2015-02-15

★旅の事後報告★ 『お金』×『世界一周』をテーマに著書を出版しました!

皆様
このブログを訪れて頂きありがとうございます。


この度、2月6日に
私の世界一周2年間の経験と、
証券マンとしての視点を活かして
初となる著書を出版致しました。

タイトルは
『なぜ日本人は、こんなに働いているのにお金持ちになれないのか? 
_21世紀のつながり資本論』(いろは出版)です。



大変有難いことに!!
渋谷でも、





















福岡でも

関西でも、、、

全国各地の書店さんで
大きく取り扱って頂いております。



出版社の方の大変お力添えで
このような大展開をして頂いております。













私一人ではとても形にするのすら、難しかったと思いますが。
いろんな御縁に恵まれて、おもしろい本に仕上がり、
このようにご注目を頂けております。

皆様も、もし、よかったらお手にとってみてください☆

全ての御縁に心から感謝☆ m(_ _)m


2013-12-30

「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」 後編 

「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」



という問いに対して、
私が獲得した三つの答えをご紹介しておきます。


①好きになること、そして誇りを持つこと。
 ⇒そのために知り、体験し、協働すること。

どんな単位であれ、そのコミュニティに属している人自身が、そのコミュニティを自慢したくなるくらい、好きで、誇りに思えていなければ、他者から見て、そのコミュニティが魅力的に映ることは難しいのです。

例えば、私自身あれだけ美しい町並みでも、住んでいる人の荒んだ姿が見られたヨーロッパのある都市には、憧れることがないし。

一方で、どれほど空気が汚く、汚れていても、住んでいる人たち自身が楽しそうに、また誇らしげにコミュニティや自国の歴史を語る姿が見られたバングラデシュには、また訪れたいという気持ちにさせられます。


そして私のこれまで学び、経験した限り、
日本という国の風土とそこに根ざした文化と人々は、確かに豊かで美しいものです。
ただ、惜しむらくはそのことを自覚していない若者がまだまだ日本には多いということだと感じています。

原因は様々ですが、
どの道なすべきことは、まず知ること。
学校でも、家族からでも方法は何でもいいのですが、まずは日本に何があるのか?
について知らねばなりません。

と同時に、それらについて体験することが重要です。
感じること無しに、それを好きになることはあり得ません。
日本の美しい風景を見に行くとか、山々を歩くとか、土を触るとか、空を眺めるとか、
なんでもいいんです。

その上で「協働」すること。
そのために一番身近なのは、たぶん「事を行う」という意味で、お月見でも、初詣でも、
日本の伝統的な年中行事を大切にすることだろうと思います。

それらを家庭などを軸としたコミュニティの中で
しっかりと受け継いでいれば、日本のことを好きになれるはずです。

その際、注意すべき点は「決して押し付けない」こと。
コミュニテイへの忠誠や規範が義務として要求されることほど、
そのコミュニティへの信頼を崩壊させるものはありません。
このことはイランというムスリム国家で学びました。



②他の国や文化と、人々の素晴らしさを知ること。
 そのために若いうちに現地を訪れ、体感すること

日本の事が好きだからといって、それがどう素晴らしいのか?なぜ素晴らしいのか?の本質は
それ以外の国や文化を知ること無しには感じられません。

私自身、日本人の「勤勉さ」や「正直さ」がこれほど世界に評価されていること、その理由は他の国や文化を経験することで知ることができました。

そして、他の国や文化を知り、経験し、またそれぞれの人々と出逢い、
かれらと共に過ごす時間が増えてくれば、そのうちに彼らの国や文化もまた、われわれの国や文化と同じように素晴らしいということに必ず気付きます。

何より、大切なことは、
この世界の価値観は単一でなく、相対的なものであるということ。その気付きだと思います。

だからこそ、多様であるこの世界は美しいし、また私達一人ひとりが違うことが受け入れられるし、ありのままの自分自身も受け入れられるのです。

その気付きを得る為には、
たぶん価値観が固まりきる前に、先入観を持ちきる前に、
多くの多様な文化や価値観に触れることが重要だと思います。

なので、なるべく若いうちに、せめて大学生のうちには
他の国に直接訪れる体感することが重要なのです。



③伝える力を磨くこと。
 英語といった言語力だけでなく、あらゆる表現の方法を認め、それぞれに合ったものを高めていくこと。


上記をもって、真の意味で、日本の美しさや素晴らしさを知ることに至ったとしても、それらを他の国や文化、コミュニティに属する価値観の違う人々に伝えられなければ、「憧れられる」ことには繋がりません。


