2012-10-13

アウシュビッツにて 日本考


前略

先日、ポーランドにてあの悪名高きアウシュビッツ強制収容所を訪れました。

正直、訪れる前には、周りの人々が言うような特別な興味は抱いていなかったけれど、それでもやっぱり感じることは多かったのです。

まず驚くのはアウシュビッツって言う場所はね、以外にも、なんというか質素なつくりなんですよ。

学校の校舎のような建物が等間隔で数十戸ならんでいて、その周囲には二重に貼られた鉄条網があるのだけれど、それも仰々しいものではなくて、必要最低限の高さと量なんです。もちろん、当時は見張りがたくさんいたのだろうけれど、

「たったこれだけのもので、人間は逃げ出せなくなるのか。」

と少し驚いてしまいました。

また敷地も日本の田舎の高校が二つか三つほど入りそうなくらいのこの限られたもの(正確には知らないけれど)のようです。この場所で、何十万人もの人が殺されたのだということが、はっきり言って全く想像できません。

それほど、言うなればシンプルな施設なのです。

施設の概要はこの辺にして、
私個人の感想をお伝えしましょう。

まずなんと言っても痛いほど感じたこと。

それは、やっぱり人は死んだらお終いだってことです。(当たり前か?)

アウシュビッツで死んだ人々は、
どれだけだれかを愛していたか?
どれだけ怖かったか?
どれだけ悔しかった?

をもはや語りません。

たった60年かそこらで、自分たちが殺された場所に世界中から人が訪れてパチパチパチパチ写真をとって(たまにピースサインなんかして)ね。

それに対して、どう思うことも無いのですよ。

なんかね、そういうことを感じたんです。当たり前だけど、やっぱり人間は死んだらお終いなのです。

もう一つ強く感じたことは、
「それでも人は幸せになろうとしている」ってことかな。

アウシュビッツ強制収容所のある町のね、観光バスなんかが止まらない場所を歩いてみたわけ。

そしたら、強制収容所のあった場所のすぐそばに綺麗な公園があって、子供がきゃっきゃとはしゃいでおりました。

それ見てたら、いくら暗い過去を背負っていても、それで今現在を不幸に生きる必要は無いんだなって思いましたよ。

恨みつらみは忘れようとしなければいくらでも抱え続けられるし、忘れさる事もできないでしょう。

でも、その事と、私たちの今の感情とは本当は関係無いね。

だから歴史から学ぶ事はしても、歴史から恨みつらみを掘り起こすようなことは大人はしちゃいかんのだな、と思うわけですよ。はい。

あなたはどう、思うだろうね?
また会って話せるのを楽しみにしています。

それまで、どうかお元気で。

草々


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