久々の更新となります、『いま、世界を変えている日本人』シリーズ。
第4弾は、バングラデッシュの首都ダッカにで、
ストリートチルドレンの支援活動に励んでおられる
エクマットラの渡辺大樹さんです。
2011年にバングラディシュ、ダッカにてお話をさせていただいた、
インタビュー内容をご紹介します。
個人的な感想ですが、
渡辺大樹さんほど人間力の高い同世代の日本人には他にあったことがありません。
以下、じっくりお楽しみください。
*********************************************************
《プロフィール》
渡辺大樹
1980年生まれ、横浜市出身。
ヨットに明け暮れていた大学時代にストリートチルドレンと目が合い衝撃を受ける。
大学卒業後、単身バングラデシュに渡り、
現地の友人たちと共にエクマットラを立ち上げ、
ストリートチルドレンの支援活動を始める。
現在エクマットラアカデミーの設立に向け奔走中。
(『エクマットラ渡辺大樹の活動日記』より)
《エクマットラとは》
経済的・社会的格差が大きなバングラデシュにおいて、
その格差是正を目標に、社会的弱者への教育、エンパワーメントと、
結果的に抑圧する側となっている社会の裕福層への
啓発活動の2つを軸に活動を行っている団体。
ストリートチルドレンの支援活動として、以下の事業を展開
青空教室(情操・識字・モラル教育)
シェルターホーム(24時間衣食住をともにし、社会生活の基礎を学ぶ)
路上ビジネス(シェルターに入所できない子どもを対象にした職業支援)
アカデミー(シェルター後の自立・社会復帰を支援するセンター)
※詳しくはエクマットラHPにて
http://www.ekmattra.org/JAP/index.htm
《エクマットラの現場》
インタビューの前後でエクマットラが運営しているシェルターホームを訪問させていただきました。
写真はその時の様子。
子どもたちが本当に楽しそうに歌や踊りを披露していました。
エクマットラがダッカ市内で経営するレストラン
日本の焼き鳥メニューなどがあるんですが、どれもお世辞抜きに美味しい。
《インタビュー》
K.は賢太郎の発言
表記なしは渡辺大樹さんの発言
◆大学時代からエクマットラの活動をはじめるまでの経験について
K.「石川県での大学時代にヨット部に所属されてたんですね?」
「そうです。」
K.「石川県だと、どのあたりでヨットに乗るんですか?」
「七尾湾ですね。」
K.「なるほど。ずっとヨットをやられていたんですか?」
「大学四年間はずっとです。高校までは野球をやってました。」
K.「なるほど。それで大学のヨット部の時に国際大会に出られたんですよね?」
「国際ヨットレースに出場する機会があったので、タイのプーケットでそれに参加して。
そのプーケットで僕たちはスゴイゴージャスな生活をしてて。けれど、その何日目かにスラムを通りかかって、たまたま私がそこに住んでる子どもと眼があって、衝撃を受けてってのが入口ですね。」
K.「その落差が激しかったんですね? 自分達の住んでる世界とスラムの子どもたちの住んでる世界の」
「そうですね。当時私たちは五つ星のすんごいホテルに泊まって豪華なクルーザーでヨットレースをして、毎日いろんな所でウェルカムパーティーが開かれてっていう、本当に貴族のような生活だったんです。その時にスラムを見たから、余計感じたんでしょうね。」
K.「そのヨットレースってのは大学生の大会だったんですか?」
「いや、それは大学生と言うよりも世界中のお金持ちが集まるような大会だったので、世界から自分のクルーザーを持ってる人達が集まってくる。タイの『キングスカップ』っていうレースで、私は大学のOBでクルーザーを持っていらっしゃる方がいたので、その人に誘われて参加したんです。」
K.「なら、本当に落差は大きかったんでしょうね(笑)。けれど、そのタイでの経験から現在のバングラデッシュに行きついたのはどうしてなんですか?」
「これは振り返ってみると、って事なんですけど、小学校六年生のときで社会の教科書に洪水・サイクロン・自然災害、それに立ち向かうアジア最貧国って書かれてたんですよ。バングラデシュのことが」
