・・・つづき⑤
≪現在の活動について≫
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「なんでしょう?日本語で言うと、おどろおどろしいけど社会活動家ってことになるんですかね?」
K.「名刺にActivistと書いてあるのもその意味なんですね。しっくり来ますね。」
Q.「いま、一番力をいれている活動はなんですか?」
「やっぱり自分が動いて、人にしゃべったら、その人がお客さんとして来てくれるし、目に見えるんですよね。成果がね。寄付を集めにいったりしてもなかなか成果ってでないじゃないですか。でも、レストランって、自分がプロモーションした分だけ跳ね返ってくるんです。金沢の時の居酒屋の感覚ですね(笑)やっと先月(2012年11月)からトントンになってきて、今月はやっと利益がでそうなので。ってか今月は利益ださなきゃまずいんですよ。あと一月二月まで、そのあとはまた暑くなってエアコンガンガンつけて、コストがあがっちゃうわけですね。あと、お客さんも冬が一番くるのでここでガツンといっとかないと。」
K.「なるほど」
Q.「エクマットラの今の活動を教えてください。」
「アカデミーの建設があって、レストランがあって、あとはセンター(=シェルターホーム)には子どもたちが25人くらいいます。それに青空教室もやっています。」
K.「青空教室もまだおやりになってるんですね。」
「えぇ、ただ青空教室は少しずつフェイドアウトしてるんですよ。私達以外に青空教室以外をやっている団体がたくさんあるので、彼らをパートナー団体として提携しています。そこから子どもたちが推薦されてセンターにくるって形なので。」
K.「なるほど」
「あとね、映像制作をしてるんですよ。他団体の映像で、例えばJICAさんから2011年だけで5、6本受注をしているので。その他にも、NGOや企業からも受注していますね。」
K.「そんな仕事があるんですね。」
「私達は映像制作のノウハウや機材をもっているので、それを使って他団体の映像を作るんです。一本作るごとにやっぱり、10万円とか、15万円とかのプロフィットが出るんですよ。それは、私達にとっては、いま一番大きな収入源になっていますね。」
K.「へぇ〜」
「ただ実際に私は顧客との間に入ってコーディネートをして、実際にテクニカルに映像を作るのは、エクマットラの代表で映画監督のシュボなんです。」
「例えば、JICAが青年海外協力隊員の紹介映像を作るといったものがあって、彼らの任地を回って、その活動をまとめてとか。」
K.「じゃあ、一種のドキュメンタリーを作るわけですね。」
「そうドキュメンタリーですね。グラミンと雪国まいたけのジョイントベンチャーの映像をつくったりとか。」
「いやいやいや(笑)青空教室をはじめるその八ヶ月前にシュボたちと出会っていて、
エクマットラっていう名前をつけて活動をはじめてから一ヶ月間はずっと聞き取り調査をしていたんですね。
路上のお茶屋さんだったりとか、物乞いしているひとだったりとか、大人も子どももいろんな人たちに話を聞いたりしていくなかでわかったのが、路上生活している子どもたちの中にもいろんな子がいて、その中でも、抑圧されている子がいて。そのなかでさらに、例えば、親がセックスワーカーだったり、あと麻薬の密売人だったりとかそういった親を持つ子どもってのはやっぱり抑圧されているってことがわかったので。そういった子にターゲットをしぼったんですね。」
K.「なるほど。」
「そこでその子たちのお母さんと話をするために、彼女たちが夕方化粧をはじめる時間に家に行くんですね。その中で、結構私もベンガル語を覚えたてだったので、ズバズバ聞いちゃうんですよ。「一日何人の人とやるんですか?」とかね。」
K.「ストレートやなぁ(笑)」
K.「うわぁ」
「『お前二度とこの場所にくるなよ。今度見かけたら命はないぞ。』どんどん人が集まってきて、ヤバイヤバイヤバイ『すいませんでした。もう二度と来ませんので、本当に申し訳ありませんでした』って言って帰ったら、また次の日に『すいません、また来ちゃいましたぁ!!』」
