2011-10-24

『次世代のAPUに繋げていかねばなりません』 APU卒業生インタビュー 第九弾 カンボジア 一期生 ヴェセナさん

今回のインタビューはカンボジアから、初対面の一期生ヴェセナさんです。

はじめにお話しておきますが、
実は私達はヴェセナさんにはインタビューを受けて頂いただけでなく、
プノンペンのご自宅に6泊もさせていただきました。

(泊めていただいたお部屋)

とっても気さくで笑顔の素敵なヴェセナさんですが、
カンボジア国会で働く政府職員としての顔と、
ご自身でビジネスを営む経営者としての顔をお持ちです。

そのおかげで私達はカンボジア国会やプノンペン空港のVIPルームに
ご一緒させていただくことができました。

そんなヴェセナさんのお話もユニークでAPUへの愛の溢れたものでした。
それでは、インタビュー本文をどうぞ。



氏名   Veasna さん
出身国 カンボジア
卒業年 2004年秋
学部   APM
職業   Deputy director of Protocol Department,
              Advisor to the Vice-President of Parliament,
              TEP VANCHHADA 経営者

以下インタビューは英語で行い、日本語訳しております。
KはKentaro CはChiaki その他がご本人の発言です。
_________________________________

現在の事について
K「まずは現在の仕事について教えてください。」

「OK。実は私はAPUに行く前から働いていました。
1997年からカンボジア政府の国会職員として働き始めて、
その後2000年にAPUに入学、そして2004年に卒業し、また同じ仕事に戻りました。」

K「なるほど。面白いですね。
ちなみにヴェセナさんの仕事は2つあるんですよね。1つは国会で働く政府職員として、
もう1つは経営者としてのお仕事ですね?」

「そう。国会での仕事は、最初はプロトコル(外交儀礼関係)のスタッフでした。
そしてAPUで勉強してまた元の職場に復帰した後、プロトコルの責任者である
Deputy director of Protocol Department に昇進しました。」

K「出世ですね!」

「そう。そして、2008年にAdovisor to the Vice Presidentに任命され、今に至ります。」

K「なるほど」

「それから現在まで、Deputy Director of Protocol Officer と
Advisor to the Vice President を兼務しています。これが、政府の仕事です。
もう一つのビジネス(鉄鋼資材等卸売業)は始めてまだ2年ほどです。
最近ようやく軌道に乗ってきたところですね。」

K「カンボジア政府関係の職を得るのは難しいですか?」

「もちろん、とっても難しいよ(笑)」

K「なるほど優秀なんですね(笑)。カンボジアではどの大学を出たんですか?」

「マネジメントの大学を出ました。専攻はマーケティングです。
だから、APUに入った時もAPMを選び、ゼミでは国際貿易を学びました。」

K「ちなみにヴェセナさんがAPUに入学した当初は何歳だったんですか?」

「29歳かな」

C「今のうちらと一緒だ!」

K「すごいなぁ、自分が今の歳から大学に入ると思うと楽しいな~!
もう少し、現在のお仕事について詳しくお伺いしていきますが、
ご自身で経営しているビジネスの内容とスタッフの人数を教えていただけますか?」

「現在2人従業員を雇ってます。
仕事内容は主にスチールや電気部品、水道管など建築資材の卸売りですね。」

K「なるほど。商材はカンボジア製品なんですか?」

「いえ、スチールに関しては妻の母親がベトナムからスチールを輸入しているので、
そこから仕入れて販売しています。そのほかの電気製品などは、
私がベトナムで買付しています。」

※ヴェセナさんの奥様はベトナム系カンボジア人。

K「ちなみにヴェセナさんは政府でも仕事をしているのに、
どうして自分でもビジネスを始めようと思ったんですか?」

「政府の仕事は給料が良くないからね(笑)。
それだけじゃ支出に追いつかないんですよ。」

K「なるほど」

「実際には私一人なら政府の仕事だけでもいいんですけど、
親を始め、家族もいるし、来年には子どもも生まれるし、
みんなを養っていかなきゃならないからね。責任重大なんです(笑)。」

