2011-08-04

「自分のやりたいことを大事にしてほしい」 APU卒業生インタビュー第7弾 ベトナム 二期生 坂本侑奈さん

「自分のやりたいことを大事にしてほしい」
APU卒業生インタビュー第7弾 ベトナム 二期生 坂本侑奈 さん

今回のインタビューも前回に引き続き
ベトナムはハノイで行いました。場所はKOTOレストラン。
学生時代の目標は、本気で取り組めば叶う。
そのことを教えてくれる貴重なお話になっております。
それでは本文をどうぞ!


氏名   :坂本 侑奈
卒業年度:2006年 
学部   :APM
出身地  :日本 高知
職業   :某日系メガバンク ハノイ勤務

①卒業から現在まで
Q、「卒業から今までの流れを教えて下さい。」

「卒業後はまずベトナム人材の紹介会社に入社して、5年間そこで働いたよ。
最初は一年半、大阪で営業したね。その後半年間ベトナムに来て、ハノイで仕事をさせてもらった。
そのあとまた日本に戻って今度は東京で3年間。でも、そこを退社して、
今年(2011年)の春から邦銀のハノイ支店で働き始めました。」

K「最初の会社の仕事の内容は?」

「新規営業でベトナム人の人材紹介をやってたよ」

K「日系企業に対して紹介するの?」

「そう日本の中小企業向けにね。ベトナム人採用したら会社が良くなりますよ。って感じで(笑)」

K「ベトナムに進出している企業に対してなの?」

「いや、ベトナムに工場があるとかそういうの関係なくやね。」

K「なるほど。ちなみにどんな感じで営業に行ってたわけ?」

「ニーズはいろいろあるけど、まずは『人材獲得に困ってませんか?』ってとこから。」

K「なるほど日本の中小企業が人を採りづらいことが背景にあるんやな」

「そうそう、外国人でもいいからとにかく人材が欲しいっていう中小企業って結構多いんよね。
けれど外国人を採用するためには結構手間がかかるんだよ。言語の問題とかね。
私のいた会社が、そういう手間を引き受けることでビジネスとして成り立っていたのかな。」

K「でも、ビザとかは取れるの?」

「うん、クリアできるよ。そのため(外国人が日本で就労するため)のビザがあるから。」

K「面白いね~、ちなみに日本の企業に紹介をしていたベトナムの人達っていうのは大卒なの?」

「うちの会社としては大学を出た子をエンジニアとして紹介するのと、関連組織で
田舎出身の高卒後就職先が無い子たちを日本に紹介するっていう方向が二つあったね。」

K「なら、必ずしもキャリア積んだ子じゃないんやね?」

「そうやね。そういう子たちもいたけどね。」

K「その高卒者の紹介事業の方は、社会貢献的な意味合いが強いの?」

「うん。」

K「それは面白いな~。その営業をしてたんやね。お客さんはど具体的には日本のどんな企業?」

「中小企業、具体的に言うと町工場みたいな会社が多かったかな。」

C「町工場の社長さんに営業してたわけ?」

「そうそう。オフィスも無いような、工場の中に入っていって営業してたよ(笑)。」

K「飛び込みで?」

「そう飛び込みで、それが結構面白くて!(笑)」

C「いきなりベトナム人雇いませんか?って言ったら怪しまれない(笑)?」

「最初はそうやね。けど、私が営業してたお客さん(企業)はどこも本当に人を欲しがってたからね。
実際に紹介をしてみるとその後は『ウェルカム!』って感じになっていったよ。」

C「なるほど」

「ちなみに最近なんだけど、昔私が神戸にいた時に開拓したお客さん(会社)が
ベトナムに進出したんだよ。
『お宅でベトナム人の従業員を雇ったのがきっかけでベトナムに進出しました』って。」