「用があろうとなかろうと、毎日毎日それを繰り返していく中で、みんな少しづつ信頼してくれて『こいつは生半可な気持ちで来たわけじゃないし、まして人身売買をするわけでもないな』ってことをわかってくれて。」
「そうそう。それで信用してくれるようになっていって、こうこうこう考えているんだと、お母さんから娘へのサイクルを断ち切るにはまず教育をして可能性を広げていかないと、みたいなことを一生懸命伝えていって、そのための入り口として青空教室をしたいって言ってったら、まぁそれは認めてくれて、青空教室を始めたんです。」
K.「なるほど。」
「けど、最初は親に言われてくるから、みんなやる気がないんですよ。バングラ語のあいうえおみたいなことをやっていても、『あ』って言うと『お』をとかね。『1+1は?』って聞くと『3』とか言ってね。『兄ちゃんもうつまんないから帰る。』って言って帰っちゃうんですよ。」
K.「そうかぁ。」
「絵を書いたり、歌を歌ったり、詩を朗読したり、劇をやったりってことを続けて。で、自分もなんとか惹きつけようとおもって、二時間集中切らさないで手を変え、品をかえ、もう、うわぁーーーとやってったら、子ども達はずっといて。」
K.「楽しいからね(笑)」
「最終的には毎回15人くらいの子どもたちがくるようになって。で、何がもらえるわけでもないのに歌を覚えて、詩を朗読したりやってったら、その15人が半年後にすごいいっぱい歌を歌えるようになって、絵もかけるようになったりして、すごい成長してきたなってわかるようになったんです。」
K.「なるほど」
「だから、その子達に発表する場を提供したいなと思って、そのときにやっていた大使館のプログラムにつれていったら、最初はみんなビクビクしていて、目の前に500人の観衆がいるので。」
「最初は意気揚々と『兄ちゃん今日は私歌歌うね』『俺はあの詩を朗読するんだ』って。みんなルンルンで会場についたら、人多!(笑)で、『お腹痛くなってきた』とか『兄ちゃん私目が痛いから今日歌歌えない』とか。『お前、目と歌関係ないじゃないかよ(笑)』とかね。」
K.「はっはっ(笑)」
「『お前らあんなの芋やカボチャとかわんねぇじゃねぇか。別に失敗したって殴られるわけじゃねぇじゃん、行ってこーい!!』とバーンと送り出したらみんなぞろぞろ舞台にあがって一列にならんで、一生懸命歌歌って、詩を朗読して、それで自己紹介したら、その会場の観衆がシーンって静まり返ったあと、、
『ウォー!!』
って立ち上がって、スタンディングオベーションしてくれて。」
K.「スゴイ!」
K.「そうでしょうね。」
「『あ、こうやって一緒に変わっていけるんだなぁ』って勇気づけられて、いままで試行錯誤しながら、別に児童心理学を勉強したわけでも、教育をやったわけでもないし、まして開発学を勉強したわけでもないし、自分たちが試行錯誤しながら、やってたんですけど、まぁそれが間違いじゃなかったんだっていうふうに思えて。」
K.「そうでしょうね。おそらく子ども達にとっては人生初の成功体験ですもんね。」
「そうですね。」
K.「それは大きく変わりましたね。ちょっと、話戻りますけど、青空教室ってどの辺で始められたんですっけ?」
「私達が始めたのはね、これです、この公園、オスマニ公園。」
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K.「もう一つ、別な質問ですが、大樹さんはベンガル語の勉強はどこで始めたんですか?」
「このダッカ大のランゲージインスティテュートで半年間ですね。途中から大学の国際学生寮に入ることが出来たので、その周辺で生活してましたよ。」
K.「なるほど。あの、この周辺にもスラムってあるんですか?」
「ありますよ。たくさんあります。ダッカ全体でいえば、駅裏地区やオールドダッカ周辺、カオランバザールの線路沿などには、特に大きなスラム街が広がってますね。」
K.「そうか。で、いままで述べ人数どのくらいの子ども達と青空教室で時間を過ごされた感じですか?」
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◆センター(=シェルターホーム)について
