思いのほか長くなったポーランドをようやく後にして、再びドイツ、ベルリンに戻ってきました。
今回は、義理の妹のお友達という直接の面識の全く無い方の御宅にお世話になっております。
しかし、この方もまた、大変素敵で親切な方で現在在籍しているドイツの大学での話をはじめ、興味深いお話をたくさん聞くことができています。
さて、この方の御宅の周辺にはとにかくたくさんの外国人(
ドイツの人々のからみて)が住んでいます。
トルコ出身の方が多いようですが、中にはパレスチナから来ているなんて方もいます。
そのせいか、この周辺にはたくさんのケバブ屋、トルコ菓子のお店、安い衣料品店が並び、お客さんもおそらくトルコの人々でいっぱい。さながら自分がトルコにいるように錯覚してしまいます。
移民として暮らしている人々の背景は様々でしょうが、いずれにしてもそれだけの「外国人」をドイツという国は日常の中に受け入れているのです。
まぁ、こんな風景はヨーロッパだけでなくアジアでもアフリカでも多かれ少なかれ目にすることができるのです。
一方、我々日本人がおかれている「陸続きの隣国が無い」という環境は、やはり大変特殊なものなのです。
そのため、ともすれば「世界」あるいは「国際情勢」というものの流れを見誤ったり、乗り遅れたりしやすいだろうなぁと思います。
何故なら実感が持ちにくいから。
民族間の対立や、言語の違いなどが、
感覚的にどれだけ大きな違いをもたらしているのか?
が、感じられないのです。
その結果、日本人とその他の国に住む人々では、
世界で起こっているおなじ事柄に対する意識の溝が生まれるのだと思います。
例えば、
「英語はまず日本語をきちんとマスターしてから勉強すれば良い。」
なんていう無責任な意見も、国内で説得力を持ってしまうのが良い例でしょう。(日本語を学ぶことと、英語を学ぶことは全く目的が別なのです。)
望むと望まざるとにかかわらず、
私たちが生まれて属しているとされる「日本」という国は今日の世界にとって大きな存在なのです。
と、同時に私たちたちにとっても他国との関係は、それが無くては、お豆腐も作れないほどに親密なものになっているのです。
なので、若い人を留学させろとは言いませんが、
も少し海外に行きやすい制度を充実させられらば、状況も少し離れた変わるかなと思います。
以上
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