「同じアジアに最貧国ってあるんだって所が衝撃で、それが自分の中でやっぱり残って。それからもバングラデシュの国旗を見ると『あ、日本と似てる!』とかバングラデシュの事がTVで流れていると、『あ、あの国だ!』とかって思ったり。
そういう風に他の国よりもちょっとだけ意識を持っていたっていう事があるんです。」
K.「ひっかかるわけですね。」
「アンテナが出てたんですね。けれど、その後ずっと忘れていたんですよ。
K.「その眠っていた関心が、再び芽を出してきたんですね。
ニョキニョキっと。」
「そうですね」
K.「はぁ~面白い!結構シンプルですね。きっかけは(笑)」
「はい。もう単純なので(笑)」
K.「タイのレース以前も海外によく行かれたりはしてたんですか?」
「いえ、もともと親の転勤でアメリカに住んでいたことはあるんですけど、
二歳半から五歳くらいまでなので、あんまり覚えてなくって。
その後日本に帰ってきてずっと横浜で育っていって」
K.「はい」
「で、大学に入って『オーストラリアに行きたい!』って凄く思っちゃって。」
K.「なぜか(笑)」
「それでオーストラリアに何の予定もなく行って。列車の路線図あるじゃないですか、シドニー駅でその前に立って『せーの!ポン!』(壁に向かって指さす動き)ってやって『よしココに行こう』とか。」
K.「ダーツの旅みたいなやつだ」
「別れ道とかでも、何も決めてないのでサンダル蹴って落ちた方向に行くとか。」
「やりました(笑)」
K.「面白いな~。それがご自身で行かれた初海外ですね?」
「そうです。その中で『あぁ、世界ってデけぇ~』って感じたので。特に始めて地平線っていうものを見たので。」
「その時に海外に対する意識はちょっと持ったのかもしれないですね。」
K.「なるほど」
「でも、まだオーストラリアですからただ単純に『もっと広い世界』っていう意識だけですね。」
K.「『広い世界があるみたいだぞ』ってくらいですね。」
②に続く
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第4弾は、バングラデッシュの首都ダッカにで、
ストリートチルドレンの支援活動に励んでおられる
エクマットラの渡辺大樹さんです。
2011年にバングラディシュ、ダッカにてお話をさせていただいた、
インタビュー内容をご紹介します。
個人的な感想ですが、
渡辺大樹さんほど人間力の高い同世代の日本人には他にあったことがありません。
以下、じっくりお楽しみください。
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《プロフィール》
渡辺大樹
1980年生まれ、横浜市出身。
ヨットに明け暮れていた大学時代にストリートチルドレンと目が合い衝撃を受ける。
大学卒業後、単身バングラデシュに渡り、
現地の友人たちと共にエクマットラを立ち上げ、
ストリートチルドレンの支援活動を始める。
現在エクマットラアカデミーの設立に向け奔走中。
(『エクマットラ渡辺大樹の活動日記』より)
《エクマットラとは》
経済的・社会的格差が大きなバングラデシュにおいて、
その格差是正を目標に、社会的弱者への教育、エンパワーメントと、
結果的に抑圧する側となっている社会の裕福層への
啓発活動の2つを軸に活動を行っている団体。
ストリートチルドレンの支援活動として、以下の事業を展開
青空教室(情操・識字・モラル教育)
シェルターホーム(24時間衣食住をともにし、社会生活の基礎を学ぶ)
路上ビジネス(シェルターに入所できない子どもを対象にした職業支援)
アカデミー(シェルター後の自立・社会復帰を支援するセンター)
※詳しくはエクマットラHPにて
http://www.ekmattra.org/JAP/index.htm
《エクマットラの現場》
インタビューの前後でエクマットラが運営しているシェルターホームを訪問させていただきました。
写真はその時の様子。
子どもたちが本当に楽しそうに歌や踊りを披露していました。
エクマットラがダッカ市内で経営するレストラン
日本の焼き鳥メニューなどがあるんですが、どれもお世辞抜きに美味しい。
外観 |
内観 |
《インタビュー》
K.は賢太郎の発言
表記なしは渡辺大樹さんの発言
◆大学時代からエクマットラの活動をはじめるまでの経験について