K「話は変わりますが、政府のお仕事でVice President へのアドバイスって、
具体的にどんなことをするんですか?」

「彼の要求によりますね。例えば、
ある時は外国からの使節団との会食時に行う彼のスピーチの下書きをしました。」

K「なるほど。ちなみにカンボジアで政府の仕事に就くには、試験か何かあるんですか?」

「いや、私は試験は受けていません。伯父が政府で高い役職に就いているので、その関係で。」

K「伯父さんの紹介ということですか?」

「そう。伯父さんはカンボジアのSecretary Generalだからね。」

K「すごいなー!でも紹介で政府の仕事に就けても、
そこから昇進するのは難しいよね。」

「そうだね。結構大変な仕事だしね(笑)。
つい先週もカンボジアで大きな国際会議があったので、とても忙しかったですよ。
各国の重役が空港に到着すると、その都度迎えに行って、ホテルに送り届けたり、
滞在中のケアをしたり。朝から晩まで本当に忙しかった。先日やっと終わったところです。」

K「今回みたいに政府の仕事が忙しい時は、奥さんがビジネスの方を見るんですか?」

「そう、妻が全部やってくれます。」

C「普段は政府での仕事は何時から何時くらいまでですか?」

「通常は朝7時から11時半、そして家に昼食に戻って、午後は2時から5時半までです。」

C「昼食に家に帰れるのはいいね。夕方帰った後は、さらに家の仕事をするんですか?」

「基本はそうですね。」

K「どちらにしろ、一日中働き通しですね!
話がまた変わるんですが、カンボジアで大学に行く人は何パーセントくらいですか?」

「今だと60%くらいかな。」

C「結構高いね!」

「というのも、現在は各県に大学が置かれましたから。
それに学費もとても安いです。年間300~400USDくらいですね。」

K「安いね!APUに比べると凄く安い(笑)」

「安いよ!APUは1つのコースを取るだけで100USDだったからね(笑)」





学生時代について

Q、APUに入ったきっかけを詳しく教えてください。

「私がAPUに入る前、カンボジア政府で働いていた時に
日本からJapan Cambodia Friendship Associationの人がよく来ていたんです。
そして、その方々のお世話をするうちに、シンタニさんというメンバーの方と仲良くなったんです。
それで、ある時彼に日本で勉強するための奨学金を探してもらうようにお願いしました。」

K「なるほど」

「そしてその頃ちょうど、APUが開学することになったんです。
なので彼がAPUを私に紹介してくれて、入学願書などの書類を送ってくれました。
当時APUとの面接は電話でおこないましたよ。」

C「そっか、じゃあヴェセナさんは政府の援助などがあって
APUに入ったわけじゃないんですね。」

「そう。私は国費学生ではなくて、自分でいろいろ手配したんですよ。
だから、奨学金もAPUからのもので、カンボジア政府からの奨学金ではありません。」

K「でも政府のお仕事は大丈夫だったんですか?4年も仕事を休むことになって?」

「はい、上司にお願いしてOKでした(笑)」

K「ちなみに政府の仕事がありながら、
どうして日本の大学に入ろうと思ったんですか?」

「自分の知識を磨きたかったんです。」

K「なるほど。」

C「ちなみにどうして日本なんですか?
アメリカとかオーストラリアは考えなかったんですか?」

「そういった国々にも行きたかったけど、奨学金がありませんでしたから(笑)
APUに入ったのは奨学金がもらえたからですよ。」

K「なるほど。」

Q、はじめて別府に来た時の印象は?

