや、フーンライ卒業後、
五つ星ホテルで副マネージャーを務めている方にお逢いしてそれぞれにお話を伺いました。

彼らへのインタビューで何よりも印象に残っていることは、「フーンライに来たことで何が変わった?」という問いかけに対して、彼らがみな「自分が目標や夢を持つようになった」と答えたことでした。

これがどれほどスゴイ変化なのか、日本に居る皆さんにはなかなか想像がつかないかもしれません。

私たちはホーチミン市内をはじめ、ベトナムで多くの子どもが路上で働く姿を見かけました。
その仕事のほとんどが、一枚10000ドン(約40円)の宝くじ売りや、靴磨きといった些細なものです。

一日の収入は20000~30000ドンだと聞きます。ある晩には夜八時ごろ小学一年生くらいの女の子が、
私達が食事をしているテーブルにひと箱40円のガムを売りに来るといった事もありました。

そんな現実の中にいる子どもたちに「夢や目標」という言葉がどれほどの意味を持つでしょうか?
ただただ「今日をどう生きるか?」そのことに必死なのです。

そして、そんな子どもたちにとっては日本では当たり前の「教育」を受ける機会すら、
未だに大変貴重なものなのです。

そんな彼らとここベトナムで10年以上もの間、寄り添って歩んでこられた白井さん。
以下は、そんな白井さんとのお話です。

《白井さんの略歴》
1973年生まれ
栃木県、那須出身

大学卒業後、一年の社会人経験を経て単身ベトナムへ
大学でベトナム語を学んだあと、
ベトナム雑貨の日本への卸売業を営む。
ベトナム手刺繍ブティック「テウテウ」開業。
2001年からレストラン「フーンライ」開業
以後、オーナー兼マネージャーとして現場に立ち続け、
現在に至る。


《白井さんの現在のお仕事》
レストラン「フーンライ」は
二つの顔を持っている。

一つは本物の美味しいベトナム家庭料理を
外国人に伝えていくためのレストランとして。
もう一つは、孤児院出身の子どもたちなど、機会に恵まれない若者への
「英語」「サービス」を中心とした「教育及び独立支援の場」としての側面である。

これまでに
約50名の若者がフーンライを巣立っており、
その多くは卒業後、各地のレストランや五つ星ホテルなどで、プロとして働いている。


これらを踏まえて、以下インタビュー内容をどうぞ。
****************************************
(以下K,Cはインタビュアーの発言、それ以外はご本人の言葉)













(写真左が白井さん、フーンライ店内にて)

Q、現在のお仕事について。

K「そもそも、フーンライを始められたのは何年前ですか?」

「いまから約10年前ですね。」

K「10年間、ずっとこの店舗で営業を続けているんですか?」

「そうです。店舗どころか家具や内装に至るまで
ほとんど10年前のものを使っていますよ。(笑)」

K「ちなみにフーンライは、お一人で始められたんですか?」


「言い出しっぺは自分ですが、もちろん友達やスタッフに
手伝ってもらいながらですね。経営という意味では
自分が主体でやっていますが。」 

K「何も知らない人が傍目から見れば、
単にレストランの経営を行ってると映るんですが、
具体的には誰のために事業を行われているか教えていただけますか?」

「フーンライの目的は大きく二つあります。
最初のひとつはベトナムの美味しい家庭料理を
外国人に味わってもらう事ですね。」

K「なるほど」

「実はベトナムには外国人が入りやすい、ベトナム家庭料理を出す店は
昔も今もあまり多くないんです。とはいえ、不慣れな外国人観光客だと、
なかなか屋台ばかりに行くわけにもいかないでしょうし、
そういう店に行くと、それなりのものしか出てこないんですね。」

K「そうですね。」

「なので、外国人が入りやすくてしかも、飽きずに食べられる
美味しいベトナム家庭料理を提供するお店を創りたかったんです。
私自身もともと料理は食べるのも作るのも好きだったし(笑)。」

K「なるほど。」

「それに自分の実体験として、
ベトナムに来てはじめの頃にこちらの家庭料理を良く食べる機会があったんですね。
その印象が強烈だったんですよね。」

K「とおっしゃいますと?」

「ベトナムに来た当初は、
街中のビンザン(大衆食堂)の食事を「美味しい」って食べてましたけどね。
こちらの家庭料理を知れば知るほど、
実はビンザンのご飯が美味しくないって気づかされたんですよ。」

K「へぇ~」

「考えてみればビンザンっていうのは結局、
商売優先だから、安くて、種類があって、ボリュームさえあれば良い。
そういうスタンスなんですよね。なので、テキトーにしか作らないんですよ。」

K「とりあえず何でも味の素で味付けしとけ!って感じですもんね。(笑)」

「かたや家庭料理は家族のために時間をかけて作るんです。
だから美味しいんですよね。」

K「そうでしょうね。」

「それに私は嘘っぱちってあんまり好きじゃないんですよね。
だから外国人がベトナムにきてそういう大衆食堂にだけいって、
美味しい本物のベトナム料理を知らないで帰るのが嫌だったんですね。」

K「なるほど。」

「それに私自身ケチなんで(笑)
そんなに高くない設定で料理を提供できるお店を作りたいと思ってました。」

K「なるほど。そういう意味で一つは美味しいベトナム料理を
提供するレストランとしての一面があるわけですね。」

「そしてもう一つの目的が、
ベトナムの孤児院などで育った若者たちに
『機会』を与える場所、一種の教育の場を提供することなんです。」

K「どうして、そういうお考えをもたれたんですか?」

「ある時期に、偶然出逢った孤児院で生活する若者達に感銘を受けたことがあるんです。
はじめて彼らに出逢った時はびっくりしたんですよね。
彼らは英語もできるし、志も高いし、考え方もしっかりしてる。
『スゴイなこいつら!』と思った。
けれど、彼らはそこにいる限り、衣食住は与えられるけど、
それ以上の教育などを与えられるわけでは無い。
そして16歳で孤児院を出た後は、もう自活するしかないんです。」

K「彼らはどんな仕事をして生活するんですか?」

「いまもそうだけど、例えばそういった所を出た男の子は
ほとんどバイク修理の仕事をするんですよね。」

K「なるほど」

「けれど、自分が元々文系なのもあって、
そういう機械仕事に向かない子がいるのもわかるわけですよ。
なので、そういった子供たちに、もう少し別の機会を与えたいなって
思ったんですよ。」

K「そうでしたか。」

「自分も学生時代に部活やなんかで、
さまざまなチャンスを与えられた結果変わってきたので、
彼らもチャンスさえ与えられればさらに変わるだろう、っていうのがわかっていた。」

K「なるほどそのチャンスを与えたいと思ったわけですね。」

「そう。人生にチャンスは必要だからね。
当時の私のイメージしていたのは部活ですよ。
27歳の自分が、10代後半の若者と一緒に新しいものを創っていこう、みたいに。」

K「なるほど、そういう意味で
一つは美味しいベトナム料理を外国人に提供するレストランとして、
一方でベトナムの貧しく、機会に恵まれない若者への教育の場としての
二つの目的を果たすためにレストランを始められたんですね。」

「そうです。」

②に続く


この記事面白い!と思ったら↓をポチっとお願いします☆

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