K.「石川県での大学時代にヨット部に所属されてたんですね?」
「そうです。」
K.「石川県だと、どのあたりでヨットに乗るんですか?」
「七尾湾ですね。」
K.「なるほど。ずっとヨットをやられていたんですか?」
「大学四年間はずっとです。高校までは野球をやってました。」
K.「なるほど。それで大学のヨット部の時に国際大会に出られたんですよね?」
「国際ヨットレースに出場する機会があったので、タイのプーケットでそれに参加して。
そのプーケットで僕たちはスゴイゴージャスな生活をしてて。けれど、その何日目かにスラムを通りかかって、たまたま私がそこに住んでる子どもと眼があって、衝撃を受けてってのが入口ですね。」
K.「その落差が激しかったんですね? 自分達の住んでる世界とスラムの子どもたちの住んでる世界の」
「そうですね。当時私たちは五つ星のすんごいホテルに泊まって豪華なクルーザーでヨットレースをして、毎日いろんな所でウェルカムパーティーが開かれてっていう、本当に貴族のような生活だったんです。その時にスラムを見たから、余計感じたんでしょうね。」
K.「そのヨットレースってのは大学生の大会だったんですか?」
「いや、それは大学生と言うよりも世界中のお金持ちが集まるような大会だったので、世界から自分のクルーザーを持ってる人達が集まってくる。タイの『キングスカップ』っていうレースで、私は大学のOBでクルーザーを持っていらっしゃる方がいたので、その人に誘われて参加したんです。」
K.「なら、本当に落差は大きかったんでしょうね(笑)。けれど、そのタイでの経験から現在のバングラデッシュに行きついたのはどうしてなんですか?」
「バングラに行きついたのは、小学校六年生のときで」
K.「おぉ!そんな前なんですか(笑)?」
「これは振り返ってみると、って事なんですけど、小学校六年生のときで社会の教科書に洪水・サイクロン・自然災害、それに立ち向かうアジア最貧国って書かれてたんですよ。バングラデシュのことが」
K.「なるほど」
「同じアジアに最貧国ってあるんだって所が衝撃で、それが自分の中でやっぱり残って。それからもバングラデシュの国旗を見ると『あ、日本と似てる!』とかバングラデシュの事がTVで流れていると、『あ、あの国だ!』とかって思ったり。
K.「ひっかかるわけですね。」
「アンテナが出てたんですね。けれど、その後ずっと忘れていたんですよ。
ただ、漠然とアンテナは持っていて、タイでスラムを見た時の衝撃が
ピンとリンクしたのがバングラだったんですね。」K.「その眠っていた関心が、再び芽を出してきたんですね。
「そうですね」
K.「はぁ~面白い!結構シンプルですね。きっかけは(笑)」
「はい。もう単純なので(笑)」
K.「タイのレース以前も海外によく行かれたりはしてたんですか?」
「いえ、もともと親の転勤でアメリカに住んでいたことはあるんですけど、
二歳半から五歳くらいまでなので、あんまり覚えてなくって。
その後日本に帰ってきてずっと横浜で育っていって」
K.「はい」
「で、大学に入って『オーストラリアに行きたい!』って凄く思っちゃって。」
K.「なぜか(笑)」
「それでオーストラリアに何の予定もなく行って。列車の路線図あるじゃないですか、シドニー駅でその前に立って『せーの!ポン!』(壁に向かって指さす動き)ってやって『よしココに行こう』とか。」
K.「わぁ~本当に(笑)」
「本当にそれを二週間くらいやって(笑)。」
K.「ダーツの旅みたいなやつだ」
「別れ道とかでも、何も決めてないのでサンダル蹴って落ちた方向に行くとか。」
K.「それやったんですか?オーストラリアで(笑)?」
「やりました(笑)」
K.「面白いな~。それがご自身で行かれた初海外ですね?」
「そうです。その中で『あぁ、世界ってデけぇ~』って感じたので。特に始めて地平線っていうものを見たので。」
K.「はい」
「その時に海外に対する意識はちょっと持ったのかもしれないですね。」
K.「なるほど」
「でも、まだオーストラリアですからただ単純に『もっと広い世界』っていう意識だけですね。」
K.「『広い世界があるみたいだぞ』ってくらいですね。」
②に続く
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