「僕はね、やりたくないことはやんない(笑)」
「(一同笑)」
「だからね苦労は山ほどしてるって言えるけど、
それを苦労だと思わない。
僕は苦労ってのを仕事だと思っている。
問題があるから仕事があるって思っている。」
K.「なるほど」
Q、逆に嬉しいことって何ですか?
「やっぱりみんなの笑顔が見られること。
みんなが幸せに暮らしていること。
けど、一番嬉しいのはあれだよ、
僕が30年前にミュージアムで見た布、
其れを超えるような布をいま僕が作れていること。
これは嬉しいというか、もうゾクゾク!」
K.「鳥肌立っちゃう感じの?」
「うちの彼女たちが造った布を見て、
僕は自分で鳥肌立っちゃう(笑)」
K.「それは面白いな~。京都でご自身が職人として造られる時よりも
その喜びは大きいんですか?」
「いや、僕はいまでも自分の手で造っているよ。
ろうけつ染めをやってる。
それは僕の根っこにアーティストとしての気持ちがあるから、
年に何枚かは自分の手で造る。」
K.「なるほど。」
「それに、この間
おそらく現代の職人がみても、
どうやったかわかんない技術を
僕は見つけちゃった(笑)」
K.「新しい?」
「いや、これは昔の人がやっていた技法。
100年前まで草木染めは当たりまえのことだったんだよ
それ以降、化学染料が市場に出回って、
その時のテクニックがほとんど消えている。」
K.「なるほど」
「僕は30年やってきて
いろんな発見をしているんだけど、
今回は特Aクラスの発見をしちゃった。」
K.「面白いな~」
「例えば日本で室町時代の布を見て、
その復元の方法が解らないなんてことがあるんだけど、
僕はその手掛かりを見つけちゃった。
わかっちゃった(笑)」
K.「職人さんならではだね~☆」
K.「話は飛ぶんですが、
僕は学生時代に伝統工芸の職人さんのことを調べていて」
「何をやっている人?」
K.「漆塗りの職人さんや、舟箪笥の職人さんですね。
その方々が言うには、後を継ぐ人もいないし、
自分の代で終わりだっていうんですよね。」
「うん」
K.「その場合、ご自身がやめたら
技術なり、知恵なりってのはどうなるんですか?って聞いたら、
『これはもう残らない』っておっしゃるんですね。
例えば『書いて残すようなこともしない』と、
『書いたって意味が無い』とおっしゃるんです。」
「うん。そうそう」
K.「ですよね。職人の技術とか知恵って、まさしく経験的なもので」
「『手の記憶』さ。ウチもまったくそう。
うちはだからマニュアルがない。
マニュアルが無いのがマニュアル。」
K.「でしょうね。」
「僕らは自然を相手にしているでしょう。
自然っていうのは一定してないさ。
みんな、定量で一定のもんだって想定したがるんだけど、
それは違う。常に変化してる。」
K.「そうですね。」
「だからその変化している自然に対して、
対応していかなければいけない。それがマニュアルなんだよ。
だから、100グラム、一時間などでマニュアル化しても
なんの意味もない。」
K.「なるほど」
「それ以上の対応をしていかないと、
良いものは出来ない。そういう風に僕ら思うね。」
K.「特にそれは質を重視したらそうなりますよね。」
「尚の事そうなる。」
K.「日本のそういう技術っていうのは、、、」
「ただね
日本の伝統っていうけど、
同じよ。
伝統って言うのは守っちゃいけない。
僕はね、いま現役で最前線でやっている人達はね
『伝統を守る』って言わないと思う。
自分達は伝統を創っていく。って考えてる。
それをわかんない人達が守るって言う。」
K.「なるほど。」
「これはね、文科省が悪い。
守ろうとしてる。守ることに捉われると、
後ろ向きになっちゃう。
保存なんて意味が無いんだよ。
生きた伝統っていうね。
そこに立たない限り、伝統っていうのは持続しない。
守ろうとか考える時点でね
それは既にマイナスに考えている。」
K.「おっしゃる通りですね。
僕の祖父の話なんですけど、
山に囲まれた田舎で、ずっと田んぼを耕して、
暮らしていた人なんです。
その祖父が無くなって3年くらいたった時に
祖父の家の庭をなんとなく見て周ってたんです、
そしたら其処に根本と枝先が明らかに違う種類なのに
花を咲かしている一本の木を見つけたんです。」
「うん」
K.「それについて、ばあちゃんに『これなんなの?』って聞いたら
要はじいちゃんが生きてるときに趣味で、
種類の違う木同士を『接ぎ木』をして育ててたんだ。
っていうわけです。」
「うん」
K.「『接ぎ木』って言われても、僕らの世代からすれば
どうやってやるのか、さっぱり見当もつかないわけですよ。
違う木の途中から、違う木が生えているなんてのは。」
「あぁ、はい。」
K.「で、その時に思ったのは
伝統工芸の職人さんに限らず、
日本でずっと手で仕事をしてきた人達。
そういう人達って、ものすごい知恵を」
「持ってた。」
K.「持ってたんですよね。
例えば僕はおじいちゃんがもう死んじゃったから、
もう解らないんですよ。聞くこともできない」
「うん。」
K.「そう言う意味で、
伝統を守ることとはちょっと違って、
そういった知恵や技術が日本からどんどん消えていっているな~
ということへの感覚的な危機感?