K「へぇ、それはすごいな~」

「嬉しかったよ!『貴女と会わなかったらベトナム進出とか無かったんだから、最後まで面倒みてね』
って言われちゃった。(笑)」

K「それは良かったね。ちなみに新規開拓の営業とかは楽しめた?」

「うん。楽しめたよ。、そうで無い時もあったけど(笑)」

K「ちなみにそんな前の仕事を辞めたのはどうして?」

「前の会社ではベトナムにも行けたし、ベトナムから帰ってきてからも凄く面白い仕事もさせてもらったし、会社に対して有難いという思いはすごく強かったんだよ。けど、どうしてもベトナムで働きたかったんよね。」

K「なるほど。こっち(ベトナム)で働きたかったんやね」

「それをずっと会社にも言い続けてたんやけど、
やっぱりベトナムで働かせてもらう事が難しいってことだった。
日本の方が仕事も多いし、忙しかったからね。」

K「なるほど」

「だから前の会社に居た最後の一年間ぐらいはベトナムで仕事をするチャンスを探してたよ。」

K「就職から四年目やね」

「その時同時に、私自身30歳までに何か強みを、専門性を持ちたいって思ってたんだよね。」

K「それはベト語じゃないの?」

「ベト語かも?って思ったこともあった(笑)。けど、自分が言語に凄く強いとか、
好きって感覚が無かったのね。」

K「なるほど」

「言語はあくまでツールとしての感覚はあったけど、それだけを翻訳家や通訳家みたいに
プロとしてやるのはちょっと違うかな~と思って。」

K「なるほど、では今の仕事を選んだ理由は?」

「とにかくまずはベトナムで出来る仕事だったことが大きいね。
あとは、いろんな業種を担当できる営業がしたかったんだよね。
そう考えてみると、(転職当時の)候補としては人材や物流、金融などがあったかな。
もう一つ付け加えると、マクロにベトナムを見たかったから
法人営業にもすごく興味を持ってたよ。」

K「なるほど、すると邦銀はしっくりくるね。」

「私にとって金融はこれまでの専門とは全く違うんやけどね(笑)」

K「なるほどね。で、今の仕事3カ月やって楽しい?(笑)」

「うん、大変なこともあるけどね。面白いよ。
特にベトナムの子って仕事の中でも感情を出すんよ。
凄く泣くし、自己主張するし。そういうところが面白いね。」

K「ちなみに職場には何人くらい従業員がいるの?」

「90人くらいかな?日本人は6人くらいだけど、女の子が8割くらい。」

K「なるほどね、ちなみに仕事は新規の営業?」

「というよりは日系企業がベトナムに進出する最初の段階で、
現地企業やコンサルタントと引き合わせたりする仕事がメインかな。
もちろん、まだ一人でこなせるわけじゃないけどね。そのほかにもいろんな仕事があるよ。」

K「面白そうやな~。」


②学生生活を振り返って
Q、別府ではどこに住んでいたのですか?
「最初は原って書いてハルのラピタに住んでたよ。」

K「ずっと住み続けたんだっけ?」

「いや、ベトナムに留学に行くまでだから、2年間。
そのあとは一年間ホーチミンにいた。帰って来てからは就職活動始めるまで友達とシェアして
南立石公園の前に住んでたね。そのあとAPハウスに3カ月だけ住んでた。
卒業前には高知に戻ったよ。」

