2011-08-12

日本の非営利セクター発展のために必要なこと。 ベトナムから学ぶ② 日本考~日本が憧れられる国になるために~

私の世界一周旅の課題の一つに、
日本社会で非営利セクター(NPO、社会起業家と呼ばれるものから、ファンドレイジングまで)を
英米のように社会の第三セクターとして、またプロフェッショナルとしての
地位を確立するためにはどうすれば良いか?というのがある。
理由は簡単で、現在の日本のNPOや社会起業家と呼ばれる人々の活動は、
いまだに「ボランティア」として呼ばれ、そして、実際にそのように見られることが多いからである。
(東日本大震災以降、様変わりし始めているのかもしれないが。)

そのことによって、優秀なマネージャークラスの方でも
同年代のいわゆる営利企業に勤めている人と比べて収入が格段に見劣りする。
その傾向が続くことで、次世代の優秀な担い手を獲得することが困難になっている。
私は今まで仮説として、現在多くの日本人には
社会起業家やNPOといったソーシャルビジネスへの理解が欠けており、
また長い間豊かな生活が送れているからこそ、そういった時代の変化に鈍感なのだと考えていた。

しかし、最近少し別の見方もするようになってきた。
それは日本人にとって、社会起業家や多くのNPOが掲げる「まず世のため人のために」という概念が、新しいものなのではなくて、実は古くからのものなのではないか?という見方である。

きっかけはハノイで偶然入った日本料理店での出来事だ。
その店では元気のよい「いらっしゃいませ」の掛け声をはじめ
日本式の接客を心掛けていた。
もちろん従業員はみなベトナムの若い女の子たちである。

しかし、その子たちの仕事をする姿がなんとも楽しそうなのである。

料理を出す時も、お皿を下げる時も
まるで「お客さんを喜ばせることが楽しい」という感じで
素敵な接客をしていた。
ベトナムで他の(私のような貧乏旅行者が入る様な)お店ではなかなか味わえない感覚である。

もちろんこれは偶然この店だけのことかもしれない。

しかし、このことをきっかけに振り返ってみると、
そもそも日本人にとって「仕事」というものは
単なる金稼ぎでは無かったように思うのである。

また、例えば、およそ30年ほど前に環境経済学といった概念が
西欧から逆輸入されたことがあったが、その根本的な概念は
元来禅宗や神道などを通じ、古来より日本人が当たり前のように持っていた考え方であった。

つまり、西欧科学にとっての最新の概念が、
必ずしも日本文明においても最新とは限らないのである。

それと同じことが、日本社会における非営利セクターの歴史にも当てはまらないだろうか?

NPO、社会起業家、ソーシャルベンチャー、プロボノといった新しい言葉で
「世のため人のために働く」ことを切り取って再提供しているが、
元来、日本人にとって働くことは「世のために人のため」に役に立つことと
同義であったのではないだろうか?と思わずにはいられないのである。

だからこそ、多くの日本人がわざわざNPOとか社会起業家とか
新しい言葉で紹介されるものに対して、斜に構えた態度をとってしまうのではないだろうか?

そして、そうだとすれば(ここからが重要だけど)
今後日本社会における非営利セクターが
正しく理解、評価され、社会の第三セクターとしての機能を果たすようにするためには、

新しい概念を輸入あるいは、創出していくことと同時に、
私たち日本人のルーツを見つめなおし、学び尽くすことが重要になる。

つまり、欧米の背中ばかり見つめるのではなく、
先人たちの築いてきたもの、遺してきたものを一つ一つ丁寧に見直し、
それを日本人同士分かち合っていくことでこそ、
非営利セクターの次なる成長期に繋がるのではないか?
と考えるようになった。

以上

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