2011-09-20

「途上国支援という名の刃」 ベトナムから学ぶ⑦ 日本考~100年先を見据えて、30年後を創る~

私たちは世界一周旅で訪れる国々で、
カウチサーフィンhttp://www.couchsurfing.org/を利用して
必ず現地の一般家庭に泊めてもらうようにしている。

そして、ここホーチミンでもたくさんの御縁をいただいているが、
先日の出来事ほど心を揺さぶられることは無かった。

ある日
「泊めてはあげられないけど、ディナーだけでも」と
とあるベトナム人の家族が私たちを自宅でのディナーに招いてくれた。

ベトナム人のビンさん(46歳)とアメリカ人の奥さん、
そして二人の子どもたちの明るい四人家族だ。

特にビンさんはユーモア溢れる方で、
子どもたちや、私たちの、緊張をほぐそうと
温かく接してくれた。

「良いお父さんだな~」
とすぐに打ち解けることができた。


その後、美味しい食事をご馳走になりながら、
お互いに日本の文化や、ベトナムの文化についてなど
和やかに様々な話をしていた。


ところが、私がふとしたきっかけで、

「国際NGOによるベトナムへの支援」

について質問をした瞬間、、
急にビンさんの表情が変わったのだ。

不機嫌になった。

どころではなく、
眼を見開き、声を荒げて、怒りに打ち震え出した。




ビンさんは

「What is NGO !?」

という一言を皮切りに
奥さんの制止も振り切って激しい口調で私たちに訴えた。

その内容は主にこうだ。

「私は『NGOでベトナムに支援をするために来ている』という連中にいつもこう聞くんだ。
『おまえは自分の金でここまで来たのか?』ってね。

彼らがこの国に来るために使う飛行機代で、
一体何人の貧しい人達がご飯を食べられると思う?



本当に誰かを救いたいなら、自分の金でやればいい!




自分の食事やホテル、飛行機代も用意できないのに
どうして他人を助けようとするんだ!


そんなお金があるなら、5000ドンでも良い。
貧しい人々にお金を渡してあげるべきだ。

大切なことは今日!いま!お腹を空かせて死にそうな人達に
何か食べさせてやることだろう!」


上記のビンさんの意見自体にはもちろん様々な反論も成立しうる。
しかし、少しだけビンさんの心に寄り添って想像して欲しい。

ビンさんは、ベトナムの貧困の体験していて、それは理屈では無いのだ。


しばらくして落ち着きを取り戻したビンさんは

「私が過去に「貧困」や「戦争」という体験をしているからこそ、
人一倍この話題には神経質になるんだ。すまないね。」

と語り、その後はまた良きパパに戻った。


この出来事は
私にとても大きなショックを与えた。

なぜなら、私自身が本当の意味で
途上国の人々の気持ちに寄り添っていなかったことに気がついたからだ。

私自身旅の中で、
肥大化した非営利団体や
政府主導の国際支援事業が行う「途上国支援」に
たくさんの「無駄」や「悪習慣」があることを見聞きする。

しかし、それらを知っても、
「全くしょうがないな。」とか
「税金の無駄遣いやな。」くらいのことしか思わなかった。

それらの問題が私の中に激しい怒りをもたらすことは無かったのだ。


しかし、ビンさんは違う。


彼にとってベトナムで支援を受ける人々は家族であり、友人である。

彼らにとって効果的な支援を受ける事は
「生きること」そのものに直結することであり、
決して「道楽」や「選択肢の一つ」などでは無いのだ。


だからこそ、ビンさんは怒る。、
非効率な自分達を許してしまえる支援事業に対して。

国際ボランティアという名を語り故郷ベトナムの地を荒らしていく
無責任な輩に対して。


話は変わるが、「途上国支援」を敢えて通常のビジネスに当てはめれば
「支援」という「サービス」を受ける人々は「顧客」である。

そして彼らの求めるもの、彼らの不平不満を解消することが
支援する側の提供すべき「サービス」である。

で、あれば
まず「顧客」が真に何を欲しているか?を
知ることが不可欠なはずだ。

そして、その声に真摯に耳を傾け続けることも
また不可欠ではないだろうか?
その姿勢無くして、彼らに喜んでもらうことは難しい。

「何をいってるんだ。「支援」はビジネスじゃない。
そんな必要はない!彼らを「顧客」だなんて思う必要はない。
彼らは代金も払えない。こっちはカネまで払って、助けてやってるんだぞ!」

という意見を、残念ながら同じ日本人から聴くことがある。
もちろん、そういう考え方はある意味で正しい。

但し、心からそう思う人は今後「途上国支援」という言葉を使うべきではない。
正直に「途上国の貧しい人々と関わることを通じて自己満足したい」と言い換えるべきだ。

実際、面白いことに
私が旅で出逢う人々の中で、
現地で直に人々と触れ合って支援事業をしている人々、つまり現場にたっている人々は
「支援」という言葉をほとんど使わない。


また重ねて断っておくが、
「途上国支援」と呼ばれる活動が悪いわけでも、
そこで働く人々が悪いわけでも一切無い。

むしろ、私が知っている友人や先輩は、皆
心の底から「誰かのために何かを」と考えて行動している。


そのことを踏まえた上で、私が強調したいのは

「途上国支援」を行った結果、
担い手と受け手それぞれの受け取り方の間に大きな乖離が産まれているという事実だ。

そして、ビジネスなら「顧客」に見はなされれば会社がつぶれてオシマイだが、
補助金や税金を投入されるような国際貢献事業は違うということだ。

もし仮にその支援事業が途上国の人々を傷つけていたとしても
「支援」は決して止まらない。

そういった意味で、私たちは「支援という名の刃」で
彼らの心を傷つけ続ける恐れがあるのだ。

ということを、今回ビンさんと出逢い、
その怒りに触れたことで実感できた。

なお、上述したような空しい出来事を避けるためには、

非営利団体は営利企業(便宜上敢えてそう呼ぶ)以上に
第三者による監査や、事業成果への評価を受ける事で、
高い事業性、透明性を確保し続けなければならない。

そして、それは他ならぬ
納税者、寄付者である国民、
つまり、私たち自身が厳しい目で「非営利団体・事業」を見守ることによって成立する。

もしそれをしないと、
過酷な現場で「誰かのために」と汗と涙を流して頑張っている
多くの人々の努力も無駄になるし、
それどころか喜んでもらえるはずの
途上国の人々には「怒り」を抱かせ続ける事になりえるのだ。

みなさんも、
今一度、身の回りで見聞きする「途上国支援」の中身を
調べなおしてみてはいかがでしょうか?

以上

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