Q、サークルやゼミは?
「サークルは陸上部、あとよっしゃ虎威もやってたね。
私たちの時はまだサークルじゃなかったけど(笑)」

K「というか、侑奈は、よっしゃ虎威を創設メンバーの一人やん。
侑奈の実家に泊まりがけでお邪魔して、ヨサコイ祭りみんなで見て
あれこれ話し合ったもんな。」

「懐かしいね。あとは運動会とかもやってたね。」

K「ゼミは?」

「ゼミは福谷先生のゼミ。」

K「なるほど、ちなみに卒論は何について書いたの?」

「卒論はベトナムと人材移転と技術移転と経済発展を繋げてテーマにしてたよ。」

K「なるほどね。じゃあ卒論書いてる時点では
今侑奈がやってることへのイメージがあったんやね?」

「そうだね。最初に勤めた会社を見つけたのも、
同じ福谷ゼミの子が紹介してくれたのがきっかけなんだよ。」

Q、別府でバイトはしてましたか?
「バイトは賢太郎くんと一緒でピザ屋さん(笑)
あとはね、原の明林堂(本屋)で一か月くらい。」

K「ピザ屋は面白かったよね。ホントに楽しかった。」

「この間、ベトナムに来る前に店長(ピザ屋のバイト時代の)に会ってきたよ。」

K「いいな~。オレも会いたいな~(笑)」

Q、学生時代に力を入れたことは?
「ヨサコイは楽しかったと思う。けど、力を入れたことか、、、。
留学をしてた時は自分自身で相当ハードルをあげてた。」

K「ストイックになってた?」

「そうだね。その時はね。『こうじゃなきゃダメなんだ』みたいになってたね。
いま、考えると何故そうだったのかわからないけど(笑)」

K「どうしてそうなってたの?」

「やっぱり、お金をかけて、時間をかけて留学に来てるから、
短い時間で出来るだけいろんなモノを得て帰ろうと思ってたんだと思う。
だから、留学時代はいっつも一人でいた気がするよ。」

K「ベトナムに興味を持ったのはいつなの?」

「もともとは高校のころから『どこかに留学したい』って思ってた。だけど、
ベトナムに行きたいとは特に思って無かったんだよね。

K「なるほど。」

「実は最初はフィリピンに行きたいと思ってた。
というのも高校生の時にフィリピン人に英語を教えてもらってたことがあって、
それがきっかけでフィリピンになんとなく興味を持ってたんだよね。」

K「なるほど」

「けど、フィリピンに大学1年生の終りに行ったことがあってね。
その時にタガログ語が全く解らないっていう経験をしたの。
その経験から言語ってすごく大事だなって思ったよ。」

K「具体的に海外留学を決めたのはどうして?」

「きっかけはね、大学のある時期に身体を壊して入院することになったんだよね。
鶴見病院に(笑)」

K「そういう時期あったね。大学2年になったころ。
みんな次々に倒れて行った。オレは膵炎、だいちゃんは腸炎、
ほかにも○○炎の名がつく病気が続いたよな(笑)」

「その時私は二週間ほど入院したんだけど、その間にいろいろ考える時間を持てたんだよね。
『私はこのままでいいのか?』みたいな?(笑)
それで『誰も頼りに出来ない状況に身を置いてみたい』って思うようになった。
その結果としてベトナムに行くことを選んだんだよね。」

K「ストイック(笑)。やけど、いろんなアジア太平洋言語の中でどうしてベトナム語を勉強していこう
と思ったの?」


「それはね、英語をこれからいくら勉強しても、やっとみんなに追いつくだけだなって思ったの。
だからスペシャリティが欲しかったんだよね。」

K「なるほどね。」

Q、APUに入学したきっかけは?
「さっきも少し話したけど、高校生のときから留学したいっていう気持ちが強かったの。
それで在学中に留学をしやすそうな大学をいくつか探して比べてたんだよね。
その中でAPUに行けば日本に居ながら留学してるのと同じ環境で過ごせるなと思ったから、
選んだんだよね。」

K「もともと留学したいと思ってたのはなんでだろう?」

「いろいろあるけど、一つのきっかけは高校生の時かな。
友達と一緒に街中歩いてたら、偶然出会った東南アジア人っぽい人から道を聞かれたの。
その時に友達が「怖い」って言って逃げちゃったの。
その友達の反応に対して、なんか違和感をもったんだよね。」

K「(友達の反応に対して)イラッときたの?」

「正直、そういう気持ちもあったと思う。
その時から『何でだろう?』っていう疑問を持つようになった。」

K「その時の『何でだろう』がAPUを選ぶきっかけの一つにもなったのかな?」

「そうかもしれないね。」

「あとはね当時APUのパンフレットに載ってた一期生の紹介の中に、
自分と同じような事をやりたいって人がいたんだよね。それも大きかったと思うよ。
『自分と同じ夢を持った人が居る』って言うのは私にとって魅力的だった。」