Q.「センターを作ることになったのはどうしてですか?」
「大使館のプログラムで子ども達の目の色が変わるのをみて勇気づけられて。それまでずっとセンターはやりたかったんですよ。青空教室だけだったら変わらないっていうのはわかってたので。」
K.「まぁ、そうですよね。」
「だって、一日のうち二時間自分たちと一緒にいて残り22時間は親と生活をしたり、その地域で生活しているから、絶対に変わらないんですね。根本としては。だから、子ども達がいまの生活環境から離れて勉強するっていうのが必要だなと思ってたんです。」
K.「なるほど」
「けど、それをやるってことは彼らの人生にめちゃめちゃ足を踏み入れるわけじゃないですか?完全に。だから、それをやってみたけど、三ヶ月後に『もう無理だからまた路上に戻って』なんてそんなひどい話はないので。本当にやっていいのかな?って思っていたんです。」
K.「うん」
「けど、その発表会での子ども達の変わりようをみて『やっていいんだ。』自分たちは間違ってなかったんだって、彼らと共に変わっていけるんだなって思えて。」
「そう。確信をもってそれでセンターを作って。」
「一番最初は13人が入ったんですけど、どんどんいなくなって、そのうち六人が第一期生として半年くらいいて、次に第二期生として五人が入って来て11人になって、っていう感じで、少し増えてはまた何人かいなくなって、増えてはいなくなってを繰り返して、いま25人ですね。」
K.「半分くらいの子が残る感じですか?」
「やっぱりセンターに来ていなくなった子の方が多いですよね。おそらく、60〜70人くらいはこれまで来ているんですよ。でも、一週間たって逃げ出したり、一年勉強したけどいなくなっちゃった子とかはいますけどね。」
K.「それは、やっぱり子ども達としては、そっちのほうが楽だからですか?」
「路上で生き抜いていけますからね。なんだかんだで。別に路上で飢えて死ぬわけじゃないので。物乞いしても、紙くず拾っても、物売りしても生きていく術をもっているから、ある意味自信を持っちゃっているんですね。」
K.「う〜ん、興味深いですね。」
「そんなね、決まりごとを守って生活するよりも、路上の方がやっぱり刺激的だし、性的な刺激も正直あるし。」
「最初は始まったときは6歳から12歳までってしてたんですけど」
K.「日本の小学生だ」
「けど、12歳で入ってくると結構厳しいんですよね。もう、変えていくのは無理かなって感じます。体験として、12歳以上で来た子が、3人ともいなくなっちゃってるので。あと、手癖が悪くて、盗んじゃったりとかもあったので。」
K.「なるほど」
「だから、いま入るときは10歳くらいまでですね。まだギリギリ変わる可能性が、、」
⑥につづく・・・
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Q.「今のご職業はなんですか?」
「なんでしょう?日本語で言うと、おどろおどろしいけど社会活動家ってことになるんですかね?」
K.「社会起業家とは違うんですか?」
「社会起業とは全然違うんですね。私は入口が違うので、、、」
K.「名刺にActivistと書いてあるのもその意味なんですね。しっくり来ますね。」
Q.「いま、一番力をいれている活動はなんですか?」
「もちろんアカデミーの建設なんですけど、それはすでに発注して業者がやってもらってます。けれど、正直いま目に見えて成果がでるのは、ココ(レストラン)なんですよ。」
K.「なるほど」
「やっぱり自分が動いて、人にしゃべったら、その人がお客さんとして来てくれるし、目に見えるんですよね。成果がね。寄付を集めにいったりしてもなかなか成果ってでないじゃないですか。でも、レストランって、自分がプロモーションした分だけ跳ね返ってくるんです。金沢の時の居酒屋の感覚ですね(笑)やっと先月(2012年11月)からトントンになってきて、今月はやっと利益がでそうなので。ってか今月は利益ださなきゃまずいんですよ。あと一月二月まで、そのあとはまた暑くなってエアコンガンガンつけて、コストがあがっちゃうわけですね。あと、お客さんも冬が一番くるのでここでガツンといっとかないと。」