そういったものがあるんですよ。」
「わかる。
実はうちのプロジェクトは
日本語では『伝統の森プロジェクト』って言ってるんだけど、
英語では『wisdoms of forest』つまり『森の知恵』さ。」
K.「おぉ、なるほど~」「素敵」
「それは何百年もの間自然の中で暮らしてきた人々の
知恵を取り戻す活動だよ。
これは日本も中国も同じさ。いま世界中で必要なの。
これからまさに必要なの。」
K.「まさにね。」
「世界が『量から質』に転換するためにはこれが必要なの。
そして、いま、日本でも以前にウチに来たことがある人達がそれを始めてるの。」
K.「あぁ、いるんですか?」
「30代くらいの女性でね。
僕が日本にいった時、会いに来てくれて。
『私も日本で森本さんのところみたいな
お金使わなくても良い生活がしたい』って
言うんだよね。」
K.「おぉ。」
「これは貨幣経済の本質をついてるんだよね。
おカネは紙でしかないというね。」
K.「そうですね。」
「その紙にみんなが振り回されてる。
そうじゃなくて、宝の宝庫としての自然を相手にして生きる
そのことを彼女はうちの村に来て感覚的に理解したんだね。」
K.「面白い」
「実は僕はね
中学生時代に日本の農本主義者の安藤昌益
が好きでね。彼のことに憧れていた時期があった。」
K.「不勉強で知りませんでした。
あんどうしょうえき、、、」
「たぶん今僕が言っていることはね、
丁度19世紀、産業革命の混乱期、あの時の様な世界の転換点
その新しい転換点に差し掛かってるんだなと感じてる。」
K.「なるほど」
「そういった流れのなかでテーマとなる農、自然と人間がどう付き合うか?
そういった事への考えを江戸時代の農本学者はもってた。」
K.「日本人って面白いなと思うのは
江戸時代までは自然との共生っていうのが
うまいことバランス取れてた。」
「うん。取れてたと思う。」
K.「ところが西洋化によって、
自然からある意味で離れて行った。
どちらかと言うと、コントロールしようとするようになりましたよね。」
「商業資本から産業資本の時代に入っていったってことだよね。」
K.「そうです。
ただ、日本人の精神的な根っこには
自然との共生ってどうしても捨てきれないんですよね。」
「そうだね。八百万の神々だからね。
それは自然との付き合い方だね。
だからヨーロッパの絶対神とは違う世界。
人間を優位に置いてではなくて、
自然と人間がシームレスに繋がっている関係。」
K.「その通りだと思います。
その感覚って、多分若い世代もまだ持ってるんですよね。」
「持ってる」
「話また飛ぶけど、日本人が良く『俺は無宗教だ』
っていうけどあれ嘘よ。」
K.「そうですね。」
「みんな知らない、というか自覚してない。
これは政治の問題よ。限定された人々の主張の結果、
日本人本来の姿が説明されていない。」
K.「そうですよね。」
「面白いのは、カンボジアも八百万の神なんだよね。
だから日本人がここに来ても、何か安らいで、リピータになる。
それは根っこの部分で似たものがこの国にあるからよ。」
K.「なるほど。そうなんだ!」
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K.「話はまた飛ぶんですけど、『環境経済学』という学問が
西欧でもてはやされ出したのは70年代位からじゃないですか。」
「そうそうそう。」
K.「でも、あれって日本人にとっては、、」
「当たり前のこと。だから
うちのヨーロッパで興味を持っている人達っていうのは、
そういった価値観の変化を起こしているなかで、
うちのやっていることを見て評価している。」
K.「面白い。けれど、森本さんには
ある程度確信があったと思うんですが?
そういう風に世の中が変わっていくだろうという確信が、、」
「そうそうそう。」
K.「それが現実になってきたんですね。」
「だから僕は筋を曲げないさ。
曲げる必要が無いって思ってるから。
途中で討ち死にしたら、まぁしょうがない(笑)」
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④(最終回)につづく
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