K「それは大きいね!」

Q、別府の第一印象は?
「初めて来たのはオープンキャンパスかな。
別府湾サービスエリアから見下ろした景色はスゴかったのを覚えている。」

Q、別府で好きな場所はありますか?
「テレビ塔!陸上部でもよく学校から走って行ってたよ(笑)」

K「なるほどね。」

Q、地元の人で親しくなった人はいますか?
「やっぱり店長(バイト時代の)かな。
私自身、別府の人達とはあまり関わりは無かった気がする。
それが少し悔やまれるけどね。」

Q、学生時代一番つらかったことは?
「就職活動のときかな?別府を出て今までとは違う環境で生活することと、
就職活動自体のプレッシャーはやっぱり大きかったね。
特に私は面接が得意じゃなかったからね。自分の想いを上手く伝えるのが苦手だった。
いつも想いが先行して、うまく話を組み立てて伝える事が出来なかったんだよね。」

K「けど、結果としては上手くいったよね?」

「面接があまり多くない会社だったからね(笑)」

Q、学生時代の一番の思い出は?
「卒業論文を書いてた時。面白かったよ。」

K「というと?」

「APハウスで、ハヤト君やタカシ君とかと泊まりがけで
書いてたんだよね。あの時は楽しかったな~。ただ唯一悔やまれるのは、
あの時『アホヤンズ』っていうサークル?のみんなが開いた長靴運動会に出られなかったこと。」

K「長靴運動会?」

「アイススケートリンクの上を長靴履いて遊ぶの!」

K「アホやな~(笑)」

「卒論に集中してたから、それに出られなかったのが悔やまれるね(笑)」

Q、恩師について

K「話は少し変わるけど、福谷先生って侑奈にとってどういう存在なの?」

「なんて言ったらいいのかな?「支え」かな?福谷先生はいつも私に
『貴女の言ってることは間違ってないですよ』って言ってくれた。」

K「おぉ!」

「多分私がベトナムへの関心を高めていったのも先生のおかげだと思うよ。
卒論のベトナム視察も先生が研究と一緒の視察に入れて連れいって行ってくださったんだよね。」

K「なるほど具体的なエピソードで何か覚えていることはある?」

「そうだね。具体的には就職活動の時かな。
私が以前勤めていた会社への最終面接の前日に、東京の大学オフィスに事前相談に行ったの。
けど、その時にオフィスの人から「そんな会社だめだよ!」って言われちゃったんだよね。」

K「えぇ?最終面接の前日に?」

「今思うと、その人は会社がベトナム人から搾取をしていると勘違いしてたんだと思うけど(笑)」

K「けど、最終面接の直前でしょ?どん底に落とされたんやね?」

「それで最終面接直前に福谷先生に電話したの。
『先生、私昨日こんなこと言われたんですけど?私間違ってますか?』ってね(笑)。」

K「ほぉ。」

「その時に『そんなことは無い。自信を持って行きなさい』ってそんな感じで励まされた
のことが有ったんだよね。」

K「結果としてその会社に就職して、今に繋がってるわけやしな。
福谷先生は常にそういうスタンスでいてくれたわけやね。」

「そうだね。」

K「オレもバレー部中心に事あるごとにお世話になってるけど、
やっぱり素敵な先生やな~(笑)」

「本当にそう。私は一年生の地域理解のクラスからずっとお世話になってたからね。」

K「侑奈にとって福谷先生との出逢いは大きいんやね。
ちなみに大学時代に出逢った人で、他に強く影響を受けた人はいる?」

「一人いるんだけど、以前に賢太郎君にも紹介したことのある白井尋(※1)さん。
ベトナムへの留学中に尋さんに出逢えたことは本当に大きなことだったよ。」

K「あぁ尋さん!それは興味あるからもう少し詳しく聞かせて。」

「私自身が社会貢献というか、いわゆるボランティアに興味を持ってた時期があったんだけど、
その時にホーチミンにある尋さんのお店『フーンライ』(※2)に行ったんだよ。
そこで事業として自立して、しかも社会貢献もしっかり持続できる仕組みが
有るんだってことを知ったんだよね。その時から『私もいつかこういうことがやりたい』って
思うようになったよ。」