「別府には先ほどお話したJCFA大分市部があったので、知人がいたんですよ。
なのでその方に大分空港まで迎えにきてもらえました。
初めての日本だったので不安はあったんだけど、
空港で出迎えられた時はとても興奮したのを覚えています。
別府の町は自然が多くて、すぐに好きになりましたよ。」

K「そうですね、海も山もあるし。」

「それに、別府では人生で初めて雪遊びすることもできたからね!
あれはAPUに入学した2000年の冬ですね。雪がたくさん降ってね。」

K「それは興奮しますね!」

「はい、とても感動しました。
アジアの南の方からきた学生はみんな外に出て雪遊びをしましたよ。」

K「南の方から来た学生もたくさんいたもんね。それは確かに良い思い出だ。
別府にはもう一度行きたいですか?」

「もちろん。APUも別府も懐かしいよ。思い出がたくさん詰まってるからね。
本当にいつか行きたいと思っています。」

Q、別府ではどこに住んでいたんですか?

「最初の一年はAPハウスに住んでいて、その後鉄輪に移りました。
鉄輪ではバス停のすぐ近くに住んでいましたよ。
アパート名は覚えてないけど…バス停から歩いて1分くらい。」

C「誰かとシェアしてたんですか?」

「鉄輪ではベトナム人の友人とシェアしていました。
その後、亀川に引っ越し、亀川ではインドネシア人の友人とシェアしていました。」

Q,サークルには入っていましたか?

「はい、テニスクラブに入っていました。あと卓球も少しやってたよ。
テニスクラブにはプロ並みに上手な学生もいましたが、
私は自分が楽しむためにやっていましたね。」

Q,別府で何かバイトはしてましたか?

「はい、毎晩温泉の掃除のバイトをしてました。」

K&C「えぇーーー!どこの?!」

「亀川駅の前です。」

K「それは面白いですね。駅前周辺にある温泉旅館の掃除のバイトですか?」

「いや、どこだったかな、でも掃除は温泉だけですよ。夜9時に温泉が閉まるので、
9~10時までが仕事時間でした。実際はいつも1時間もかからなかったけどね。」

K「掃除は1人で?それとも他にも誰かいましたか?」

「別府の人が一人いて、その人と一緒に掃除をしていました。」

K「面白いなー。時給はどのくらいですか?」

「一日で1500円の給料をもらっていました。」

K「一日っても、1時間だからね。高いなー(笑)」

「夜遅いバイトだったからね(笑)」

K「ちなみに、そのバイトはどうやって見つけたんですか?」

「ミャンマー人の友人から紹介してもらいました。
オンさんという男の学生です。」

K「他にはどんなバイトをしてましたか?」

「掃除の他には、ラーメン屋さんで皿洗いのバイトをしました。
ラーメン屋さんは亀川の自宅からすごく遠くて、自転車で通うのが大変でしたよ。
大分に向かう10号線沿いのビーチの近くにあるお店です。」

K「へー面白い!」

「面白いけど大変だったよ(笑)」

K「奨学金とは別に、生活費とかを稼がなきゃならないからね。」

「そうだね。あと、湯布院でも友人とバイトをしていましたよ。」

K「湯布院でバイト?」

「はい。大学が休みの期間、湯布院で新聞配達のバイトをしていました。
毎朝午前1時には起きて、新聞にチラシを挟んで配達し、
朝の5時には配り終えます。本当に寒かったなー。
そのバイトの間、湯布院では友人の家に寝泊まりしてました。」

Q、ゼミはとってましたか?

「もちろん、あれ先生の名前をど忘れしちゃったな(笑)。ケン、ケンジ、、。」

K「もしかして横山先生ですか(笑)?」

「そう!そうです(笑)。とても良い先生でね。
よく僕ら学生を自宅に招いてくれて、
料理を作ってご馳走してくれたりしてたんだよ。あれも楽しかったね。」

K「なるほど、面白いな~。」

Q、別府でAPU生以外に親しくなった人はいますか?