そのために、
私達は「伝える力」を身につけ、磨くことが必要です。

旅の前半では、伝えたいと思うことはたくさんあるものの、
自身の英語力のなさに、議論どころか、意見すらできずに
悔しい思いをすることが何度もありました。

そのおかげで、日本について伝えたいことについての
英単語を学んだりして、徐々に伝えられるようになっていったのです。


なので、「伝える力」として、具体的には
英語でのプレゼンテーションを学び、慣れるということも必要でしょう。

ただし、これは「伝える力」の一手段でしかありません。

他にも「絵を描く」「音楽を奏でる」「ボディーランゲージを用いる」など
表現の方法、伝える方法はいくらでもありません。

そのどれかで、自分自身が好きなものを磨いていけば良いのだと思います。
それをやる気が無い大人はせめて、次世代の子供達にその表現方法を
好きに選ばせてあげるべきだと思います。

英語がしゃべれなくても、
出逢った人の似顔絵を描くことで、すぐに仲良くなる旅人もいたし、
ギターを弾ける奴のほうが、下手な英語使いよりよっぽど深く打ち解けられます。

特に「教育」など「次世代育成」の分野に関わる仕事では、
このことを意識して、子供や若者の才能を受け入れていかなければならないと感じています。





以上が、この旅の問いに対して、私が二年間の経験をもって得た答えです。
まぁ、そんなの当たり前じゃないか、と思われる方も多いかと思います。

ただ、私個人にとって重要なのは、
それが経験によって裏付けられているということです。


なので、今後携わっていく仕事や場において、
上記の学びは、私自身の哲学として編みこんでいきたいと思いますし、
また、それを自信をもって行えると感じています。


旅の終わりから9ヶ月
ぎりぎり年を跨ぐ前に、ようやく旅をまとめることができそうです。


改めて、
旅で出会ったすべての人々と、
その旅を支えてくれたすべての人々に深く深く御礼を申し上げます。



感謝










2013-07-27

「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」 前篇 問いのワケ


「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」 



という、ずいぶん真面目ぶった問いを持って、
私はこの二年間世界各地を旅させていただきました。


今回はその問に対し、
私が見つけた答えを紹介します。



その前に、そもそも、
この問いを立てるに至った背景を簡単にお伝えしておきます。


私は中学生の時に、
アフリカや途上国の飢餓で死んでしまう子供たちのことに心を痛めていました。
ご飯を食べずに寝ることすら苦痛だろうに、それが原因で5歳まで生きられない。
そんな現状が、同じ世界の上で起こっていることを真剣に悲しんでいました。


また、一方で、モノにあふれ、相当な自由を与えられながら、
なお有り余る食を残飯として平気で捨てられるような日本社会に怒りを感じるとともに、
にも関わらず、同世代の少年が殺人を犯したり、
自分の父親と変わらない大人たちが自殺したりしていることに、
妙な違和感を感じておりました。

(そんな多感な時期に「人間失格」を読んだりしていたのも良くなかったか?)


そして当時、子供ながらにそんな社会観と戦ってみました。

結果、あっけなく挫折。

「人は変わらない」という絶望感だけを抱え、
以後5年くらい、社会を受け入れず、静かに反抗しつつ、心を閉ざすに至りました。


転機は大学入学初日でした。

入学前は、国際ジャーナリストを目指そうなどと考えていたのですが、
入学その日に参加することになった勉強会で学友から問われた

「ところで、オマエの地元別府の良いところはどこなんだ?」

という問いに私自身が何も答えられなかったことが、ショックでした。


この時、自分は自分の足元のことを何も知らない!
ということに初めて気づいたのです。


それから、私の視点は
ふるさと別府へと移っていきました。

そこで、温泉めぐりなどを通じて、地域の人や歴史、文化と出逢う中で、
その魅力を知るとともに、同時に、地域が抱えている問題も見えてくるようになりました。


「世界がどうこう言う前に、自分のマチすらこんなに不安定じゃないか!」

という気づき。


それが「まず足元から始める」という
私の信条になり替わっていったのだと思います。


それから、いわゆるまちづくり活動というものに、参加していくなかで
私自身の経験から、

「知る」⇒「楽しむ」⇒「協働する」⇒
「愛する」⇒「誇る」⇒プレイヤーの誕生

というサイクルが存在することを発見し、
そのサイクルを周囲に提供していくことで、確実に何かを変えていけることを実感しました。


また、同時に人を動かすためにもっとも強烈な方法は「教える」でも「命令する」でもなく「憧れさせる」


だということも、多くのリーダーや起業家を見てきたことで気づきました。

また、「憧れられる」人物というのは、
すべからく「愛する」ものを持ち
「誇る」べき何かを持っている方なのです


これらの気づきから、
もし私たちが「アフリカの飢餓で苦しんでいる子供たちの状況を変える」なんてことを
人生の目的に置くのであれば、

ひとまず
「自分自身とその周囲が
 とことん幸せになる必要があるなぁ」

と考えるようになりました。


そのうえで、それに憧れた人々が、
「私たちもあんな風になりたい!」

なんて思ってくれたら、もうこっちのもんです!