K.「なるほど」
Q.「エクマットラの今の活動を教えてください。」
「アカデミーの建設があって、レストランがあって、あとはセンター(=シェルターホーム)には子どもたちが25人くらいいます。それに青空教室もやっています。」
K.「青空教室もまだおやりになってるんですね。」
「えぇ、ただ青空教室は少しずつフェイドアウトしてるんですよ。私達以外に青空教室以外をやっている団体がたくさんあるので、彼らをパートナー団体として提携しています。そこから子どもたちが推薦されてセンターにくるって形なので。」
K.「なるほど」
「あとね、映像制作をしてるんですよ。他団体の映像で、例えばJICAさんから2011年だけで5、6本受注をしているので。その他にも、NGOや企業からも受注していますね。」
K.「そんな仕事があるんですね。」
「私達は映像制作のノウハウや機材をもっているので、それを使って他団体の映像を作るんです。一本作るごとにやっぱり、10万円とか、15万円とかのプロフィットが出るんですよ。それは、私達にとっては、いま一番大きな収入源になっていますね。」
K.「へぇ〜」
「ただ実際に私は顧客との間に入ってコーディネートをして、実際にテクニカルに映像を作るのは、エクマットラの代表で映画監督のシュボなんです。」
K.「なるほど、シュボさんが制作作業をおやりになるんですね。具体的には、それはどんな映像を作るんですか?」
「例えば、JICAが青年海外協力隊員の紹介映像を作るといったものがあって、彼らの任地を回って、その活動をまとめてとか。」
K.「じゃあ、一種のドキュメンタリーを作るわけですね。」
「そうドキュメンタリーですね。グラミンと雪国まいたけのジョイントベンチャーの映像をつくったりとか。」
K.「なるほど」
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K.「エクマットラはもともと青空教室をから始まったんですよね。最初のとっかかりはどうでしたか?すんなりいったもんなんですか?」
「いやいやいや(笑)青空教室をはじめるその八ヶ月前にシュボたちと出会っていて、
エクマットラっていう名前をつけて活動をはじめてから一ヶ月間はずっと聞き取り調査をしていたんですね。
路上のお茶屋さんだったりとか、物乞いしているひとだったりとか、大人も子どももいろんな人たちに話を聞いたりしていくなかでわかったのが、路上生活している子どもたちの中にもいろんな子がいて、その中でも、抑圧されている子がいて。そのなかでさらに、例えば、親がセックスワーカーだったり、あと麻薬の密売人だったりとかそういった親を持つ子どもってのはやっぱり抑圧されているってことがわかったので。そういった子にターゲットをしぼったんですね。」
K.「なるほど。」
「そこでその子たちのお母さんと話をするために、彼女たちが夕方化粧をはじめる時間に家に行くんですね。その中で、結構私もベンガル語を覚えたてだったので、ズバズバ聞いちゃうんですよ。「一日何人の人とやるんですか?」とかね。」
K.「ストレートやなぁ(笑)」
「なので、『私はそんなことしてない!!』って言われて、その叫び声をきいて人が集まってきて夕暮れ時間に50人くらいに取り囲まれて、リンチにあいそうになったりだとか。」
K.「うわぁ」
「『お前二度とこの場所にくるなよ。今度見かけたら命はないぞ。』どんどん人が集まってきて、ヤバイヤバイヤバイ『すいませんでした。もう二度と来ませんので、本当に申し訳ありませんでした』って言って帰ったら、また次の日に『すいません、また来ちゃいましたぁ!!』」
K.「『また来たの?』ってなりますね(笑)」
「用があろうとなかろうと、毎日毎日それを繰り返していく中で、みんな少しづつ信頼してくれて『こいつは生半可な気持ちで来たわけじゃないし、まして人身売買をするわけでもないな』ってことをわかってくれて。」
K.「最初は悪いやつじゃないかと思われたわけですね。」
