2013-05-31

世界一周旅を終えて、今思うこと⑮ 「教育」について

「教育」

というのは、
つまるところ大人からの次世代へのメッセージです。


そして、
その中身も、伝え方も国や文化ごとに違ってました。


ある国では、
学校で教えること以上に
親やおじいちゃん・おばあちゃんが伝えることや語ることを重視していたり。

またある国では、
システマチックに生きるために必要な技術を伝えることを重視していたり。


正直、
どれが良い教育で、どれが悪い教育だ。
なんてことは決められません。


しかし、
効率的でなかったり、

あるいは、
伝える技術とそのための資金が不足していたり、
といった理由で、

メッセージが十分に伝えられていない。
そんな状況もたくさん目の当たりにしました。


チョーク一本、ノート一冊が
手に入らないために伝える機会を、学ぶ機会を失っている
次世代が大勢いるのだから。


現在、
先進諸国から途上国に対し行われている
「教育」分野への支援と呼ばれているものは、
その点で、大変重要で、有効なものだと感じています。


しかし、
気を付けたいのは、
それが行き過ぎたときのことです。


つまり、
メッセージを伝えるお手伝いは結構ですが、
その内容まで、いじくるのはいかがでしょうか?
ということです。


ウガンダの小さな村の学校で、
子供たちがきれいな英語を話していたのに驚きました。

そのことを
彼らの父親に伝えると、

「けれど、その分子供たちは私たち固有の言葉はあまり使わないんだ。」

と、少しさみしげだったのが印象的です。



「固有の言葉」

その背後に
大人たちが伝え残したい文化や価値観が
どれほどつまっているものか、計り知れません。


だから私は、

あらゆる「教育」支援が決して
「価値観の押し付け」にならないことを願っています。



それぞれが違って、ユニークだからこそ面白いし、価値があるのです。


もし仮に、
あらゆるすべてが同一のモノが二つあったら、
それらはお互いに

「どっちでも良い」存在、になっていまいます。


どっちでも良いってことは
どっちかは無くても良いってことです。


その意味で、
「多様性」とは

価値評価の一側面ではなく、
「価値」の本質そのものなのです。


大人が
「自身が誇るべきもの」を
持っていたあらゆる国では、

それを伝えるために「教育」に
真剣に向き合っていました。


その逆もしかり。



私たちが、
次世代に伝えたいこと。

私たちにとっての「誇らしいもの」とは
果たしてなんでしょうか?


もし、
それを持つ大人が少なくなっているならば、
その国、その宗教、その文化は

すでに
「どっちでも良い」ものになりつつあるのだ

と自覚せねばなりません。



以上


次でラスト。

旅のテーマ
「三十年後の日本が世界から憧れられる国になるためには何が必要か?」

の答えについて。







































2013-05-22

世界一周旅を終えて、今思うこと⑮ 「日本企業」について


私は
世界中で
日本の企業活動について
観察してきました。


証券マンとして
日本株を扱っていたころから、
自動車メーカーをはじめ、
世界で活躍する日本企業の
実態について知りたいと
思っていたからです。




まずはじめに言えることは
やっぱり日本企業はスゴイ!ってこと。


アジアで

ヨーロッパで

アフリカで

南米で


どこに行っても

「日本の製品がNo1だ」

と言う人に大勢出逢いました。

その要因を
いくつかに分類してみると、

①工業製品の品質に対する評価。

「日本製品ならば安心だ」

という評判は
戦後の日本のものづくりに対する
正当な評価だと思います。
それは単に技術的・性能的な評価だけでなく、
その奥底にある日本人の「誠実さ」に対する評価でもあります。

②サービスの質に対する評価。

販売時の接客のみならず、
アフターケアに至るまで
日本企業のきめ細やかさは
特に各国の富裕層から絶大な支持を
得ています。

そこには、
販売戦略以前に日本人の
育んできた「おもてなし」文化の存在が
うかがえました。

日本の一般生活の中で、
「他人さま」に出すものについての
最低限のレベルというのが、
世界的には非常に高いのです。


③経営倫理に対する評価。

企業が他国で生産活動を始めると、
どうしても独善的で画一的な手法で
従業員や顧客を支配しようとしてしまいがちです。

そういった中で、
多くの日本企業は
(上手くいっているかどうかは別として)
労使にしても、環境配慮にしても、
高い倫理観を失わずに活躍しているように
感じられました。

おおくの企業経営の哲学の中に「仁」の精神
がある国というのも非常に珍しいのです。


以上のような観点から、
日本企業の海外進出は
私たち日本人にとってだけでなく、
受入国側にとっても
必要とされているように感じました。


そういった可能性を感じるとともに

一方で、
日本企業が相対的に
出遅れている点もいくつか目につきました。

それは主に
①政官財学の連携不足

縦割り行政の弊害なのか、
訪れたいくつかの国で
日本の大使館とJETROとJICAが
似たようなイベントを別々に開催している
場面に出くわしました。

それぞれが
それぞれの現場で
最大限の努力を行ってはいるのですが、

それらを総合的に
マネジメントする機関なり意志なりが
欠けているように感じました。

この点、
韓国は非常に縦横の連携が上手くいっており、

ベトナムやラオス、カンボジアなどの新興諸国に進出する際、

まずKTVが韓国ドラマ専門チャンネルを持ち、

両国の主要大学間で留学生の定数交換枠を設け、

その上、
その国で一番高い商業ビルを韓国資本で建設する。
というような具合です。


こういった点では、
学ぶべき点が多いように思います。


②マーケティング力不足

これは単にマネージャクラスの
英語力不足という問題だけでなく、
現地の人々からすれば、
現地の市場や文化を理解する気が
無いように思われているようです。

ある東南アジアの国で言われたことは、

「欧米の企業は優秀でさえあれば
マネージャーとして現地人を採用する。
しかし、日本企業は
現地支社長といったマネージャーは
大抵英語もろくに話せない日本人だね。」

という一言でした。


もちろん、
劇的に変化している最中ではあると思いますが、
一部そういった評価があることを踏まえても、
相対的なマーケティング力不足という課題は
突きつけられているのが現状でしょう。


③不十分なパラダイムシフト

戦後日本の奇跡とも呼ばれる
経済成長は内需主導で行われたことは
言うまでもありません。

それは
人口増加と生産性拡大という
前提条件の元に実現しました。

しかし、
今でもその時の観点から
抜け出せずにいる企業も
多いのではないでしょうか?