あとは、
それが町中に、日本中に、そして世界中に広がっていくはずですから。
それがなんていうか素直な形だなぁと感じていました。


それが旅に出る直前、

伊那食品工業の塚越会長とお会いして学んだ「年輪経営」の思想や、

致知出版「若獅子の会」で学んだ安岡正篤師の「万燈行」の思想

などとの出逢いによって、腑に落ちたのでした。


そこで、問い

「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」

を立てるに至ったのです。


そして、
日本が世界から憧れられるような国であるには、一人一人が「日本」のことを「愛し」、「誇り」にできるような状態であれば良いと思うし、そのためには一人一人が、それぞれの属する「故郷」や「家族」や「コミュニティ」を「愛し」「誇れる」ような状態になる必要があると感じています。



ちなみに、私の中で、
真に自らを「愛し」「誇れる」人というのは、
他者のもつ「愛し」「誇る」対象を貶したりしないものです。

自分の足元にあるものを真に愛し、誇れるという状態は、
「自分を信じる」ということに直結していると思います。

つまり、「自信」があるってことです。
「自信」がある人は、他人を恐れる必要がありません。
それに「自信」があるから「憧れられる」わけです。

その意味で、
真に自らを「愛し、誇れる」人は、他者を攻撃したり、貶したりしないものです。

ココんとこ、重要だと思います。



というわけで私は

「30年後の日本が世界中から憧れられる国になるためには何が必要か?」
という問いを持って、旅をはじめたのでした。



あまりに長くなったので、
旅で得てきた、その答えについてはいよいよ次回!



以上







2013-05-31

世界一周旅を終えて、今思うこと⑮ 「教育」について

「教育」

というのは、
つまるところ大人からの次世代へのメッセージです。


そして、
その中身も、伝え方も国や文化ごとに違ってました。


ある国では、
学校で教えること以上に
親やおじいちゃん・おばあちゃんが伝えることや語ることを重視していたり。

またある国では、
システマチックに生きるために必要な技術を伝えることを重視していたり。


正直、
どれが良い教育で、どれが悪い教育だ。
なんてことは決められません。


しかし、
効率的でなかったり、

あるいは、
伝える技術とそのための資金が不足していたり、
といった理由で、

メッセージが十分に伝えられていない。
そんな状況もたくさん目の当たりにしました。


チョーク一本、ノート一冊が
手に入らないために伝える機会を、学ぶ機会を失っている
次世代が大勢いるのだから。


現在、
先進諸国から途上国に対し行われている
「教育」分野への支援と呼ばれているものは、
その点で、大変重要で、有効なものだと感じています。


しかし、
気を付けたいのは、
それが行き過ぎたときのことです。


つまり、
メッセージを伝えるお手伝いは結構ですが、
その内容まで、いじくるのはいかがでしょうか?
ということです。


ウガンダの小さな村の学校で、
子供たちがきれいな英語を話していたのに驚きました。

そのことを
彼らの父親に伝えると、

「けれど、その分子供たちは私たち固有の言葉はあまり使わないんだ。」

と、少しさみしげだったのが印象的です。



「固有の言葉」

その背後に
大人たちが伝え残したい文化や価値観が
どれほどつまっているものか、計り知れません。


だから私は、

あらゆる「教育」支援が決して
「価値観の押し付け」にならないことを願っています。



それぞれが違って、ユニークだからこそ面白いし、価値があるのです。


もし仮に、
あらゆるすべてが同一のモノが二つあったら、
それらはお互いに

「どっちでも良い」存在、になっていまいます。


どっちでも良いってことは
どっちかは無くても良いってことです。


その意味で、
「多様性」とは

価値評価の一側面ではなく、
「価値」の本質そのものなのです。


大人が
「自身が誇るべきもの」を
持っていたあらゆる国では、

それを伝えるために「教育」に
真剣に向き合っていました。


その逆もしかり。



私たちが、
次世代に伝えたいこと。

私たちにとっての「誇らしいもの」とは
果たしてなんでしょうか?