「はい。バイト先やアパートの近くの人と仲良くなりましたよ。
おばちゃんとか、みんなごはんをくれたり、とても親切にしてくれましたよ。」

K「どなたか名前は覚えてますか?」

「名前はあんまり覚えてません。日本人の名前は難しいからね!
でも覚えている人も何人かいますよ。温泉掃除のバイトだと、清掃会社のナカムラさん。
彼は60歳くらいで、バイトのリーダーのような人でした。
あと、大分のJCFAのメンバーの人で、Mr.アベイチローさんやハヤシさんね。
彼らは私がAPU卒業した後もボランティアとして、
カンボジアで地雷被害にあった人達に会いに来てくれました。」

K「なるほど。」

Q、別府で好きな場所はありますか?」

「ビーチ!友達とビールとか食べ物とかを買ってビーチに行って喋ったりしてた。
とても楽しかったよ。」

K「どのビーチ?スパビーチ?」

「かどにスーパーがある、APUから降りてきたところの…」

K&C「関の江だ!」

K「ちなみに別府の温泉でどこか好きな所はありますか?」

「名前は覚えてないけど、鉄輪に一番好きな温泉がありました。
別府にはたくさん温泉があっていいですよね。」

Q、学生時代もっとも力を入れたことは何ですか?

「最初はAPハウスにいたので、たくさん友人を作るようにしました。
APハウスには世界各国の学生がいたので、そのおかげで、今も世界中に友達がいます。
2年生になって別府の町の方に引っ越してからは、
地元の人と関係をたくさん持ちました。話したようにバイトをしていたこともあり、
常にたくさん地元の友達を作るようにしました。」

K「では学生時代一番大変だったのは?」

「大変なことはたくさんありましたが、やはり言葉ですね。
最初は今ほど英語も話せず、授業について行くために
必死に勉強しなくてはなりませんでした。」

C「英語も日本語も苦手だったんですか?」

「そうです。特に日本語は本当に難しかった。
でも、学生はみな日本語の授業を取り終えないと卒業できませんでした。
例えば、私の友達でパプア・ニューギニア出身の学生がいましたが、
彼は日本語の授業をパスできなかったので、卒業証書をもらえませんでした。」

K「それは残念ですね。」

「本当にかわいそうでした。彼はとても頭が良く、
他の授業は全て好成績でしたが、日本語だけがダメだったんです。
結局、彼は卒業証書をもらえないまま帰国しましたね。」

C「ヴェセナさんは日本に来る前はどのくらい日本語ができましたか?」
「全然できませんでした。当時は英語すら完璧じゃありませんでしたから。」

K「なら、日本で苦労して勉強したんですね。」

Q,今後APUがもっと良くなるためには何が必要だと思いますか?

「APUにはすでに必要なもの全てがそろっていると思いますが、
提案があるとすれば、一つは学費のことですね。
いまはわからないけど、やはり学費が少し高いのであれば、お金の無い人には難しい。」

K「なるほど」

「また、別の問題として、先ほど話した通り、
私の友人は日本語の授業を1つ落としただけでAPUから卒業証書をもらえませんでした。
学生たちは4年間という膨大な時間を費やしたのに、
たった1つの授業を終えられなかったというだけで卒業証書ももらえないなんて、
あんまりです。」

K「そうですね。」

「APUは日本の大学というよりは国際大学なんだから、
日本語だけにこだわらず、そこはもう少し柔軟に対応するべきだと思います。
日本語のクラスがパスできない分を別の授業で補ってもいいと思う。
APUに来る学生の言語能力は本当に人それぞれだから、
そうやって柔軟な対応をするのが公平だと思います。」

K「もし、APUがもっといろんな国からの学生を継続して招きたいと
思うのであれば、ヴェセナさんの提案はとても重要だと思います。」

Q,別府に何か提案はありますか?

「別府市はすでに学生にとっても良くしてくれていますよ。
国際学生に対してとても温かいし、歓迎してくれましたから。十分だと思います。」


将来について

Q,今後の目標や将来の夢はありますか?