「そうそう。それで信用してくれるようになっていって、こうこうこう考えているんだと、お母さんから娘へのサイクルを断ち切るにはまず教育をして可能性を広げていかないと、みたいなことを一生懸命伝えていって、そのための入り口として青空教室をしたいって言ってったら、まぁそれは認めてくれて、青空教室を始めたんです。」
K.「なるほど。」
「けど、最初は親に言われてくるから、みんなやる気がないんですよ。バングラ語のあいうえおみたいなことをやっていても、『あ』って言うと『お』をとかね。『1+1は?』って聞くと『3』とか言ってね。『兄ちゃんもうつまんないから帰る。』って言って帰っちゃうんですよ。」
K.「そうかぁ。」
「それが悔しくて。もう毎日二時間もたないんですよ。20分ぐらいしたら、『もう、兄ちゃんつまんねぇから帰るわ』って言って帰っちゃうんです。うわっ悔しい〜と思ってなんとか彼らを惹きつける方法はないかとやっていくうちに、とりあえず勉強なんてやめようと勉強なんてやっているフリしてやっても意味ないから『勉強やめようぜ!いつかやろう!とりあえずいまは遊ぼうぜ、踊ろうぜ!』ってことを言って」
K.「へぇ、面白い」
K.「楽しいからね(笑)」
「最終的には毎回15人くらいの子どもたちがくるようになって。で、何がもらえるわけでもないのに歌を覚えて、詩を朗読したりやってったら、その15人が半年後にすごいいっぱい歌を歌えるようになって、絵もかけるようになったりして、すごい成長してきたなってわかるようになったんです。」
K.「なるほど」
「だから、その子達に発表する場を提供したいなと思って、そのときにやっていた大使館のプログラムにつれていったら、最初はみんなビクビクしていて、目の前に500人の観衆がいるので。」
K.「結構な人数ですね」
「最初は意気揚々と『兄ちゃん今日は私歌歌うね』『俺はあの詩を朗読するんだ』って。みんなルンルンで会場についたら、人多!(笑)で、『お腹痛くなってきた』とか『兄ちゃん私目が痛いから今日歌歌えない』とか。『お前、目と歌関係ないじゃないかよ(笑)』とかね。」
K.「はっはっ(笑)」
「『お前らあんなの芋やカボチャとかわんねぇじゃねぇか。別に失敗したって殴られるわけじゃねぇじゃん、行ってこーい!!』とバーンと送り出したらみんなぞろぞろ舞台にあがって一列にならんで、一生懸命歌歌って、詩を朗読して、それで自己紹介したら、その会場の観衆がシーンって静まり返ったあと、、
って立ち上がって、スタンディングオベーションしてくれて。」
K.「スゴイ!」
「もう、すごくびっくりして、感動してもう、涙が出そうだった。でも、私以上に舞台にいた子どもたちがもっと何かを感じたようで、次の日青空教室にいったら『兄ちゃん!昨日すごかったよね!歌を歌ったらあんなに褒めてくれたよ!詩を朗読したらあんなに喜んでくれたよ!自己紹介したら、みんな立ち上がってくれたよ!兄ちゃん私もっと歌歌いたい!』って言って。そのときの子ども達の目の色が全く違う色をしていたので。」
K.「そうでしょうね。」
「『あ、こうやって一緒に変わっていけるんだなぁ』って勇気づけられて、いままで試行錯誤しながら、別に児童心理学を勉強したわけでも、教育をやったわけでもないし、まして開発学を勉強したわけでもないし、自分たちが試行錯誤しながら、やってたんですけど、まぁそれが間違いじゃなかったんだっていうふうに思えて。」
K.「そうでしょうね。おそらく子ども達にとっては人生初の成功体験ですもんね。」
「そうですね。」
K.「それは大きく変わりましたね。ちょっと、話戻りますけど、青空教室ってどの辺で始められたんですっけ?」
「ダッカのグリスタンって地域ですね。あのいま、泊まっているのはどこですか?」
K.「ダッカ大学の近くですね。(地図広げて説明。)私はいま、ココらへんに泊まっています。」
「私達が始めたのはね、これです、この公園、オスマニ公園。」
K.「なるほど、この辺りでやってたんですか。昨日この公園辺りを歩いていたんですが、まだまだ色んな方がいらっしゃいますよね。」