もし、
それを持つ大人が少なくなっているならば、
その国、その宗教、その文化は

すでに
「どっちでも良い」ものになりつつあるのだ

と自覚せねばなりません。



以上


次でラスト。

旅のテーマ
「三十年後の日本が世界から憧れられる国になるためには何が必要か?」

の答えについて。







































2013-05-22

世界一周旅を終えて、今思うこと⑮ 「日本企業」について


私は
世界中で
日本の企業活動について
観察してきました。


証券マンとして
日本株を扱っていたころから、
自動車メーカーをはじめ、
世界で活躍する日本企業の
実態について知りたいと
思っていたからです。




まずはじめに言えることは
やっぱり日本企業はスゴイ!ってこと。


アジアで

ヨーロッパで

アフリカで

南米で


どこに行っても

「日本の製品がNo1だ」

と言う人に大勢出逢いました。

その要因を
いくつかに分類してみると、

①工業製品の品質に対する評価。

「日本製品ならば安心だ」

という評判は
戦後の日本のものづくりに対する
正当な評価だと思います。
それは単に技術的・性能的な評価だけでなく、
その奥底にある日本人の「誠実さ」に対する評価でもあります。

②サービスの質に対する評価。

販売時の接客のみならず、
アフターケアに至るまで
日本企業のきめ細やかさは
特に各国の富裕層から絶大な支持を
得ています。

そこには、
販売戦略以前に日本人の
育んできた「おもてなし」文化の存在が
うかがえました。

日本の一般生活の中で、
「他人さま」に出すものについての
最低限のレベルというのが、
世界的には非常に高いのです。


③経営倫理に対する評価。

企業が他国で生産活動を始めると、
どうしても独善的で画一的な手法で
従業員や顧客を支配しようとしてしまいがちです。

そういった中で、
多くの日本企業は
(上手くいっているかどうかは別として)
労使にしても、環境配慮にしても、
高い倫理観を失わずに活躍しているように
感じられました。

おおくの企業経営の哲学の中に「仁」の精神
がある国というのも非常に珍しいのです。


以上のような観点から、
日本企業の海外進出は
私たち日本人にとってだけでなく、
受入国側にとっても
必要とされているように感じました。


そういった可能性を感じるとともに

一方で、
日本企業が相対的に
出遅れている点もいくつか目につきました。

それは主に
①政官財学の連携不足

縦割り行政の弊害なのか、
訪れたいくつかの国で
日本の大使館とJETROとJICAが
似たようなイベントを別々に開催している
場面に出くわしました。

それぞれが
それぞれの現場で
最大限の努力を行ってはいるのですが、

それらを総合的に
マネジメントする機関なり意志なりが
欠けているように感じました。

この点、
韓国は非常に縦横の連携が上手くいっており、

ベトナムやラオス、カンボジアなどの新興諸国に進出する際、

まずKTVが韓国ドラマ専門チャンネルを持ち、

両国の主要大学間で留学生の定数交換枠を設け、

その上、
その国で一番高い商業ビルを韓国資本で建設する。
というような具合です。


こういった点では、
学ぶべき点が多いように思います。


②マーケティング力不足

これは単にマネージャクラスの
英語力不足という問題だけでなく、
現地の人々からすれば、
現地の市場や文化を理解する気が
無いように思われているようです。

ある東南アジアの国で言われたことは、

「欧米の企業は優秀でさえあれば
マネージャーとして現地人を採用する。
しかし、日本企業は
現地支社長といったマネージャーは
大抵英語もろくに話せない日本人だね。」

という一言でした。


もちろん、
劇的に変化している最中ではあると思いますが、
一部そういった評価があることを踏まえても、
相対的なマーケティング力不足という課題は
突きつけられているのが現状でしょう。


③不十分なパラダイムシフト

戦後日本の奇跡とも呼ばれる
経済成長は内需主導で行われたことは
言うまでもありません。

それは
人口増加と生産性拡大という
前提条件の元に実現しました。

しかし、
今でもその時の観点から
抜け出せずにいる企業も
多いのではないでしょうか?

もちろん今後
内需のある程度の再生は
期待されるし、起こってしかるべきでしょう。

しかしながら、
成熟期を迎えた国の人口は
基本的に減っていくのだとすれば、

やはり
これまでとは違う、
新たなエンジンを始動する
必要は明らかです。


そして、
そう言った、
国家的な
「パラダイムシフト」は
単にトップ経営者のうちに
起これば良いというものではなく、

おそらく
国の全体的な変化として起こって
はじめて効果を発現するものだと思います。


そういった意味で
今後やはり重要になってくるのは
新たな「教育」だと実感しています。


それは、
単に
伝統的な教育システムを
破壊することでも、
あるいは
欧米の教育システムを
受け入れることでもありません。



なので、
次は「教育」について



以上