2011-07-31

「日本人として世界の中で生きていく」  世界一周APU卒業生インタビュー  第6弾 ベトナム 一期生トモコさん

お待たせいたしました。久しぶりにAPU卒業生のインタビューをお送りします。
中国内陸部でAPU生の足跡を見失って以来約二か月ぶりの更新となります。

お相手は一期生のトモコさん。
今回のインタビューは2011年7月31日に
ベトナムはハノイ旧市街のタマリンドカフェで行いました。

今回も学びの多いお話です。
APU生に限らず、海外で働く日本人の皆さんに読んでいただきたい。

そしてAPU生では特に女性、それも海外で働いている。
もしくは、将来働こうと思っている方に是非読んでいただきたいです。
それでは以下、お楽しみください。



「日本人として世界の中で生きていく」 

氏名:トモコさん(ご本人の希望により名前のみ掲載)

出身地:奈良県(日本)

学部:APM

職業:日系某メーカーで営業管理。ベトナム、ハノイ勤務。

①卒業から現在まで。

K「そもそも、何故今の会社を選んだんですか?」

「(今の会社は)ベトナムに工場があって。もともとベトナムで働きたいと思っていたから、
ベトナムに事務所や工場がある企業を選んで受けてたんだよね。」

K「うちの卒業生一発目ですよね、大変でしたか?」

「いや、そんなこともなく、いまの会社は学閥的なものも無くて。」

K「ベトナムでの現在のお仕事はどんなことになるんですか?」

「営業管理になるかな。ベトナム人スタッフの営業支援と
ベトナム国内の販売促進を計画します。営業に関することは全部、幅広くなんでもやります。」

K「職場のスタッフは何人くらいいるんですか?」

「私の直属は営業マンが7人で、事務の女の子が3人で、工事部隊が7人の計17人。
事務所は30人ぐらいスタッフが働いてます。」

K「全員ベトナム人ですか?日本人は何人くらいいるんですか?」

「営業所は私と上司の二人だけ。上司は越橋の方でパワフルです。
ちょっと特殊な環境かな(笑)」

K「じゃあ仕事はいつもベトナム語ですね?

「今は、私は基本ベトナム語でやってる。英語は段々忘れちゃって(笑)」

K「女性としてそういうメーカーで働く場合って、セクハラまがいのことで苦労することありますか?」

「今でも失礼しちゃうな~って思うことはたまにあるよ。
苦労というか、個人の感覚が大きく関係するよね。慣れもあるし。
私は、もはや逆セクハラ?!と突っ込まれるぐらいに慣れたよ(笑)
セクハラは、過去に同じような体験をしたことのある女性の先輩や、
相談できる友達とかがいないと大変だよね。抱え込むのは本当によくないし。
神経質になりすぎず、女性であることの魅力を強みに変えられる人は素敵だと思うよ。」

K「ベトナムでもあるんですか?」

「ベトナムはセクハラという概念がまだないし、普通に日常会話で出てくる。」

「まだ結婚しないの?とか。ごはん食べた?と同じくらいの頻度で聞かれます」

K「なるほど」


②学生生活を振り返って

Q、別府ではどこに住んでいたのですか?
「ベルメゾン」

K「ベルメ、亀川だったんですね。」

Q、サークルやゼミは?

「一応、神楽サークルとか、、、結構ふまじめな(笑)

K「他は?」

「何してたかな?(笑)そうそう、あとは亀川でお茶やってた。
家の裏にお茶の先生がいて、そこに通ってた。高校から始めて、大学でも続けてたよ。

K「ゼミはどうですか?」

「ゼミはバイロンゼミだった。自主ゼミで畠田先生のLSB研究会にも入ってました。」

Q、別府でバイトはしてましたか?
「バイトは学食で。あと亀川のコンビニとか、家庭教師とかもやってたよ。」

C「でも基本は学食だよね。チキン南蛮の考案者だもんね。」

「時々しか出てなかったのを、絶対売れるからって定番メニューにしてもらった。」

K「そうなんですか!それはお世話になりました(笑)」

Q、その他に学生時代に力を入れたことは?

「う~ん。畠田ゼミかな。別府の町づくりのような活動で、ずっと研究活動が動いていたし、
卒業前はそれがビジネスになるかもってとこまで行って本当に面白かった。」

C「あの風力発電の?」

「いや風力発電もやってたけど、LSBの方。
これで仕事やって行こうかなって考えてもいたんだけど、
畠田先生が外で働いた方がいいよって(笑)」

K「なるほど」

「あの時のわけのわからない調査がホントに面白かった」

K「わけのわからない調査ってどんなことしてたんですか(笑)」

「なんか、大学入った時と同じで、
先は見えないけど、仮説を立てて、先が見えるまで何度も何度もやるっていう。」

K「そうですね。」

「長期滞在の概念を定着させるために、ひたすら町を歩いて、食べて、温泉入って。
観光客向けのお散歩コースを検証したり、ウェブに必要な情報を議論したりね。
まず自分だったら、何があれば別府に長期滞在するかを考えてたかな。」

K「たしかに最初は、みんながまずは別府を知るって所から始めてましたね。」

「そう、だからその分別府への愛着もひとしお。」

Q、別府で好きな場所はありますか?

「浜田温泉。朝起きて行って、夜も行って。毎日通ってた。
改装前は、長い歴史を感じさせるすごく古い建物で味があったな。」

K「他には?」

「あとは亀川の商店街に在学中にオープンしたお洒落なカフェ、好きで良く行ってた。」

Q、APUに入学したきっかけは?

K「そもそもなんでAPUに入学したんですか?」

「もともと立命館に入りたくて、オープンキャンパスでRitsに行ったときにAPUのブースもあって、
そこでバイロンに会ったんだけど、それがきっかけで、面白そうやなと」

Q、別府の第一印象は?

「え?こんなとこ?って感じやった。けど、はじめて出る(生活する)県外やったから
わくわくしてたけど。田舎ぶりに気づいたのはしばらくしてからやったなぁ。福岡遠っ!みたいな(笑」

K「僕が高校生のとき教室からAPUが建つのを見てたんですけど、
あんなところに誰か来るのか?って思ってましたもん(笑」

「あれは騙されたね(笑)」

K「家とかは下見に来たんですか?」

「いや、もうFAXだけやったよ。けど、来てみたら海も見えるし温泉も近いし最高だったよ。」

K「温泉はもともと好きでしたか?」

「うん、もともとお風呂が好きやったから」

Q、地元の人で親しくなった人はいますか?

「ポニーテールの近藤さん。」

K「ポニーテールの近藤さん?」

「亀川商店街の美容師さんインドとかベトナム人の留学生とかに
別府のお父さんと言われている方で。留学生向けにアパートも運営されてます」

K「すごい!そんな方もいらっしゃるんですね。

「APUの開学10周年の本にも載ってるよ。
あとは北原さんAPUの2Fのカフェで働いてたお姉さん。」

K「へぇ」

「近藤さんはYoutubeでAPUの情報発信をしてくれてます。
結婚の報告とかで国際学生が別府に帰ってるみたいで、本当にお父さん。」

K「じゃ、別府の人とは結構からんでましたね。」

「うん、みんな温かい。」

Q、学生時代の一番の思い出は?

「ゼミ(研究)、畠田ゼミかな。」

K「どんな瞬間が印象的ですか?」

「暇があったら先生の研究室に行って、色々な話を聞いてもらったよ。
先生がぽろっと言ってくれた一言にヒントがあって、そこから自分でまた先に進むみたいな。
考えることの面白さを教えてもらった。」

K「頼れる先生だったんですね。」

「うん。ホントに切り口や発想が面白くて、チャーミングな先生だったよ」

K「なるほど。ちなみに、ベトナム語は留学とかしてたんですか?」

「二か月だけ」

K「あとは大学で?」

「そう。」

Q、学生時代一番苦労したことってなんですか?

「人間関係?(笑」

K「というと?」

「やっぱり距離の取り方とかが当時は解らなくて、ぶつかったりもしたし。
せっかく良い環境に居たけど、今も付き合えるような国際学生の友達があんまりいないのは残念。
なんで飛び込まなかったのかな~っていう。」

K「僕自身もそう思ってるんですけど、知ってる人はいるけど、
一緒に時間を過ごしたって人は少ないんですよね
。学生時代にちょっとだけ勇気を出していれば違ったのにな~って思ってるんですよね。」

「そうそう、やっぱり社会人とは違うから。社会人になって友情を深めようと思っても、
なかなか難しい。」

「だから、動かなかったという意味も含めて人間関係難しかった。」

「なんかそういう環境に憧れていったわりにはっていう。」

K「キャンパスで固まっている日本人とかみてると
『なんだそれ』って思いながら、自分も結局そうなってるっていう(笑)」

Q、学生時代に学んだことで一番役立っている事ってなんですか?

「特殊な環境にいたってことはメリットかな。
だから今どんな環境に行っても少々の事では動じないよ(笑
学生時代に凄く特別な環境にいたからこそ。そう思えるのかな。」

「あとは一から何かをやるっていうのにも
物怖じしないようにもなったかな。いつもなんでも一からだったし。」

K「なるほど」

「APUの後輩(ベトナム人)が会社に何人か入ってきてるけど、やっぱりみんなタフだね。」

K「ゼロから創るって経験は大事ですよね。
一期生はある意味強制的にそういう環境にいたんですけど(笑)、
最近少しショックだったのは新入生に入学式の次の日に会った時、
最初に受けた質問が『どうやったら就職って上手くいきますか?』だったんですよ。」

「夢がないね~(笑」

K「なので、こちらが逆におどおどしちゃって、いま、そんなこと考えなくても良いのに!って。」

K「ゼロからやることと、いろんな価値観があることに慣れたってのはとても大事なことですよね。」


「自分なりの考えが無いと価値観もぶつからないからね。
『自分はこうだし、自分は日本人ですけど、なんですか?』みたいなものが。」

K「ご自身は最初からありましたか」

「無い。(笑)無いけど、一期生として入学したから、みんな譲れない想いとかがあって、
それをお互いぶつけることが多かった。でも今の後輩たちは、誰ともぶつからないまま
四年間を過ごすこともできるのかも知れないね。」

K「なるほど。たしかにAPUに居て、誰とも一度もぶつからないってのはもったいないですね。」

「社会人になってベトナムに来て痛感したのは、どんなにこの国が好きだとしても、
やっぱり私はベトナム人になりきるってことは出来ないんだよね。
もう、日本人としてここで生きるっていう。」

「だから、いい意味で現地の人に目線に合わせるってことはしない。あくまで、日本人なの」

K「ほぉ、そうなっちゃうんですかね?」

「そう。それはある意味すごく残念なこともあるどね。学生の時、ベトナム語を勉強して、
ベトナムに実際来て、心も体もベトナム人みたいになりたかった。
で、また今回ベトナムに来たけど、学生の時とはちょっと違ってね。
自分が日本人であることを強く自覚したの。結局は日本人というアイデンティティは捨てられないし、すごく大切なもの。だから、日本人として世界の中で生きていく。」

K「それは面白いな~」

「仕事の中でも、文化の違いで妥協したりするところもあるけれど、
基本、妥協しないところはしない。今も『ここはベトナムでも、日系の会社やで!』
みたいな感じで(笑)」

K「ほぉ」

「一番分かりやすいのは、時間厳守。これはベトナム人はすごく弱い。
仕事をする上で、時間や期限を守るのは、日本では基本でしょう。
そういうのはベトナムだからと、多めに見ることはしないで、きっちり注意してます。」

K「面白い、『郷に入りては、郷に従わず』ですね?」

「でも、それは私が日本人として育ってきたから。わたしじゃなかったら許せることかもしれない。
だけど、私はそういう考えで育ってきたから、じゃないとフィフティ・フィフティにならない。
いっつも譲って、いっつも譲ってはしない」

K「いや~それはめっちゃ大事なことじゃないですか?
外に出て、外に染みいって行くほど、『私は日本人だ』っていうのを出すしかなくなるし、
そうじゃないといる意味ないでしょうね。」

「世間の人は私を日本人として見るしだから、どれだけベトナムが好きでも
私は日本人として生きるっていう風にね」

K「最初からそうしてたんですか?」

「いや、最初は妥協してたよ。『そっか、時間も守れないか。お給料も日本とは違うし、仕方無いか』って思って。」

「でも全部「仕方ないか」って妥協してたら、何のために私が来たのか分からないし。
だから譲らないものは譲らないってしたの。そしたら向こうにも譲れないものがあるから
それをぶつけて、その方がかえって上手く行く。」

「たとえば、日本以外には無い、『筋を通す』事とか。『話の筋は通さんかい!』みたいな(笑」

「最初はそうは言っても、理解してもらえないけど、時間をかけてコミュニケ―ションとるうちに
だんだん解って来てもらえる。」

「日本人としてのプライドもって日本のことを好きだって気持ちがないと。
やっぱり妥協しちゃうのかな。」

K「なるほど、ちなみに日本は好きですか?」

「日本大好き。今は海外に出ちゃってるけど、どこに住みたいかって聞かれたら
絶対日本って答える」

K「とても重要な話ですね。少しわきにそれるんですが、
僕達が旅をしていても日本人の旅人の中には逆の人も多いんですよね
『僕は日本が嫌いだから旅にでました』っていう」

「あぁいるね。逆にベトナムにいるのに、ベトナム嫌いとか。なのに、
『これだから日本人は』とか言って日本人を笑うとか。寂しくなるよね。
日本人に日本を否定されると。」

K「なるほど、するとご自身は学生時代すでに
日本人だったんですね。私はこれが譲れないみたいなことを
ちゃんと言えてたんですもんね?」

「そう。ずっと、めっちゃ日本人。だけど、日本人として自覚を持つっていうのが大事」

Q、 いま、振り返って

K「APUってどういう場所ですか?」

「息抜きしに行く場所かな。でも行かへんけど。なんかあったら行こうかなって。
無くなったら困るっていうか」

K「故郷って感じですか?」

「う~ん。故郷とも違う。働きだしてから、数回大学に帰ったけど、
自分がいるのはもうここじゃ無いなって感じることが多かった。
一番良い時を過ごした場所だけど、私も、周囲ももう先に進んでいるから、
ここに来て新しく得るものはないって。」

K「まさに『遠くに在りて思うもの』ですね(笑)

「だから別府から出た方がいいと思うよ、しがみつかず(笑)」

K「良い意味で巣立ったんですね?」

「そうそう(笑)良い環境で勉強とかはできたけど、これからは観光客として
別府へ遊びに行きます。」


③未来に向けて

Q、別府や、APUがもっと良くなるためには何が必要ですかね?

「まぁ、基本的には自分の問題だよね(笑)
だから、別府やAPUがどうとか、周囲の環境ではなくね。会社に入ってからもそうだからね。
大学も誰か一人のために有るわけではないからね、個人の言う事全部聞いてらんない。」

K「基本はその姿勢が大事ですよね。」

「敢えて言えば、別府は観光地にしては、町がわかりにくい。
どこに何があるかが分かりにくいと、観光客が限られた時間の中で、
ふらっと別府に来て町を周っても『別府良かった』とはならないと思う。
もう少し分かりやすい町づくりが必要かも。別府の田舎ぶりは好きだけどね。」

Q、これからの夢、目標は何ですか?

「とりあえずは今の仕事を全力でやって。今までは『自分』が大事でやってきたけど、
これからの10年は『誰か』を大事にする10年にしようと思ってるよ。」

「いまの仕事もお客様のことを一番に考えて、営業としてどうやって
売上げを上げるかとかを考えてやってきたけど、これからは会社の社会貢献とかにも
もっと興味をもって「誰かのために」っていうような方向に行きたい。」

K「なるほど、面白いですね。」

「あとは、日本に居ないからかもしれないけど、
ベトナムの人みたいに家族を大事にするようになりたいかな。」

K「それも含めて、誰かのためにってことですね?」

「そう、自分以外の誰かのためにっていう風に。」

K「面白いな~。これまで7、8年ガムシャラに働いてきたその土台の上に、
これからは『誰かのために』って行動していくんですよね。なかなか、出来ないことですよね。」

「NGOとかそういう社会的活動はすごいなって思うけど、基本的に利益無くして企業無し
みたいなね(笑)APM卒だし。そういう風に考えてきた。」

K「お話聞いて思ったんですが、これから先どこかで非営利セクターの仕事をしている
APU卒業生と会って話をしていくと、お互い良い刺激になるかもしれませんね。」

「確かに!今なら、そういう話題もすごく興味を持って聞けると思う。
昔はそういう会とかに座ってるのが苦手だった。」

K「いや、是非これから30歳を迎えるところでAPS、Mまとめて皆で話すと、
突拍子も無いことになりそうですね。」

「是非企画して(笑)」

Q、同じAPU卒業生へのメッセージをお願いします。

「いつかどこかで!(笑)みんなそれぞれ頑張ってるって思ってるから。
だから、『いつかどこかで』。あとはベトナムに来たら連絡ください。」

Q、APUの現役学生、未来のAPU生にメッセージをお願いします。

「迷ったら入らないほうが良いと思う。でないと、四年間あんな田舎ですごせないよ(笑)」

K「迷ってるなら入るな。と?(笑)

「いや、迷ってるならもっと考えなさいって。環境が助けてくれるわけでは無いから。
情報量や、出会う人の多さで言えば、都市部の大学の方が多いし。
何が大事かで入る大学も変わってくるはず。」

K「就職を控えている子たちにはどうですかね?」

「ちょっと言いたい!(笑)続かないんだって、最近の若者は(笑)
一年くらいで辞めてしまう子が多い。『実はやりたいことがありました』みたいな事言って、
でもそれは勿体ない。せっかく苦労して入ったんだから、
やっぱり3年ぐらいは続けた方がいいと思う。もうちょっと忍耐。」

K「明確な目的意識があって、この会社に就職するってよりも、
就活自体が儀礼化している節もありますよね。みんなやるから、オレもやるみたいな」

「日本だけにこだわらなくても良いと思う。海外も視野に入れたら可能性は広がるよ
でも、仕事だから、やっぱり割り切って続けてほしいかな。もうちょっとだけ頑張ってよ。ってね」

K「入学したての子にはどうですか?」

「とりあえず前向きに楽しんで。だよね。大学時代って一番良い時期やから、
悩むこともあるけど、どういう状況でも楽しんで欲しいな。」

「あとは、ベトナム人が良く言うのは、『日本人は、大学まで出て何してるんや』って。
大学に行かせてもらってる、っていう自覚が少ないと言われてます。それはそうだなって思う。」

K「たしかに旅していても、自分は大学で何を勉強してたっていう
自己紹介から入ってくる人は多いですよね。
それだけ、ちゃんと勉強してきたっていう自負もあるんだろうし。」

「大学を出るって言う事が、凄い有難いことだって思って、
その四年間を無駄にしないで大事にしてほしい。悔いのないように楽しんで欲しいな。(在学中は)私も気づかなかったけどね(笑)」

K「みんな、そうですよ(笑)。インタビューは以上になります。
本日はお忙しい中ありがとうございました。」

④インタビューを終えて
終始淡々と、控えめに語ってくれたトモコさん。

しかし「日本人として生きる」こう語ってくれたトモコさんの言葉はとてつもなく重いものでした。
フィールドがどこであれ、国際社会の一員として世界の中で生きていく以上、
否が応でも「自分は何者か?」と問い続けることになります。

例えば日本人であれば、日本人として誇りを持って、
且つ妥協せずに生きていくことが自然と必要とされるでしょう。

トモコさんは、さらっと言ってのけたけど、、
しかし、実際にはそれはとても難しいことのように思われます。

なぜなら妥協をせずにぶつかっていくことは
大きなエネルギーを必要とすることだし、
なにより結果を出さなければ相手を納得させられないからです。

遠くベトナムの地でベトナムの人々の中で仕事をする。
その中で、日本人として譲れない部分を貫き続ける。

私たちに同じことができるでしょうか?

多くの人が妥協する、もしくはそもそも誰ともぶつからない道を選んではいないでしょうか?

そして、このことは何も社会人だけの話では無く、
APUでの学生時代でも、そうあるべきだろうと思います。

大切なことは、恐れずにお互いが譲れない部分をぶつけあい、
理解し合い、そして新しい道を見出すことではないでしょうか?

それこそが、リアルリトルワールドとしてのAPUが持っている
可能性の一つであると改めて思いました。

最後に、この暑いベトナムの地で、
社会人としてそれらを実践し、たくましく生きて抜いている先輩がいることを
私たち夫婦は誇りに思っています。

以上
(ちなみに、トモコさんが誰だかわかっても、
ご本人のお名前をSNSやツイッターなどで公開することは控えてくださいね☆)


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