2012-10-25

EUという「超国家」的発明品について 日本考


「国家」や「政治」というのは言葉の産物です。これが旅で得た実感のひとつです。

左脳の産物とも言いかえられるわけですが、そういったものの中でも現在最先端の発明品のひとつが「超国家」だと言えるでしょう。

その先進的事例として今回の触れる「EU」が挙げられると考えています。

ところでヨーロッパを陸路で旅していると感じることですが、
やはりこの地域に生きてきた人々にとっては、民族や言語、宗教を超えた社会性の獲得は必須なのですね。

というのも、陸続きで、多民族、他宗教に接し、
かつ歴史的に争い続けてきた経緯があるわけですから、もういい加減、新しい(お互い落ち着いて暮らすための)枠組み、概念が必要だと考えるのも当然のことでしょう。

二国間の協定や同盟だけでは、
不十分だということを嫌というほど経験しているのだと言えますね。

だからこそ、国家の枠組みを超えた新たな概念が必要とされ、その結果現在の「EU」が生まれたのだと感じています。

実際ヨーロッパの人々にとっては山ひとつ、川ひとつ超えたらそこには言葉も顔つきも違う人々が住んでいるのです。そして、この感覚は日本に生まれた人々には持ちづらいものですね。


日本にいて国際社会や国家間の関係を論じる場合、
それには右脳的な身体感覚としての必要性は感じづらいのだと思います。

異国を目で、肌で感じられない以上「国際社会」「国際関係」といった諸問題に対する発想は
あくまで他者の言葉のツギハギになってしまうことが多くなるように思います。

そうであれば当然、
「超国家的」な発想、それ自体が新しい次元に到達しづらいですし、もしそこに至ったとしても、それを実現する意志は限りなく乏しいはずです。

「超国家的」なものの発明が、日本の将来にとって必要かどうかはいまのところ不明ですが、そのレベルの話をする以前に「国際社会」「国際関係」といったもの本質や重要性を見誤ってしまう恐れすらあるのです。

平たくいうと、ちょっとズレちゃう。

残念ながら、そのズレは実際に存在していて、
例えば義務教育の中の「英語学習」の位置づけと、
それに関する特定の有識者の考えなどにも見られます。

あんなことに無駄金を使うくらいなら、
高校生全員海外に一年留学させて挙げた方が
よっぽど大きな成果が得られると思うけどな〜。

以上

0 件のコメント:

コメントを投稿