K「ほぉ。ちなみに尋さんにあったのはたまたま?」

「確かスケッチ(ベトナムの日本人向けフリーペーパー)を見たのがきっかけかな?
そこでピンと来て、お店に伺ったの。」

K「なるほど、じゃあ侑奈は根本的にはソーシャルな活動に興味があるんやね?」

「そうだね。」


③未来に向けて
Q、APUや別府がもっと良くなるためには何が必要ですかね?
「街に大学があるってことの価値ってスゴイと思うんだよね。
何もない街に何を創るかって考えた時に「大学」が創るって難しいんじゃないかな?
だから具体的には言えないけど、もっとお互いに活用しないと勿体ないんじゃないかな?」

K「ちなみに侑奈にとって別府ってどういう場所?」

「やっぱり自分の生まれ故郷の次に大事な場所?第二の故郷っていうのかな?そういう場所だよ。私は実家に対する想いよりは、より鮮明に別府に対する想いがあるかな。
大学時代を過ごした場所ってやっぱり特別な感じがするなぁ。」

Q、これからの夢、目標は何ですか?
「このインタビューを通して、自分がやりたいこと再確認できた(笑)。」

K「そういってもらえると嬉しいよ(笑)」

「まずは自分がきちんと専門性を持ちたい。その上でベトナムでいろんな繋がりを創っていく、そういうことに
関わっていけると面白いかな。」

K「具体的に何かイメージはある?」

「例えば、起業をしたいベトナムの若者が増えてきてるんだけど、
それをサポートするような仕組みを作るのに関わっていきたいかな。
あと一つ面白いなと思ってるのは、以前に会ったベトナム人の社会起業家がいて
そういう人の考えをまとめて広く伝えていくことかな。」

K「それは面白いな~。外国人が日本の事を分析するとかえって的を射る事があるよね。
例えばブルーノタウトの『ニッポン』とかね。それとと同じように、
ベトナムを外国人の目線でまとめるとベトナムの人にとって面白いものになるかもね。」

Q、同じAPU卒業生へのメッセージをお願いします。
「何歳になっても、学生の時と同じような話ができたらいいな。
そういう関係でいれたら良いですね(笑)って感じかな。」

K「なるほど」

Q、APUの現役学生、未来のAPU生にメッセージをお願いします。
「やりたいことをやるってこと。それを大事にしてほしい。
これやったら家族が喜ぶかな?とか、これだったら出来るかな?とかじゃなくって、
『私はこれをやりたい』って思う事を迷いなくやるってこと。
すごく難しいと思うんだけど、それは何歳になっても大事に出来ると良いと思う。
私もそうだけど就活の時とか特に。これやっちゃだめかな?あれやっちゃだめかな?
っていうような話が出てきたら、そういうのは出来るだけ忘れて、
自分のやりたいことに集中している。」

K「つまり、やりたいと思ったことをやれってことやね?」

「東京に居た時に就活生の相談とかも受けてたんだけど。その経験を通じて、
今の就活生って凄く縛られるものが多いんだなって感じてるから。」

K「確かに、みんな本当に頑張ってるよ。」

「私は大事なこと考えるときは、自分が死ぬ時の事を想像したりする。
その時に良かったなって思える生き方をしようって思う。
そうすると小さな事が消えていくかな。私なりのやり方だけどね。」