もちろん今後
内需のある程度の再生は
期待されるし、起こってしかるべきでしょう。

しかしながら、
成熟期を迎えた国の人口は
基本的に減っていくのだとすれば、

やはり
これまでとは違う、
新たなエンジンを始動する
必要は明らかです。


そして、
そう言った、
国家的な
「パラダイムシフト」は
単にトップ経営者のうちに
起これば良いというものではなく、

おそらく
国の全体的な変化として起こって
はじめて効果を発現するものだと思います。


そういった意味で
今後やはり重要になってくるのは
新たな「教育」だと実感しています。


それは、
単に
伝統的な教育システムを
破壊することでも、
あるいは
欧米の教育システムを
受け入れることでもありません。



なので、
次は「教育」について



以上

2013-05-20

世界一周旅を終えて、今思うこと⑭ 「普遍的なもの」について

 
 
当初、世界旅の動機は、

国や宗教や言語を超えて、

人類に共通する
普遍的な価値観
あるのだろうか?

あるとすれば、それは何か?

について知りたい

という想いでした。



幸いにも
いくつか感じることができました。



まず一つは、リズム

私たち人類は
国や宗教や言語を超えて、
鼓動のリズムを共有しています。


それは肉体的なの証です。


あらゆる文化圏で
打楽器のリズムに触れれば
私たちの心と身体は動き出します。

波打ち始めます。


次に挙げられるのは、恐怖です。

私たちは人類は
国や宗教や言語に限らず、
自分を失うことを恐れています。

それはへの恐怖です。

けれど、だからこそ
私達は他者と一体になる喜び
感じられるのです。




そして何よりも偉大で普遍的だと感じたのは、
母親が子供に与える愛です。



想像してください。

ニューヨークでも

テヘランでも

北京でも

アディスアベバでも

レイキャビクでも、

そして東京でも、

世界中どこを訪れたって、
どんな宗教を信仰していたって、
どんな言葉を話していたって、

母が子に与える愛は変わりません。


それは何よりも普遍的で、
何よりも偉大でした。


そして、美しかった。



もし、将来わたしの子供に

「他人を傷つけてはいけない理由は?」

と問われれば、


もし、将来わたしの子供に

「他人を殺してはいけない理由は?」

と問われれば、


もし、将来わたしの子供に

「戦争をしてはいけない理由は?」

と問われれば、


それは、ただ

「彼にもまた
(あなたと同じように!!)
彼を愛する母親がいるのだから。」


それひとつ、
伝えるだけで十分だと実感しています。


以上

2013-05-18

世界一周旅を終えて、今思うこと⑬ 「祖国」について その2

前回の続き


私たちに出来ることは、ただ
自らのルーツ(根)を知り、感じ、愛すること。
そして「日の光」を浴びるための努力をすることです。

では、その「日の光」とはなにか?

それはきっと
「ありたい姿」です。

私たちが、
「こうありたい」と心の底で願っている姿だと思います。

それに向かおうとする願望、、、。
が本来誰にでもあるのではないでしょうか?


さて、
前置きがだいぶ長くなりましたが、


「祖国」とは何なのか?

私たちを「桜の木」に例えた場合、
どう考えられるかについてすすめます。


「桜の木」は死を迎えると
倒れて、朽ちてやがて大地に帰ります
その全ては、やがて土となります。


そうして養われた
幾重にも重なって
重なって大地を形成します
その大地の上に、新しい種が落ち、芽吹きます。


そうやって考えてみると、

私たちの根を下ろす「祖国」という大地
私たちの「先人達の生」の積み重ね
そのものだと言えるのです。


それが数千年の時を経て
幾重にも重なって、その大地の上に
現代の私たちが育まれているのではないでしょうか?


私たちが
歴史を学び、古来からの文化を知ることで
自らの足元に「根」を張る。


その努力は、私たち一人一人の
「アイデンティティ」を安定させるとともに、

それゆえに「枝」も広く自由に伸ばせるし、

いずれ咲かせる「花」も
壮大に艶やかになるものだと思います。


つまり、先述したとおり、

そうして
「ゆるぎない自分」を確立してこそ、
広い世界でもぶれずに活躍し、
価値を生み出せる人間になります。


そして、

一方でその努力は、
大地そのものを安定させる
ものでもあります。

それぞれの木々が
しっかりと根を張ることで、

大地自体が
「風化」「浸食」から
守られるのです。


私たちの
根元にある「祖国」という存在も、
同じではないでしょうか?


私たちが、
「祖国」という大地に蓄えられた
「文化」「伝統」
学び、吸収していくことで、

その「祖国」そのものの
「風化」や「浸食」を防ぐことができるのだ
と実感しています。


そして逆に、
そういった姿勢を欠いてしまっては、
先人達が守り受け継ぎ、育んできた、「祖国」は
やがて地滑りを起こして、消え去ってしまう
危機にさらされるのではないでしょうか?


また、そうして、

不安定になった大地からは
個々の新しい「芽」も
また育っていくことは難しい

のです。


大切なことは、

「祖国」とは
私たちの足元にあるもので、
(好むと好まざるとにかかわらず)

その上に
私たち一人一人の「生」は
成立しているということ。

そして、

その「祖国」を
しっかりとした土壌として
育み、次世代に受け継ぐためには

その「大地」に
しっかりと「根」を張る努力
重要だ

ということです。



とはいえ、

私自身はその点について、
「日本」に関しての状況を悲観してはいません。


なぜなら、
いま多くの同世代の友人が、
真の「歴史」を学び、
「伝統」を習得しようと試みているし、


また、
多くの日本人旅人が
世界旅を通じて「日本」とは何か?という
問いに真剣に向き合っているのを
知っているからです。


以上

2013-05-15

世界一周旅を終えて、今思うこと⑫ 「祖国」について

「祖国」とはなんでしょうか?


私は世界を旅していると、
多くの「祖国」に出逢いました。

それぞれの人に
それぞれの祖国との関わり方がありました。

一方で、
旅に出る前に聞いていた通り、

「多くの日本人が
『祖国』について良く知らない。」

という実感も改めてもつようになりました。


今回はその「祖国」について、

そして
それが何故私たちにとって「大切」なのか?

について書きます。


今から10年ほど前のある日、
私が大学に向かう途中のお寺の境内で
ふと、気がついたことがあります。


それは


「人間の生涯を
『桜の木』に例えると
大事なことがよくわかる」

ってこと。


どういうことか?


私たち
「人間」の生涯を
「桜の木」だとすれば、


まず私たちの「種」は「父」と「母」との「関係」にあります。


そして、
芽生えから次第に太く育っていく「幹」は、
幼児期から青年期までに出逢った
全ての人との「関係」そのものです。

そういった家族や友人、
先輩や師との絆が深く、

信頼関係に満ちているほど、
私たちの「幹」は太く、たくましく育っていきます。


そして
青年期を過ぎると、
それぞれが自らの好奇心や、
自然の成り行きによって「枝」を伸ばすことになります。

その「枝」は、
仕事であったり、趣味であったり、
社会生活の中で出逢う人々との「関係」で
構築されていきます。


それが、

長い年月を経ていくにつれて、
やがて「花」をつけます。

その「花」は
「仕事」や「家庭」や「趣味」を通しての
私たち自身の「創造物」です。


そして、
その創造物がやがて「実」となり、
新たな「種」となり、大地に返っていくのです。


そして、またその「種」が次の世代を担っていく、、、。
ね? こう考えると、しっくりきませんか?


さて、ここでまず大切なこと。

それは

しっかりと「根」を育てる

ということです。


なぜなら、
根がしっかりと
地中に育っていなければ
大きな「幹」も
それに支えられる「枝」も
大きく育つことができないからです。



では「根」とは何でしょうか?


「根」とは
「父」と「母」の「父」と「母」、その「父」と「母」、、、

つまり
私たちの「祖先」と
その「祖先」達の「創造物」、

つまり私達の足元にある
「伝統」や「文化」だと考えています。


ですので、
「根」を張るとは、

すなわち、

私たちの祖先が
築きあげてきた
「歴史」「伝統」「文化」を
学び、体得していくこと

にほかならないと思うのです。



そうすることで、
私たちは、ぶれない自分、
しっかりと大地に「根」を張った自分として、
出逢う人々との「関係」を
築いていくことができるのです。


逆に
それが弱く、未熟な「根」であれば、
大きな木として育つことはできませんし、
綺麗な花を咲かすこともできません。


風が吹いたり、大雨が降れば、
根こそぎ倒れてしまうかもしれないのです。

そういう意味で「根」を張る、

つまり
自分たちの足元にある
「歴史」や「伝統」「文化」
について学ぶことは重要だ

と強く感じるのです。



世界を旅していると、
たくさんの「誇らしい」人々に出逢いました。


バングラデシュでは、
小さな子供たちが国旗をもって走り回り、
祖父母の血で勝ち取った
「国」を誇りにしていました。

また、
ペルーで出逢った山岳ガイドのお兄さんは、
アンデスの峰々の美しさと、
そこに息づく人々の文化

誇らしげに語ってくれました。



ブラジルでは、
日経移民一世のおじいちゃんが、
四世にわたる自らの大家族とその絆を
とっても誇らしげに語っていました。



そういった経験を通して、


その自らの足元に対する
「誇らしい」という気持ちが、

世界に飛び出した時、
あるいは異文化に触れたとき、

私たちが

「ゆるぎない自分」
として立っているために
必要なのだ


と強く感じました。



さて、
少し別な角度から
「桜の木」の話しを続けましょう。

まず、
木である私たちは、自らの選択で
生まれる場所を選ぶことも、変えることもできません。

それは、
現代の「日本」という
恵まれた国に生まれるのも、

あるいは、
子供が道端に捨てられた
ゴミを食べなければいけないような国に生まれるのも、

私たちには選べないのと同じです。


繰り返しますが、

「種」は
自らの生まれおちる場所を
選ぶことはできません。


だから
生まれおちた土地が、
痩せこけていようが、
乾いていようが、

ただ、そこで懸命に
「日の光」を浴びて、
「大地」から養分を吸収して、
育つための努力をする
しかないのです。


また、
木である私たちは、自らの意志で、
他の木(他人)を変えることもできません。

私たちに一本一本の木にできるのはただ、
「自分自身」を「生きる」ことだけ

です。


どれだけ、
他人を眺めても、
羨ましがっても、

結局、
私たちは、
自分の「根」を伸ばし、
「日の光」を浴びるよう
懸命に努力することしか
できません。


これは同時に、

どれだけ
他人におだてられても、
貶されても、

私たちは、「他人」から、
自分の「根」を伸ばし、
「日の光」を浴びるための
努力について、本質的に
影響されないこと
を意味します。



つまり、

私たちが
自分が生まれおちた「環境」
「時代」のことに
どれだけ文句をつけても無駄ですし、


また

どれだけ「他人」のことを気にしても、
やはり無駄なのです。



私たちに出来ることは、

ただ
「根」をのばすこと。

つまり、
自らのルーツ(根)を知り、
感じ、愛する努力をすること。




そして、もうひとつ

「日の光」を
浴びるための
努力をすること

です。


では、その「日の光」とはなにか?

と長くなるので、
ここまでで一旦区切り次回に続けようと思います。

 

2013-05-13

世界一周旅を終えて、今思うこと⑪ 「恐怖」について

言葉も通じない、見知らぬ土地を旅することは
常に「恐怖」と向き合うことを意味します。

その経験から
私が学びとった「恐怖」についてまとめてみます。


まずはじめに、
「恐怖」とは「感情」の一つです

そしてそれは、

「怖い!」という感情とともに生じる
とても強烈なエネルギーで

私達の「選択」や「行動」に
ブレーキをかけようとします。

ですが、
車にもブレーキが必要なように、

「恐怖」もまた感じてはいけないものではない

と思います。

むしろ、必要なものだと思います。

それは私達が生きているからこそ、
変り続けているからこそ、生じるものです。

ですので、
私達が生きている限り、
それを完全にゼロにすることは出来ない

んだろうなと感じています。




さて、それを踏まえて
私は

「恐怖」には二種類ある
と感じるようになりました。

一つは「未知」への恐怖です。

そして
もうひとつは「既知」への恐怖です。

どちらも「恐怖」なのでブレーキとして作用しますが、
そのエネルギーの源は異なります。



まず「未知」への恐怖は、
未来に捉われることで生じる感情です。

言い換えればそれは、
「不確かなもの」への怖れです。


自分の知らないもの、
理解していないもの、

それと「関係」することで、
これまで肉体的・精神的・社会的に蓄積してきた「自分」を
「否定」され、失うことへの怖れでもあります。

これに関して、
もっとも偉大な例は「死」への恐怖だと思います。

そして、
旅は常に
「未知への恐怖」と共にあります。

いままで訪れたことのない場所、会ったことのない人、

それらとの出逢いで
何が起こるのか、
全く予想がつきません。

しかし、
だからこそ面白い!!



つまり、
「未知への怖れ」はそれを克服したときには、

その恐怖の量に
比例するだけの「ワクワク」や
「ドキドキ」を伴なっている

ということです。


(余談ですが、
 「観光」と「旅」の違いはここにあると思います。
 
 既に解かっているものを
 「体験」しようと試みることが「観光」ならば、
 解かっていないものを「体験」することが「旅」です。)



一方で、
「既知」への恐怖はやっかいでした。


私はそれを
コロンビアの強盗事件以降
体験することになりました。

例えば、
あの事件以降、
南米のどの町にいっても、

「あの角の向こうで「また」襲われるかもしれない。」

という「恐怖」がおそってブレーキがかかるのです。


それは明らかに「未知への怖れ」とは異なるものでした、

たとえそれを乗り越えたところで
「ドキドキ」や「ワクワク」は生じませんでした。


やがて、
よく自分の内を観察してみると、

「既知」への怖れは、

過去に捉われることで起こっている
のだと気付きました。
  

それは自分の「経験」から生じる「怖れ」です。

私は

自分が過去に抱えた
「痛み」や「失敗」を
二度と味わいたくない

と感じていたのです。



言い換えればそれは、
過去の「自分」を
受け入れることへの「怖れ」でした。




さて、先に述べたように、
私達が生きている限りは
「恐怖」を感じないようにしたり、
ゼロにすることは出来ないと思います。


では、
どうやってそれらをと向き合い、
乗り越えていくのか?


まず、
「未知」への恐怖を乗り越えるために
有効なのは「創造への欲求」だけだと実感しています。
  
それは「作品」であれ「体験」であれ「関係」であれ、
私達が自らの「生」で「創造」したいと思うなにか、
に向かう純粋なエネルギーです。


「創造への欲求」があってはじめて

「不確かな未来」に
向き合う意志と
それを乗り越えるエネルギーが
もたらされます。


ちなみに私にとって、

それは
「日本の素晴らしさを実感したい!」
「世界中に友達を創れることを証明したい!」
「世界の温泉についての本を書きたい!」

などの想いだったのです。

きっと、
そういった想い=「創造への欲求」が無ければ、
私はコロンビアから帰国していたに違いありません。


そして、これに関して

大切なことは

「創造」は常に
「今」この瞬間に起こるもの

だということ。

何かを「創る」というのは
常に「今」の「選択」と「行動」の積み重ね
の先にしかありません。

なので、

「創造への欲求」は常に、
私達が「いま」「ここ」に居て
はじめて実現できる

のです。

  
  
  
さて、一方
「既知」への恐怖を乗り越えるには
何が必要だと思いますか?


その問いに対する
私の答えは、「感謝」の心です。

なぜなら、

「感謝」とは
過去の「自分」を受け入れることで
始めてもたらされるもの

だと思うからです。


以前にも書いたように
私にとって

「自分」とは過去の「『関係』の総和」です。

だから、

「自分」を受け入れるということは、

過去の『関係』そのもの
あるいはそこから与えられた
全ての経験を受け入れること

にほかならないのです。
 


平たくいえば、
自分の人生を「全肯定」すること。
 
  

「人生いろいろあったけど、
 いま幸せです!ありがとう!」

って思えるかどうかってことです。

だから「感謝」は「幸せ」を感じる力でもあります。


そして、

大切なことは

「感謝」は常に私達自身を
「今」「ここ」に立たせてくれる

ということです。
 


なぜなら、

「感謝」する瞬間

私達は
全ての過去の総体である、
「『いま』『この瞬間』の『自分』という存在」

を感じるているからです。


そして

もっとも大切なことは、

私達は

「感謝」することで
「既知の恐怖」を乗り越え

「自分」を
「今」「ここ」に立たせることができる。

また、
そうすることで初めて

「創造」を行う準備が整い、
「未知の恐怖」に
向き合うことができる

ということです。


いま、振り返ってみると、
コロンビアで強盗に遭わなければ
私がこういった学びを得ることもなかったと思います。

あの経験も含めて、
旅で出逢ったみなさんとの御縁のおかげで
今の「自分」があるのだと感謝しています。


以上




 

2013-05-11

世界一周旅を終えて、今思うこと⑩ 「豊かさ」について

世界を旅していて
考えさせられたことの一つに

「豊かさ」とは何か?

という問いがありました。

みなさんは「豊かさ」って
何だと思いますか?


もちろん最低限
身につける衣服があって、ご飯が食べられて、
住む場所があるに越したことはないと思います。

しかし、そこから先の細かなことは
国や地域、文化によって異なることを
実感してきました。

同時に
何が「豊かでない」のかも人によって異なります。

そして、
結論から言えば、私は今

「豊かさ」とはそれぞれの
「心のあり方」そのものである

と感じています。



私は、今回の旅で
バングラデシュをはじめミャンマー、
ネパール、エチオピア、ウガンダなどの
国連的には「世界最貧国」と呼ばれる国々
をいくつも訪れました。


そして、
そこでたくさんの「豊かな」人々に
出逢ったのです。


たしかに、
そういった国々では、
道端で赤ん坊を抱えながら物乞いをしている母親や
やせ細った子供達が食べるためにゴミを拾い集めていたりします。

家すら無い人も大勢います。

たとえそこまで極限の状態ではなくても、
一般の多くの家庭に冷蔵庫も洗濯機も時には
テレビさえないこともしばしばです。

ですから、
経済的・物質的には
私たちと比べると

確かに「貧しい」と言えるでしょう。


しかし、
それでもなお、
私はそういった国々で
たくさんの「豊かな」人々に触れてきました。


例えば、
バングラデッシュの結婚式。
人々は私にお腹いっぱいになるまで
食事をふるまってくれ、

「美味しいだろ!?だったらもっと食べなさい(笑)!」

と言ってすすめてくれました。


また、
ミャンマーで仲良くなった姉妹は

ある時
「このペットボトルを通して太陽を見ると仏さまが見えるよ」

と言って、
キャッキャッとはしゃいぎながら、
私に見せてくれました。

そして、
ウガンダで泊めて頂いたご家族には、
自分たちが普段、豆しか食べていないにも関わらず、
私に飼っていた鶏をわざわざ絞めてから、
夕食に出してくれました。


何が言いたいかというと、
お金がないから、
あるいは物がないからと言って、
それと
彼らの心が「貧しい」かどうかとは
必ずしも直結していない

ということです。


お金がなくても、
マクドナルドに行けなくても、
テレビがなくても、


それでも彼らは

家族と過ごす時間を
大切にしていたし、

困っている人を助ける
優しさも持っていました。


私の眼には、
彼らのそんな「心の豊かさ」が強く焼き付いています。





さて、

とはいえ、
実際にたくさんの人々が飢餓状態で、
必要な医療も受けられず、明日の命もしれない状態にいる。


それは事実です。


その現状に対して、
経済的・物質的な「富」に恵まれている私たち
先進諸国の人々がなんらかの形で取り組むことは
必要不可欠だと思います。

しかし、その際に気をつけなければ
いけないことがあると感じています。

それは
「援助」の実態について知る
ということです。


私は、
今回の旅の中で、
多くの先進国のNGOや政府系組織、
そして社会起業家が「貧困国」で
活動している現場を観察してきました。


そこで、気づかされたのですが、

「現場」に深く入り込んでいる人ほど、
「援助」という言葉を使わない 

のです。


何故か?


それは、
「援助」という言葉は

そもそも自分が
「援助を施す相手よりも『幸せ』である」

という前提を
持っていないと使えない概念

だからです。

私は
そのこと自体については
良いとも悪いとも思いません。


しかし、
その考え方はときに
「価値観の強要」を伴う可能性があるのです。


以下は、
ベトナムで聞いた話。
ベトナムの孤児院に出資していた
フランスのNPOのスタッフがあるとき、
視察に来て驚いたそうです。

なぜなら、
孤児院には子供の人数分だけの
ベットが用意されていなかったから。

ほとんどの子供は床で寝ていたのです。
院長は「必要無いから」と説明したが、
フランス人にとっては
「ベットで眠る」は刑務所の中でも守られる基本的人権の
ようなもので、それが実施されていないことを知ると、
怒りだしたそうです。

そして
「資金を贈るから、すぐにベッドを人数分用意しろ!」
と院長に「命令」しました。

後日ベッドが届きました。

全ての子供たちが眠りについた其の夜、
院長が部屋に様子を見に行くと、
ほとんどの子供が床で眠っていたそうです。

なぜならベトナムの夏の気候が暑すぎて
床で寝た方が涼しかったから。

という話。


これは笑い話ですみますが、
実際はあらゆる「援助」の現場で
これよりも深刻な「価値観の強要」が
行われていたとしたら、
笑えないのは想像できるでしょう?

とにかく問題は、

自分たちは
「豊か」で「正しい」と思い込むこみ、
相手との「違い」を
「理解」しようとしない態度

だと感じています。


だから、逆に
現地で長い間活動を続けている社会起業家など、

助けを必要としている人々のそばに
いつも寄り添っている皆さんは
「援助」という言葉をめったに使わない

のです。


なぜなら、
彼らにとって、
助けを必要としている人々は
友人であり、家族であるから。


私たちは、
親しい友人や兄弟を助ける時に
「援助」なんて言葉は使わないでしょう?



もちろん、
「援助」そのものを非難するつもりはありません。

この世界には
あまりに大勢の助けを必要としている人が居て、
その人たちを「援助」する人も大勢必要だと
実感しているからです。


大切なことは
私たちが「援助」を行うとき、

多少なりとも

「自分の方が相手よりも『豊か』だ」

考えているんだなぁってこと
自覚すること。

と同時に、

私たちが「援助」を行う
「貧しい」国の人々が持つ、
素晴らしい文化や価値観は何なのか?

彼らから
「学ぶべきこと」は何か?

をしっかりと自らに問うていくことだと

感じています。




繰り返しになりますが、


私は「世界最貧国」
多くの心「豊かな」人々に出逢いました。


家族を大切にする人々、

困っている人手助けする人々、


そう、確かに彼らは「豊か」でした、
そしてその笑顔は「幸せ」そうでもありました。

少なくとも、

平日のJR中央線の満員電車に乗っている人々よりは

何倍も。

それが、ちょっと悔しかったり、、、



そして、
そのことから、やはり

私は今

「豊かさ」とは

「持っているもの
=【have what】の比較」
から見いだすものではなく、

「心のあり方=【be what】」
そのものなのだ


と実感しているのです。



以上






 

2013-05-09

世界一周旅を終えて、今思うこと⑧ 「生と死」について

世界を旅する中で、
明日の命すら不確かな人の姿を
目の当たりにすることがあります。

そういった経験をすると、どうしても



私達の「生」きている意味とは何か?
という問いがもたげてきます。
 
と同時に当然の如く、では

「死」とは何か?

という問いについても考えることになります。

 
そこで、今回は旅を通じて

「生と死」について

考えたことと感じたことを
まとめてみます。
 
 


まず結論から言えば、私は
 
「死」とは「変化しない」こと
 
と思うようになりました。

 
「死」んでしまった「生命」は
それ以上変化をすることはありません。
 
よくある病院の脈拍計をイメージすると
分かりやすいと思いますが、
「生」の状態をグラフに表せば上下に波打ちながら
時間軸に沿って進む線が描けます。
 
一方「死」の状態は横一線です。
 
そういう意味で
「死」は本質的に変化をしなくなること。
「生」は変化をすることだなぁと感じました。
 
例えば、
「老いる」という変化でさえ、
生きているからこそ起こるわけです。
 
「死」はそれ以上の変化を許しません。
 
また、
仮に私達が
既に「死」んでしまった何かが
変化しているように感じられる場合、
 
実際にはそれは
「生」きているこちら側の考え方や心が
変化しているからだと思います。
 
 
さて、ご存じのとおり
「変化」することには
常に相応のエネルギーが必要とされます。
 
例えば、
私達が自分の体重を変化させようとすれば、
その変化の幅は摂取するカロリー量に大きく影響されます。
 
あるいは
私達が自分の肉体の位置を
移動(変化)させようとすれば、
東京から横浜まで行くのと、
東京からアメリカまで行くのでは
それぞれ相応の物質的エネルギーが必要となります。
 
つまり
大きな変化のためには、
より大きなエネルギーが必要です。
 
そして
「生きている」ということは「変化している」
ということならば、
 
私達は意識する、しないに関わらず
常に「変化」しています。
 
 
大切なことは
私達は
自分自身の「変化」を
コントロールできる立場にいる
ということです。
 
例えば、それは
周囲の環境の変化に適応するためだったり
あるいは、理想の自分に近づくためだったりします。
 
そして、
もし私達が意識的に「変化」しようとするならば、
物質的なエネルギーとは同時に、
相応の精神的なエネルギーが必要になってきます。
 
 
どうしてそう思うようになったのか?
 
私は世界を旅する中たくさんの「生」
観察してきて、そのことを実感させられました。
 
なぜなら、
路上で物乞いをしながら生活する「生」も
社会起業家として活躍する「生」も
 
たしかに同じ「生」=「変化」ですが、
そこに含まれる
 
「精神的エネルギー」
「意志」のエネルギーの量
には歴然とした差があったからです。
 
 
環境に身を任せて起きる
受け身の「変化」は
「意志」のエネルギーを
ほとんど必要としません。
 
しかし、
自ら「変化」を生み出そうとする人は
強い「意志」の力に満ちているのです。
 
そして、それによって、
 
自分自身を「変化」させて、
かつ自分の周囲の環境を「変化」させ、
結果として
「世界」を「変え」ようとしているのです。
 
 
 
 
 
 
正直なところ「変わる」ということは
面倒くさいし、恐ろしいことでもあります。
 
なるべくならば、「変わりたくない」
それが私達の本音かもしれません。

 

実際、そういう願望を強く持っているとき

ヒトは大量の「情報」にまみれることで

安心感を得ようとします。

 
なぜなら、
 
「情報」とは、
それ自体は「変化しない」ものだから
 
私自身、旅の中で
たまにあまりにも連続する変化に
疲れきってしまうことがあり、
そういう時はインターネットを通じて、
YAHOOニュースを見たり、
YOUTUBEの動画を見たりと、
大量の安定した「情報」に接することで、
ボーっとするというような時間をとっていました。
 
しかし、
生きながらにして「死」ぬことを
求めても、それは両立し得ないものでしょう?
 
それに
真に「変わらない」ことを選ぶということは
「死」を意味してしまいます。
 
どちらにしろ、
 
私達がどう考えたところで
「生」きている限り、
 
時代や社会と呼ばれるような
周囲の環境も
なにより自分の肉体自身が
どんどん「変化」していく
のです。
 
 
私はコロンビアでピストル強盗に襲われた経験から
気づかされたことがあります。
 
それは
 
 
「『死ななくてラッキー!』
だったんじゃなくて、
『生』きていることが
ラッキーだったんだ!」
 
ってこと。
 
私達の生きるこの世界を
時空間を広げて、感じてみてください。
 
すると、この世界は圧倒的に「死」で
構築されていることに気づきませんか?
 
「過去」の全ては「変化」しません。
 
その「過去」という
膨大な「死」の山の頂きの先っちょに
私達の今この瞬間の「生」が、
 
ちょこん。
 
とのっかているだけなのです。
 
 
なんて不安定で、
 
なんてちっぽけなんでしょう。
 
 
 
けど、
 
だからこそ希少で、
だからこそ輝いている。
 
 
ならば、
その「生」=「変化」を受け身に眺めるのは
もったいないとは思いませんか?
むしろ、
この与えられた貴重な「生」を
真に自分自身の望む状態に近づけるよう、
挑んでみても良いなぁ、と私は感じています。
 
 
以上
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013-05-07

世界一周旅を終えて、今思うこと⑦ 「選択(意志決定)」について

私達の毎日は、
「選択」によって創られています。

私は旅に出る前、日本に居て、
日々のルーティーンに陥っていたので、
そのことを意識はしませんでした。


しかし、旅に出ると
毎日が「選択」の連続でした。

次にどの国に行くか?

いつ出発するのか?

バスで向かうのか、徒歩なのか、ヒッチハイクなのか?

どの宿に泊まるのか?

宿は予約するのか、しないのか?

何を食べるのか?誰と食べるのか?

どの人に道を訪ねるか?

といった風に、あらゆることを
意識的に「選択」しなければ、何も始まりませんでした。

そして、
面白いことに旅ではそういった
自分の「選択」の「結果」が
すぐに、ダイレクトに現れるのです

一日訪れるのが早かったばかりに、
雨でせっかくの登山が台無しになったり。

高いお金を払って乗ったバスが故障して、
結局丸一日到着がおくれたり、

と、まぁ、
とにかく「選択」の結果が容赦なく襲いかかってきました。


旅の前半は、
悪いことが重なると、うんざりして、
そうなると居心地の良い安宿を見つけたら
そこで、外にも出歩かず、ボーっとしたりもしてました。

「選択」することに疲れてしまうのです。


そうは言っても、
バンコクやデリーなどといった「都市」に
居る時は、まだ良いのです。

なぜなら、
「都市」は「予定調和」で成立しているので、
「選択」の結果が、予想とそんなに大きくズれることは少ないのです。

一方で、
アジア、アフリカ、南米の田舎などでは、
次の町に行くバスが、いつ出るかも分からない。
本当に出るのかもわからない。

出たとしても、それが聞いていた予定通り
到着することは、まぁ、ほとんど無いわけです。

なので、
「田舎」では「選択」の結果が予測しづく、
その分、特に疲れがたまっていきました。


しかし、
旅も後半に入ると、
自らの「選択」に対しての考え方が変わってきました。

それは
自分の「選択」の結果を、
点としてではなく、
線として捉えていくことで
みえてきたのです。

ある「選択」が、悪い結果に結び付くとします。

例えば、エチオピアで山奥の秘湯に向かうため、
近隣の村で車をチャーターした時のこと。
 
 
 

温泉に向かう途中で、ドライバーとその仲間の男たちに、
あやうく襲われそうになったことがあります。

その直後には、
当然自分の「選択」を後悔していました。

そして、その出来事のせいで、予定は全て狂い
私は仕方なく、翌日別の温泉を訪れることにしました。

ところが、
その温泉でエチオピアの親友とも呼べる人と
出逢うことができたのです。

その時に、

「あの事件がなければ、この人達には会っていなかったんだなぁ」

ということを強く感じました。


それからというもの、
落ち着いて観察していると

直後には
「悪い」結果にしか繋がらない「選択」も、
そのさらに後ろでは
「良い」結果に繋がっている

ことに気がついたのです。


正確にいえば、
自分が「良い」状態になったときに振り返れば、
それ以前の出来事は全て「正しい選択」だったと言えるのです。
たぶん、その逆もしかりです。

大切なことは、
自分の「選択」は全て

「自分自身にとっての
最良の結果へと繋がっている」

と信じることだと感じています。


そういう感覚を持ち始めてからは、
私自身は「選択」をすることが早くなりました

自分が選んだことは、全て正しい
と理屈でなく思えるようになったからです。

その結果、
私は旅を通して本当に多くの
素敵な友人と出逢うことができました。
感謝。

さらに、
そうやって考え出すと
もうひとつ大事なことを学びました。

それは、
自分以外の
「他人がしている『選択』も全て正しい」
というふうに感じられるようになったことです。

そう思えるようになると、
他人の今ある状態を受け入れられるように
なってきたのです。

このことは、
私にとって大きな学びだったと思います。


繰り返しになります。

私達の「選択」は常に正しい。

そう感覚的に
信じることができるようになると、

「選択」が楽しんで出来るようになります。

と同時に

他人を受け入れられるようにもなる
と実感しています。


そして、
このことを
もうひとつ深いレベルで感じてみると、

あの名作「バガボンド」の中で沢庵和尚が言う

「これから先も天によって
完璧に決まっていて、
それが故に完全に自由だ。」


というセリフの意味が、腑に落ちたのでした。

以上


次は「死」について






 

2013-05-06

世界一周旅を終えて、今思うこと⑥ 「日本」について

私は旅立つ前に、
いくつかテーマを立てていました。

そのうちの一つが、

「30年後の日本が
世界から憧れられる国になるためには何が必要か?」

そして、
「それを担うため私達日本人は何をすべきか?」
というものでした。

そこで、今回はそういった観点から
私が旅を通して考えた「日本」についてご紹介します。


結論から言えば、
私は旅を経験して、
「日本」という国には三つの側面があると思うようになりました。

一つは「言葉」としての日本です。

それは例えば法や社会制度、歴史などをはじめとする
「情報」の集積として、知識としての日本です。
国籍などは、こういったものを土台に決まります。

二つ目は「風土」としての日本です。

山や森や海といった豊かな自然、景観など
人間が創る前からあったものたち
「花鳥風月」と呼ばれる「肉体」的、「感覚」的な日本です。
それは住んでいる人々や訪れた人々が五感を通じて感じるものです。

三つめは「魂」としての日本です。

それは例えば、神道といった信仰や剣道、茶道などの武道、
あるいは能などの伝統芸能といったものです。
古来、自然と向き合うなかで人々が生み出し、それを繋ぎ、
洗練し続けてきた知恵の結晶でもあります。
「芸術」的なものとも言えるでしょう。

以上の三つの側面があることを
しっかりと意識しなければ、
「日本」のこれからを描くのは難しいと実感しています。

なぜでしょうか?

 

通常、「日本人」という言葉は
どういった人々を指すのでしょうか?

日本国籍を取得しているもの?

両親が日本人であるもの?

日本にずっと住み続けているもの?
それとも、その全てに当てはまる人のみ?

あなたはどう思いますか?

考え方は人それぞれだと思います。
私自身も考えれば考えるほど、良くわからなくなっていきました。


きっかけとなったのは、
ベトナムでのある出逢いでした。

私はそこでベトナム人ながら日本文化に精通した
チャウ君という若者に出逢ったのです。
そして、ある日彼に茶会に誘われたのでした。

チャウ君は、数年前からベトナムで茶道の教室に通っていました。
そのおかげか、当日の彼から受けたもてなしは
素晴らしいものでした。

美しい立ち居振る舞いはもちろん、
彼の手で創った和菓子の美味しさ。

驚かされると同時に、
私自身がそういったものを十分に習得していないことを
少し恥ずかしいなと思いました。

チャウ君は、
日本人であるはずの
私以上に日本人らしい習慣を
身につけていたのです


この経験から、私は
「『日本人』には
産まれつくものではなく、
『なっていく』もの」

なんだなぁ、と気づかさせられました。

たとえ日本国籍を持っていても、
たとえ両親が日本人でも、
たとえずっと日本に住んでいても、

それだけでは真の意味の「日本人」にはなれないのだ

と思うようになりました。


大切なことは、
日本の風土の美しさを感じること。
 
そして、
そこから生み出された
先人たちの教え《魂》を学び、
受け継ぎ「身につける」こと
だったのです。

こうやって言葉にすると、
「じゃあ、みんな習い事でもしなきゃいけないの?」
と捉えられるかもしれません。

しかし、私は必ずしもそうでは無いとおもいます。

具体的に言えば、

日本人としての《魂》は各家庭での躾(しつけ)に

今もしっかりと宿っているような気がします。


食事の前に手を合わせて言う
「いただきます」の一言。

その美しい所作一つとっても、
この地球上では
決して当たり前なんかではありません。

『修身教授録』で知られる森信三先生が
《 しつけの三原則 》として

1  朝のあいさつをする子に。

2 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。

3 席を立ったら必ずイスを入れ、
ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。

という学びを残していらっしゃいます。

それらを主として、
私達は今一度、
祖父母や両親から伝えられてきた
「あたりまえ」の教えたちをもう一度
しかりと見つめなおし、受け取り、そして伝えていく。

そうすることで、
私達がまた、真の「日本人」となっていき、
そのことが「30年後の「日本」を世界から憧れられる国」に
近づけていく道なのだと実感しております。


以上


次は「意志決定」について

 

2013-05-05

世界一周旅を終えて、今思うこと⑤ 「歴史」について

 

「歴史」とはなんでしょうか?


世界を旅していると、
常に、訪れた国の「歴史」や私達の国日本の「歴史」について
見聞きしたり、考えさせられたりします。

さて、
二年間の世界旅を通して、私が実感したことは
「私達が知っている『歴史』が必ずしも『真実』とは限らない」
ということです。

心に残っている出来事をひとつ紹介しましょう。

イランという国を訪れていたとき、
私は首都テヘランの平和博物館を偶然訪れました。

その展示内容の前半部分は
イラン・イラク戦争時の化学兵器使用に関するものでした。
しかし、後半は、なんと日本に落とされた原爆についてだったのです。

展示の中には、
広島の原爆投下前後のエピソードをドラマ化した映像が流れていました。
すると、となりで一緒に映像をみていた見知らぬイラン人のおじさまが

「君たちの国はとても大変な目にあったね。」

涙を流しながら話しかけてきたのです。
私はすっかり感動してしまい、おじさまと堅く握手を交わしました。

私達多くの日本人にとって、おそらくイランとは
「核開発を進め、テロリストを育成する危険な国」といった
イメージではないでしょうか?

私自身も、訪れる前は、おおかれ少なかれ、
そういった面があるのだろうとイメージしていました。

しかし、実際は親切で心やさしい人々にしか会いませんでした。

加えて、
多くのイラン人が日本の「原爆」に関する歴史について良く知っていたのです。


恐ろしい!と私は感じました。

なぜなら、このことは自らイランを訪れなければ、
生涯知ることがなかったかもしれない、と思うからです。



さて、
私達は、様々な方法で「歴史」を学びます。
もっとも一般的な方法は「学校教育」でしょう。
教科書を通じて、先生から教えてもらう日本史や世界史がそれです。

「歴史」には、膨大な情報があります。

そして、それらは各分野の研究者や先生方が、
生涯をかけて解き明かしてきた情報の集積です。

当然、真摯に向き合い、学ぶべきものだと思います。
しかし、そのことと「真実」であるかどうか?とはやや話の次元が違います。


ご承知だとは思いますが、
「歴史」とは常に「勝者」の記録でもあります。

大抵の場合
勝者は生き残り、敗者は死にます。
死なずとも一切の力を奪われることになります。

ですので「勝者」は、
それまでの記録の集積を自由に扱うことができます。

自己を正当化するために、あるいは美化するために
都合の良い「情報」だけを残し、都合の悪い「情報」を消しさるのです。

もちろん、
全ての「情報」を操作しているわけでもないでしょうし、できるわけもありません。

しかし、
こと「国家間の関係」に関する情報は、「操作」あるいは「編集」されている
と考えた方がいいように思います。


つまるところ
「歴史」とは、イコール「勝者」の残した「情報」の集積。
だとも言えるのではないでしょうか?


さて、
私は旅の中、各国で現地の大学生など同世代の若者に対し、
「日本」についてのイメージなどを問いかけて来ました。

その経験から気づいたのですが、
多くの人々にとって「日本」とは常に「歴史」そのものである、ということです。

どういうことかと言うと例えば、
生涯で一度も日本を訪れたことのないアメリカ人にとって「日本」という国は、
あくまで「情報」でしかないということえす。

彼らにとって「日本」は良く知っているものではあっても、
「体験」したものではないので、
当然「感覚」や「感性」をともなったものではありません。

そして、彼らが知っている「日本」は、
「勝者」の残した「情報」の集積だったのです

この場合の「勝者」とは誰のことであったかは、とりあえずおいておきます。

私は、そのこと自体を批判するつもりは一切ありません。

どこの国の人であれ「歴史」を学ぶ以上、
そういった環境下にいるのは当然だと思います。

まず、
大切なことは「歴史」とは、
多分に「勝者」によって影響されているものである

といったことを意識して向き合うことだと思います。

いや、これは何も

「歴史」に限ったことではないでしょう。


私達が日常与えられる「情報」の多くも
誰かに意図的に「編集」されているかもしれません。

前述したイランに関する日本での報道などを見ている私は、そう感じずには居られません。


「情報」は常に「勝者」「権力者」に操作されている、かもしれないと思って
向き合ってみることがとても大切だと感じています。

(ですから、私のこのブログ記事も鵜呑みにしちゃ駄目です。
確かめたいなら貴方自身の目で確かめることをオススメします。)
 

そして、
もうひとつ大切なことは
「情報」には「感覚」や「感性」は伴なっていない。
ということを自覚しておくこと

だと思います。

例えばある国に対しての「情報」は
その国を訪れたことが無くても手に入れられます。
知ることができます。

しかし、
肉体を実際に運んで、その国に立って、食べて、触って、嗅いでみなければ
「感じる」ことはできません。

以前「『言葉』について」で申し上げたとおり、

「感じる」ことがなければ、「区別する」ことはできても、

「受け入れ」たり、「溶け合う」ことはできません。


それでは、おそらく、
「真実」にたどり着くことはできないでしょう?


ですので、
「情報」に向き合う際には、
その「言葉」に捉えられず「心」で感じてみることが大切だと思います。

あらゆるレッテルに縛られず、私達の人間性に従って。


ついでに私が思うには
古来、私達日本人はそれが得意だったのではないでしょうか?

そして、その日本人の特性、

「区別する」のではなく、「受け入れ、溶け合う」特性を発揮することが、

いま世界中から求められているのです。



次回は「日本」について

以上





 

2013-05-02

世界一周旅を終えて、今思うこと④ 「芸術」について

今回は③「言葉」についての延長戦。

「芸術」について

 
 
まずは前回シェアした内容の一部をおさらいしましょう。
 
私の得た知恵を簡潔にまとめてみますと、こんな感じです。
 
 

①「世界」には「左脳」と「右脳」の世界がある。

 

②「左脳」の世界は「言葉」によって成立する世界、「区別する」世界、二項対立の世界。

大ざっぱに言って「左脳」の世界には次のものが属すると思っています。

「思考」「優劣」「規範」「社会」「法律」「国家」「西洋哲学」「科学」「都市」「過去」「未来」など

 

③一方、「右脳」の世界は「感性」の世界、全てを受け入れ、溶け合う世界。

「肉体」「感性」「感覚」「農」「食」「東洋思想」「ヨガ」「瞑想」「現在」などが属していると言えるでしょう。

 
 
そして付け加えておくと①②③を踏まえて、ヨーロッパ世界とそれ以外の世界を旅して気づいたのですが、
「西洋哲学」あるいは「科学」は
「『神』とは何か?」「私達はどこからきてどこへ行くのか?」「宇宙とは何なのか?」
という根源的な問に対して「細部を見つめる」というアプローチを重視しているのです。
森羅万象の細部を見つめて、区別し、より細かくしていくことで、「この世界について知ろう」としているのです。
 
一方「東洋思想」は全く同じ
「『神』とは何か?」「私達はどこからきてどこへ行くのか?」「宇宙とは何なのか?」
という根源的な問に対して「大いなる存在を感じ、融合する」というアプローチ
重視しているのです。
森羅万象を感じ、受け入れ、自らの精神を森と、大地と、空と、地球と、宇宙と一体にすることで、
やはり「この世界について知ろう」としているのです。
 
つまり同じ問に対して、全く逆のアプローチで迫ろうとしていたのです。
 
 
さて、やや脱線したので、本題へ。
 
上記の知恵を得てから、
旅を続けていると、あるとき、両者の交差点にあるものの存在に気づくことができました。
 
それこそが「芸術」だったのです。
 
「芸術」とは「美しい」ものを「創りだす」行為とその対象のことだと思います。
 
では、「美しい」とは何なのか?
 
昔、日本の伝統芸能である「能」について学んでいたときに
 

「神が創った真に美しいもの」=「自然」は人間がどれだけ模倣しても創りだすことができない、

だから「能」という演劇は、可能な限り演出をそぎ落とし、その「美しい」を創りだす役目を

観客の「想像力」に委ねたのだ。

 
というレポートを書いたことがあります。

 

つまり、「美しい」とは「神が創ったもの」=「自然」そのものなのです。

そして、「芸術」はそれらを通して「美しい」を想像させる(感じさせる)ためのきっかけなのだと気づきました。
 
 
芸術家はまず、「右脳」で「美しい」何かを感じます
 
次にそれを表現したい!伝えたい!共感したい!という意志を持ち、
それを表現する方法(媒介)を「左脳」で「思考」します
 
「思考」し「設計(言語化)」したものを、実際に具現化(行動)していき、
音楽や絵画、彫刻、ダンスなどが現れます。
 
受け手は、その創りだされたものを「媒介として感じることで、
ときに芸術家が感じた「美しい」何か、そのものか、それに似たものを「感じる」のです。
 
 
つまり「芸術」とは
明確に「左脳」と「右脳」交差する創造行為なのです。

 

さて、一歩深めてみましょう。

「左脳」と「右脳」が交差する創造行為としては何も、
音楽や絵画、彫刻、ダンスといった、いわゆる「アート」でなくても良いのではないでしょうか?
 
それが、
工業製品であれ、サービスであれ、組織であれ、都市であれ、国家であれ、
もし創り手が「美しい」ものを生み出したいと意志して行動するのであれば、
あるいは、そういったことも可能だと思うのです。
 
その最たる例が、スティーブジョブズが創りだしたAPPLEの製品たちです。
 

そして、大切なのは

私達が知っているあらゆる「仕事」も、それが人間による「創造行為」である以上、

私達の意志次第で、「芸術」の域まで高めることができる、

「美しい」ものにしようとすれば、それが可能だということです。

 

そのためには、ただ漫然と「造る」のではなく、

自分の感性や感情、感動したことを大事にしてそれを込めて「創る」ことが重要なのでしょう。

 
つまり、恵まれた私達には、
人生を「アート」にするか、それとも単なる「記号」にするか。
自ら決めることが委ねられているのです。
 
 
 
最後にもひとつ!
当然ながら、本来「左脳」に属する「言葉」というものも、
「左脳」と「右脳」が交差する創造行為まで高めることができます
 
それが「詩」です。
 
そして、旅を終えた今、私が感じているのは
「日本語」という私達の固有言語は生来「詩的」な言語だなぁということです。
 
「区別するため」の「道具」としてだけではなく、
むしろ「感じるため」それを「表現し、伝えるため」の手段として優れたもののように感じるのです。
 
だから、欧米的世界観からたまに、日本人は曖昧で、はっきりしないなどと揶揄されることがありますが、
 

それも

私達日本人が「感じること」「受け入れること」「融合すること」を大切にして、

そのための「言葉」を使って「思考」しているから、当然のことのように思います。

そして、今はその事が、とても誇らしいのです!!

 
以上