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K.「もう一つ、別な質問ですが、大樹さんはベンガル語の勉強はどこで始めたんですか?」
「このダッカ大のランゲージインスティテュートで半年間ですね。途中から大学の国際学生寮に入ることが出来たので、その周辺で生活してましたよ。」
K.「なるほど。あの、この周辺にもスラムってあるんですか?」
「ありますよ。たくさんあります。ダッカ全体でいえば、駅裏地区やオールドダッカ周辺、カオランバザールの線路沿などには、特に大きなスラム街が広がってますね。」
K.「そうか。で、いままで述べ人数どのくらいの子ども達と青空教室で時間を過ごされた感じですか?」
「うーんと、200人とか300人とか、ちょっとわからないですけどやっぱり、きて、二三回で帰っちゃう子とかもいたりするので、そういう子いれるとかなり多いとおもいますけど、ちゃんと継続的に来た子で200〜300人くらいですかね。」
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◆センター(=シェルターホーム)について
Q.「センターを作ることになったのはどうしてですか?」
K.「まぁ、そうですよね。」
「だって、一日のうち二時間自分たちと一緒にいて残り22時間は親と生活をしたり、その地域で生活しているから、絶対に変わらないんですね。根本としては。だから、子ども達がいまの生活環境から離れて勉強するっていうのが必要だなと思ってたんです。」
K.「なるほど」
「けど、それをやるってことは彼らの人生にめちゃめちゃ足を踏み入れるわけじゃないですか?完全に。だから、それをやってみたけど、三ヶ月後に『もう無理だからまた路上に戻って』なんてそんなひどい話はないので。本当にやっていいのかな?って思っていたんです。」
K.「うん」
「けど、その発表会での子ども達の変わりようをみて『やっていいんだ。』自分たちは間違ってなかったんだって、彼らと共に変わっていけるんだなって思えて。」
K.「確信を持ったわけだ。」
「そう。確信をもってそれでセンターを作って。」
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Q.「センター(=シェルターホーム)にはどれくらいの人数が?」
「一番最初は13人が入ったんですけど、どんどんいなくなって、そのうち六人が第一期生として半年くらいいて、次に第二期生として五人が入って来て11人になって、っていう感じで、少し増えてはまた何人かいなくなって、増えてはいなくなってを繰り返して、いま25人ですね。」
K.「半分くらいの子が残る感じですか?」
「やっぱりセンターに来ていなくなった子の方が多いですよね。おそらく、60〜70人くらいはこれまで来ているんですよ。でも、一週間たって逃げ出したり、一年勉強したけどいなくなっちゃった子とかはいますけどね。」
K.「それは、やっぱり子ども達としては、そっちのほうが楽だからですか?」
「路上で生き抜いていけますからね。なんだかんだで。別に路上で飢えて死ぬわけじゃないので。物乞いしても、紙くず拾っても、物売りしても生きていく術をもっているから、ある意味自信を持っちゃっているんですね。」
K.「う〜ん、興味深いですね。」
「そんなね、決まりごとを守って生活するよりも、路上の方がやっぱり刺激的だし、性的な刺激も正直あるし。」
K.「なるほど。対象って何歳くらいの子ども達なんですか?」
「最初は始まったときは6歳から12歳までってしてたんですけど」
K.「日本の小学生だ」
「けど、12歳で入ってくると結構厳しいんですよね。もう、変えていくのは無理かなって感じます。体験として、12歳以上で来た子が、3人ともいなくなっちゃってるので。あと、手癖が悪くて、盗んじゃったりとかもあったので。」
K.「なるほど」
「だから、いま入るときは10歳くらいまでですね。まだギリギリ変わる可能性が、、」
⑥につづく・・・
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