K「それはアップルのスティーブ・ジョブズが言ってるのと一緒やね。」

「そうなの(笑)?それからあとね、人間って自分の思ってるようにしかなれないと思うよ。」

K「やね。少なくとも思ってないとなれないよね。
侑奈自身、入学当初は帰国子女でも無いし、何か特別なバックボーンがあったわけではないよね。
そんな一学生が夢を描いた通り、いまベトナムで仕事してる。そんな侑奈の存在は、
『それを実現した人がいる』っていう意味でいろんな人の励みになると思うよ。」

K「インタビューは以上になります。今日はありがとうございました。」

「こちらこそ、ありがとうございました。」

④インタビューを終えて
まず率直に、入学当初から知っている友達に改めて(しかも真面目に!)話を聞くのは
照れ臭かったです(笑)。とはいえ、実際に話をしてみると、私たちにとって
その時間は驚きと刺激に満ちたものになりました。

まずインタビューの中で最も印象に残ったのは
「30歳までに専門性を身につけたい」という言葉です。
彼女の口からは繰り返し「専門性(スペシャリティ)」という言葉が出てきました。
私には、その彼女の言葉の奥底に彼女自身が常に現場に寄り添おうとしている、
そんな責任感のようなものが感じられました。

振り返ってみれば、彼女は大学時代から
人一倍思いやりがあって、努力家で、だからその分悩み苦しんでいる姿を見ることも
多かったような気がします。

それは彼女自身が、彼女の身の回りで起こる問題(サークル活動や人間関係など)を
悉く自分の問題としていつも真剣に向き合っていたからに他なりません。
そういう坂本侑奈だからこそ専門性を高めて、しっかりと誰かの役に立てる自分自信を
今も必死で追い求めてるんだろうなと強く感じました。

また、現役学生の皆さんには「やりたいことを大事にしてほしい」という
彼女の言葉をしっかりと噛みしめてほしいと思っています。

彼女がいまベトナムでプロとして仕事をしていることを
学生時代に予想できた友人は私を含めて居ないんじゃないかと思います。
なぜなら、それが簡単な事には思えなかったからです。

けれど、彼女は今その夢を実現し、さらにその先へと向かおうとしているのです。
理由はきっと簡単で、彼女自身が節目節目で自分自身と向き合って、
しっかりと「自分がやりたいことは何か?」について考えてきたからだと思います。
そしてそれを大事にし続けたんだと思います。
なので是非、あなた自身の「やりたいこと」も大事にしてあげてください。

また、今回のインタビューでは素晴らしい恩師との出逢いについても触れる事ができました。
特に彼女にとっては福谷先生に出逢えたことが、今の夢の実現に直結しているということには
驚きました。私自身も大変お世話になっているのですが、
今回登場された福谷先生を始めとし、APUには皆さんの人生を変えてくれるかもしれない
素敵な先生がまだまだたくさんいらっしゃると思います。
現役の皆さんはそういった先生方との出逢いも大切にできると素敵ですね。

感想が長くなりすぎましたが、最後に一言。
彼女の様な親友がいることは私自身にとって大きな刺激になっています。
友達であり、仲間であり、憧れである。そんな彼女に
ここベトナムで再会できたことを本当に嬉しく思っているし、
次回会うときにも、彼女の友人として恥ずかしくない自分でいたいと願っています。

侑奈素敵な話をありがとう!

以上
(インタビュー実施日:2011/8/4)
**********************************************************
(注)
K=賢太郎、C=千明
※①白井尋さん 
ベトナムのホーチミン市にあるベトナム家庭料理レストラン『Huong lai(フーンライ)』のオーナー。
※②フーンライ
ホーチミン市の中心部にある、ベトナム家庭料理レストラン。
日本人オーナー白井尋さんの「社会的に恵まれないベトナムの若者達に新たな人生のチャンスを与えたい」「ベトナム家庭料理を外国人にもっと知ってほしい」という二つの想いから、2001年にオープン。
従業員にはストリートチルドレンや貧困家庭、孤児院の子どもたちを採用し、レストランでの業務のほか、外国語教育、学費支援などを行っている。

**********************************************************

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

1 件のコメント: