・・・つづき
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K.「あの、エクマットラに限らず、いわゆる途上国で活動する人々を
日本にいる人たちが、ある意味で、もてはやす部分ってあると思うんですよ。」
「うん。」
K.「そんななかで、現場と日本にとのギャップというんですかね。それに関してはどのようにお感じになりますか?」
「まずはじめに言えるのは、途上国を自分たちがヒーローになるための舞台にしようとしている人がやっぱり多いですね。」
K.「あぁ」
「学校を作りたい!とかいう学生とかもそうですけど、そもそも学校が必要かどうかもわからないのに、日本でいまの学生ってツイッターとかブログとかで、人を集める力って持っちゃってるじゃないですか?」
「もう簡単に500人、1000人集められるんですよ。それでチャリティーイベントをして200万、300万のお金なら結構いまの学生って簡単に集めちゃうんですよ。」
K.「そうですね。」
「それで200万円持っていけば、途上国で学校が建つっていうのがあるから建てちゃうんですよね。とりあえず。それを受け入れる現地の人も、200万円も持って来たら、『おお!こいつは!』ってなって。(現地の人も)騙すわけじゃないけど、その学生達が学校を立てたら、その(現地の)人にとってもやっぱり、一つのステータスになるから、チヤホヤするんですよね。」
「それで、学校が建ったら、その起工式で真ん中に座らされて、『この人が建ててくれました!』みたいになって、それをまたブログで『学校建てちゃったよ』とか言って、周りも『うわぁすごいね!』って。だから、簡単に200万円ってお金でものすごいヒーローになれてしまう。やっぱり、日本にいたら簡単にヒーローってなれないじゃないですか?」
K.「そうですね。」
「日本で何十年も地に足をつけてやってきたなかで、取り上げられたりするわけですよね。けど、その簡単なヒーローっていうのが凄く目につくっていうか。結局、自分たちの自己実現の場にしてしまおうとする人はやっぱり多いなぁと感じますね。そこに関しては凄く危機感を感じるので、日本に帰る度に、そういう話をするんですけど。」
K.「うん。」
「いいと思うんですよ。自分で関わろうと思ってやってるんだから。ただ関わるんだったら、それなりの覚悟と、専門性とか。やっぱり何かが無いとダメだと思うんですよ。」
K.「そうですね。」
「私は多分、専門性も何も無いんですけど、ただ覚悟だけはあったのかな?と。この国の人たちと長年やっていこうという。」
K.「はい。実際にやってきてますからね。」
「お金だけもってきて、ポーンと学校を建てて自分がヒーローになるだけなっといて…っていうのが凄く目に付くから。そこに対しては凄く厳しい意見をもってしまいますね。」
K.「なるほどね。」
「それとか、いまソーシャルビジネスっていう言葉が凄くもてはやされてるなかで、本当のソーシャルビジネスっていうのが見えないなかで、なんでもかんでもソーシャルビジネスっていう名前で許されちゃってるのが凄く危険んだと思うんですよね。」
K.「あぁ。」
「いままでだったら、フィリピンでプランテーション農業してました、ものすごい農薬使ってます。人々が苦しみながらも仕事しているっていう中で、やっぱり企業は批判されて厳しい事言われて育っていくじゃないですか。」
「いまって、そこで雇用を産んでいるソーシャルだ!私はこうやって雇用を産んでいるからこれはソーシャルなんだ!って、「ソーシャルビジネス」っていう、まるで、水戸黄門のもんどころみたいな、みんながそこで批判しなくなるんですよね。」
K.「特に日本ではそういう風潮が感じられますよね。」
「もっとね、ちゃんとみて、批判されて企業は育っていくのに。もう企業は『ソーシャルビジネス』っていう免罪符を手に入れちゃってるんですよ。ソーシャルビジネスって二つあると思って、本当に問題から入っていったものと、そもそもビジネスありきで、あとでソーシャルってつけたもの。」
K.「そうですね。」
「もう、これはね。いいじゃないビジネスって言っちゃえば。そのなかで、批判されながらちゃんとした活動として育っていくと思うんですけど。」
K.「うん」
「すべてがソーシャルビジネスって言われているのが大変危険ですね。これは言い続けたいなと思うし、ここを見誤っちゃいけないなと思います。メディアはそういうふうに取り上げるので、特に学生はメディアを読む力っていうのをちゃんと自分の目で見て、自分の頭で思考してほしいなっていうのは、特に学生の皆さんへのメッセージとして強くもっていますね。」
「うん。」
K.「日本でも、例えば学生でも、地域のおっちゃん、おばちゃんでも、詐欺師集団でもね、NPO法人立ち上げて、NPOって言っちゃえば、もう免罪符ですよね。補助金受けていても、ろくな監査も受けないケースは多々あるし。結局、対外的、社会的な価値は何も生みだしていないんですよ。驚いた事に、自分たちはその事に気づいていないんですよね。」
「うん。」
K.「なんか、良さそうな事やっている自分、ってすげえぜ!みたいな感じで、自分たちの活動を客観視しない。」
「うん。」
K.「覚悟を持たずに、良かれと思って、けれど軽い気持ちで、現場に入っていくことで、
それが現地の人たちとの心を踏みにじることがある。そのことに、未だ気づいていない人は多いように感じますね。」
「うん。」
K.「なんだか未熟ですよね。日本社会全体がノンプロフィットな、ソーシャルな事業に対する考え方が、まだまだ未熟だなぁと感じますね。」
「私たちは先進国の下請けになるつもりはまったくないので、先進国の思惑を広げるためのプロジェクトを受けないんです。だから、資金的には大変なんですけど。」
K.「そうでしょうね(笑)」
「魂売っちゃえばいくらでもお金は入ってくるんですよ。この間も、建設中のアカデミーを運営する上で、ランニングコストの30%を出してくれるっていうドイツの財団があったんですよ。」
K.「ほう。」
「それでやりとりをしていく中で、最後の最後で問題が出てきたんですよ。向こうが『この給料じゃ、ちゃんとした人間を雇えるわけがない』って言ってきて、『いや、これで十分です』って答えても、『いや、これは安すぎるからもっと高くしてください。その代わり高くなった分のお金は私たちが出しますから』っていうんですよ。」
K.「なるほど。」
「とか、12時間二交代制でハウスキーパーやっていく予定だったのが、『12時間は労働時間として長すぎる』と『それは国際基準としておかしいから8時間にしてくれ』と
K.「うん。」
「『上がった分だすから、いいじゃないですか!』って言うんですけど、それって、ハシゴ降ろされたあとどうするんだってことですよ。」
K.「そうですね。」
「三年後にあなたたちいなくなるでしょ、そのとき30000タカで雇っていたスタッフが、
K.「その通りですね。」
「一旦あげたスタンダードって下げられないんですよ。それによって何が起こるかというと、そのドナーに対する依存が生まれてくるんですね。」
K.「でしょうね。」
「そうすると、彼らの思惑が、彼らのポリシーが、彼らの言う国際基準が、この国に当てはめられていくんです。児童労働しかりですけども。」
K.「うん。やっぱり、怖いなぁ現場を知らない善意の第三者。」
「魂は絶対に売らないって決めていたので、だからそこでお断りしましたね。」
K.「支援する側には在るべき支援のカタチがあるわけじゃないですか。日本は特にそうなんだけど、『現場はきっとこう困っていて、彼らは学校が欲しいんだ!』って決めつけちゃうんですよね。現地にいったことも無い人が(笑)」
「うん。」
K.「現場にいる方はそうじゃないじゃないですか。そういった、現場の感覚と、自分たちが持っている考え方の違い。そのことに対する鈍感さってものすごく大きくなっているんだろうなと感じるんですよね。インターネットとか情報技術が発達すればするほど、かえってその差は広がっていっている気がするんです。」
「うん。」
K.「なんかね。情報がたくさん入るようになったから、みんな知ってる気になっているんですよ。」
「うんうん。」
K.「多分、バングラデシュに来たことが無い人は、10年前よりも自分たちはバングラデシュのことを知ることができると思っている。でも、知識としてとれる「情報」と現場の「感覚」って全く違いますよね。」
「うん。」
K.「大樹さんのように、現場に立っている人にお話を聞いてまわっているのは、そういう違いがあるんだよ、と日本にいる方に伝えたいと思っているからなんですよ。」
「うんうん。」
K.「加えて、メディア、すくなくとも日本のメディアはどちらかというと、視聴者が「こうあって欲しい」と思っているイメージに沿って番組を作る傾向が強いですよね。実際の現場の状況がどうか?じゃなくて。」
「うん。」
K.「そういった作られたイメージに刺激を受けて、例えば自分の財布から1万円を出そう、とか考えるわけです。もちろん、その気持ちは素晴らしい。けれど、そのお金が何に使われるのかまでは責任持たないわけでしょう。」
「なんかね。海外の人をヒーロー立てて海外に目を向けさせようっていうのを感じるんですけど、多分もう日本の中で達成感を感じにくいんですよね。」
K.「なるほどね。」
「日本がどんどん尻すぼみじゃないですか。マーケットも小さくなっていくし、若い人は減っていくし。だからダイナミズムが感じられない。」
K.「確かに感じにくいでしょうね。」
「だからといって、自分たちのような海外で活動する人間をヒーローのように描かれるのって凄くいやなんですよ。」
K.「なるほど」
「おこがましいんですけど、ありがたいことに、日本のある番組から取材のオファーがあったんですけど、やっぱりそれも、、」
「それはやっぱり、自分たちは描こうとしていることと違うことを描こうとしているので。本当はシュボ(エクマットラ代表)をはじめ、現地の学生たちがやっていて、私もたまたまそこに、現地の仲間たちと同じ目線でやっているというところをやっぱり見せて欲しいんですよ。私じゃないんですよヒーローは。シュボたちなんです。現地の学生達がこの国の現状に疑問を感じて、その問題に継続的に関わっているっていうほうがよっぽど意味がある。」
「だから、あの番組だとどうしても、それを描いてはいただけないだろうから、お断りしましたね。」
K.「うん。カッコいい(笑)」
「そうしないとね。本当に勝手にイメージ作られていくんでね。」
K.「そう!本当に勝手に作るんですよね。僕思うんですけど、人間って基本ダメな生き物じゃないですか(笑)だから、ある意味で完璧なヒーローって存在しない。」
「うん。」
K.「ただダメなりに、必死なんですよ。自分の居場所とか、生き方とか、必死にもがいていった結果、ポッ!と一つ道が見つかったりするもんじゃないですか。」
「うん」
K.「そこで頑張って人から認められることもあるし、そうで無いこともあるし、でも、そうやってもがいて掴まないと、結局誇りとか、尊厳って手に入らないわけじゃないです。」
「うん。」
K.「それを安易に手に入れようとする風潮がありますよね。」
「うん、うん。」
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【活動紹介VTRの視聴後】
日本にいる人たちが、ある意味で、もてはやす部分ってあると思うんですよ。」
「はい。」
K.「当然、現地で活動している人たちは、それを甘んじて受けるしか無いわけですよ。『なんだそんなもの!』ってつっぱってもしょうがないから。」
K.「えぇ」
K.「当然そうでしょうね。」
K.「僕も全く同意見です。例えば、国際的な『支援』、あえて、支援という言葉をつかいますけど、そのなかで、『現場』と『支援する側』の意識の乖離ってよく起こりますよね。」
それが現地の人たちとの心を踏みにじることがある。そのことに、未だ気づいていない人は多いように感じますね。」
『いや国際基準とかじゃなくて、バングラだったら普通だから!』って言って。」
『ドナーいなくなったから、これから20000タカね』とか言っても働くわけがないじゃないですか。」
K.「あの番組からのオファーを断ったんですね(笑)」
K.「そうですね。」
⑦につづく
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