「はい、私にはたくさん夢があります。政府のでの仕事に関しては、
今後、政治家になって、自分がこれまで蓄えてきた知識や経験を国民と分かち合いたいです。」

K「なるほど」

「また、自分のビジネスに関しては、事業をさらに大きくしたい。
できるだけ。そうすることで、さらに多くの人を雇うことができます。」

K「つまり、雇用を創出したいということですね、なるほど。」

Q、APU卒業生にメッセージをお願いします。

「では、この場を利用してAPU卒業生のみなさんにお願いさせてください。
私たちは皆、日本の別府にあるAPUで学んだ仲間です。
ですから、この繋がりをずっと持ち続けAPUという一つのコミュニティを創りましょう。
政府、NGO、企業など様々な分野で活動している私たちは、
互いに繋がり合い、自らの経験や知識を共有し、次世代のAPUに繋げていかねばなりません。」

K「素晴らしいですね。」
C「とても明確だね。」

Q、APUの現役学生や未来のAPU生へメッセージをお願いします。

「世界各国に、いろんな国籍の友達が欲しいと思う人は、是非、APUに行くべきです。
APUは世界中から学生を集めていますからね。自分の文化や経験をシェアするチャンスがありますし、同様に、世界中の人々の文化や経験を知ることができます。
そして、開かれた視野を持ち、世界とはどのようなものかを知ることができます。」

C「それはヴェセナさん自身の経験に基づいた言葉ですね。」

「そうです。私もAPUでいろんな国から来た学生と文化や経験をシェアし、
その経験のおかげで今の自分がいます。
今の私があるのは、すべてはAPUのおかげです。」

K「以上でインタビューは終わりです。
長時間お付き合い頂きありがとうございました。」


◆今回のインタビューは2回にわけておこないました。(2011/9/30、10/02)
_______________________________________
インタビューを終えて

ヴェセナさんとのインタビューを通じて改めて感じたことは
友人を繋がり、その繋がりを大切にし続けるのが、如何に素晴らしいことか。
という事でした。

インタビューの中でも
ヴェセナさんがAPUで出逢った世界中の友人について触れていますが、
それ以外にも私達はカンボジア滞在中にヴェセナさんの中学時代からの友人の方々と
食事をさせていただいたりもしました。

とにかく、ヴェセナさんは
いつも、どこでも友人を本当に大切想っていらっしゃいました。
純粋にヴェセナさんのそういった姿を目の当たりにして、
「友達って良いな~」と改めて感じたのでした。

また、もう一つ気づいていただきたいことは
日本の常識というものが、如何に凝り固まったものか、ということです。
ヴェセナさん自身の生き方が示していますが、
29歳という年齢で自力で大学に入りなおす、これも一つの生き方なんですよね。

高校卒業したら、次は大学入って、その後は就職して一生勤めあげる。
それも難しいことだし、立派な生き方ですが、
選択肢は決してそれだけでは無いって事ですね。

もし将来について悩み苦しんでいる人が居れば、
それも参考になるのでは?

加えて、インタビュー中には掲載していませんが
ヴェセナさんはカンボジアで育ち、幼少期に内戦を経験しています。

そのことから「大学で学べるということ」の価値についても
人一倍想いがあるように感じました。

理由はそれぞれでしょうが、
そういった強い想いを持って、
世界からAPUに学びに来ている学生が
今もキャンパスにはたくさん居るのではないでしょうか?

そう思うと、皆さんのキャンパスライフはより意義あるものに
思えてきませんか?

ということで、
ヴェセナさんの多大なAPU愛に包まれた、
大変有意義なプノンペン滞在となりました。
ヴェセナさん本当にありがとうございました!
またお会いできるのを楽しみにしています。
ご家族にも宜しく!!



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4 件のコメント:

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    1. 永野さん、

      ブログへのコメントいただきました
      APU二期生の渡邉賢太郎と申します。

      カンボジアにいるVeasnaさんの紹介ですが、
      当人とはなかなか連絡がつかないため、
      ご紹介はメールアドレスをお伝えするのみになります。

      ただ私は永野さんのことを全く存知ませんので、
      念のため簡単なプロフィールやVeasnaさんと
      コンタクトをとりたい理由などをもう少し詳しくお教えいただけますでしょうか?

      お手数ですが、
      友人を紹介するからには責任を持って臨みたいと考えておりますので、ご理解よろしくお願いします。

      もちろんAPU生ですから基本的にはWELCOMEです。

      渡邉
      what.is.your.dream.88@gmail.com

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