2013-05-06

世界一周旅を終えて、今思うこと⑥ 「日本」について

私は旅立つ前に、
いくつかテーマを立てていました。

そのうちの一つが、

「30年後の日本が
世界から憧れられる国になるためには何が必要か?」

そして、
「それを担うため私達日本人は何をすべきか?」
というものでした。

そこで、今回はそういった観点から
私が旅を通して考えた「日本」についてご紹介します。


結論から言えば、
私は旅を経験して、
「日本」という国には三つの側面があると思うようになりました。

一つは「言葉」としての日本です。

それは例えば法や社会制度、歴史などをはじめとする
「情報」の集積として、知識としての日本です。
国籍などは、こういったものを土台に決まります。

二つ目は「風土」としての日本です。

山や森や海といった豊かな自然、景観など
人間が創る前からあったものたち
「花鳥風月」と呼ばれる「肉体」的、「感覚」的な日本です。
それは住んでいる人々や訪れた人々が五感を通じて感じるものです。

三つめは「魂」としての日本です。

それは例えば、神道といった信仰や剣道、茶道などの武道、
あるいは能などの伝統芸能といったものです。
古来、自然と向き合うなかで人々が生み出し、それを繋ぎ、
洗練し続けてきた知恵の結晶でもあります。
「芸術」的なものとも言えるでしょう。

以上の三つの側面があることを
しっかりと意識しなければ、
「日本」のこれからを描くのは難しいと実感しています。

なぜでしょうか?

 

通常、「日本人」という言葉は
どういった人々を指すのでしょうか?

日本国籍を取得しているもの?

両親が日本人であるもの?

日本にずっと住み続けているもの?
それとも、その全てに当てはまる人のみ?

あなたはどう思いますか?

考え方は人それぞれだと思います。
私自身も考えれば考えるほど、良くわからなくなっていきました。


きっかけとなったのは、
ベトナムでのある出逢いでした。

私はそこでベトナム人ながら日本文化に精通した
チャウ君という若者に出逢ったのです。
そして、ある日彼に茶会に誘われたのでした。

チャウ君は、数年前からベトナムで茶道の教室に通っていました。
そのおかげか、当日の彼から受けたもてなしは
素晴らしいものでした。

美しい立ち居振る舞いはもちろん、
彼の手で創った和菓子の美味しさ。

驚かされると同時に、
私自身がそういったものを十分に習得していないことを
少し恥ずかしいなと思いました。

チャウ君は、
日本人であるはずの
私以上に日本人らしい習慣を
身につけていたのです


この経験から、私は
「『日本人』には
産まれつくものではなく、
『なっていく』もの」

なんだなぁ、と気づかさせられました。

たとえ日本国籍を持っていても、
たとえ両親が日本人でも、
たとえずっと日本に住んでいても、

それだけでは真の意味の「日本人」にはなれないのだ

と思うようになりました。


大切なことは、
日本の風土の美しさを感じること。
 
そして、
そこから生み出された
先人たちの教え《魂》を学び、
受け継ぎ「身につける」こと
だったのです。

こうやって言葉にすると、
「じゃあ、みんな習い事でもしなきゃいけないの?」
と捉えられるかもしれません。

しかし、私は必ずしもそうでは無いとおもいます。

具体的に言えば、

日本人としての《魂》は各家庭での躾(しつけ)に

今もしっかりと宿っているような気がします。


食事の前に手を合わせて言う
「いただきます」の一言。

その美しい所作一つとっても、
この地球上では
決して当たり前なんかではありません。

『修身教授録』で知られる森信三先生が
《 しつけの三原則 》として

1  朝のあいさつをする子に。

2 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。

3 席を立ったら必ずイスを入れ、
ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。

という学びを残していらっしゃいます。

それらを主として、
私達は今一度、
祖父母や両親から伝えられてきた
「あたりまえ」の教えたちをもう一度
しかりと見つめなおし、受け取り、そして伝えていく。

そうすることで、
私達がまた、真の「日本人」となっていき、
そのことが「30年後の「日本」を世界から憧れられる国」に
近づけていく道なのだと実感しております。


以上


次は「意志決定」について

 

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