2013-05-13

世界一周旅を終えて、今思うこと⑪ 「恐怖」について

言葉も通じない、見知らぬ土地を旅することは
常に「恐怖」と向き合うことを意味します。

その経験から
私が学びとった「恐怖」についてまとめてみます。


まずはじめに、
「恐怖」とは「感情」の一つです

そしてそれは、

「怖い!」という感情とともに生じる
とても強烈なエネルギーで

私達の「選択」や「行動」に
ブレーキをかけようとします。

ですが、
車にもブレーキが必要なように、

「恐怖」もまた感じてはいけないものではない

と思います。

むしろ、必要なものだと思います。

それは私達が生きているからこそ、
変り続けているからこそ、生じるものです。

ですので、
私達が生きている限り、
それを完全にゼロにすることは出来ない

んだろうなと感じています。




さて、それを踏まえて
私は

「恐怖」には二種類ある
と感じるようになりました。

一つは「未知」への恐怖です。

そして
もうひとつは「既知」への恐怖です。

どちらも「恐怖」なのでブレーキとして作用しますが、
そのエネルギーの源は異なります。



まず「未知」への恐怖は、
未来に捉われることで生じる感情です。

言い換えればそれは、
「不確かなもの」への怖れです。


自分の知らないもの、
理解していないもの、

それと「関係」することで、
これまで肉体的・精神的・社会的に蓄積してきた「自分」を
「否定」され、失うことへの怖れでもあります。

これに関して、
もっとも偉大な例は「死」への恐怖だと思います。

そして、
旅は常に
「未知への恐怖」と共にあります。

いままで訪れたことのない場所、会ったことのない人、

それらとの出逢いで
何が起こるのか、
全く予想がつきません。

しかし、
だからこそ面白い!!



つまり、
「未知への怖れ」はそれを克服したときには、

その恐怖の量に
比例するだけの「ワクワク」や
「ドキドキ」を伴なっている

ということです。


(余談ですが、
 「観光」と「旅」の違いはここにあると思います。
 
 既に解かっているものを
 「体験」しようと試みることが「観光」ならば、
 解かっていないものを「体験」することが「旅」です。)



一方で、
「既知」への恐怖はやっかいでした。


私はそれを
コロンビアの強盗事件以降
体験することになりました。

例えば、
あの事件以降、
南米のどの町にいっても、

「あの角の向こうで「また」襲われるかもしれない。」

という「恐怖」がおそってブレーキがかかるのです。


それは明らかに「未知への怖れ」とは異なるものでした、

たとえそれを乗り越えたところで
「ドキドキ」や「ワクワク」は生じませんでした。


やがて、
よく自分の内を観察してみると、

「既知」への怖れは、

過去に捉われることで起こっている
のだと気付きました。
  

それは自分の「経験」から生じる「怖れ」です。

私は

自分が過去に抱えた
「痛み」や「失敗」を
二度と味わいたくない

と感じていたのです。



言い換えればそれは、
過去の「自分」を
受け入れることへの「怖れ」でした。




さて、先に述べたように、
私達が生きている限りは
「恐怖」を感じないようにしたり、
ゼロにすることは出来ないと思います。


では、
どうやってそれらをと向き合い、
乗り越えていくのか?


まず、
「未知」への恐怖を乗り越えるために
有効なのは「創造への欲求」だけだと実感しています。
  
それは「作品」であれ「体験」であれ「関係」であれ、
私達が自らの「生」で「創造」したいと思うなにか、
に向かう純粋なエネルギーです。


「創造への欲求」があってはじめて

「不確かな未来」に
向き合う意志と
それを乗り越えるエネルギーが
もたらされます。


ちなみに私にとって、

それは
「日本の素晴らしさを実感したい!」
「世界中に友達を創れることを証明したい!」
「世界の温泉についての本を書きたい!」

などの想いだったのです。

きっと、
そういった想い=「創造への欲求」が無ければ、
私はコロンビアから帰国していたに違いありません。


そして、これに関して

大切なことは

「創造」は常に
「今」この瞬間に起こるもの

だということ。

何かを「創る」というのは
常に「今」の「選択」と「行動」の積み重ね
の先にしかありません。

なので、

「創造への欲求」は常に、
私達が「いま」「ここ」に居て
はじめて実現できる

のです。

  
  
  
さて、一方
「既知」への恐怖を乗り越えるには
何が必要だと思いますか?


その問いに対する
私の答えは、「感謝」の心です。

なぜなら、

「感謝」とは
過去の「自分」を受け入れることで
始めてもたらされるもの

だと思うからです。


以前にも書いたように
私にとって

「自分」とは過去の「『関係』の総和」です。

だから、

「自分」を受け入れるということは、

過去の『関係』そのもの
あるいはそこから与えられた
全ての経験を受け入れること

にほかならないのです。
 


平たくいえば、
自分の人生を「全肯定」すること。
 
  

「人生いろいろあったけど、
 いま幸せです!ありがとう!」

って思えるかどうかってことです。

だから「感謝」は「幸せ」を感じる力でもあります。


そして、

大切なことは

「感謝」は常に私達自身を
「今」「ここ」に立たせてくれる

ということです。
 


なぜなら、

「感謝」する瞬間

私達は
全ての過去の総体である、
「『いま』『この瞬間』の『自分』という存在」

を感じるているからです。


そして

もっとも大切なことは、

私達は

「感謝」することで
「既知の恐怖」を乗り越え

「自分」を
「今」「ここ」に立たせることができる。

また、
そうすることで初めて

「創造」を行う準備が整い、
「未知の恐怖」に
向き合うことができる

ということです。


いま、振り返ってみると、
コロンビアで強盗に遭わなければ
私がこういった学びを得ることもなかったと思います。

あの経験も含めて、
旅で出逢ったみなさんとの御縁のおかげで
今の「自分」があるのだと感謝しています。


以上




 

0 件のコメント:

コメントを投稿