2011-11-26

「日本の田園風景を守ること、その本当の意味。」 日本考@ラオス

今回のラオス滞在を通じて、
日本の田園風景などの、いわゆる田舎が持つ魅力が
実は世界の人々にも通用するものだと実感した。

その日本の田園風景について少し考えてみたい。

そもそも田舎の風景は
その風土特有の条件の上に成立している。

山や川の位置、海からの距離、標高、
風や、日当たりなどあらゆる気候条件に基づき、
その土地で取れる食物や素材が決まる。

その気候条件や食物や素材に基づき、
衣食住の型式が決まり、その土地にのみ最適で、
且つときにその土地にしか成立しえない特色を有する。

私達は、それら特色をその風土に上に現れた
建築物や食文化、農の営み、祭りや儀礼、方言などから知ることが出来る。

世界中に、全く同一条件の気候・風土の土地が存在しなければ、
各風土に出現した文化はそれぞれ世界で唯一のものとなる。

そして、全く同一条件の気候風土などおそらく存在しないので、
各風土に出現した文化はそれぞれ世界で唯一のものだと思う。

そして、これらの各風土の特色は
まさに私たちの祖先が自然と寄り添って生きる中で、
育まれ、洗練され、護られてきた。

つまり、
いま日本の田舎が持つ各地の風土の魅力は、
自然と寄り添う生き方をしている農業や漁業などの担い手が護ってきたものなのである。


さて、話は変わるが、
あなたにとって「日本」とは何だろうか?

私達が「日本人」であるとして、
それは一体何によるものだろうか?

中国人でもなく、
アメリカ人でもない、
だから日本人なのだろうか?

あるいは日本語を話すから日本人なのだろうか?

そのことを思索してみたとき、
私個人としては、私自身が「日本人」で在りたいと思う理由は、
ずばり日本の風土の美しさに求められる事に気がついた。

日本の美しい風土そのものと、
この風土が生み出すもの(建築・文学・儀礼・言葉・食などあらゆるもの)の美しさに惚れてしまっている。
だから、私は「日本人」でありたいと思っている。

そして私は私自身もまた、この
素晴らしい風土に育まれたモノの一つで在りたいと願っている。

実はだからこそ
私達は日本の風土、そのものの美しさを護って行かねばならないと想っている。


つまり日本の風土の美しさを護ること、
それは私達が「日本人」で在り続けるために必要不可欠なことなのだ。

過去のTPP参加是非の議論の中では、
産業としての農業が存続しえるかどうか?が大きな議論になっているが、
もっと根本的にはどうやったらこの美しい田園風景を守ることができるか?
そういった議論が行われても良いのではないだろうか?

そんな想いがよぎっております。

以上

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